王都
フォレスティー領から馬車で数時間ほど。
我らがサルグレット国王のお膝元にやってきた。
馬車を降り、緻密に並べられたレンガ通りに足を乗せる。
「わぁ、カラフルな建物がたくさん並んでる!」
あれは雑貨店、お土産が売っているようだ。
これはレストラン、香草の香りが入ってきた気がする。
出店の呼びかける声。大道芸人の派手な技。吟遊詩人に足を止める子供たち。華やかな音色を奏でるバイオリン弾き。
「変わっていないね」
昔行った時の記憶と重なる。また来られるなんて想像もしてなかった。
嬉しくて、少し目が潤む。
活気溢れて煌びやかな街並みと人々。
様々な人が巡り、現れては消えていく、二度と同じ瞬間などないのに。
ふと目が止まった人影。
「…」
ビクッと身体が強張る。魔力が揺れ動く。
違う。分かっているはずだ。
あの髪も、あのドレスも母のじゃない。
こんなところに母がいる訳がない。
首を振って、王都の街並みに集中する。
「流石、西区ね。三日月の旗に囲まれてるわ」
確かに、大通りの上にはいたるところに三角の旗がロープで吊るされ、店の窓や扉にも旗が飾られている。
全て、三日月のマークが象られて。
「三日月は、女神様…?」
「そうだね。西区は女神様の街だから」
もう一度、周りを見渡した。
出店で売っていたのは、女神様の花と呼ばれるエルダーフラワーと、三日月がついたアクセサリーだった。
大道芸人は「成功するかは女神様の御心次第」だと言った。
吟遊詩人が話す物語は、月の女神様が太陽の神様と恋に落ちて結婚するまでのラブストーリー。
バイオリンの曲は聖歌の1つだったはずだ。
「本当ですね、女神様に関連するものばかり」
「“彼らは女神様に生かされている”のよ」
お姉様はニヤッと笑う。何かの一節を引用したみたいな言葉だ。
「暗黒王の御言葉ですか? 銅像もそこにありますね」
呆れたようにお姉様を見ながらお兄様が答えた。その答えに満足したように大きく頷く。
「ええ! 黒髪で優秀だが残忍な暗黒の国王。歴史首席だもの、当然ね」
相変わらずニヤけた視線をお兄様に送る。お兄様は盛大なため息をついていた。
大通りの中心にそびえ立つ立派な銅像。端正な顔立ちだが、確かに怖そうだ。
「わわっ」
びっくりした。銅像と目が合ったような気がしたのだ。
「でも、何か、意外と優しそう」
何となくそんな気がした。妄想に過ぎないけれど。
「というか、お兄様は首席なんですか?」
「そうだけど、恥ずかしいから黙ってて欲しかった…」
そのまま真っ赤に染まる顔を覆ってしまう。
なるほど、こういう性格なのか。
お姉様が弄りたくなる理由が少し分かった気がした。
「恥ずかしがることじゃないです、お兄様は凄い人なんですね」
「その辺でやめてもらって良いかな…、恥ずか死ぬ…」
顔だけには留まらず、全身も赤く染まる。その場にへたり込みそうな勢いだ。
「…えっと、エリーシア」
ふと何かを思いついたように顔をこちらに向ける。
「お花って好き?」
露骨な話題転換。わかりやすい人だ。
この話がしんどいのか、目が潤んでいた。
「えっと、まあ、好きです」
「そう、じゃあちょっと待ってて」
フラッとどこかへ行ったかと思うと、すぐに戻ってくる。
片手には白い花。
「あら…」
お姉様がその様子に声を上げる。何か驚くようなことがあったのか。
気が付けば、お兄様は私の前でしゃがみ込んでいた。
「うん、似合うと思うよ」
その花を顔の前で重ねて、目を細めている。
「お、お兄様、その花は…」
どぎまぎする私を見て、お兄様は少し楽しそうだ。
対象が移ったからって、余裕そうに。
「ふふ、造花だよ。少し触るね」
髪に手が増えるのを感じる。なんて、優しい手なんだろう。
「うん、やっぱり白い花は映えるね」
言い終えると何事もなかったかのように歩き出そうとする。
髪に触れると、元々の装飾品の横に小さい花が挿してあった。
「ユリウスもこういうことするのねぇ」
お姉様が口元に手を当てて、にんまりと口角を吊り上げた。
「たまたま目に入っただけですよ」
ばつが悪そうに露骨に目を反らす。結局、顔は赤いまま。
結局、状況は変わっていない。それに、私なんかに買っても良いことなんて。
なら、どうして。
「放っておいて下さい。僕だってエリーシアを飾りたかったんですよ」
「衣装選び、参加したかったのね」
「勿論ですよ、僕の妹でもあるんですから」
この人達は。本当に。言葉も。行動も。私には温か過ぎる。
何も返せないのに。
「…あっ」
前を向いてなかったのが悪かった。黒ワンピースの女性に思い切りぶつかってしまった。
「すみません、お怪我はございませんか?」
黒ワンピースはシスター服だった。恐らく、神殿に仕える修道女なのだろうか。
「大丈夫です。こちらこそすみませ、…っ」
シルバーネックレス。三日月の形。胸元で揺れる。
修道女が付けているのと、母は同じものを付けていた。
母は敬虔な信者だったのだ。日々の生活の中にも信仰心で溢れていた。
私はなかなか真面目な信者になりきれなかったけれど。
「エリーシア、顔色が悪いわ。本当に大丈夫?」
「問題ありません。ちょっと疲れたみたいです」
心配そうに覗き込むお姉様。優しい彼女を不安にさせたくなかった。
「それなら良いけれど。シスター様、妹がご迷惑をおかけしましたわ」
お姉様とお兄様が頭を下げるのに倣って、私も頭を下げる。
シスター様は私に穏やかな笑みを浮かべていた。目だけは私を捉えて。
私を見ているんじゃない。銀髪の、私への視線。
「いえいえ、お気になさらないで下さい。可愛らしい白銀の姫君に会えたのです。まるで女神様の使い、それとも器かしら。こんな幸運はございません」
シスター様は目をキラキラ輝かせていた。
白銀の髪色に向ける視線。ああ、これは。
言葉の一つ一つがどくん、どくんと脈を打ってうるさい。
まただ。胸が、喉が、身体が、焼けるように熱い。
「お褒めいただいて光栄です。ただ妹が長旅で疲れてしまったようなので、ここで失礼させていただきます」
様子のおかしい私に気付いているのだろう。
お兄様もお姉様もこの場から離れようと必死だ。
「まあ、それはずっとお喋りしてはいけませんね。皆様に女神様の幸があらん事を」
ギュッと両手を胸の前で握って、女神様に祈りを捧げる。
日光に反射してキラリと光ったネックレスが眩しい。
お母様の姿が脳裏によぎる。目も声も。期待と憎悪を混ぜた魔力も。
お姉様がギュッと私の手を握り、そのまま引っ張って道の端に連れて行く。
「おかしいわよ、エリーシア。何で嘘をつくの」
お姉様の顔は心配そのものだ。そんな顔させたくなかったのに。
私の嘘のせいで余計にお姉様の顔を曇らせてしまった。
「大したことじゃないんです。ただネックレスが」
「ネックレス…? あの三日月の?」
「そうです」
「なんで、…いえ、そうね。聞いてごめんなさい」
複雑そうな顔をしていた。きっと分かったのだろう。
何を思ってそんな顔をするのか。
どうして私はそんな顔をさせてしまうのか。
「姉上、飲み物です」
どこに行ったのかと思っていたお兄様が戻ってきた。
彼の手にはエルダーフラワーのジュースがある。
「ありがとう。一旦これを飲んでちょうだい」
受け取ったお姉様が私に手渡す。
少しひんやりとした感覚に驚いた。
きっとお兄様が魔法で冷やしてくれたのだろう。
1口、2口。甘い果汁が喉を過ぎる。
「ありがとうございます。美味しいです」
少し落ち着いた。優しい甘さに笑みが零れた。
険しいお姉様の表情が少し崩れた。
私の肩に手を置く。お姉様の顔に影が差す。手が強く肩を握る。
「エリーシア、どうか嘘を言わないで。気を遣わないで。貴女がそうなったのは私にも責任がある。だから、…」
“私にも責任がある”?
何を言おうとしていたのか。
何がお姉様にあったのか。
分からない。
私はお姉様に何があったのかを知らない。
今にも取り乱しそうなお姉様の手の上に、お兄様がそっと手を重ねる。
「姉上、自責はやめると仰ってたでしょう」
お姉様の顔が一瞬崩れた。今にも泣きそうな顔だった。
「分かってるわ、私も一旦落ち着かなきゃいけない」
フーッと深く息を吐く。次の瞬間にはいつものお姉様。
何があったのかなんて、聞ける雰囲気じゃなかった。
——カーン、カーン…
時刻を知らせる鐘の音がどこからともなく聞こえてきた。
「この店の為に西区に来たと言っても過言では無いわ」
店に入りながら、声を弾ませるお姉様。相当、楽しみだったのだろう。
きっとさっきのことは忘れるべきこと。
今は目の前のことに集中しよう。
「可愛い…」
店はモダンでカラフルな西区でも珍しい紫の外観。
私達3人が店に入ると、藤色の長髪を揺らした店員が出迎えた。
「これを」
お姉様が店員に何かを手渡す。ただの紙切れにしては立派な気がした。
「フォレスティー様ですね、お待ちしておりました」
店員が一礼して、2階へと案内された。1階の席がまだ空いているにも関わらず。
2階に予約席があるのだろうか。
「こちらになります」
通されたのは一階の一般席とは比べ物にならない、立派で趣のある部屋だった。
少し異国味を感じさせる雰囲気に目が奪われる。
「綺麗…」
木材を多用した造り。彫られた模様が雅やか。
席に座ると、台車が転がされて入ってくる。
1人一つケーキと紅茶が置かれた。
「それでは失礼します」
店員が退出すると、お姉様が口火を切った。
「ふふ、私の見立ては間違ってなかったわ。最高のケーキセットよ」
いかにも誇らしげな様子だ。でも、その様子も頷ける。
「美しいですね、このケーキ。女神様の花が本当にあるみたい」
「そうね。ユリウス、あんたも何か感想はないのかしら?」
「綺麗だとは思いますけど。姉上はケーキセットでご予約されたんですか?」
「そうよ、何か悪い?」
そっぽを向いたまま黙ってしまった。
私達はケーキセットの予約の話を聞かされていなかった。
“美味しいと評判のカフェに予約したから行くわよ”
それだけしか聞いていない。
ケーキと紅茶が用意されるまで、どうしてこんなに早かったのかよく分かった。
ケーキの甘い香りが鼻腔を掠める。エルダーフラワーだ、慈悲を感じる甘い香り。
「まあ、良いわ。食べましょう。女神様のお恵みに感謝を」
「感謝を」
両手を重ねて感謝を述べる。食物を得られる恵みに感謝を込めるのだ。
「…ん、美味しい」
ほろっと口で溶ける食感。甘さが全身を駆け巡る。
「ん〜、素晴らしいわ!」
「香りも味も良いな…」
美味しいケーキはフォークを差し込む時でさえ楽しい。
刺して口に運ぶのも、とても幸福感に満ちている。
「美味しいと無くなるのが早くて困るわ」
私がケーキが残り3分の1のところで、お姉様は食べ終わっている。お兄様もあと1口だ。
どうやら私は食べるのが遅いらしい。
ケーキを大きく切り分け、口いっぱいに頬張る。
「焦らなくていいのよ、時間ならあるわ」
お姉様の言葉にお兄様も頷いた。何でこんなに優しくしてくれるんだろう。
まだ、上手く言えないけど、いつか彼らに私の言葉で感謝を伝えたい。
だから、今日はこれで許して欲しい。
「私、2人と来れて良かったです」
2人とも少し驚いた顔をして、その後笑顔になって。
「私もよ」
「一緒に来てくれてありがとう」
なんて平和で穏やかな雰囲気なんだろう。
私の声を聞いてくれる。私の言葉を受け入れてくれる。
ケーキが甘い。本当に甘い。
「ご馳走様でした」
席を立つと、外で待っていたのか店員がドアを開けてくれる。
案内をしてくれた薄紫色の髪の子。大人じゃない、まだ顔にあどけなさが残る。
「…?」
一瞬、彼女と目が合った気がした。
気付いたのか、気付いていないのか。彼女はとても美しく笑っていた。
「またのご来店お待ちしております」
1礼をする所作がお姫様のようで、少し見惚れてしまう。
「エリーシア、行くわよ」
ボーッとしていたみたいだ。お姉様とお兄様がドアの前で待っている。
「すみません!」
少し小走りで追いかけて、そのまま店を後にした。
外に出ると、風が顔に突き刺さる。冬じゃないのに酷く冷たい。
「あっ」
銀髪が視界を遮る。これだから、長い髪は。
耳にかけ直すと、バチッと静電気が走った。
「痛っ」
思わず髪の毛と手を離す。胸の奥から、熱い何かが込み上げるような気がした。
その時、お姉様の表情が緊迫した雰囲気へ変わる。
「様子がおかしいわ」
そう一言残すと、辺りを見渡してから大通りの奥へと走り始める。
「ユリウス、エリーシアを頼んだわよ」
「分かりました」
状況を理解しきれていないのは私だけ。
お姉様は走って、走って、遂には見えなくなってしまった。




