35話 私たちの願い ★
「ええ、聖女の力——治癒をみんなに届くように協力するわ。まずは一度、ここを出ましょうか」
のの子ちゃんとカテリナ、それにガーベラを連れて、私たちは診療所と隔離病棟の間にある中庭へと出た。
夜の冷気が肌を刺す。中庭には人気がなく、静まり返っている。
かつて、私は親友のマリーちゃんと共に、他者の魔力を劇的に増幅させる研究をしたことがあった。
魔力の総量が少ない者でも、あるいは私のように属性が偏っている者でも、術式を共有して限界を突破できないか。
その過程で、私たちは一つの『解』へと辿り着いた。
——まずは空間そのものに魔力回路を描く。
メインとなる術式発動部には私の魔力と他者の魔力が混じり合いながら流れる様にする。術式発動部の外周には私の魔力だけで共振と加速を制御する回路を描く。そうする事で元となる魔力は最小限に、されど本来よりも威力も範囲も強大に、魔法そのものの階位すらも強引に引き上げる事に成功した。
それを今、ここで使うとしている。
「……じゃあ二人とも、始めましょうか」
私は二人へ問う。
「のの子ちゃん。さっき私に言った事、覚えてる?」
のの子ちゃんは少し気恥ずかしそうに、けれど決意に満ちた笑みを浮かべた。
「ええっと……みんなを助けたい、です」
「そう。その気持ちを、最後の瞬間まで絶対に忘れないで」
「うん!」
それだけで十分。勇者のギフトを発動するに必要なのはそれだけだから。
今度はカテリナにお願いをする。
今回の作戦で一番重要なポジション。
「聖女カテリナ」
「……はい」
「貴女には準備が整い次第、ディバイン・ヒールを発動して貰うから、そのつもりでいてね」
「えっ!? 私にはそんな高位な魔法は使えませんよ!」
「大丈夫よ。いつものヒールと同じような感覚で使えるはずよ。でも、そうね、呪文は一緒に唱えてあげる。
のの子ちゃんもせっかくだから一緒に唱えましょう」
「私もいいの!? やるやる、一緒にやりたい!」
聖女や神官たちが使う神聖魔法は私の使う魔法とは解釈が違い、言わば祈りと奇跡の具現化。
無詠唱よりもしっかりと詠唱する事で効果は何倍にも跳ね上がる。だからそこ、三人で祈る事に意味がある。
「あ、あの、これから一体何をするのでしょうか?」
「そうね……簡単に言えば、あなたの魔力を増幅して無駄なく使い切れるようにしてあげる」
「そ、そんな……魔力を出し切ってしまったら……わたし干からびてしまいます……」
……ん?
魔力無くなったら干からびるの?
何を言ってるのかしら……。
「違うわよ? 三人の力を合わせて盛大に発動をするって事! でも、確かにちょっとカテリナの魔力少ないから干からびない様に分けてあげるわ」
カテリナの両手を胸の前で祈るかのように握り、私の魔力を送る。私の魔力が混ざり合いながら循環するのを少し補助してあげる。
「んっ……!? な、何ですかこれ、熱くて……身体の中が……っ」
初めて他人の魔力が脈動と共に身体中を巡る感覚に襲われ、カテリナは驚愕に目を見張り、みるみるうちに頬を赤く染めていく。
そういえばマリーにこれをやった時も変な声を上げていたけれど、魔力のダイレクトな同調って、マッサージか何かのようにお気持ちいいものなのかしら?
そんな他愛もないことを考えながらも、私はカテリナの手を強く握り、顔同士が触れ合いそうな至近距離で見つめ合う。
――よし、充填完了!
「よし! これで準備は終わったわね! 早速始めましょう!」
茹で上がったかの様に顔が真っ赤なカテリナから目を背け、私のやるべき事を成す。
彩り豊かな夜空を見上げる。
私はみんなの願いを掴む為、右手をゆっくり掲げた。
その五指から、血のように鮮やかな赤い魔力が可視化され、粒子の奔流となって勢いよく夜空へと昇り始めた。
「——重奏・展開」
赤い粒子は私の意思に従い、上空に超巨大な二重の円環を描き始める。
コレは、ただの魔法陣ではない。
コレは、魔力を流すためだけに組み上げられた空中立体魔力回路。術式名——重奏。
幾重にも緻密に重ねられた幾何学的な赤い紋様が現れ、夜空を覆い尽くしていく。
「な、なんですか……あれは……!?」
空の異変に気づいた神官たちが、診療所から慌てて飛び出してきて、腰を抜かしたようにその光景を仰ぎ見る。
聖女の背後に控えていたガーベラも、真っ青な顔で剣の柄に手をかけた。
「まさか……特級の……いや、戦略級破壊魔法か!?」
空中回路が構築された、その瞬間だった。
――バチチッ!!
空を引き裂くような、赤い一条の稲妻が回路を走る。
それを皮切りに、巨大な円環全体から無数の赤い稲妻が暴れ狂い、前線の空を網の目のように駆け巡った。
魔法的エネルギーの過飽和によるプラズマ放電。大気が悲鳴を上げるように激しく震える。
静電気で髪がふわりと逆立ち、肌がヒリつくほどの濃密な魔力の嵐が渦を巻く。
診療所から出てきた兵士も神官も病人も、その終末論的な光景に誰一人として動けず、ただ恐怖に震えながら成り行きを見守るしかなかった。
私は温い風に髪をなびかせながら、暴れる赤い回路へさらに魔力を注ぎ込み、再構築する。
まだ、あと少し。
あと少しで、すべてをひっくり返せる。
さらに魔力を流し込む。放電は激しさを増し、夜空はまるで巨大な雷雲のようになっていく。
周囲の誰もが、この巨大な魔法陣が発動すれば、後方に位置する砦どころかハビス大峡谷すら消し飛ぶと本気で恐怖していた。
そんな外野の怯えなど一顧だにせず、私は隣の二人に手を差し伸べる。
「二人とも、両手を」
のの子ちゃんとカテリナが、私の手に自らの手を重ね、三人で環を作る。
超高濃度の魔力場によって、本来は目に見えないはずの二人の魔力までが空間に溢れ出し、鮮やかに可視化されていく。
のの子ちゃんから溢れる、温かく力強い【金色】。
カテリナから放たれる、清らかでどこまでも優しい【純白】。
そして私から立ち上る、すべてを支配する【深紅】。
のの子ちゃんの勇者のギフトを起点として、三色の魔力が美しく一本に溶け合い、赤い空中回路の中心へと昇り吸い込まれていく。
三人の魔力が回路を巡った瞬間、巨大な回路がその色を塗り替えながら、輪転を始めた。
回路の生み出す力場によって、三人の魔力は何十倍、何百倍もの速度へと加速していく。流れは分岐し、循環し、さらに圧縮していく。
私が描いたこの回路自体には、治癒の力など一切ない。
持つ役割はただ一つ。
託された魔力を増幅し、世界へ届けるための『共鳴装置』が完成した。
「カテリナ!! のの子!!」
私は激しい風の中で、この大舞台で二人の出番を告げた。
「詠唱を! 願いを込めなさい!」
カテリナは強く、強く目を閉じた。
頭の中に思い浮かべるのは、あの薄暗い診療所で、そして隔離病棟で、苦しみに喘いでいた人々の姿。必死に命を繋ぎ止めようとした神官たち。
この前線には家族を守るために戦っている兵士たちが多く居る。
――助けたい。
敵も、味方も関係ない。ただ全ての人を、救いたい。
その一点の曇りもない祈りだけを胸に、聖女と勇者は天を仰ぎ願った。
命よ巡れ
光よ満ちよ
神々よ、この地に慈悲を
遍く命に救いを
『ディバイン・ヒール!!』
その瞬間。
夜空を埋め尽くしていた超巨大な回路全体が、爆発的な白銀の光に染まった。
狂暴に狂い咲いていた赤い稲妻が、一瞬にして、温かく清らかな白金色へと変化する。
轟音は——ない。
破壊の爆発も——ない。
ただそこにあるのは、世界を優しく包み込むような、静謐な光の顕現。
天の円環から、無数の光の粒子が、まるで星の瞬きのように夜空へと舞い散っていく。
それは、夜を徹して降り注ぐ、光の雨のようだった。
あるいは、暖かな綿雪のように。
静かに流れる流星群のように。
視界に入る全てに、優しい光の奇跡がしんしんと降り注いだ。
その光を浴びた誰もが、自らの身体に起きた「あり得ない異変」に気づく。
欠損していた四肢が光と共に再構成され、こびりついていた死の呪いや毒が消えていく。その驚きは瞬く間に全体へと伝播し、至る所から驚愕と、そして嗚咽を堪えるような歓声が沸き上がった。
「やったわね。大成功よ」
私が手を離すと、カテリナは自分の両手を信じられない様子で見つめ、震わせていた。
「わ、私たちが……本当に、この奇跡を……?」
「ええ、そうよ。あなたの、そしてのの子ちゃんの純粋な願いが、世界に届いたのよ」
張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
カテリナはまだ年相応のあどけない顔をくしゃくしゃにして、その大きな瞳から大粒の涙を溢れさせ、子供のように泣きじゃくった。のの子ちゃんがそれを優しく抱きしめる。
ふと、静まり返っていた隔離病棟の重い扉が開いた。
中から、人々がふらふらと、呆然とした様子で這い出してくる。
神官に支えられながらも、確かな足取りで一歩を踏み出す兵士たち。失われていたはずの腕や足を動かし、天を仰いで大泣きしている。互いに抱き合って奇跡を喜ぶ者。言葉を失ってへたり込む看護兵。
そして——その人々の波の最後に、ひっそりと姿を現したのは、頭部に角を持つ『魔族』の負傷兵たちだった。
彼らもまた、自分の五体がすっかり元通りになっていることを確かめるように、何度も手を握り締め、そして空から降る光の残滓を見上げていた。
その瞳には、かつて宿っていたはずの敵意や憎悪は微塵もなく、ただただ、圧倒的な驚きと、深い感謝の光だけが揺れている。
私は何も言わず、ただのの子ちゃんに抱きついて泣いているカテリナと、救われた人々が織りなすその光景を、満足げに眺めていた。
すべてを救い上げた光の粒子は、役目を終えたように、優しく夜の闇へと溶けて消えていった。




