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アナグラム  作者: 七海美桜
キルケゴールの挫折

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105/188

繋がり・中

「何故今回、わざわざトリカブトを自分で運んだの?」

「さあ? 僕はここから出られないから、君の許に運べるはずないよ。でもあの花屋は、もうないんじゃないかな?」


 わざわざ架空の花屋を作り、桐生自ら運んできた。カメラに映る事で、自分の存在もアピールして。笹部が調べて、その事は分かっている。


「ねえ、真田先生」

 桐生は、真田に視線を向けた。急に呼ばれた事で、僅かに真田の体が強張る。

「真田先生は、お父さんの影響で弁護士になったのかな? 真田源治は、検事では有名な悪だったそうだね。お父さんみたいな悪から、人々を守りたかったのかな? でも今回、お父さんのせいで犯罪者になってしまった人を見て、どう思ったのかな?」


 桐生は柔和で、天気の話をするような口調で真田に問いかける。真田は、一瞬辛そうな表情を浮かべたが、答えなかった。桐生の挑発には乗らないと、じっと黙っていた。


「櫻子さん。桜海會とあまり付き合わないようにね。でないと、僕は余計な事をしなければなくなるんだ」


 話さない真田に飽きたのか、桐生は櫻子に向き直った。

「余計な事って、何をする気なの?」

「虫を払うだけだよ。昔、一度桜海會がどんなものか試した事があるけど、馬鹿しかいなくて楽しめなかった。今回も、そう時間はかからないだろうけどね」

「「昔桜海會を試した」……? 今、そう言いましたね」

 真田が、ようやく口を開いた。

「何年前かは覚えてないけど、桜海會の息子とその周りにいた五人ほど殺したかな?あれ? それ、ニュースになってないのかな」


 ガタン、と大きな音を立てて真田が立ち上がった。池田はまだ震えているので、彼を支えるように櫻子がそばに寄る。そして、普段の彼らしからぬ様子に、櫻子は驚いたように真田に視線を向けた。


雪近(ゆきちか)さんを殺したのは……やはり、貴方だったんですね……!」

 桐生が桜海會に手を出した事は、櫻子にとっても初めて聞いた。怒りを滲ませる真田と、かわらず笑みを絶やさない桐生を見比べた。


「雪之丞さんも、気を付けた方がいいね」

「若に手を出さないでください!」


 真田がガラスに近づくと、その硬い表面をバンと殴った。その様子が楽しいのか、桐生はくすくすと笑っている。

「真田先生!」

 握った拳に血が滲んでいるのに気が付いた櫻子は立ち上がると慌てて駆け寄り、もう一度殴ろうとした真田の腕を掴んで止めた。


「櫻子さん」

 淡いピンクのハンカチを取り出して真田の血を押さえる櫻子に、楽しそうな表情の桐生が話しかけた。

「今日は楽しませてくれたから、特別に教えてあげようかな――掛川の部屋から見つかったもの。それが、僕が『〇人目』であるヒントだよ」

 桐生は、唇の端を上げて笑みを深めた。そうして、満足したのか立ち上がった。


「開けて下さい」

「待って、桜海會に何をするつもりなの? まだ、犯行を続けるつもりなの?」

 櫻子が桐生の後ろ姿に声をかけると、彼は僅かに首を櫻子に向けて歪んだ笑みを浮かべた。

「僕が事件を起こさなくても、毎日事件は起きるだろう? それが、人間の世界なんだよ、櫻子さん。『死に至る病とは絶望のことである』――今までの犯人たちは、絶望したことによって死を選んだ。そのついでに、人を殺しただけに過ぎない」


「……キルケゴールね? 死に至る病、それは絶望である……」

 セーレン・キルケゴール、デンマークの思想家だ。『現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと、「死」によってもたらされる絶望を回避できないという考えだ。そして絶望からの死(それ)こそが、神による救済である』という現実主義の先駆者だ。「信じる者は救われる」という、それまでの宗教的思想を否定している。


 しかし今、思想の解釈の話を、延々とする気はない。


「池波は、違うのでは? 少なくとも、絶望を感じて人を殺したわけではない」

 自分の手を押さえる櫻子の手を左手で押さえる様に握り、真田は桐生の背中をじっと見た。

「彼は、人を殺した事を警察に暴かれて、それが『罪』だと指摘され人間が犯してはいけない『罪』だと『怖くなって後悔』したから、死んだんだ。人間は、本当に面白い。色々なパターンがあって、見ていて飽きないよ」

「貴方は……後悔したことはないのですか? 沢山の罪を重ねて」

 真田の苦々しい言葉に、桐生はにっこりと笑った。

「僕は神を信じていないし、死ぬ事を恐れていない。そもそも僕は、絶望を感じた事はないしね……僕は、僕が神だと分かっているからだよ。神が人を殺しても、それは罪だろうか?」


 桐生の言葉に、櫻子と真田はぞっとした……狂っている、と改めて感じた。桐生を人間だと思う事が間違っていると、分かっていた筈なのに。


 桐生はそんな二人に軽く手を振ると、開けられたドアをくぐり自室へと帰って行った。

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