Rati 55. 幼き日のすれ違い
二人の新顔が道場にやってきてしばらく。
夏休みにもなる頃には孤児の二人はすっかりと道場に溶け込み、笑い声の絶えない暑い日々が続いていた。
「ヤマトくん。 ありがとね」
「なにが?」
幼子の姉である年齢が5つほど離れた百合音は、稽古の休憩中に顔を洗っていた少年へとタオルを渡した。
涼やかな冷水の溢れる蛇口から顔を離した大和はタオルを受け取り、素っ頓狂な声で応えた。
「あの子が声を上げて笑える日が来るなんて、思えなかったから……」
「え? ウララが?」
酷暑が続いていた夏休み。
そんなうな垂れるような暑さの中でもウララは、元気に走り回り大和たちを引っ張ってくれていた。
最初こそ落ち着いた様子だったが、ウララは子供たちの輪にもすぐ溶け込み、中でも同い年だった大和や咲夜は稽古の時間以外さえいつもウララと共にいるようになった。
大和はウララがほんの少し人見知りなだけだと思っていたのだ。
「うん。 君やサクヤちゃんのおかげ。 これからもあの子と仲良くしてあげてね」
「もちろんさ!」
――――――
Rati 55. 幼き日のすれ違い
――――――
ある日の稽古中。
道場内にまで届くセミの響きがうっとおしいのか、大和はふてくされたように準備運動をしていた。
(ヤマト、どうしたんだろ)
いつもおバカな行動をして、周りを楽しませていた大和のこんな姿はウララは初めて見る。
そんな姿の友人を見る事も、声もかけた経験もなかったウララには大和へと直接聞く勇気はなかった。
元氣のない背中を見つめ続けていたウララは、仲良くなった隣の少女へと尋ねる事にした。
「ヤマト、元気ないけど何かあったの?」
「お父さんと会える日だったのが、パーになっちゃったみたい」
「お父さん……」
咲夜の言葉に、ウララは何も返せなかった。
大和と咲夜はいつも自分の側にいて氣にかけてくれる。
二人は道場で分からない事があればすぐに教えてくれるし、少し元氣がない日も側に来て声をかけてくれる。
だけど、生まれてから両親の顔すらまともに思い出せない自分は、大和の気持ちが分からないし元気づける事はできない。
そんな風にウララは思ってしまっていた。
「……」
「大丈夫だよ。 前にもこんな事があったけどすぐ元気になったから」
両親のいないウララを気遣い、咲夜は少しばかり重い空気を振り払おうとした。
そんな咲夜の想いがウララに伝わったのか、両親がいない事を嘆くよりも大和を元氣づけようと切り替える事ができた。
「今日もさ、稽古の終わりに駄菓子屋に行こうよ!」
「そうだね……!」
二人は密かに約束を交わして、稽古の終わりを楽しみにしながらも練習に励んだ。
威勢よく鳴いていた夏の風物詩が、夕刻になり徐々に静けさを得ていく頃。
キッズクラスのいつもの稽古が終了した。
一念発起してヤマトを元氣づけようと、ウララは声をかけた。
仲良くなってから何の氣なしに話しかけていたが、こんな姿の友人へと話しかけるのはウララにとって初めての経験だった。
「ヤマト、駄菓子屋に行こうよ」
「そんな気分じゃねー……」
大和はウララの誘いを断り。
「お菓子でも食べて、やな事は忘れようよ」
「今日は、行かない……」
咲夜の誘いも断った。
二人が自分を思って言ってくれている事は大和にも伝わっていて、その気持ちが心の奥に響いた氣がして大和にとってもそれは嬉しい事だった。
しかし、大和は疎遠になっている父親に会えない事がそれ以上に悔しかった。
ここで二人の誘いに乗ってしまったら、それは父親への裏切りだと感じていた。
二人と行けばいつものように笑って、楽しく時を過ごせるだろう。
しかし大和にとってそれは、父親と会えない事を喜んでいるかのようで嫌だったのだ。
そんな悲しそうな大和の姿を見かねて、咲夜は懸命に誘い続ける。
「頑固だなぁ」
「うるせーよ」
「いつまでもウジウジしないの。 しょうがないでしょ」
「咲夜だからそう言えんだ。 おれは、1年に1回も父さんに会えないんだぞ……!」
その言葉を聞いて、咲夜は少しムッとしていた。
隣に両親のいないウララがいたからだ。
ウララがいたたまれなくなった咲夜は、買い言葉に売り言葉を返す。
「はぁ? なにそれ、お父さんが元気でいるだけでじゅうぶんでしょ!」
「う……」
咲夜の言葉を受けて、大和も自分の言葉に気付いた。
ウララには両親がいない。
それは当然、辛いかもしれない。
でも、存在する父親に会えない辛さは、存在しない父親に会えない辛さとは違うものだ。
どちらも辛いものだが、自分にとって連絡さえまともに取れない。
1年に1回も会えない父親との機会が無くなった事は確かに辛かったのだ。
そう思った大和は納得いかずに声を荒げた。
「うるせー! 父親がいなきゃ、おれの気持ちなんて分かんねーだろ!!!」
「……」
場の空気が凍り付いた。
さきほどまで耳に届いていた周囲の会話やヒグラシの声が、3人の耳から遮断されていた。
その静寂が、自分が何を言ってしまったか大和へと気付かせた。
拭えない後悔が心の奥に生まれ、大和は言葉を失っていた。
「……」
「ウララ!」
自分は、ウララを傷つけたかったわけじゃない。
ただ自分の心の底を分かっていないであろう友人に対し、その言い分を理解してほしかっただけ。
しかし、結果はこうだ。
ウララは走り去り、咲夜も後を追おうとしたが様子を見ていた百合音が先にウララを追っていた。
どうすればいいか分からず立ち尽くしていた大和の前に、再び咲夜が近づいてくる。
「ヤマトのアホ!」
そう言って軽く大和の頬を掌で小さく叩いた。
大和も傷ついていた事を理解していた咲夜のささやかな反撃。
その掌は、以前に思い切り叩かれた時よりも大和の心へと重くのしかかっていた。
会えるはずだった父さんにも会えない、自分を想ってくれた友人にも酷いことを言ってしまった。
なぜこうも上手くいかない。
なぜこんなにも、嫌な思いをしなければならないのか。
父さんは自分を嫌いになってしまったのか。
このままウララや咲夜までも自分から離れていってしまうのか?
大和には上手く言葉にできないが、そんなやるせない気持ちが心のうちに湧き後悔となって幼き大和の胸に溢れていた。
「想いがすれ違えば仲を違える事もある。 考えろ、大和。 自分が何をすべきか、どうすれば仲直りできるか」
共に夕食の席に着く祖父の言葉に、大和は頭をこんがらせることしかできなかった。
「……考えても、分かんない」
「それもそのはず、仲直りに正解などない」
「え? じゃあ、何を考えればいいんだ?」
「自分だけの答えを見つけろ。 自分や相手が傷つけた時、傷つけられた時、どうすればいいかをな。 相手への想いはそうやって真心に変わり、人を成長させ人を作る。 自分も相手もじゃ」
「自分だけの答え、真心……」
しばしの沈黙が訪れ、居間へとささやかな食器の音だけが響いていた。
息の詰まりそうな時間が続き、それは一つのインターホンによりかき消された。
「誰じゃ?」
……明日、ウララに謝ろう。
俺のお氣に入りのお菓子を奢ってやろう。
そんな想いを胸に刻み、大和は止まっていた箸を再び動かそうとした。
その瞬間、大地に根差した大木のような豊かな声が響いた。
「ただいま!」
「え?」
「ヤマト、久しぶりだな!」
祖父の隣にいた、氣風の良い男性を目にした大和は瞳の奥を輝かせた。
「父さん……!」




