第四話
「五十六階は、出生登録時の基礎データと初期保育で得られた発達反応を元に、最適な教育AIなどを設計する場所です」
一行は、静かに眠る児童たちを背に、児童保育フロアを後にして、再びエレベーターへ乗った。
三十五階の柔らかな環境音は、扉が閉まるとすぐに消えた。
壁面表示の色は、白と淡い青に戻る。五十六階までの経路が短い線で示され、その脇に、簡単な説明が浮かんでいた。
発達潜在指数算出区画
教育経路提案室
社会適応予測室
区分調整審査室
愛梨が、それを眺めながら、玲に言った。
「こっちは第四でも見たことあるわ」
「バイトのとき?」
「そう。私が行くのはだいたい教育経路提案室の隣だけど。子供たちに大学生活の話をする前に、区分と希望進路のすり合わせをやってるから」
「人間教師らしい仕事だな」
「どういう意味?」
「数値で済まない部分を、やわらかい言葉で説明する仕事」
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
愛梨は少し目を細めたが、笑っていた。五十六階で扉が開いた。
そこは、他の階とはまったく雰囲気が違っていた。空気は静かだが、奥行きのある低い音が流れている。また、先ほどの階とは違って、モニターが大量にあり、様々な散布図やヒートマップ、さらには数式や理論コードなどが映っていた。
「こちらが、発達支援区分判定フロアです」
雄二所長は歩きながら説明した。
「登録された出生児のデータは、ここで初期発達モデルに接続されます。遺伝子情報、神経反応、情緒反応、感覚特性、初期代謝、睡眠傾向、環境反応性。これらを統合し、発達潜在指数を算出します」
通路の右手には、透明な作業室が並んでいる。
中には、統計学者らしい人間と、AIエンジニアらしい人間が数人ずつ座っていた。大きな端末の前で作業している者もいれば、壁面に表示されたモデルの出力を確認している者もいる。
雄二所長は、そのうちの一室の前で足を止めた。
室内の壁には、巨大なマトリックス計算に関連した処理チャートが表示されていた。
ただし、研修生たちの視界補助を通しても、その全体像はほとんど把握できない。数値の層が細かすぎる。
「発達潜在指数は、単一の知能指数ではありません」
雄二所長は、当然のことを確認するように言った。
「日本だけでなく世界中の社会養育ネットワークから得られる発達データ、教育履歴、健康履歴、職業適応、情緒安定、対人関係、幸福報告、反社会的行動リスクなどを統合し、個人ごとの発達可能性を多軸で評価します。現在、東京第一で使用している標準モデルは、人々のライブデータを発達潜在指数へ変換する運用をしています」
学生の何人かが、視界資料を開いた。玲も、軽く概要だけを確認した。
流体型ニューラルネットワークモデル。量子計算基盤。長期発達追跡。自己修正型の教育経路生成。どれも授業では扱った内容だったが、実際の運用規模で見ると、数字の桁が違う。
「こちらでは、AIがすべてを自動決定するわけではありません」
雄二所長は続けた。
「統計学者、教育設計士、心理発達官、AIエンジニアが、モデルの出力を確認します。特に、区分の境界にいる児童や、本人の希望と適性が大きくずれている児童については、人間の審査が入ります」
「本人の希望と適性がずれる、というのは?」
眼鏡をかけたある研修生が尋ねた。
「たとえば、本人はA区分の高度知性開発課程を希望している。しかし、長期モデル上では、本人がその課程に入ると学習負荷が高すぎて、その人の幸福値や継続努力率が大きく下がる場合があります」
雄二所長は壁面に視線を向けた。そこに、二本の曲線が表示される。片方は、本人が望んでいる進路。もう片方は、実際に安定して伸びやすい進路。
「逆もあります。本人が自分には無理だと思い込んでいるが、実際には上位課程で十分に伸びる場合もある。どちらも、そのまま放置するとよくありません。前者は挫折や対人回避につながりやすい。後者は、伸びるはずだった能力を使わないまま終わってしまう」
「それを、自尊心リスクと呼ぶんですか?」
「ええ。自尊心が高すぎても低すぎても、教育経路は不安定になります。ですから、本人の希望を尊重しながら、無理なく努力できる場所へ調整していく必要があります」
愛梨が小さく頷いた。
「第四でも、それで面談が長くなる子はいますね」
「そうでしょう」
雄二所長は少し笑った。
「誰もが高度知性開発課程へ進めば幸福になる、というわけではありません。A区分の皆さんのように、高度教育や数理研究を楽しめる児童もいれば、社会協働課程で安定した対人関係を築く方が幸福な児童もいる。区分とは、その子が最もよく伸び、最も幸せになれる場所を探すための支援です」
雄二所長は優しそうに、そう言った。玲は、壁面の行列を見た。
青い点の一つが拡大され、児童の仮想発達曲線が表示される。三歳、七歳、十二歳、十五歳。複数の学習経路が並び、それぞれに幸福予測、学習負荷、社会適応、挫折リスク、反社会化リスクが添えられている。
「こちらの例を見てください」
雄二所長が示した。
「初期指数ではB区分相当ですが、言語反応と対人模倣が非常に強い児童です。標準的には専門技能課程が推奨されますが、本人の自己表現欲求が高く、C区分の社会協働課程に近い活動を一部混ぜた方が、長期的な安定値が上がります」
表示の中で、教育経路が修正される。数理基礎、言語訓練、対人活動、実地職業体験。複数の項目が、滑らかに組み替えられていく。
「このように、区分は入口であり、閉じた箱ではありません」
雄二所長は言った。
「重要なのは、児童に過剰な期待を与えないことです。それと同時に、過少な期待で可能性を潰さないことです。本人が自然に最大限努力できる環境を作り、その努力が最も報われる方向へ導く。それが発達支援区分の役割です」
通路の先で、白衣ではなく淡い緑のジャケットを着た女性が近づいてきた。
「所長、研修班Aですね」
「ええ。予定通りです」
「第二判定室を開けています。現在、三件のモデル審査が進行中です」
雄二所長は学生たちの方を振り返った。
「紹介しましょう。発達支援区分判定の真帆主任です。統計発達設計を担当しています」
真帆主任と呼ばれた女性は、軽く頭を下げた。四十歳前半に見える。化粧は薄いが、輪郭の整え方に無駄がない。声は少し早く、実務的で冷淡だった。
「皆さん、よろしくお願いします。今日お見せするのは、出生児の最終区分ではありません。初期モデルの算出と、調整審査です。最終区分は生育後の複数回評価を経て確定します」
「初期区分から移動する人、つまり、初期区分誤差の割合はどの程度ですか?」
玲が尋ねた。真帆主任は、すぐに玲の方を見て答えた。
「基準年齢によりますが、二十二歳時点で、出産直後の初期に示された最適区分から、区分を変更したのは、全体の21%です。多くはないですが少なくもないです。ただし、誤差と呼ぶのは正確ではありません。本人の発達は、環境設計によって変わります。私たちは子供たちの未来を予想しているのではなく、望ましい未来の候補を科学的に推定し、提案しているだけです。」
玲は頷いた。その通りだった。このシステムが行っているのは、あくまでその個人が最も生産的になれて、かつ、最も幸せになれる道を教えてあげることであって、未来を予測することではないのだ。すなわち、望むならば、非生産的で最も不幸になる道を選択することもできる。もちろん、AIは人間のそういった天邪鬼な性格を織り込んだうえで提案を行う。その結果、個人が天邪鬼な選択をしても最も生産的で幸福になれる道を知らず知らずのうちに選び取っていることが殆どだ。
真帆主任は質問に答えた後、第二判定室の扉を開けた。
室内は薄暗かった。
中央には円形の机があり、その上に、一人の出生児の発達予測が立体表示されている。もちろん本人はいない。表示されているのは、身体データ、神経反応、初期遺伝情報、環境反応モデル、そしてそこから作られた複数の教育経路だった。
出生児のプライバシーを守るため、一部の情報は表示されていない。たとえ職員や雄二所長であっても、必要のない情報にはアクセスできない。
研修生の一人が、立体表示を見ながら言った。
「制度導入初期には、高所得層が自分たちの私的養育環境で教育した方が、公的養育より高い成果を出せるという反論もあったと習いました」
真帆主任は、表示から目を離さずに頷いた。
「ええ。短期的には、実際にそう見える事例もありました」
彼女が指を動かすと、壁面に旧時代の私的教育サービスの資料が表示された。
専門教師。早期知能開発。多言語教育。芸術教育。身体能力開発。遺伝子検査。認知能力強化プログラム。
費用分布のグラフでは、上位数パーセントだけが、異様に高く伸びていた。
「旧高所得層の一部は、非常に高度な教育環境を用意していました。ですから、彼らが『自分たちなら公的養育より優れた教育を与えられる』と考えたこと自体は、不自然ではありません」
真帆主任は、淡々と言った。
「しかし、問題は教育資源の量だけではありません。観測範囲と、追跡期間です」
表示が切り替わる。
幼児期の認知成績。
10歳時点の学習到達度。
15歳時点の継続努力率。
20歳時点の職業適応。
30歳以降の幸福報告、対人安定、能力使用率。
複数の曲線が、幾重にも重なっていく。
「個別家庭が観測できるのは、せいぜい自分の子供と、同じ階層にいる少数の成功例です。一方、社会養育ネットワークは、出生直後から成人後まで、発達、教育履歴、職業適応、情緒安定、対人関係、幸福報告を世代単位で追跡できます」
真帆主任は、旧高所得層の私的教育群と、社会養育ネットワークの長期適応モデルを並べた。
「十歳時点の成績だけなら、旧高所得層の私的教育が高く見える領域もありました。ですが、二十歳、三十歳、四十歳になったとき、その能力を安定して使えているか。本人が幸福に社会参加を継続できているか。そこまで見ると、私的教育の優位は消えました」
「つまり、資金の問題ではないんですね」
愛梨が言った。
「そうです」
真帆主任は頷いた。
「資金ではなく、データ規模とフィードバック精度の差です。どれほど裕福な家庭でも、全社会規模の発達データを持つことはできません。子供の発達権は、出生提供者の資産や経験則に預けられるべきものではありません」
研修生たちは、当然のこととして頷いた。
高額な専門教師、早期教育、遺伝子検査、認知能力強化プログラム。
そこまで費用をかけながら、結局は限られた大人たちの乏しい経験則に子供の未来を預けていたのだ。なんという高価で、無駄な教育設計だろう!
真帆主任は表示を閉じ、改めて出生児の発達予測へ戻した。
「では、現在の区分について確認しておきます」
真帆主任は、研修生たちを見回した。
「皆さんはA区分出身ですから、当然知っていると思います。ただ、現場ではこの言葉を、単なる成績順の分類としては扱いません」
壁面に、四つの枠が表示された。
A区分。高度知性開発課程。
研究、統計設計、行政中枢、AI管理、教育制度設計など、高度な抽象処理を必要とする進路を想定した区分。
B区分。専門技能課程。
医療、工学、行政実務、教育補助、システム保守、経済管理など、専門的な技能を安定して使う進路を想定した区分。
C区分。社会協働課程。
福祉、接客、地域運営、娯楽産業、対人支援など、人との協働や日常的な社会運営を中心とする区分。
D区分。生活安定支援課程。
認知、情緒、身体特性に応じて、強い補助を受けながら生活と社会参加を行う区分。
真帆主任は、淡々と説明をしてゆく。
「区分とは、その児童がどの環境で最もよく伸び、最も安定して幸福に暮らせるかを示す支援分類です。ただし、必要とされる学習負荷や抽象処理能力には差があります。A区分は、最も負荷が高い。だからこそ、誰でもAに入れればよい、というものではありません」
真帆主任は、表示を出生児のデータへ戻した。
「この子は、認知能力だけを見るなら、A区分に近いところまで伸びる可能性があります」
立体表示の中で、一本の青い線が上へ伸びた。
数理処理、記憶保持、抽象理解。そのいくつかは、A区分の基準線に届きかけている。
「ただし、問題があります」
真帆主任が指を動かすと、別の赤い線が表示された。
「学習負荷を強くかけると、情緒面の安定が崩れやすい。競争的な環境に置くと、幸福予測が下がり、対人回避のリスクが上がります」
画面の中で、二つの未来が並んだ。
一つは、A区分に入れた場合。
認知発達の上限は高い。しかし、十二歳を過ぎたあたりから、幸福予測が下がり、継続努力率も落ちている。
もう一つは、B区分を基本にした場合。
認知発達の上限は少し低くなる。だが、生活満足度と継続努力率は高く、対人回避のリスクも低い。
「つまり、頭の良さだけを見ればAに入れたくなる。でも、Aの環境にそのまま置くと、この子は途中で折れる可能性が高いということです」
真帆主任は、淡々と言った。
「したがって、初期推奨はB上位です」
「B上位?」
学生の一人が聞いた。
「B区分の中でも、かなり高度な課程に置くという意味です。B区分は、A区分より劣った場所ではありません。学習負荷の種類が違う。A区分が抽象研究や制度設計に向かうのに対して、B区分は高度な専門技能を安定して使う方向に向かいます」
真帆主任は、表示の中の教育経路を切り替えた。
B区分の基礎課程。
その上に、A区分の数理教材が細い線で接続される。
「ただ、この子にはA区分向けの教材が一部有効です。ですから、所属はB区分のままにして、得意な領域だけA区分の教材や指導者に接続します。これをA部分接続と呼びます」
「つまり、Aには入れないけど、Aの授業を一部だけ受ける、ということですか?」
愛梨が確認するように言った。
「大まかにはそうです。ただし、授業というより、教材、課題、指導者、評価環境の一部を接続する、と言った方が正確です」
真帆主任は、さらに表示を変えた。
今度は、成績表示の画面が出る。
一つは、A区分児童との比較。
もう一つは、本人の過去の伸びと、B区分内での達成度を中心にした表示。
「この子には、A区分全体との直接比較は見せません」
「見せないんですか?」
別の学生が言った。
「ええ。本人が自分をA区分の児童と比較しすぎると、努力が続かなくなる可能性が高いからです。自分はAに届かなかった、という意識が強くなりすぎる」
真帆主任は、画面の片方を閉じた。
「ですから、評価表示を調整します。本人には、B区分内での達成度と、自分自身の成長を中心に見せる。能力を隠すためではありません。努力を続けられる形で、情報を見せるためです」
玲は、立体表示の中の二本の曲線を見た。
高い場所へ無理に押し上げる経路と、少し低くても安定して伸びる経路。
前者は華やかだが、途中で折れる。後者は地味だが、長く続く。
「本人が、それでもAを希望した場合は?」
玲が聞いた。
「挑戦枠を用意します」
真帆主任は即答した。
「短期接続、模擬講義、個別課題。本人がA区分の負荷を実際に体験できる機会を作ります。ただし、基準スコアが一定期間満たされない場合は、希望形成支援に移行します」
「希望形成支援」
愛梨が、聞き慣れた言葉を思わず呟いた。
それは研修生の誰もが、AIとの学習で何十回と聞いた言葉だった。
「希望形成支援というのは、進路を諦めさせるという意味ではありません」
真帆主任は、よくある安直な誤解を防ぐように付け加えた。
「たとえば、A区分を希望していた児童が、A区分に必要な基準スコアに届かなかったとします。そのとき、ただ『あなたには無理です』と伝えるだけでは、本人は失敗として受け取ってしまいます。ですから、別の課程で成果を出せる活動を先に体験させます。そこで褒められる経験を作り、その子が自然に『こちらの方が自分に合っている』と理解できるようにします」
真帆主任は、端末を操作した。表示の中で、児童の未来予測が別の経路へ切り替わる。
高度研究者ではなく、専門技能課程の教育補助職。
生産性は安定し、生活満足度は上がり、反社会化リスクは下がる。
「この子にとっては、こちらの方が長期的に安定します」
真帆主任は言った。
「もちろん、本人に押しつけることはありえません。ただ、幸福で最適な進路を本人が歩めるよう支援するのが、私たちの役目です」
雄二所長は満足そうに頷き、補足をする。
「区分判定は、選別ではありません。適切な場所に置くことです。社会にとっても、本人にとっても、合わない場所で消耗することほど不幸なことはありませんから」
「なにか質問はありますか?」
真帆主任がそう言って周りを見る。研修生の一人が手を挙げる。
「希望形成支援と、旧時代に批判された思想誘導は、どこで区別されるんですか?」
真帆主任は、少しだけ頷いた。
「良い質問です。社会養育制度の導入初期には、国家が教育経路を管理する以上、思想統制に利用されるのではないか、という批判がありました。実際、その懸念が完全な空想だったわけではありません」
壁面表示が切り替わった。
オムスク事例。
その文字を見て、研修生の何人かが視界資料を開いた。
「2090年代、当時のオムスク自民共和国という独裁国家では、社会養育ネットワークを用いて、体制忠誠度の高い児童を育成しようとする試みがありました。教材、進路評価、集団活動、報酬設計に、政治的忠誠を高く評価する重みづけが加えられていたことが、後の監査で確認されています」
玲は、表示された資料を見た。
体制忠誠度。思想適合係数。反体制接触リスク。
いずれも、現在の基準では使用が禁止されている古い指標だった。
「ですが、その試みは長く続きませんでした」
真帆主任は淡々と説明をつづけた。
「理由は単純です。子供たちは、行政AIが前提としていた行動モデルよりも、はるかに柔軟でした。教材の中に含まれる価値誘導、隠された報酬設計、言葉の不自然な反復、禁止された情報への空白。そうしたものを、彼らは成長するにつれて読み取り始めた」
壁面に、当時の分析グラフが表示される。
13歳以降、体制忠誠度の表面値は上昇していた。だが、非公式通信、暗号化された相互評価、外部資料への接続頻度は、同時期から急増している。
「彼らは、表向きは忠誠的に振る舞いながら、制度が何を隠そうとしているのかを学習していたのです。結果として、成人前後に行政内部から大規模な告発が起こり、オムスク体制は短期間で崩壊しました」
雄二所長が、少し困ったように笑いながら補足をした。
「当時の論評家たちは、子供を思い通りに育てることを、少し簡単に考えすぎていたのでしょうね」
研修生たちの間には、何度目かの小さな笑いが起きた。
子供を国家に都合よく育てれば、国家に都合のよい大人になる。
なんという素朴で非現実的な発達観だろう!
そんな単純な教育理論で社会が動くなら、最新鋭の流体型ニューラルネットワークによる発達支援区分など必要ないではないか!
「そのため現在では、希望形成支援において政治的忠誠、宗教的帰属、思想適合性を評価軸に含めることは、国際発達権基準で明確に禁止されています。もっともそんなことを試して崩壊した愚かな国家として名を刻みたいなら話は別ですが」
そう冗談を言って、真帆主任はオムスク事例の表示を閉じた。
「私たちが扱うのは、本人の能力、幸福、継続努力、社会適応です。国家にとって都合のよい子供ではありません。本人にとって、最もよく生きられる経路です」
雄二所長は研修生たちを判定室の外へ案内した。
「本日の見学は、以上です。出生登録区画と発達支援区分判定フロアは、東京第一ゆりかごセンターの中でも、もっとも基礎的な機能です。ここで登録され、ここで初期経路が示され、その後、教育設計、生活設計、社会適応支援へ接続されます」
壁面に、研修終了の表示が出た。
研修班A 第一日程終了
追加資料は各自の教育端末へ送信済み
「本日はお疲れさまでした」
雄二所長が頭を下げると、研修生たちもそれぞれ軽く礼を返した。
形式的ではあったが、無駄ではなかった。こういう場での所作も、評価対象ではないにせよ、記録には残る。解散の合図が出ると、学生たちは数人ずつに分かれてエレベーターへ向かった。
愛梨は、視界レンズに届いた資料を確認しながら言った。
「思ったより早く終わったね」
「雄二所長の話が長くなければ、もっと早かった」
「そういうこと言わないの」
「でも、事実だろ?」
「まあ、それは私も思ったわ」
愛梨は笑った。玲も、少しだけ口元を緩めた。
「このあと予定ある?」
玲が何気なく愛梨に聞いた。研修の後や大学の講義の後、ご飯に行くのが二人の定番だった。
「ないわね。今日は教師バイトもないわ」
「じゃあ、前に行った丸の内の店でも行こう」
「ああ、前に行った、百八十階にあったお店のこと?」
「そう。どう?」
「いいわよ。あそこ美味しかったし行きたいわ」
「決まりだな」




