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家族禁止法  作者:
第一部:東京第一ゆりかごセンター
7/14

第七話

眩しさで、玲は目を覚ました。

最初に見えたのは、窓の外から差し込む白い光だった。

玲はしばらく天井を見たまま、何度か瞬きをした。体が重い。昨日のVR Musicと、その後の時間を考えれば当然だった。

横を見ると、愛梨はもうベッドから出ていた。

玲と同じく起きたばかりなのか彼女も裸だった。窓から入る朝の光が、彼女の綺麗な背中を淡く照らしている。彼女は床に座り込み、玲のバッグから取り出したらしい一枚の紙を、両手で持って眺めていた。なぜ人のバッグを勝手に漁っているのだろうか?少し不機嫌になった玲はぶっきらぼうに聞く。


「なにしてるんだ?」

「え?あ、起きたのね、玲。おはよう。って言っても、もう11時だけど」


愛梨は気が付いたようで、こっちを振り返る。愛梨の綺麗な裸体を見て、バッグを勝手に漁っていることへの玲の怒りが一瞬で鎮火した。


「もうそんな時間か。にしても、人のバッグを漁って何してるんだ?」

「え、ああ。だって、バッグから、紙が見えたから。珍しいなぁと思って。もう何年も見てなかったから新鮮だわ。なんで紙なんて持ってるの?しかも、かなり昔の日本語じゃない?昔、ゆりかごであった古文の授業で見た文章に似てるわ」

「それ、卒論用の資料だよ」


玲はそう言いながら、上体を起こした。まだ頭が少し重い。愛梨は紙を持ったまま、ベッドの方へ少し体を向けた。


「卒論? 紙で?」

「元資料の複写だ。正確には、紙資料として保存されていた本の一部を、わざわざ紙で出力したものだな。」

「なんでそんな面倒なことを?」

「データ形式が古くてね。今のAIだと読めないデータだったからさ、仕方ないから印刷したんだ」

「時代が古いと、そんなこともあるのね」


愛梨はそう言って、もう一度紙に目を落とした。


「で、何の資料なの? この...ええと、この、か...ぞ..?」

「家族だ」


玲が言うと、愛梨は少しだけ首を傾げた。


「家族って、あの家族?」

「授業で習ったやつさ。受験ではお馴染みだろ?」

「家庭制と呼ばれる基本単位で、血縁関係や婚姻関係を基礎にした私的養育共同体、だっけ?」


愛梨は受験時代に教師AIが教えてくれたあの定義を思い出す。近代史における授業で少し出てくる話なのだが、数ある地味な歴史用語の一つだ。


「そう。それ」

「なるほどね」


愛梨は納得したように頷いたが、その顔はどこか他人事という感じがあった。


「玲、そんなの卒論で扱うの?」

「そうさ。卒論のお題は、家族禁止法の歴史に関する分析ってところさ」

「ふーん。でも、家族ってそんなに掘るものある?親が子供を私的に育てていた最悪な暗黒時代の制度でしょ?どうでもいいじゃない」

「自分も最初はそう思ってたさ」


玲は軽く髪をかき上げた。


「でも、読んでみると分からないことが多すぎるから、逆に面白いよ」

「例えば?」

「例えば、この資料は2020年代の『結婚』に関する論評なんだけど」


玲は愛梨の手元の紙を指さした。


「そこでは、一人の相手と長期的に関係を続けることが、かなり重要な価値として扱われている」

「へえ?」


愛梨は紙を見たまま、眉を寄せた。


「一人の相手と?」

「そう」

「どれくらい?」

「場合によっては数十年らしいよ」

「数十年?!あの結婚ってそんな長かったの?教科書で読んだときはてっきり子育て期間中だけかと思ったんだけど...」


愛梨は思わず紙から顔を上げて驚いた声を上げる。


「結婚って、仕事の契約か何かじゃなかったの?」

「違う。恋愛と生活と財産管理と子育てが、かなり強く結びついていたらしい」

「重すぎない?」

「だろ?だからちょっと意味がよく分からなくてな」


玲は困ったように頭をかいた。男女が付き合うのは分かるが、その後、一生を共にするなんて、意味不明すぎる。一体どういうことだろう?


「自分もそこが分からない。なぜ恋愛関係を、生活単位や養育責任や社会的信用と結びつける必要があったのか」

「しかも、一人の女とか男と本当に一生ずっと?」

「そうなんだよ!」

「プププ!面白いのね。なんていうか...今のコメディアンがどう頑張っても出てこないようなお笑い種ね!アッハッハッハ!」


愛梨はそう言って腹を抱えて笑っていた。


「好きなら一緒にいればいいし、飽きたら離れればいいじゃない。何でそこに制度を絡めてたのかしら?」

「さぁ?でも、旧時代では、子供の養育や財産や住居の安定を個人関係に依存していたからなんじゃないかな」


玲はそう言いながら、自分でも信じていないという顔だった。古代中国史のように、歴史家が事実を盛っているだけではないかと思うのだ。


「さらに意味不明なのは、この家族っていう制度は、男女二人の恋愛が壊れる、つまり『離婚』すると、その生活やそれに依存していた子供の環境まで壊れるらしい」

「どういうこと?よく分からないけど、設計として最悪じゃない」

「かなり脆弱だよな」

「逆によくそんな制度が近代まで続いたわよね。驚きだわ」


愛梨は紙をひらひらと振った。もはや理解の範疇を超えている。


「でも、これを書いた人たちは、それを変だと思ってなかったんでしょ?」

「少なくとも、完全に変だとは思っていないっぽいよ。むしろ、どうやって結婚を維持するか、どうやって男女が安定した関係を作るか、みたいな話を真面目にしているよ」

「変なの!合わなくなったら関係を切ればいいだけのことなのに。何をそんなに語ることがあるのかしら」

「当時は、それだけでは済まなかったんだろう。結婚は、家計、住居、子供、親族関係、世間体。全部が絡んでいた」

「親族って...えーと、確か、家族の外側にさらに家族がいるっていうものよね?あの公民の授業の第三章に出てくるやつ」

「そうそう」

「うわ、面倒くさ」


愛梨は本気で嫌そうな顔をした。それは、テスト勉強の思い出から溢れる嫌悪感だった。五賢帝やこういう近代ぐらいの不毛な社会制度の名前を覚える不毛な暗記勉強。あれは間違いなく無価値だった。


「人間関係をそんな風に固定したら、逃げ場がなくなるじゃない?」

「その逃げ場のなさを、愛情とか責任とか呼んでいたのかもな」


愛梨は少しの間考えるように紙を見つめていた。

朝の光が、紙の端を白く照らしている。薄い繊維の凹凸が見えた。普段使う表示端末と違って、紙は情報量が少なく、検索もできず、触るたびに微かに音がする。

愛梨はその古い媒体を、不思議そうに指でなぞった。


「でもさ、この時代の人たちは、それで幸せだったのかしら?」

「...さあ?誰にも分からないよ。少なくとも、そう信じていた人は多かったんだろうな。自分の子供を自分で育てることや、一人の相手と生きることに、価値を感じていた」

「なるほどね」


愛梨は少し面白がるようにそう言った。


「授業だと、家族ってもっと単純に、閉鎖的な私的養育共同体って感じだったけど」

「教科書的にはそれで正しい」

「でも、当時の人たちの中では、たぶんもっときれいな言葉だったのね」


玲は少しだけ愛梨を見た。


「意外と鋭いな」

「失礼ね。私、人間教師よ」

「空気感を教える専門家だったな」

「そう。だから、この紙を書いた人の空気感を、少しだけ読んであげてるの」


愛梨は得意そうに言って、紙を玲に返した。


「で、今日はこれを読むの?」

「いや。今日は別の資料というか動画を見るんだ」


玲は紙を受け取り、バッグの中へ戻した。


「昼から公共記録アーカイブの閲覧予約を入れてあるんだ」

「公共記録アーカイブ?」


愛梨は少し眉を上げた。


「そんな真面目なことするの?卒論って面倒ね」

「おいおい、今さらだな。今日見るのは、家族禁止法の制定前後に作られたドキュメンタリー映像。市民インタビュー、公開討論、当時の政治家の説明映像。そのあたりかな」

「うわ、長そう」

「長いだろうな」

「それ、ハルに要約させればいいじゃない」

「卒論の一次資料扱いだから、本人閲覧ログが必要なんだよ。AI要約だけだと引用資料として弱いからさ」

「そういえば、その基準があったわね。面倒な制度だわ」

「仕方ないさ、卒論だし」


玲がそう言って肩をすくめた。


「でも、ちょっと面白そうね。反対していた人たちって、やっぱり『子供は自分で育てるべきだ』みたいなことを真顔で言ってるのかしら」

「たぶん、言ってるんじゃない?」

「面白いわ」


愛梨は軽く笑った。


「まあ、昔の価値観にしがみ付く人たちだから仕方ないわよね」

「仕方ない、で片づけると卒論にならないんだよ」

「そうだったわね」


愛梨はベッドの上に戻り、眠そうに伸びをした。


「じゃあ、行ってらっしゃい。私はもう少し寝るわ」

「自由だな」

「昨日一晩中、誰かさんに付き合って疲れたから」

「誘ったのは君だろ」

「あら、そうだったかしら」


愛梨はとぼけるように笑い、ベッドの上へ戻った。

朝の光の中で、その仕草はあまりにも自然だった。親密で、軽くて、後腐れがない。

この時代の人間関係そのものだった。

玲は床に落ちていた服を拾い、手早く身支度を整えた。洗面台の前で顔を洗い、薄くファンデーションを伸ばし、目元のくすみを隠す。髪を整え、シャツの襟元を直す。この時代、外に出る前に最低限の化粧をすることは、男女を問わず当然の礼儀だった。ちなみに、東京第一ゆりかごセンターの雄二所長は化粧のプロでもある。A区分社員として相応しいように男が化粧をするための研修も行っている。


「じゃあ、また」

「うん。またね、玲。論文、頑張って」

「君にだけは言われたくないな」

「私はまだ大丈夫だから」

「その言葉、昨日も聞いたな?」

「うるさいわね。早く行きなさい」


愛梨は笑いながら、手をひらひらと振った。

玲も笑いながら部屋を出た。廊下は静かだった。壁面には、今日の天気と交通状況が淡く表示されている。どちらもいつものように良好。移動に問題はない。


エレベーターを待つ間に、玲はハルと会話する。


「ハル、閲覧のために自分の部屋に戻るよ。予約時間に間に合うかな?経路を案内して」

「了解、玲。昨日の夜は楽しそうで何よりだよ。大丈夫、今から行けば、閲覧予約には十分間に合うよ。推奨経路を表示するね」


※本作は架空の未来社会を描いたフィクションです。作中の制度・思想・差別的表現・価値判断は、現実の特定の団体、人物、思想、政策を支持・批判するものではありません。


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