始まり
「うわっ、霧まで出てきやがった」
ノアは悪態をつきながら山道をひたすら登っていた。
二十分ほど前から雪が降り始めていて、ただでさえ足場の悪い道がさらに悪化している。
せっかくこの日のためにと新調したブーツは雪と泥で汚れてしまった。
おまけに霧まで出てきてしまって視界すらも怪しくなっている。
こうなっては愚痴の一つも言いたくなるだろう。
「ったく。こんな上りにくい道の上にさらには雪と霧かよ。招待してくれるのなら道案内人くらいつけて欲しいな」
ぶつぶつと文句を言いながら、ノアは左手に持っている紙片に目を向けた。
「…この地図だと、あとは真っすぐ登るだけのはずだが」
送られてきた招待状の裏には、目的地までの詳細な地図が描かれていた。
何度も読み返したせいで上質な紙はよれてしまっているが、地図自体は問題なく読める。山の麓から中腹まで蛇行しながら登り、目印となる看板を越えてから、城までは一本道のはずだ。
「行くか」
ノアは溜息をつきながら視界の悪い道を再び歩きはじめた。
雪はだんだんと激しくなっていった。
ノアの上着は雪に濡れて重くなり始め、視界の悪さと相まって自然と歩くスピードは落ちていった。おまけに冬の日の入りは早い。まだ夕方だというのに辺りはもう薄暗くなっていた。
「いい加減、そろそろ見えてもいいだろ。ここまで来て遭難とか洒落にならないぞ」
息を切らしながら山道を登っていると、前方に人影が見えた。
「あ!人か…!?おーい」
ノアは人影に向けて声を上げた。
「…?」
人影はゆっくりと振り返った。
二十歳前後の若い男だ。色素の薄い髪に灰色がかった青色の目をしている。
茶色の上着はノアと同じように雪に濡れ、シンプルで丈夫そうな靴には泥がこびりついていた。
男は怪訝な様子でノアを見て口を開いた。
「君は…」
「俺はノア。あんたも城に招待されたのか?」
「…ああ。君も?」
「そうだ」
ノアは手に持っていた招待状を見せながら、うなずいた。
「君もそうなんだ。良かった。僕はアーサー。よろしく」
アーサーは人懐こそうな笑みを浮かべて手を差し出してきた。
その手を握り返すため、ノアは一歩アーサーに近寄る。
「君、目が」
近づいたところでアーサーが驚いた顔をした。
「ああ。珍しいだろ」
ノアは苦笑しながら自分の目に手をやった。
「目の色が片方ずつ違うなんて初めて見た」
アーサーは心底驚いたというように言って、ノアの顔を覗き込んだ。
ノアの両目は片方ずつ色が違った。
右目は薄緑色をしているが、左目は黄味を帯びた茶の色をしている。
虹彩異色症という珍しい症状で、ノアのそれは生まれつきだった。
「俺も自分以外にこんなへんてこな目をした奴は見たことないな」
「へえ。すごいなあ」
まじまじとノアの目を見ていたアーサーは、感心するかのようにぽつりと言った。
「え」
「何?」
アーサーはノアを見返した。
「いや…それだけか。普通はもっと気味悪がったり、憐れんだりされるものなんだが」
「そうなの?君はちゃんと目は見えているようだし、耳も聞こえているんだろ?なら生活に支障はないはずだ。憐れむ必要なんて何もないじゃないか」
実にあっさりとアーサーは言った。
「お前、面白い奴だな。世間知らず…いや優しいとも言うのか」
「はあ?僕は優しくはないよ」
アーサーは何を言ってるんだコイツ、というような顔をしながら言った。
「優しいさ」
自分がこの目のせいで受けてきた悪意や差別、理不尽極まりない偏見に比べれば、彼の言葉は優しいという他はなかった。
怯えた目、警戒する目。疑惑の声に侮蔑の言葉。それらはノアが幼い頃から常にその身に向けられてきたものだった。
(それを不気味がるどころか、すごいときたもんだ)
同じ年ごろの目の前の男は、どうやら人を見た目では判断しないらしい。
(根が単純なのか。単に世間に疎い田舎者なのか)
何にせよ城までの同行者としては申し分のない相手だ。
ノアはアーサーの手を握り返して言った。
「なあ城まで一緒に行ってもいいか。霧も出始めてさすがに一人だと心細くなってきたところだったんだ」
「構わないよ。けど、どうやらもう着きそうだ」
「なに?」
「ほら」
アーサーは前方を指さした。
霧の合間に隠れるように、石造りの巨大な塔が見えた。




