魂の峻拒1
ひび割れた大地が悲鳴を上げる。鮮血のような朱き魔力と、雷鳴を纏う蒼き魔力が抉り合い、喰らい合い、削り合う。双極の流星が、眼の眩むほどの速度で奔り、駆ける。
だが、その鬩ぎ合いはまるで拮抗の体をなしていなかった。ぼろ布を翻す小さな少女が、真紅の天使を圧倒する。それはまるで、喰らいつくシリウスに抗う太陽を見るかのようだった。
魔力の量も密度も大差は無い。ホロウメラデュラの攻勢・防勢・その一挙手一投足が、あらゆる一手が、すべてが裏目に出る。まるで、未来を見透かされたかのうように。
「っ!」
稲妻が切り裂く一撃。轟雷とともに放たれた一撃は、ホロウメラデュラの背を寸分違わず粉砕する。悲鳴とともに撃ち堕とされた血塗れの天使が、宝樹に叩きつけられて転がる。
今しかない。
そう確信した矢先だった。
「ァアァアア!!」
天使の狂乱に満ちた叫び声に呼応して、高密度の魔力波が襲い掛かる。
僕の眼なんか要らない、濃密な衝撃波。難なく避けられるはずだった。
「トキッ!!」
「…………?」
知らぬ間に、分からぬうちに、意識が宙に浮いていた。
違う。浮き上がったのは僕自身だ。弾け飛んだ血飛沫が視界の先にちらつく。口の中に、しょっぱいような苦いような、血液の味が広がった。
瞬間的に悟る。上体が動かなかった。避けようとした身体が、石像を動かすみたいに微動だにしなかった。溶かした鉛が巡り通った脳天を、ホロウメラデュラ渾身の魔力波が叩きつけたらしい。頭蓋骨が砕けなかったことを幸いに思うほかない。こうして思考できていることが奇跡だ。
「トキ!!」
「大……丈、夫」
「だいじょうぶじゃない!」
「来なくていい……大丈夫……すぐ、治るから。それより、彼らを」
苦し紛れの僕の言葉に、シヴはしかし、はっとしてアノマリスの麓を見つめた。シヴに追い詰められ、渾身の魔力波でこちらを牽制したホロウメラデュラの側面を、二つの影が襲う。
「行ってくれ、いま……いましかないんだ!」
「んぬ……ゆぬ、ばか! むりしない!」
「ごめん……」
崩れ落ちた僕の背中を叩いて、シヴは宝樹の根元へと飛んでいく。間に合うか。
身をかがめるハナの両翼から、大剣の大男と長剣の青年が姿を現す。二つの人影はさながら風のように大地を吹き上がり、密度の甘い左右の魔力波を飛び越える。
「ウィーロッ!」
「まかせろぉ!!」
双撃は瞬きの一刻すら狂いも無く、甲高い金属音を響かせて、身体を覆ったハナの両翼を切り裂いた。その翼はほとんど金属塊に近い質量だった。しかしゲリーの大剣は力任せに叩き潰し、ウィーロは狙い澄ました一刺しを鱗の合間に突き入れ、返しの刃で両断してみせる。
「もう一本、」
「よこせぇ!」
両断した花弁が飛び散り、削り取られたホロウメラデュラの両腕が、一方は肩から、もう一方は手首から先が、瞠目する彼女の前を飛んでいく。
吹き荒れる魔力風が、停滞した。
「ハナ姉ぇ! 戻ってこいよ!!」
「気をつけろ、ウィーロ!」
凪いだ魔力風が、背後から一瞬のうちに吹き寄せる。身体が吹き飛ばされそうになるのを堪えて、ウィーロが身を縮めた一瞬の隙だった。
「――ア゛ァア!!」
天使の身体を取り巻く花弁が光の煌めきのうちに収縮し、結合した鱗の礫が折り重なって重槍となる。
音もなく、気配すらなく、枝分かれする結晶体は菌糸の如く、瞬きの間に凍てつく水のように。
致命傷を避ける、なんて、とんでもない。
瞳が捉えても、脳が反応できない。刹那の一閃だった。
青年の透き通った魂が、焦燥の叫びを漏らした。
しかし苦しみに満ちたそれを、けたたましい金切り音が斬り裂く。
流星が闖入した。
雷撃と猛火に焼かれた氷柱の槍が砕け、追撃に吹きすさぶ雨あられの星屑を、その弾けた欠片の一粒までもを、少女の四肢が撃ち落とした。
「させない……ゆぬ」
その一瞬を、捕える。
「っ! 父さん、正面だ!」
「おうよ」
がりっ、と金属を削る響きが耳をつく。ハナの、ホロウメラデュラの真正面に陣取ったシヴの両脇から、ウィーロとゲリーの渾身の刃が放たれた。
「ハナ! こっちを見ろ! 私が、相手だ!」
「あぁ、加減なんか! しないよ!」
二撃、三撃、繰り返される斬撃に、ひるみもせずにハナは立ち上がる。体構造は芯からホロウメラデュラに侵され、もはや外殻と脳神経以外はすべてインケラーシャに変質しているのかもしれない。
失われた手首から先は見る間に刃となり、切り払われた切っ先が、小さな拳と衝突する。砕け散った花弁がシヴの肌を裂いた。散った鮮血が頬を打つ。だが、彼女は意にも介さない。広がった瞳孔のその奥に、ハナの姿を捉え続ける。
一撃、一撃、また一撃。死と隣り合わせの綱渡りが、一秒を数え切れぬほどに埋め尽くしていく。だが、それでもシヴは止まらない。ウィーロも、ゲリーも、死線のギリギリを掻い潜っていく。
なんのために。そんなことは、たぶん、ただの一人だって同じじゃない。けれど、彼らが待っているものなら分かる。そんなものは、たぶん、ひとつだけだ。
「お待たせ、しました」
握った漆黒の短剣をかざしたまま、お前の背後に回りこむ。ウィーロが削り、ゲリーが砕き、シヴが繋いだこの一瞬。振りかぶった小ぶりな短剣は、しかし祓魔のインケラーシャだ。その異様な気配を、同じインケラーシャであるホロウメラデュラが逃すはずも無かった。
シヴと撃ち合いながら、彼女の左目だけが、こちらを向いた。見知った顔だ。少し浅黒い肌、ベージュがかった色素の薄く長い髪。振り返るだけで揺れ、宵闇の赤い光に耀き、踊る。ハナ、お前はまだ、そこにいるのか?




