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【ヘリカルスパイラル】  作者: Dizzy
第3部 第10章
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【アストレアの日常9】

 ヴァルサール帝国の推し進める法制度は、実はミラサネル共和国や帝都アズラントに今も密かに信奉者が多い、女神ラウマの教えに叶ったものだ。

口伝として残される巫女の教えは、慈悲深い女神のもの。

他者を尊重し、愛を持って生きなさいと謳う。

帝国の新法が罪と挙げ連ねるものも、やんわりと巫女たちは否定してきた。

それは女神様の御心には叶わないのだと。

「ミラサネルやアヤンタの民は、どうしていつまでも解ってくれないの‥‥」

アストレアは悲しそうにそうつぶやく。

今日はフローラも休みを取らせて、侍女たちと出かけているので、アストレアは一人で自室にしている、乗機ミスティアリアの奥まった一室にいた。

少し前まで楽しそうな喧騒につつまれたホテルのラウンジにいたので、やたらと静かに感じる。

20m以上は下にある海面から、波のうねりでわずかな揺らぎも感じ取る。

「法を良くすれば暮らしが良くなるのだと、解らないのかしら」

女神の巫女も、慈悲の教えに背を向ければ、報いは己にかかるのだと口を揃える。

女神様は民の心が悲しみに暮れぬようにと、慈悲をたれ教えを残したのだと。

祈りは良く有りたいと願うもの一人一人のためなのだ。

 一方帝国の新法を解釈していけば、同じ理念に基づいていると感じる。

治安を乱せば、皆が迷惑を被ると。

皆の中には罪を犯すものも含まれるのだと、書いてある。

ただそれを正しく意味として受け取れるだけの、制度や仕組みがまだ不十分だと若い皇帝は気付かない。

本来は老練な側近などが諌めるべきところだが、身近には指摘してくれる先達はいなかった。

そうしてアストレアは頑なに罪を挙げ連ね、より厳しいペナルティを科していく。

これでも足りないのかと。

遅くまで飲酒しているから、前後不覚になり覚えず罪を重ねるのだと。

そうならないように、外での飲酒時間を規制をするし、破れば思い罰にあたると定める。

同じ様に犯罪の原因となった問題点を、先んじて摘み取るように法には附則が付き、民達は居心地を悪くしていく。

その帝国のかざす正義は、アヤンタの古い貴族たちや、ミラサネル共和国の若者に多く反発を買っている。


 今日のお昼に催された食事会には、アヤンタ出身の文官や、ミラサネルの尖った若者の親世代が多く参加していた。

市政者だけではなく、各界の名士も招いていたのでかなりの人数だった。

「そもそも食事会なのに、私だけ別席なのは距離を開けるだけではないのかしら‥‥」

師たるエリオンの進めで今の路線にあるのだが、王は下々と分けることで権威を持つのだというその意見は、最初からアストレアの好みではなかった。

整った容姿をしているので、若い頃からそういった視線を当てられ男性とは距離を取りたがるが、女性や子供たちとはもっと接触を持ちたいと感じていた。

基本的にアストレアは人懐っこいのだった。

外に見せぬようにと指導されていたので、冷徹な支配者に見えている。

 アストレアに直接意見するなど、もちろん許されないのだが、御簾の裏で会場を見渡せば歓迎されていないのだと解った。

たのしそうに交わされる会話の端々で、眉をひそめアストレアだけの座る一段上のテーブルに視線を送るのだ。

まるでこの楽しい時間の中にある、異物のように扱われていると感じた。

それは少しだけアストレアを傷つける。

女神たちと同じ様に、ただ良くしてあげたいと考えているのにと。

「そもそも自由とは、責任が伴わなくてはいけないの」

よくミラサネル共和国の民から陳情されるという、思想や善悪の自由とは、正しい理念と他者への思いやりの上になければならない。

そうでないのなら、ただ子どものわがままと同じだとアストレアは感じる。

きしっと音を立ててアストレアは立ち上がり、小さな窓に向う。

最新の技術に支えられるこのミスティアリアには、あちこちに透明度の高い綺麗な窓がある。

この部屋にもそれなりの大きさの窓があり、夜の港に揺れる光を見ることが叶う。

そっと手を当て撫でて、その冷たく硬質な質感を味わい眉を下げる。

アストレアの白い指の間に、温かそうな光が無数に揺れていた。

ガラスは高高度まで上がる飛空艇の為に二重になる厚みのあるもの。

光は温度を届けてはくれなかった。


 気持ちを切り替えようと、湯浴みをするアストレア。

流石にこの飛行艇に浴室は作れないのだが、皇帝のために湯浴みのお湯ぐらいは許されている。

するりと部屋着にしていた白いガウンをはだけ、全身をさらす。

白磁の滑らかさをしめす若々しい肌を、お湯につけしぼったタオルで拭き上げていく。

移動や昇り降りも多かったので、少し汗をかいていた。

1日分のその汚れや匂いを拭き取ってしまいたいと願ったのだ。

注がれた不満のこもった視線の温度とともに。

温かな温度に保たれている室内で、アストレアは身震いする。

自分に向けられた温度のない視線たちを思い返して。

我知らず両手で二の腕を抱き寄せる。

その柔らかな身体をなにかから隠すように。


 とくとくとカットグラスの高級そうな水さしから、これも透明度の高いサンガマラ産の高価なグラスに水を注ぐ。

半分ほど注ぐと、左手に乗せていた錠剤を含み水で飲み込む。

悪夢を見ないようにと、エリオン師匠から処方されている薬だ。

師は法学や法哲学に通じるだけではなく、あらゆる部門で知識を分け与えてくれる。

帝国の進んだ法制度と技術力の殆どを、エリオン・マルヴェルン師に分け与えてもらった新しい知識が支えてくれている。

飲み下した胃の腑に師匠の決して荒らげることのない、柔らかな気持ちが広がる気がした。

もう寝るだけにして夜着に着替えていたので、薄い生地越しに柔らかそうな線を見せるアストレア。

着替えた後はただ後ろでくくっていた髪をほどき、ふわりと広げる。

最近伸びてきたので、背中に届きそうに成っていた。

長いほうが結いやすいので伸ばしてとフローラには言われていたが、手入れが大変だからそろそろ切りたいなと、指で梳いてふわりと広げながら思った。

(いろいろなことが思い通りにはならない。でもそれが私の責任でもあるのだわ)

きりりと眉を引き締め、改めて不便などと言えないのだと心に刻む。

新皇帝アストレアは完璧を求められるのだと、己に言い聞かせるように思う。

その上でしか法を振りかざすことは許されないのだとも。

そう師に教えられてきたから。


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