第46話 高校1年生 ~凪の時間~
8月10日(木)
この日、桂花は由奈の家に泊まりに来ることになっていた。
「お邪魔しまーす」
桂花が、一泊にしては大きな荷物を持ってやってきた。
それを持って由奈の部屋に移動する。
由奈の両親は仕事に出ているため、見られることもない。
「ありがとう。助かるわ」
桂花が由奈の部屋に荷物を運び入れながら言った。
「準備、慌ただしかったんじゃない?」
「うん、とりあえず最低限は入れてきた」
「確かに、こんな荷物、なんでもない日に持って出かけたら、家族に変に思われちゃうよね」
「由奈は、荷物の準備した?」
「うん、まだ途中だけどね。
あっ、当日、何着ていくか相談しようと思ったの」
「うん、私もちょっと悩んでた。
初日、王族に会うことわかってるのに、さすがにあんまりラフなのもね」
「そうだよね。でもさ、上品なワンピースってのもやりすぎだよね。
まぁ、持ってないけど……」
「うん、男子は絶対そんなこと気にしていないだろうし、そんなん着てったらからかわれそう……」
「だよね」
ひとしきり服装の話で盛り上がって、クローゼットを覗きながら二人でイメージを合わせた。
「まぁ、こんな感じかな」
由奈は、白いブラウスに淡い水色のカーディガンを羽織り、黒のワイドパンツを選んだ。
「変わり映えしないけどさ」
「いいと思うよ。私もだいたいイメージできた」
由奈が頷いて立ち上がった。
「桂花、今日はおばあちゃんの家でお昼ごはんだよ」
「ほんと?ありがとう」
二人で隣接する由奈の祖母の家に移動した。
「中の廊下から行ってもいいけど。玄関から行く?」
「うん。せっかくだから、玄関も見せてほしい」
二人は一旦外に出て、隣の家の前に移動した。
強い日差しに照らされた砂利が、白く光っている。
蝉の声が近くで鳴いていて、空気はむっとするほどに熱を含んでいた。
桂花は思わず空を見上げた。
「……あっついねぇ」
「うん」
由奈は軽く笑って前を歩いた。
門を通って祖父母の家の玄関に向かう。
地面の一部だけ、しっとりと色が濃くなっていた。
玄関の前に打たれた水が、まだ乾ききらずに残っている。
その周りだけ、わずかに空気がやわらいでいる気がした。
軒の影に入ると、さっきまでの暑さが少しだけ遠のく。
チャイムを鳴らすと、やがて中から足音が近づいてきた。
扉が開く。
「桂花ちゃん、こんにちは。暑いのに、わざわざ外から来たの?」
やわらかな笑顔で迎えられる。
「玄関から見たかったんだって」
「はい、それも楽しみで」
おばあさんは嬉しそうに笑って、二人を中へと招き入れた。
「お邪魔します。よろしくお願いします」
玄関に入った瞬間、外とは切り離されたみたいに静かになる。
少しひんやりしていて、時間の流れまで違うような感覚だった。
靴を脱ぎながら、ゆっくりと視線を巡らせる。
玄関の隅には、淡い水色のガラスの花器。
そこに活けられた青い桔梗が、涼しげに揺れていた。
それだけなのに、空間全体が静かに整っているのが伝わってくる。
奥から風が通り抜けて、かすかに音がした。
桂花は小さく息を吐く。
「……やっぱり、いいですね」
それを聞いておばあさんは笑顔で言った。
「ありがとう」
桂花はもう一度だけ玄関の空気を味わうように見回した。
「じゃ、こちらにどうぞ」
祖母が座敷へと二人を案内する。
座敷に通されると、すだれ越しの光がやわらかく差し込んでいた。
「とりあえず、どうぞ」
おばあさんが先にお茶を出してくれる。
ガラスのコップに入った冷たい麦茶。
氷がかすかに音を立てる。
「ありがとうございます」
桂花はほっとしたように息をつき、ゆっくりとコップに口をつけた。
「私、台所に行ってくる」
由奈は立ち上がって祖母に言った。
「手伝うね」
「ありがとう、お願いね」
由奈は慣れた様子で台所へ向かう。
しばらくして、一品ずつ料理が運ばれてきた。
ちらし寿司、夏野菜の天ぷら、なすの煮びたし。
きれいに盛り付けられた品々に、桂花は目を見張った。
「すごい」
すべてが並び終わる頃には、食卓は自然と整っていた。
「お口に合うかわからないけど、ごゆっくりね」
「ありがとう、おばあちゃん」
「ありがとうございます。いただきます」
由奈が腰を下ろすと、二人で手を合わせて食事を始めた。
「この天ぷら、おいしい」
「うん」
「なすもいい感じ」
そんなふうに、料理のことや最近のことを話していた。
少し間があいて、桂花が思い出したように言った。
「ねぇ、初代の勇者たちのとき、農園担当の人と仲良くしてた女子いたじゃん。あの人たちが過ごした小屋は見に行きたいよね」
「うん。あれさ、農園で働くみんなの休憩小屋だったのに、あの二人がいるときはみんな気を使って近寄らなかった感じだったじゃん」
「あはは。何してたんだろうって、みんな思うよね」
「でもさ、その人たちのおかげで、こっちの農作物があちらでも食べられるようになったんでしょ」
「うんうん、なんかすごいよね」
由奈が箸を止めて、少しだけ遠くを見る。
「あとさ、すっごい水がきれいな町もあるって書いてあったじゃん。そこ、見てみたいんだよね」
桂花は頷きながら、軽く笑った。
「ああ、確か、書いてあったね。ちょっと田舎の方の町だっけ」
由奈は頷いた。
「アルプスの山あいの町みたいなところかなって想像しながら読んでた」
「由奈、すごいね、そんな想像してたんだ」
「うん。こんなふうに観光気分で行けるといいんだけどね」
桂花はその言葉に頷いた。
「うん」
それ以上は言わずに、二人はまた食事に戻った。
食後は、お茶を飲みながら語らう。
由奈がお茶を一口飲んで言った。
「ねぇ、さっきアルプスの山あいの町って言ったけどさ、早田先生がそんな話してくれたなって思い出した」
「えっ?」
桂花が少し驚いた顔をした。
「中三の英語の授業のときにね。
先生、大学生のとき、イギリスに留学してて、いろんな国を回ったって。
絵に描いたような景色だったって」
「……へぇ」
桂花はほんの少しだけ視線を落としてから、また由奈の方を見た。
由奈はその視線を受け止めてから言った。
「ヨーロッパの国ってどこも絵に描いたような景色だろうけどね。
異世界もそんな感じかなって想像しながら読んでた」
桂花は、少し言葉を選ぶようにして言った。
「……そっか。あの人、うちのクラスではイギリスで暮らしてた町のこと結構話してくれたかな。
放課後に話したとき、写真見せてくれたりしてた」
由奈は表情を変えずに言った。
「ねぇ、桂花。今から思えばさ、“協力してくれる大人”って早田先生も候補だったかもね」
「え……っ? えーっ、そっ、そうかな。でも、あの人、なんかふにゃふにゃしてるとこあったし。大丈夫かなぁ……」
「うん。早田先生なら、みんなで考えた条件に当てはまってそうだよ」
桂花は少し考えるような顔をして、コップの水を指でなぞった。
「条件……そうだっけ。そうかも……ね」
桂花を見て由奈は笑顔で言った。
「もちろん、志野先生で大正解だけど、早田先生もわかってくれる大人だよね」
「あっ、うん。……志野先生で大正解。
けど……たしかに、あの人でも良かったかもね」
それを聞いて由奈はいたずらっぽく笑った。
「けど、早田先生、会えなくなっちゃって残念だよね。いい先生だったのに」
桂花は穏やかに言った。
「うん。先生、卒業式のとき、“いろんな世界を見ていろんな人と話すといい”って言ってくれたの。
だから、この異世界ではいろんな人と話そうかなって思った。
あと、いつか、早田先生に話せるといいなって思った」
由奈は頷いた。
「そうだね。先生みたいな海外暮らしとは違うけど、私たちも全然違う世界に行くんだから」
桂花が苦笑した。
「まぁ、魔法使ったり魔物と戦ったりしてますって説明しても、信じてもらえるかわかんないけどさ」
「あはは、早田先生なら、きっと大丈夫だよ」
由奈はそう言って、少しだけ笑った。
「いつか、先生に話しに行こう」
桂花は小さく頷いた。
その表情は、さっきより少しだけやわらいでいた。




