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安全地帯

温かい。優しい紅茶の香り。コポコポと注がれる音。

ふわふわしているが、ベッドとは違う。ソファみたい。

ビンを開ける音。イチゴの甘い匂い。

「…!」

知らない天井。ここはどこ。お母様はどうしたの。

父に抱きかかえられて。そこから何も覚えていない。

周りを見れば、見慣れない空間が広がる。

大きな机に羽ペンやインク、たくさんの書類と書物。

机の後ろにも本棚。分厚くて難しそうな本ばかりだ。

軽く起き上がって後ろを振り返ると、父らしき人の背後が見える。

紅茶のポットを手にしていた。

「起きたか、おはよう」

変わらぬ優しい笑みを浮かべて振り返った。

この人が、私の『父』。

まだ彼がよく分からない。

母の言葉をいつも信じてきた。

でも、母が嘘をついていたなんて。そんな。

私にとって『父』は怖い人。私を嫌っている人。

こんな優しい笑みを浮かべたりなんてしないのに。

「紅茶を淹れたんだ。紅茶は好きかい?」

「好きだと、思います」

「私はイチゴジャムと一緒に飲むんだけど、どうする?」

「…ジャムを入れるんですか?」

馴染みがない飲み方。

入れるのはミルクくらいだ。ジャムという発想はない。

「北方出身の母がそういう飲み方をする人だったんだ。ミルクにしておこうか」

懐かしそうな笑みを浮かべていた。彼の両親はもういないと聞いた気がする。

「えっと、ミルクでお願いします」

私の返答を聞くと、満足そうに頷いてミルクを注ぎ始めた。

もう一つのカップにはイチゴジャムが乗ったティースプーンが。

正直、ジャムはないと思う。

「はい、ミルクティーね」

ローテーブルの上に二つの紅茶。

目の前には、全然関わりのない父。

白い湯気がゆらゆらと揺れ動く。

「一応、治癒魔法で治したから大丈夫だとは思うが、もう痛いところはないか?」

治癒魔法。通りで痛みが全くない。

現実に引き戻されたみたいで、今の甘さと優しさに酔いそうになる。

「大丈夫です、ありがとうございます」

咄嗟にヘラッと笑ってしまう。いつもの悪い癖だ。

笑い方が気持ち悪いと怒られたっけ。

彼とパッと目が合った。

「…無理に、笑わなくていいんだ」

彼の笑みが歪んだ。苦しそうだった。

1つ1つ迷いながら選び取るように、言葉を紡ぐ。

「君を傷つけたりなどしない」

真っ直ぐな声。よく耳に通った。

「温かいうちに飲んでくれ」

見慣れない飲み方を横目に見ながら、カップを口元に運ぶ。

優しい温かさが喉を通る。

彼も一口飲むと、静かに置いた。

表情から笑みが抜けた。

「メイドが倒れているティアナを見つけた」

ティアナ。

その音を聞いて身体がピクリと反応する。

「魔力切れに近い状態だった。部屋も所々焦げていて、魔力を暴走させた可能性が高い」

感情のない事後説明。

少し怖い。さっきの優しい表情の彼とは別人だ。

「彼女は要安静、二、三日は寝ている必要があるみたいだ」

安心感が広がる。それを覚える自分が本当に嫌いで気持ち悪い。

「何があったか教えて貰うことは出来るかな」

私に目線を合わせた時、ようやく顔に優しさが戻ってくる。

当然の疑問。きっとこうなると薄々思っていた。

「分かり、ました。大したことじゃないんです」

わざわざ多忙のはずの彼を引き留めて話すことじゃない。全て私が悪い。

「ただ私が母の期待に沿えなかっただけなんです」

幻滅される。やっぱり魔法が使えないから不必要だと、この屋敷から追い出される。

本来、銀髪の子は優秀な魔法使いになるらしい。

彼にも失望されたら私はどうなるのだろう。

そう思うと、息が詰まった。

「…この髪でありながら、私は魔法があまり上手くなくて。あ、でも、あの、練習したらきっと上手くなります。だから、その…」

パンッと手を叩く音が響いた。ピクッと身体を震わせる。

彼の気に障ることをした。怖くて顔を上げられない。

捨てられたくない。嫌われたくない。

「それ以上話さなくていい。無理を言ってすまない」

「…え?」

話の展開についていけなくて、少し顔を上げた。

「一回深呼吸だ。吐いて、吸って」

本当に突拍子もないことを言う。呆気にとられたまま、彼の声に合わせて息を吸ったり、吐いたり。

「ミルクティー、一口で良いから飲みなさい」

言われるがままだ。頭が理解に追いつかない。

一口飲んでカップを戻すのを見届けると、また口を開いた。

「エリーシア」

ピクリと身体を震わせる。

「まだ完全に信じられなくても、どうか覚えていて欲しい」

傷つけないように。言葉を選んで。

「私は貴女を傷つけたりしない。今更ながら、守りたいんだ、親として」

傷つけたり、しない。痛くない。怖くない。そんな日々が送れる。

「私は貴女を全然知らないんだ」

ゆっくりと紡がれる言葉。愛を感じる言葉。

「それでも、エリーシアのことを毎日思っていた」

この人は、私を嫌っていないのかもしれない。

嫌われるのは怖いこと。存在さえも否定されるような、死刑宣告。

「質問を変えよう、エリーシア」

少し声色が弾んだ。

何を質問されるかは見当もつかない。

「何かしてみたいことはあるか?」

「してみたいこと…?」

「何でもいい。私が叶えられる範囲で全力を尽くそう」

久しぶりに聞いた言葉だった。

してみたいこと。私の望み。私のこと。私のお話。

胸が早鐘を打って、身体が少し熱くなった。

夢溢れる、とてもキラキラとした言葉だ。

「…えっと」

言葉が続かない。具体的な話が一つもない。

胸の奥を冷たい風が抜けた。

したいことはたくさんあったはずだった。

憧れていたものもたくさんあった。

でも、叶わない度に、否定される度に、やりたいことなんて見えなくなった。

苦しい日々は私の手に何かを残してはくれなかった。

輝かんばかりに無駄に飾り立てられた箱の中身は空っぽだったのだ。

「何か食べてみたいとか。何処か行ってみたいとか。

具体的で無くても良い。楽しいことをしてみたいとかでもいい」

変わらず微笑む彼。抽象的な話でも受け入れてくれることに驚いた。

面倒くさそうな話なのに。

「エリーシアが楽しいと思えることを一緒に探すんだ、それだけでも面白そうだ。

別に、したくないことを挙げてくれても良い。私はエリーシアが知りたい」

「私のことを?」

知ってどうする。結果に繋がらない。合理的じゃない。

なのに、どうして。

「不思議そうな顔をするね」

少し眉を下げた顔には罪悪感が見え透いた。

「恥ずかしながら私は君のことが全く分からない。

でも君を大切にしたいから、君を尊重したいから、知りたいんだ」

「私を尊重、ですか…?」

「そうだ。君の嫌がることはしたくない。君のしたいことをして、君が笑っているところを見たい。まあ、今更な親のエゴという奴さ」

自分に嘲笑を向ける彼の顔が滲む。

スカートを握り締めていた手に、生暖かい水滴が当たった。

私は、泣いている…? どうして。

「え、エリーシア?!何か嫌なことでもあったのか?

済まない、私は君の笑ってる顔が見たいんだよ…」

おろおろと目の前で慌てる彼の姿がとても面白くて、少し笑った。

その瞬間、彼の目がパアッと輝く。

威厳のあったはずの顔はふにゃりと砕けた。

「やっぱり私の娘は笑った顔が一番可愛いんだ」

この人は母とは違うのかもしれない。

私のことを知ろうとしてくれた。

私の話を必死に聞こうとしてくれた。

私の目を、顔を見て、一挙一動してくれた。

暖かい。寒くない。優しくて、頭がクラクラする。

「今まで放置して申し訳ない。おかしさに早く気付くべきだった。

利用するつもりで構わないから、頼ってくれ。

私は君の、父親だから」

彼は、父親だ。私が頼って良い人、みたいだ。

今日からは、苦しくないんだろう。怖くないんだろう。

この世界はまだ私を殺してはくれないみたいだ。

まだ、私は生きてて良いのかな。

裏切られるかもしれない。捨てられるかもしれない。

そんな言葉を必死に頭から払う。

まだ、人を信じたいんだ。

愛してくれる人を見ていたい。

「…善処致します、…っお父様!」

お父様。

初めての響きはドキドキして、何処か優しくて、キラキラしていた。

どうか、その輝きを失いませんように。

窓の向こうの竜胆の若葉が風に揺れていた。

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