弱者の矜持2
「なんてこった……」
「トキ?」
「アノマリスの外傷が、見る間に回復してた」
「みた」
「僕はアノマリスがホロウメラデュラに食われているんだと思ってた。最期には食い潰されて、枯死するんだと」
「ちがうの?」
「……違うさ」
再びシヴを乗せて走り出す。真冬のような冷気を掻き分けて、雪色の息を吐き出しながら。
「アノマリスが魔力の保管庫なら、ホロウメラデュラがそれ自体を生かそうとするはずがない。箱が壊されても、それだけで魔力が消えてなくなるわけじゃないんだ。死体からでもほとんど同量の魔力は奪える。宝樹を吸い尽くして殺してもいいなら、本当にそれでいいなら、アノマリスという容れ物を直すこと自体が、魔力の無駄なんだ」
「ゆぬ、なるほど」
「ホロウメラデュラとアノマリスは共生関係にあるかもしれない。お互いに助け合って生きている状態だ。けれど、瀕死のハナを抱えて、宝樹の大穴を復元するような気を回せるとはとても思えない」
「んぬぅ、あたまいたい。どうしてなおした?」
「つまり、もっと深い関係性なんだろう。たとえば二つで一つの生態をもっていて、片方の死が、もう片方にダイレクトな影響を与えるような。それか……」
「なに?」
「……外から見ればハナの見た目をしているけど、いま彼女の身体構造はホロウメラデュラに乗っ取られているようなものだ。同じことが、もしもアノマリスに起きているとしたら。つまり……」
喉元に詰まりかけた言葉を、僕はなんとか紡ぎ直した。
「つまり、宝樹アノマリスは、ホロウメラデュラかもしれない」
不意を突かれたように、シヴが呆けた顔を見せた。混乱と言ってもいい。いや、それはそうだろう、思うことは十分察しが付く。
「トキ、シヴは、ええと……んぬ?」
「ごめん。大丈夫だよ。僕らがすることは変わらない。とにかく今は、この亡種をハナの魂とすり替えて、ハナを取り戻すんだ。アノマリスがホロウメラデュラと同じでも、違ってもね。ホロウメラデュラはアノマリスを生かすつもりだ。アノマリスは殺されない。薬園は守られる。帝国の製薬事情にも影響はない。全部オッケー、いいかい。それなら、後のことは考えながらでいい、っていうかそれは僕が考えるからいい! つまり!」
堂々巡りみたいなまくしたて。言葉は重ねれば重ねるほど、需給に素直な市場原理みたいに重みを失っていく。僕は一息置いて、頭の上に鎮座する破壊の権化に一言投げかけた。
「僕をハナのとこまで連れてってくれるかい?」
「ゆぬ、よき! わかった!」
轟、と魔力風が吹き荒れ、眼前に迫りくるハナとシヴが対峙する。
もう何度目だろうか。彼女たちの一騎打ちを眺めるだけ、傍観するだけの僕を、僕じゃない誰かが嗤っているような気がする。
何が王の眼だ、視ているだけの役立たず、お前には誰かにもらったその眼球しかない。
その脚は何のためにある。その腕は、筋肉は、骨は、神経は、脳細胞は。
――お前の心臓は、何のためにあるんだ。
誰かに、そう嗤われた気がしたんだ。
誰の決意だろう。僕の結論だろうか。無理なレールを敷かれて、四足歩行で歩み出す。
「シヴ、もう一度だ」
「トキ、まって――!!」
視神経が赤熱する。脳細胞が灼けていく。世界がゆっくりと静止し、そのまま鎮まり返った時が、ひと雫だけ零れ落ち、水面のような波紋を広げる。拡散した波紋は、まるで宇宙の果てを見極めたように、突如として収縮をはじめる。垂らされた一滴を再び拾い集め、吸い上げられるように、時の粒が砂時計を遡る。視界が、映り込む世界が、時の流れを逆行する。
脳が認識しているのは、紛れもない今、この時。しかし、瞳がそれを拒んでいる。それは今じゃない。王の眼にとって、それは過去だ。瞳に映るのは、数秒先の可能性の向こう側。これから僕らが至る、新たな世界の先触れだ。
「ここが使い所だろう、ソフィ。御覧じろインケラーシャ。これが王の眼、先触れの魔眼だ」




