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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
勿忘草の胎動

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徒花の希望2

「君は、彼女を助けられると思いますか?」

「…………」

 迷いではなかった。逡巡ですらなかった。

 ストースの問いかけを受けるまでもなく、僕の脳細胞はハナの命を繋ぐための僅かな糸口を、狂ったように探し求めていた。視界がチカチカと点滅し、焦った瞳はそれでも堕ちた天使を視界の中心に据え続ける。

 蜘蛛の巣が見えた。彼女の身体の真ん中に。心臓を絞め潰そうとするような、まとわりつく魔力線が。目を凝らしてはたと気づく。蜘蛛の巣というより、蜘蛛の脚に近い。

 濡れそぼった赤に浸された、あばら骨。

「ホロウメラデュラの花弁……いや、根付き」

「ハナの、なか?」

 シヴにホロウメラデュラの形が見えているはずはない。けれど彼女にも、ハナの中心に燃え滾る魔力は感じ取れている。

「うん……それに僕の瞳に『視えて』いるってことは、ホロウメラデュラに囚われているのは……シヴが感じ取れているものは、心臓じゃないはずだ。もっと、もっと魔力に近しい、彼女の根源的な……」

 言いかけて、言葉を探す。

 彼女はもう、人間としての身体を喪失している。いや、一度融けてしまったのかもしれない。見た目こそハナの姿を模してはいるが、あれはホロウメラデュラの魔力をもって再構築された、紛い物の器。

 その中心に据えられた核、あの心臓のように脈打つ魔力溜まりの深奥に、彼女の意識が確かにある。

「アリューカラ」

「……え?」

 シヴが小さく呟いた言葉。その言葉が、なぜか脳に染み渡った。

 ――まるで、どこかで聞いたことがあるように。その言葉を、思い出したかのように。

「アリューカラ。いみは、まりょく……」

 シヴはこちらを見ることなく、そのまま続けた。

 小さな唇から言葉が流れ出る。

「……それと、たましい」

 ぞくり、と身が震えるのがわかった。

「なるほどね、魂、か」

 しかしすぐさま、ストースが眉をひそめた。

「つまり彼女の肉体は、ホロウメラデュラに再構成されていて。そして同時に、ホロウメラデュラは彼女の魔力を奪い続けている……?」

「ハナちゃんの……魂は。完全にホロウメラデュラに取り込まれています。いや、もはや彼女の魂を拠り所に、いまのホロウメラデュラが存在しているとも言える。けど、ハナにはもう、人間としての肉体が残ってない。あの子の魂を喰い潰しかけているのも、今まさに彼女の肉体を魔力で補完して生かし続けているのも、同じインケラーシャです」

 嚙み潰すように言い放った言葉に、ストースは静かに頷いた。

「……では、どうします。もしも本当に魂とインケラーシャが癒着しているなら、無理に引き剥がせば、ハナさんの魂が損傷してしまいます。そうなれば、二度と戻せはしませんよ」

 レナの回復魔術を編み直しながら、彼は神妙な面持ちになる。

 言いたいことは分かっていた。救えないと判れば、これ以上被害が出る前に殺す。そう彼は言っているのだ。先刻、薬園の多くの労働者が彼の矢に斃れた。分かっている、彼らはもう救えなかった。ストースからすれば、それがハナでも変わらないのだ。

 自由を奪われ続けた少女の、最期のひと時すら刈り取ることになる。冷酷だろうか。しかしそれを躊躇うことは、帝国中の闘病者を殺す選択になり得る。それは正義なのだろうか。

「魔力を外から喰わせ、飽和させるのはどうでしょう。シヴなら」

「ハナ、あのますのまりょく、ぜんぶたべる。むり、たりない」

「シヴの魔力でも足りない……」

 思案する。だが、結論は決まっていた。

「なら、代替となる『核』をホロウメラデュラに与えるしかない」

「それは……」

 ハナの魂から魔力を吸い尽くそうとするインケラーシャに外から魔力を与えるのでは、延命にこそなれ、彼女の魂を救う根本的な解決策とはなりえない。であれば、その魂の替えとなる『核』をちらつかせ、インケラーシャに食らいつかせる。

 だが、それはつまり、「別の魂を与える」ということでもあった。

 ストースが首を振る。

「代替の核なんて、そんなものが都合よく用意できるはずがない……! 人間の魂と同等の重さは、やはり人間の魂でしか代替できませんよ」


「待ってください!」


 空を裂くような精悍な声色が僕の脳を青く晴らした。泥中に沈み込んだ一輪花を引き出すように、振り返った先に立っていた青年に、僕は息を吞む。

「ウィーロ君! ゲリーさんも!!」

 ストースに手ひどくやられたのだろうか、手傷を負ったゲリーは鼻息荒く、息も絶え絶えであった。だがその瞳はむしろ爛々と、その勇猛さを増している。

 ウィーロはおもむろに、胸の裡から手のひらほどの結晶体を取り出した。

 僕は思わず眼を瞠った。

 なんと言葉にしたものだろうか。

 その物体が、あまりに歪だったから。概念的に、存在的に、あまりにも歪だったのだ。

「なんですか、これ……」

 魂の結晶化。もしもそんなことが可能なら、生み出される「かたち」はまさしくこの結晶体に違いない。青くきらめく、深い海のようなその石は、まるで深海の淵源に沈み込んだ種火のよう。光を失い、圧力に潰滅し、泥の下にうずくまり、それでも消せず燻り続ける命の灯。

「アノマリスの亡種です」

「たね!」

 シヴが興味深そうに覗き込む。

「亡種、というのは?」

「創られ、生まれ落ちたものの、芽が出ることのない種子のこと、ですね」

 僕の問いにストースが応える。

「まさにその通りです。この種からは芽が出ません。ですが確かに……生命の息吹が籠っている。殻を破れず、永遠に封じられた、忘れ去られた生命が」


 そのとき、閃光が踊った。

 ハナの身体に、蔦が巻き付いていく。大地からせり上がる緑の波が幾重にも絡みつく。縄を()え、柱を立て、彼女の身体をゆっくりと持ち上げていく。

 葉の落ちた宝樹の合間から光が差し、ふもとに漂う霧の粒を光の粒子に変えていく。夕映えは宵闇に差し掛かり、それは生命の残り火に思われた。

 まさしくゴルゴダの景色だった。

 だが、ハナに次は無い。

 彼女に、再誕は無いのだ。

 深青の亡種を視界の中心に据える。そして、マクトベラシュカに集った仲間たちに目配せした。シヴ、ストース、ウィーロ、ゲリー、それに誰より、僕に向けて。

「亡種をホロウメラデュラの核に挿げ替えます。うまくいくかは分からないけど、魔力の結合が視える僕が、直にハナちゃんの魂と入れ替えます。インケラーシャは自壊寸前。全力の抵抗が予想されます。皆さんには、その露払いを」

 掌に載せた重々しい深海が、まるで背にのしかかるように心臓を早める。

「最後のチャンスです。必ず助けます」

「ゆぬ」

「えぇ」

「応」

「はい」

 四者四様の気勢を込めて、仲間の視線が丘の上へと集まった。

 陽が沈む前に、熱を失くす前に、僕らは空気を掻き分ける。

 雫の落ちる前に。

 花弁が堕ちる、その前に。


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