33話 前線の診療所
診療所は城壁に沿うように建てられている。
木造の一階建て。
負傷兵や病人が来る施設とあって、全容は分からなかったけれど、かなり大きな建物に見える。
所々、ガラス窓からは建物の中のランプの光が見えるが、それでも建物全体で見るとかなり薄暗く、静かだった。
聖女の後を追うように中へ入ると、そこは待合室のような場所でほとんど人がいない。入った瞬間、少し鼻に残るような薬品の匂いがこもっていた。
受付らしき机には、白衣を纏った年配の看護兵が一人と、補佐らしい若い看護兵が数人残っているだけだった。
そのすぐ側で——
担架で運ばれてきた壮年の兵士に対し、別の看護兵が一人で触診をおこなっていた。
「す、すまねぇ……こんな時に……」
「大丈夫ですよ。痛むのは腰ですね。無理に動かさないでください」
看護兵の触診が終わると、兵士は奥の処置室へと運ばれていく。
のの子ちゃんが心配そうにその背中を見送った。
「大丈夫かな……」
「命に関わる怪我ではないでしょう。しばらく腰を曲げられないくらいで」
「それも大変だと思うけど……」
治癒魔法があるとはいえ、どんな怪我や病気にでも効くほど万能じゃない。
それでも、聖女の力ならば……治せるはず。
けれど、今のカテリナにそれを求める者はいなかった。
聖女の魔力はほぼ底を突いている。
目の隈と頬の赤みを見る限り、魔力ポーションの飲み過ぎで中毒症状も出ているわね……。さらに酷くなると嘔吐や不眠症を引き起こしかねない。
こんなにも聖女が身を削りながら頑張っていることを、ここにいる全員が知っている。
だからこそ、これ以上頼らないようにしている。
そんな感じが伝わってくる。
処置室へ運ばれていく兵士を見届けると、聖女カテリナは静かに踵を返した。
その後ろには、専属騎士のガーベラが付き従っている。
二人は受付の横を抜け、さらに奥の通路へ向かって歩き出した。
「あの、どちらへ行くんですか?」
のの子ちゃんの声に、カテリナは足を止めた。
振り返った彼女は、いつものように柔らかく微笑んでいる。
——けれど、薄暗い光に浮かび上がったのは、どこか幽けき笑みだった。
「気になりますか?」
「えっと……はい」
のの子ちゃんは場の雰囲気に呑まれたかのように迷いながらも頷いた。
カテリナは一度だけ目を伏せる。
「そう……ですね。でしたら、一緒についてきてくれませんか?」
その消え入りそうな声には、微かな震えがあった。
私たちは、誘われるがまま通路の奥へ進んだ。
左右にはいくつもの病室が並んでいる。
開いた扉から覗く室内には、腕や足に包帯を巻いた兵士たちが横になっている。眠っている者もいれば、天井を見つめている者もいた。彼らもまた、明朝には最終治療を受け、出兵するのかしら。
カテリナは一つ一つの部屋へ視線を向ける。
中にいる兵士たちも、彼女に気づくと小さく頭を下げたり、手を上げたりした。
けれど、カテリナは会釈するだけで、今は立ち止まれないと言うように一度も足を止めなかった。
五つほどの部屋を過ぎたところで、通路は行き止まりになった。
そこにあったのは、一枚の扉。
ガーベラが先に進み、扉へ手をかける。
重い音を立てて開かれた先は、部屋ではなく外だった。
冷たく澄んだ夜気が扉から流れ込み肺を満たす。
その新鮮な空気を求めるかのように私たちは外へと出ていく。
目の前にそびえ立つ城壁と、今出てきた診療所の建物に囲われるように、もう一つの木造建築が建っていた。
表の診療所と同じ木造。
けれど、こちらはさらに飾り気がなく質素だった。灯りとなる火の気もほとんどなく、二階建ての輪郭だけが闇の中に浮かんでいる。
まるで、そこだけ切り離されているみたいに、診療所とこの 建物の間には意図的な距離があった。
表の診療所も木造だった。
そして、目の前の建物も木造。
そもそもこの前線にある他の施設はどれもがもっと頑丈に作られている。
武器庫も、倉庫も、兵舎も、石と木材を組み合わせて簡単には壊れないようにしてあった。
なのに、ここだけは造りの意図が違う。
壊しやすく、切り離しやすい。
私は過去に、この造りを見た覚えがある。
「この中です」
カテリナはそう言って、奥の建物へ向かった。
ガーベラが扉を開ける。
中から流れてきた空気に、のの子ちゃんが小さく息を呑んだ。
薬草の匂いと、その奥に混じるわずかな甘い匂い。
私は何も言わず、のの子ちゃんの半歩隣へ立つ。
近すぎず、離れすぎず。
カテリナとガーベラは、躊躇なく中へ入っていった。




