決戦の火蓋2
身体に鞭を打って、重い一歩目を歩み出す。ひび割れた地面が乾いた靴音を鳴らした。土煙を上げて駆け出す僕を尻目に、背後から轟音を立てて幾筋もの光が流星となって追い抜いていく。天使の逆棘に突き立ち、壊し、地面から蔦を巡らせて、さながら獣となったマリアに罠となって絡みつく。
「トキ君、視えているんですね!?」
「はい!」
「なら、君に任せます!! シヴ!!」
言われるが早いか、ぼろ布を纏った小さな影が僕の肩の上に乗った。突然の衝撃に転びそうになる僕を、馬か何かのように引き起こしてバランスを取ってくる。三十キロにも満たぬだろう小柄な体躯ではあるが、いきなり肩に飛び乗られれば腰砕けにもなる。
「何をしてんの!?」
「トキ、まもる」
「余計な! お世話だよ!」
言いつつ、マリアから放たれる逆棘の銃弾をすんでのところで躱していく。逆棘には魔力がこれでもかと練られていて、一撃でも受ければ身体の一部が欠損しかねない高純度だった。冷や汗をかきながら前進する僕に、シヴが不満を漏らす。
「ぐらぐら、する」
「あたりまえだよね!?」
「きもち、わるい」
「戦ってるときは重力無視して三次元機動してるくせに!」
「トキ、ゆらゆら、やめる」
「そういうわけには……!」
言いかけた途端、目の前に飛来した礫が、烈火に燃え尽き灰になった。一つや二つではない、僕らを目がけて矢のように飛び交う茨の雨が、雷撃と轟炎に焼かれて瞬時に黒焦げになって消えていく。
「シヴ……!?」
「ゆぬ。トキ、まもる」
「……わかった。信用する!!」
片手に魔王から下賜された漆黒の短刀を携え、肩にはどこかのカミサマを従えた少女を乗せ、背後からはエルフの弓の援護を受けて、僕は進む。前へ、さらにもう一歩、前へ。
「トキ、あと、まかせる」
「うん、ありがとうシヴ! 気を付けて!!」
シヴは一言告げると、僕の肩から猫のようにするりと大地に降り立ち、その圧倒的な膂力で地面を蹴り上げ、再度マリアと対峙する。マリアの姿は、もはや人と呼べる代物ではなかった。それは先程までの天使の姿とは程遠い。あたかもそれは悪魔的な、その名を呼ぶことすら冒涜的な外見に変形していた。
全身はホロウメラデュラの鱗が甲殻となって覆い尽くし、ストースの矢ですら射貫くに至らない。血潮は瞬間的に凝固し、沸騰したような熱量を噴出しながら新たな逆棘を隆起させる。シヴが迫り来るのを見て、マリアは重い腰を上げるように振り返り、左腕を振りかぶった。
僕は目を見開いた。マリアの腕は、いや、あんなものを腕と呼べるわけがない。さながら肩から先に、馬の二、三頭ほどもある鉄の塊が接合されたような、圧倒的な質量と魔力量が鎮座していた。今の僕にはわかる、あれは命の質量だ。ラカンに落下した大質量の隕石、それを撃ち砕くために象られたヘルメスの盾。いや、それは盾ではなく、矛であったか。自らの命を削り、そして世界最大の宝樹アノマリスの生命すらも削り取って生み出された、巨大質量と魔力の習合。もしあれが振り払われれば、ヘルメスの盾ですら防ぎきることはできない。
そう、だからこそ、僕は思わず目を、この『眼』を、『視』開いた。
網膜に映り込む少しだけ先の光景を、一片たりとも信じることができない。
頭では一つも理解できないのに、何も納得がいかないのに。
それでもシヴが敗れる未来が、この瞳には映らないんだ。
「潰す神」
マクトベラシュカ最後の衝突が、大薬園の悲鳴を木霊させる。余りの衝撃に、ストースの援護射撃があらぬ方向へと逸れていく。吹き飛ばされた鏃が地面に突き立ち、四方八方から芽吹いた巨大な植物が視界を遮っていく。
魔力の奔流はとどまるところを知らない。宝樹の生命を根こそぎ食らい尽くさんとするマリアの鋼鉄の左腕に、炎熱と轟雷を身に纏う小さな拳がめり込んでいく。星が堕ちたかというほどの大質量に耐え忍び、華奢な両脚が地面に突き刺さり、それでもシヴは闇夜の猫のような涼しい表情で魔力の大出力を続ける。
稲妻が閃き、業火が身を焼き、花弁の礫が皮膚を裂き、鉄塊の剛力が金切り声を上げ、二人の少女が互いの生命の灯りを吹き消さんとする。
永劫にすら思えた時の果て。
その僅かな一刻を捉えて、漆黒の刃が舐めるように走った。
それは呆気ないほどに、静かで穏やかな、眠りに落ちるような凪の斬撃。
「獲ったよ、マリア」
僕の魔力では、彼女の甲殻は貫けない。
祓魔のインケラーシャとて、質量そのものを無視する代物ではない。だが、僕が断ち切ったのは、そんなものではなかった。
「ッゥア゛……??」
異変に、マリアが気づいて振り返る。瞬きほどの空隙。その一瞬で、彼女は全てを理解しただろう。
王のインケラーシャは、マリアとアノマリスを繋ぐ「パス」を完全に断ち切った。




