34話 聖女の限界
カテリナとガーベラの後を追い、奥の建物へ足を踏み入れる。
そこは——死の淵に触れた者たちを、かろうじてこちら側へ繋ぎ止めている場所だった。
「えっ……こ、ここは?」
のの子ちゃんが、ぎゅっと私の腕に抱きついてくる。
布越しに伝わる鼓動は、ひどく速い。
その温もりを感じながら、私は目の前の光景を見つめていた。
並んだ寝台は、そのほとんどが埋まっている。
眠れずに呻く者。
熱にうなされ、浅い呼吸を繰り返す者。
薄い毛布の下で、寒気に震える者。
腕を失った者もいれば、足を失った者もいる。
肩から先を厚い包帯で覆われた者。顔も身体も、ほとんど布で隠された者。
欠損を完全に戻すには、最低でもハイポーション級の薬が必要になる。それも、負傷してからなるべく早く使った場合での話。時間が経てば経つほど治りは悪くなっていき、肉体が「失ったもの」として受け入れてしまえば、傷口が塞がるだけで失った身体はもう戻らない。
ここにいる人たちが、いつ傷を負ったのかは分からないけれど……私の持ってるハイポーションでここの人たち全員の傷を塞ぐ事なら出来る。
ただ……部外者の私が手を出していいものか。
ここを任されている二人の神官に声を掛けた後、患者一人ひとりに声を掛けて周るカテリナの背中を見る。
聖女カテリナ。
彼女の実力は判らないけど……治せるだけの能力も、魔力量も足りていないように見える。それでも、見捨てることはできずにここに通っているのね。
私の知る聖女リピリルなら……これぐらいの死の影なんて高笑いしながら吹き飛ばしてきた。
三百年前、勇者と共に旅した初代聖女リピリル。
ネジが数本抜けてるんじゃないかと思うほど、頭のおかしな女だったけれど、聖女としての力は本当に規格外だった。
だからこそ、カテリナの非力さに疑問が湧く。
本当にこんなものなのか、と。
彼女が手を抜いているわけじゃない。
間違いなく、限界まで頑張っている。
ただ、それでも救えずにこうして夜遅くまで看病している。
患者のそばに膝をつき、声をかけるカテリナの姿に、リピリルの面影が重なりかけては、すぐにズレていく。
私は……どうしたら。
『ごちゃごちゃうるせぇな、助けてやれよ。まだ生きてんだろ。その後の事はその時に考えろよ』
あぁ、そうよね。
貴女ならそう言うわよね。
どうでもいい事なんて全部、あとでまとめて片付ければいい。
ふと、腕に抱きついていた柔らかな温もりが動いた。
「は、覇音ちゃん、私たちにも出来る事、無いかなっ!」
私を見つめる澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。
「ずっと考えてたんだけどね、私なんかに何が出来るか判らなかったの。だから、作戦会議しようかと思って。覇音ちゃんなら何か思いつくんじゃ無いかと思って……どう?」
「そうね……のの子ちゃんが手伝ってくれるなら……上手くいくかもしれない」
「ほんと!? わたしも頑張るから教えて!」
「ええ、じゃあ、のの子ちゃんはね……」
二人で性格の悪い茶番劇を始めることに——。
「聖女様、申し訳ありません。明日には、魔族の大軍が押し寄せる可能性があります。聖女様を連れて聖都へ戻るなら、今夜が限界なんです。一緒に来てください」
「そんな……私は、ここを離れるわけには……」
カテリナが震える声で呟く。
寝台の上の兵士が、かすれた声で笑った。
「聖女様。いいんですよ、行ってください」
「……え?」
「俺たちは、もう十分すぎるほどの事をしてもらいました。聖女様は勇者様と行くべき人だ。それに、魔王を倒してくれりゃ、それで俺たちの家族も守られる」
「だめです」
カテリナの声が、小さく落ちた。
「そんなことを言わないでください。私は、約束しました。必ず、あなたたちを家族のもとへ帰すと」
「聖女様……」
「だから、勇者様。お願いします。もう少しだけ、私に時間をください。せめて、この方たちを聖都へ送れる状態にするまでは……」
「無理ですわ」
私は、静かに言った。カテリナがこちらを見る。
「何度も言うように、明日の朝にはここは戦場になるかもしれない。あなたがここに残れば、あなたを守るために多くの兵を割かなければならない。勝てる戦も勝てなくなります」
「それでも、私は――」
「現実を見なさい!」
言葉が、自分でも驚くほど冷たく響いた。
一人の我儘のせいで多くの人が死ぬ所を何度も見てきた。死ななくてもいい人達を思い出し、八つ当たりみたいな声になってしまう。
「今のあなたでは、この人たちを救えない。ここに残っても、多くの命を巻き込んで死ぬだけよ」
「貴様――ッ!!」
背後から激しい金属音が響く。専属騎士ガーベラの手が、完全に剣の柄へと伸びていた。
「たかが無力な侍女の分際で、カテリナ様に――」
「抜くなら覚悟なさい」
私はガーベラを正面から見返し、微笑んでみせた。
「侍女如きに負けた時の言い訳が思いつくなら、いくらでも相手をしてあげるわ」
「やめてください!」
カテリナの、悲鳴のような制止の声が響き渡る。
彼女は両手を胸の前で強く握りしめ、今にも涙が溢れ落ちそうな顔で首を振った。
「違うのです、ガーベラ……違うの。この方の言う通りよ……。私の、私の力が弱いから……。だから、みんなを……っ」
「――ええ、その通り。今のあなた一人じゃここが限界ね。あなたがどれだけ努力してきたかは知らないわ。だけどね……真剣に救おうとしていることくらいは分かる」
彼女を弾糾する為の舞台を作った訳じゃない。
カテリナが、涙を堪えたままこちらを見る。
「だから提案よ。聖女カテリナ」
私は一歩下がり、隣を見る。
のの子ちゃんは頷き、一歩前へ出た。
ここに溢れる絶望を、まとめて全部救ってやると言わんばかりに、その瞳は真っ直ぐに輝いている。
「カテリナ様。ここに溢れている辛いこと、全部。私たちと一緒に解決しましょう!」
「一緒に……?」
カテリナが呆気に取られたように呟く。
「はい! 私一人じゃ何も出来ません。でも、覇音ちゃんがいて、カテリナ様がいて、みんながいるなら……なんとかなるかもしれないんです!」
のの子ちゃんは、ぎゅっと小さな拳を握りしめた。
「だからお願いします。カテリナ様のその優しい力を、私たちに貸してください!」
「私の……力……?」




