その少女の追憶5
時折吹き付ける凍てついた風の中で、目を細めてレナちゃんの後ろ姿を追いかける。彼女の真っ赤な髪が、私の道標だった。小さく鼻歌が聞こえる。私の知らない歌、彼女の鼻歌でしか聞いたことがない歌。何の歌かと、いつか尋ねたことがある。レナちゃんはいつもの調子で「さぁ? 忘れちゃった」と言って笑った。それ以来、彼女に歌のことを尋ねるのは止めた。
「顔が寒いねぇ?」
「うん、首から下はぽかぽかだけど」
私の沈黙を破るように、レナちゃんが前を向いたまま呼びかけて来た。曖昧な返事だった。本当は、手足の先もちょっと冷たい。
「師匠は、なんでこっち側に家建てたかなぁ」
「こっち側?」
「寒いっじゃん! もっと平地の方があったかくて住みやすいのに」
「仕事場も近いもんね」
薬園の大方の施設は、アノマリスから少々距離のある温帯から熱帯エリアに集中している。商業拠点のコルクも、二つのエリアの境目ほどに形成された。それと比べると、私たちの「家」はもっとアノマリスに近い。大きな滝が流れているのを眺めるのが好きで、私は気に入っているけれど。レナちゃんは寒いところが好きじゃないと、しょっちゅう口を尖らせている。
「お店は外縁にあるじゃない」
「そのせいで遠いっじゃーん! 馬で二時間くらいかかるもん! あたしのお尻ぜっったい固くなってる。クスノキの外皮みたいになってる!」
「そうかなぁ」
ぎゅ。あ、やわこい。
「ぎぃやぁぁあ!?」
「ぷにぷにしてる。気持ちいいかも。大丈夫」
「大丈夫じゃないですけど!? 早く放して!?」
レナちゃんは悲鳴を上げながら髪を振り乱して飛びのいた。ふしゅう、と歯の端から威嚇するように吐息が漏れている。紅潮した頬から湯気が立ち上らんばかりだった。
「もう、こっち! 着くよ! もう!」
言われて気付く。洞窟、だろうか。
暗がりに慣れた瞳にも映らなかった黒。深く深く、暗い穴の底。いや、底というには語弊があろうか。ぽっかりと口を開けた深淵。そこは不自然に塗り潰されたように真っ黒で、「何も無い」が浮かび上がっているみたいだ。
「ここに入るの?」
「そうだよ。こわい?」
「うん。こわい」
正直な言葉が吐息と一緒に滑り落ちた。真っ暗、なんて情景ではないのだ。真っ黒、なのだ。たとえ人為的に塗りつぶされた壁であっても、まだカンテラの灯りが反射するだろうに。光は吞み込まれるように、その洞穴の最奥へと吸い込まれていく。
「わ」
その時、私の左手がぎゅっと握られた。
「びっくりした」
レナちゃんの右手が、私の左手をさっきより強く握りしめていた。いつの間にか、背を見せていた彼女は私の隣に佇んでいた。その横顔に、私の言葉にならない不安はゆったりと、緩やかに溶解していく。その表情に、一寸ほどの恐れも、躊躇いも、私の瞳には映らなかったから。
「大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫」
歌うように、レナちゃんは再び歩き出した。私も並んで歩き出す。
おまじないみたいだった。しかし同時に、その言葉と声色が、私の身体に染み込んでいく。白湯を流し込まれたような身体が身震いしはじめる。指先も鼻の頭も冷たいけれど、心臓だけが安堵と高揚でじんわりと熱を帯びていた。




