【第665話:外側から観測された事】
「リーベまま‥‥何かおかしい‥‥」
リーベが食後の片付けをしていると、エプロンをつんとメーナが引いて言った。
いつもと違う声色に、おやと思い水を止める。
手拭きで手を拭きながら、リーベはしゃがんでメーナと目線を合わせた。
「どうしたの?おなかいたい?」
なにかお昼に食べさせたものが悪かったのかなと、心配するリーベは、このメーナが式で人間ではないともう思いつきもしない。
メーナはふるふると首をふるが、視線は斜め上に向けたままだ。
そちらをチラと見ても何もないので、いよいよこれは非常事態だと、切り替えるリーベ。
リンクしたままの月軌道や、この拠点の屋外にある式を呼び出すリーベ。
「な?!」
地上に変化はなく、月から異常が観測された。
そこにはアルドゥナに突き立つ金色の線が細く輝き、すぐに薄れて消えていった。
メーナも怯えたりはしないで、じっと北側を睨むように見ている。
「‥‥声が聞こえた」
メーナがリーベのエプロンをもう一度引きながら、視線は北に固定して言う。
「”たのみますよ”と言ってたよ」
リーベにはもちろん何の音も届いていないが、月軌道から一瞬観測した光を精査して気づく。
「これ‥‥ラウメン大陸の中央部に‥‥あの遺跡のあった場所だわ」
かつてオレイカルコスを入手した遺跡での冒険は、リーベの中にも色濃く記憶されている。
意識を失うほどのショックを受けたのだから。
光が指し示した先がわかり、仮に直進していると仮定すれば発信源か発信先が解るはずと、頭の中でレムリア星系の星図と重ねてみる。
偶然だったのだが、その線上に近い位置を取る特異点は、一つもなかった。
惑星も衛星もラグランジュ点すらその線上にはなく、もちろん主星レムリアも反対方向だ。
「せ‥‥星系外から‥‥」
それはもうリーベ達、汎銀河連邦の常識では有り得ないことだった。
どんなに強い光を作ろうとも、星系を越えて届くことなど有り得ないのだと。
光の線はとっくに消えて、ラウメン大陸にも変化はない。
「こ‥‥光速を越えている?!」
30万㎞以上彼方の月軌道から観測できた、あの膨大な光はどこへ行ったというのだろうと、リーベは考え込んでしまう。
メーナが裾を引いて、声をかけても上の空になるほど、リーベは思考に沈むのだった。
リシュアナ・ホークは久しぶりに夫と外食に来ていた。
最近は月に一度か二度はある事で、大抵は友人のオーナーシェフが経営するレストランに行く。
店が流行る前からの付き合いで、先代とシャラハは懇意だった。
「軍を無事に辞めていただいたのは、私にとってはとても喜ばしい事なのですよ‥‥あなたを失わずに終われたのだと」
そっとシャラハの左腕に手を添えて歩くリシュアナは、時々そんなことをシャラハに告げる。
大抵は難しい顔をして、なにかシャラハが思い悩んでいるときだ。
どうしたのとは聞かないが、側にいる事に感謝しているのだと伝えてくれる。
「ありがとう‥‥随分苦労をかけた」
まるで定型文のようだが、シャラハは本心からリシュアナをいたわる。
本来は姫君として有ったはずのリシュアナの人生を、こうして消費させて申し訳ないなと思っているのだ。
若い頃は、叶うなら帝国でのし上がって、国を取り戻せればと思っていた頃も有ったくらいだ。
「苦労など何も有りませんよ」
にっこりと笑い、リシュアナは告げる。
ふと立ち止まるリシュアナに引かれ、シャラハは鍛え上げた武人らしくピタリと止まり、小さな婦人を引っ張ったりしない。
10代の頃から60年も現役の軍人だったのだ。
意識せずとも体幹を保ち、いつでも即応出来る体勢を取っていたのだ。
南西向きに首を少し曲げ、固まったように止まっているリシュアナは、驚いた顔でふるふると震えている。
「どうした?!何処か苦しいのか?」
シャラハはリシュアナの身体を心配して、肩を抱く。
「‥‥い、いいえ?!違います!」
リシュアナの瞳は見開かれ、一点を見据えた。
こんなに慌てた声は久しぶりに聞いたと驚くシャラハ。
シャラハも最初に婦人の視線を追ったが、何もないと確認済みだ。
これは自分よりも優れた能力で何かを捉えたのだと、シャラハは一瞬で理解し周囲に目を配る。
物理的なことではないのだなと。
腕の中のリシュアナを気にしながら、360度にも意識を向けた。
今日は護衛の家人もなく、二人きりだったから。
「あなた‥‥一大事です‥‥」
リシュアナがやっと顔を動かし、シャラハを見た。
その表情にはほんのりと笑みがまじる。
シャラハは内心ホッとしながらも、こういった超現実的な刺激も久しぶりだなと感じる。
(40年ぶりだな)
にやりと笑むのは、良かれ悪かれ本当に一大事なのだと、聞く前から確信しているから。
リシュアナは、いたずらや思いつきでそんな事を言う妻ではなかった。
この日の正午過ぎに起きたこの異変を捉えたのは、メーナやリシュアナだけではなかった。
遠くはサフ・アル共和国の商店街に店を出している、女主人も動きを止めた。
「オーナーどうしたんですか?」
お客さんもこないし、今日は棚卸しをするよと一人だけの従業員の娘と二人、倉庫から店に商品を出している最中だった。
この北国ではよくある何でも扱っている雑貨屋だ。
突然商品を手に持ったまま動きを止めた女主人は、南西の方向をじっと見つめている。
「うん‥‥気の所為ではない‥‥」
もう随分と神事から離れて時が経つが、この店の女主人はかつてアズラントで巫女見習いをしていた。
「かすかに女神さまの気配があった‥‥ラウマ様ではない、別のお方?」
その昔リシュアナに才能を見出され、師事を受けていた。
帝国に占領された後に取った、リシュアナの弟子の一人だった。
信仰を失わぬようにと、リシュアナは後継者を育て、世界中に住まわせていた。
それぞれの故郷に弟子を帰すことで。
今は答えることのなくなった、女神様のお言葉を探させて。
「こうしてはいられない‥‥一大事だわ‥‥姉さん達に連絡を取らなければ‥‥」
オーナーが言う姉は、姉弟子の事なのだが、店員には伝わらない。
姉妹なんて居たんだと、勘違いをする。
ふらふらと出ていこうとする女主人を、慌てて追いかけて止める店員の娘。
「ちょっ、オーナー?!どうしたんですか?!」
身体の大きな自分を引きずるように、出かけようとする主人を、女店員は必死に止めるのだった。
この細い身体のどこにこんな力が在るのかと、目を見開き驚きながら。
サフ・アルから大陸を挟んだ反対側は、大山脈の彼方に広大な帝国が広がる。
ヴァルサール帝国の王都にほど近い、巨大な海沿いの工場。
ここは研究所と銘打って、エリオン・マルヴェンが所長を務める、兵器工場。
最近では皇帝座乗艦のミスティアリアを、この工場から進水させた。
その工場内にある、塔のような研究所にエリオン本人がいた。
研究に没頭すると、一切の面会に応じず鍵を掛けてあり、所員すら誰も入らない。
そうして閉じこもって、デスクに向かっていたのだが、がたりと椅子を蹴って立ち上がった。
「‥‥来たか」
じっと南東の方角を睨むと、美しい額に縦皺をうっすら刻むのだった。
一瞬だけだったが、エリオンはかつて王の近くに侍り、よく知っていた。
「幽子の揺らめき‥‥連合が動いたのか?」
エリオンには仕えている王が居た。
もちろんこの星のちっぽけな国の皇帝などではない。
今は言葉を交わすことも出来ないが、かつては近くにあって声をかけてもらった。
――この感覚を忘れてはいけない
そういって、王自らが操り、手のひらに揺らぎを集め、見せてくれたもの。
汎銀河連邦の技術を、幾つも越えた先にある力だ。
――これは我々にとっては早すぎる技術だが、この力なくば前に進めないのも確かなのだ
いつも寡黙な王自ら、皆にそう語りかけ、エリオンもまたひざまずいて聞き入ったのだ。
その”幽子”と呼ばれる、人類には早すぎる技術を扱う敵がいるのだと。
(目立たぬようにと、心がけていたのですが‥‥)
エリオンもまたヴェスタ達と同じように、何者かに見つかるのを恐れていた。
かつて一度警告を受けていたのだからと。




