異変
「何が起きたんですか?私にはさっぱり…」
お姉様が突然どこかへ行ったというのに、お兄様は何故か冷静だ。
「姉上は魔法が使えないけれど、魔力を感知する能力に長けていてね。多分、何かあったんだ」
「何かって…」
一瞬の沈黙。重々しい雰囲気が緊迫さを感じさせた。
「推測の域を出ないけど、姉上は相当なことが無ければ君の元を離れないと思うし、姉上の専門とか表情を察するに…」
グッと手を握り締める。ただごとじゃないことを察した。
「魔物だと思う。姉上は魔物の魔力感知を最も得意としているから」
「ここは王都じゃ…?」
魔物がいるのは人が住みつかない森や辺境だ。
国の中心都市の1つでどうして魔物を感知できるのか。
「だから、焦っていたんだと思う。西区のほとんどは力なき市民なんだ」
心配そうな表情に申し訳なくなった。私がいなければ、お姉様を追えただろう。
「行かなくたって良いのに。責め立てられるように行動するのは、もう…」
「…お兄様?」
罪悪感が瞳にいっぱい。どうしてそんな目をするの。
ずっと思っていた。兄も姉も父さえも、何か秘密があるのだと。
それは今もだ。
「ごめん。何でもない。エリーシアが気にすることじゃない」
切り替えようと笑顔を作る。この人達はいつもそうだ。
「お兄様達はいつも何を隠していらっしゃるのですか?
…気のせいだと無視出来なくなってきました」
動揺している。声が息に溶けて、音にならない。口をパクパク動かしていた。
「…いつか、話そう。その時が来たら、必ず。隠しきれないことは分かっていた」
空色の瞳が澄んでいた。その中に私の姿が映っていた。
幾分か軽くなった声色で、私に手を差し伸べる。
「東区に行こう、せめて姉上の気掛かりは減らしたいんだ」
受け取った手は少し冷たい。
でも、お兄様は何かを思っても何も言わないのだ。
「西区付近で元々魔物がいるのは魔物の巣窟だけ、きっと発生源はそこなはず」
隣国ベシュレルと自国サルグレットの国境線でもある魔物の巣窟。
王都に近かったのか、そんな危険な場所が。
「そんな場所、王都付近にあって大丈夫なんですか?」
「大丈夫なはずなんだよ。神殿の結界に守られているから」
それなら、何故魔物を察知したのか。
「どうして魔物が…?」
「分からない。破られたのか? クロード大王の守護結界が…」
クロード大王。懐かしい音だ。
忘れてはいけない。大切な名前だったはずだ。
魔物の巣窟を覆うほどの結界を張るのだから、勇者に並ぶほどの偉人だったのか。
さっきの銅像の名前が。もしかして。
「お兄様、そのクロード大王って人は…」
その時、ドクンと全身を巡る魔力が波打った。
ああ、まただ。頭にガンガンと響く、胸を締め付けるような自分の声。
魔力が煮え立つ。溢れてしまう。落ち着け、収まれ。
クロード。くろーど。自分の声が何度も頭に響き続ける。
誰だ。誰なんだ。貴方は。
「やめて、うるさい、誰なの!」
その名を思い出そうとした瞬間、プツンと何かが切れる音がした。
ふつふつと湧き上がる魔力に混ざって、知らない声が身体を震わせる。
『殺せ、魔物を殺せ!』
誰かが私に叫んでいる。胸焦がれる、黒髪の、君の。
拍動が跳ね上がる。魔力がピリピリと今にも弾けそうだ。
今なら、魔法が使える。魔物を殺せる。
「違う、待って、違う…」
私は、そんなこと。そんなこと思ってなんかない。
弱い私は大人しくした方が良いのに。
この場から逃げたいくらい臆病なのに。
こんなの私じゃない。
だけど。
声が、私を塗り潰す。魔力が私を乗っ取る。
「降ろしてください、お兄様!! 私、殺さなくちゃいけないんです!!」
「は? 何を言ってるんだ? 落ち着いてくれ、暴れないで、エリーシア…!」
私を抑えようと覆いかぶさるように動きを封じる。
視界の端に馬に乗って走る騎士の姿が見えた。
「早くお姉様の元へ!! 殺す、殺すんですよ…!!」
魔物を殺さなきゃ。早く。早く。早く。
動揺しているはずのお兄様の声がぼやけて聞こえる。
自分の存在も薄められていく。私は誰。
「瞳に光彩…?ダメだ、落ち着け、エリーシア!魔力が、魔力が暴走仕掛けている!」
そうか。これが、暴走か。
「ずっと、熱くて溢れそうだったのは…」
体内に収まらない、制御出来ない魔力が、外に出ようとしていたから。
慌てるお兄様の瞳には、不気味な私の瞳が映っていた。
いつもの空色に、金色の点が星のように浮かんでいる。
抑えたい。暴走させたら危険だ。でも、とめられない。
「お兄様、離れて!! 私、私…!」
カッと辺りが白い光で包まれる。
太陽よりも強い、視界を奪うほどの眩い光。
光を放つ直前に、空間がぐにゃりと曲がった気がした。
宙に放たれた私の身体に、魔力が全身を覆うように纏わりつく。
——カン、カン、カン、カン
どこからか街中に鳴り響くほどの鐘の音が。
時刻を知らせる鐘とは違う、そんなことを思って。
意識はそこで途絶えた。




