第48話-E 高校1年生 ~苦さと懐かしさのあいだ 3~
「魔法陣は、この床にマジックで描いてもいいですか?」
晴基が志野先生と司書さんに尋ねた。
床には、四人が立てるくらいの円を描くのにちょうどいいスペースがある。
「そうだな。チョークだと消えちゃうだろうしな」
志野先生が腕を組みながら頷く。
「そうね。あなたたちの安全のことを考えたら、その方がいいと思うわ。
後で、なんとか消せるはずだから」
司書さんも静かに言った。
「ありがとうございます」
晴基が軽く頭を下げる。
「あと、この机に、記録の書を置かせてもらってもいいですか?」
「ええ、構わないわ」
「ありがとうございます」
「本はここに置いて、必ず栞を挟むこと」
由奈が独り言のように呟いた。
「先生、万が一挟み忘れに気付いたら、挟んでください」
「ああ、大丈夫だ、任せて」
「そう言ってもらえるだけで安心できます」
少し間があいて、
「ねぇ、今、少しだけ描いてみない?」
由奈が床を見ながら言った。
「そうだな、もう日にちないしな」
晴基が頷く。
「試し程度に描いてみようかな」
桂花も頷いた。
健斗も頷いた。
「いいと思う。やってみないとわからないこともあるかも」
「よし、じゃあ、健斗、マジック買いに行こうぜ」
「ああ、裏の文具屋な」
「じゃあ、お金……」
由奈は財布を取り出した。
「とりあえず二百円ずつでいいんじゃないか?」
それぞれ小銭を晴基に渡した。
健斗と晴基はすぐに部屋を出ていった。
「あの文具屋さん、最近、あんまり行ってないな」
由奈が呟くと、桂花が答えた。
「私も。
あのあたりで、高野と古山に会ったことあるね」
「うん……。私、そのこと思い出してて」
「あのときは、もう、別々の進路に行くって話してたんだよね」
桂花は思い出すようなしぐさをしながら言った。
「うん。私はあの二人とは中学でほとんど話してなかったし」
「私は古山くんとは同じクラスだったから話してたけど。高野くんは……たまに話してたかな」
桂花がにやにやして言った。
「私は由奈が太田と帰ってるところ見ながら、久しぶりにあの二人と話したけどね」
「……えっ、あのとき?」
そこで司書さんが口を挟んだ。
「太田って、あの太田くん? しっかりしてる子よね」
志野先生も目を見開いた。
「えっ、あの四組にいた太田くんか?」
そして、由奈を見て、興味深そうに言った。
「由奈、一緒に帰ってたって……付き合ってるのか?」
「ち、違います!」
桂花が笑って言った。
「先生、これね、私たちもよく理解できてないから。
なんでも、太田のこと好きな女子が言い寄ってこれないように、由奈が頼まれて一緒に帰ってたんだって」
「ちょっとちょっと、もう、いいから」
「それって……太田くんの口実だったんじゃないのか?」
先生がさらりと言った。
「もう、先生まで!」
「いや、私もそう思ってたけどさ」
「いいんじゃない?二人ともちゃんとしてるし」
司書さんもにこにこしながら言った。
「だから、違うんですってば!もう帰ってないし」
「そうなの? また、今度ちゃんと聞かせて」
――そのとき、
違う方から声が聞こえた。
「俺もその話、聞きたいなぁ」
振り返ると、健斗と晴基がマジックを何本か持って扉のところに立っていた。
晴基はにやにやしている。
健斗は何も言わないけど、話は聞いていた顔。
「お待たせ」
「あっ、ありがとう。じゃあ、早速、桂花と古山くんにお願いしていい?」
由奈が場を切り替えるように少し早口で言った。
桂花は一瞬、きょとんとしたが、マジックを手に取って言った。
「責任重大だね」
由奈は記録の書を開き、魔法陣のページを見せた。
「外側の円は、四人が立てるくらいの大きさだよね」
「……これ、円が一番むずくない?」
桂花が床を見て言う。
「たしかに。大きい円をフリーハンドで描くってね」
「大きいコンパス持ってこようか?」
志野先生がすぐに立ち上がる。
「え、そんなのあるんですか?」
「あるある。黒板用のやつ」
先生は部屋を出て、少ししてから大きなコンパスを持って戻ってきた。
「おお」
「それだ」
「懐かしい……」
「これ、使う日が来るとは思わなかった」
桂花が笑いながら受け取る。
「床に穴の跡つくかも……」
「あー……」
「段ボール敷くか」
先生がまたすぐに動く。
戻ってきたときには、畳んだ段ボールを抱えていた。
「ほら、これ」
「先生、すみません」
「ほんとに……」
「いいんだよ。こんなの滅多に見られないんだから」
先生は楽しそうに笑った。
桂花はマジックをコンパスにセットして慎重にコンパスを置く。
ゆっくりと円を描く。
「……お、いい感じ」
健斗が少し身を乗り出す。
「じゃあ、中もいくね」
由奈が本を持って、桂花に示す。
桂花は本を見ながら、線や模様を描いていく。
「ここ、こうかな」
「ちょっと短めにした方がいいな」
晴基が覗き込む。
四人で少しずつ調整していく。
気づけば、
――ちょっとした作業みたいになっていた。
文化祭の準備みたいな空気。
「……なんか、いい感じだから、これ、本番でいい?」
桂花が顔を上げて言った。
全員頷いた。
「今日、どこまで描く?」
「とりあえず、このへんまでかなぁ……さすがに集中力切れてきた」
「じゃ、交代する。
このへん、あとちょっと描いておくわ」
晴基が桂花からマジックを受け取った。
桂花が描いたところに描き足していく。
「二人とも、うまいな」
「ところで、みんな、時間はだいじょうぶか?」
志野先生が時計を見ながら言った。
「あっ、もうこんな時間なんだ」
窓のない部屋。
知らないうちに時間が経っていた。
「そうだな、そろそろ帰らないと」
晴基はマジックのキャップを閉めた。
「おつかれ」
「ありがとう」
「助かった」
自然と声が重なる。
床には、未完成の魔法陣。
それでも――
(何かが始まっている感じするな)
由奈は描きかけの魔法陣を眺めていた。
そのとき、
「ねぇ」
司書さんが静かに口を開いた。
四人の視線が向く。
「あなたたち、いつ出発するの?」
その問いに、一瞬、空気が止まる。
志野先生が静かに答えた。
「……8月14日だよな」
由奈たちはその言葉を受けて、頷いた。
「そう……」
司書さんは小さく息をついた。
「もう、あまり時間がないのね。今日が8月8日だから」
その言葉で、
――急に現実に引き戻される。
「もう一回来ようと思ってます」
桂花が言った。
「桂花、二人で来る?」
由奈が言うと、健斗と晴基が顔をしかめた。
「は? なに言ってんだよ」
声を出したのは健斗。
「高野くんと古山くん、出発の準備もしたいでしょ?」
由奈がきょとんとした顔で言った。
「いや、全員来ればいいだろ」
晴基も低い声で言った。
「そうだよ、魔法陣描く担当、私と古山だから」
桂花も由奈を見た。
由奈は少し納得いっていない感じの顔で言った。
「……そっか。じゃ、みんなでまた来ればいいのかな」
「そりゃそうだろ」
「仕上げは、そのときに」
「ええ、それがいいと思うわ」
司書さんは頷いた。
少しだけ間を置いて、静かに言った。
「なんでも四人でやっていきなさいね」
四人は頷いた。
「……不思議な光景だな」
志野先生が描きかけの魔法陣を見ながら言った。
「でも、本当なんだよな。
心配だけど……やっぱり止めるわけにはいかないか。向こうの世界のことがあるんだから」
晴基が小さく息を吐く。
「そう思うから、やるしかないって思うよな」
「あの本を読むと、放っておけないって思う」
由奈も続ける。
「きっと、あちらの世界のみんな、怯えながら生活してるし」
桂花が静かに言った。
その空気を受けて、
志野先生が少しだけ声のトーンを変えた。
「……そうだな」
少しだけ笑って、
「じゃあ、十日後。8月19日」
四人が顔を上げた。
「同窓会やるか」
「えっ?」
健斗が目を丸くする。
「それこそ、時間なくないですか?」
「来れる子たちだけでいい。君たちの顔を見てたら他の生徒たちにも会いたくなった。
他の子たちには言えないけど、君たちの壮行会も兼ねてるつもりなんだ。
だから、あんまり時間が経っても変だろ」
由奈と桂花は顔を見合わせた。
(桂花と私には、あんまり嬉しくないけど……)
二人で小さくため息をついた。
志野先生と男子二人は楽しそうに話している。
「そんな急にみんな集まるかなぁ?」
「夏休み、どうせみんな暇してるだろ」
「これでたくさん集まったらすげぇよな」
司書さんは、由奈や桂花に歩み寄り、少し不安そうな二人の表情を見て、やわらかく微笑んだ。
あなたたちは大丈夫、と言葉にする代わりのように。




