第43話-A 高校1年生 ~志野先生を訪ねて~
晴基は小学校に電話して、15時半に約束を取りつけた。
夏休みでも、プールや図書室を利用するために登校している児童がいる。
その子たちがいなくなった後の、落ち着いた時間。
夏の午後、校庭には蝉の声が溢れていた。
木の枝が揺れるたびに、ざわざわと葉の音が混じる。
校庭で遊んでいる子どもたちの声も聞こえてくる。
四人は、小学校に面した道に立っていた。
その近くに、校庭が囲われたフェンスの一部が途切れた箇所がある。
そこに小さな階段があって、校庭と地続きのアスファルトに降りることができる。
一部の方面から登校する児童には使いやすい出入口で、昇降口にも近い。
由奈はここを使っていた。
「懐かしいな」
晴基が呟く。
由奈は校舎の少しくすんだ白い壁を見上げながら、胸の奥になんとも言えないじんわりとしたものを感じていた。
この学校には、いい思い出も、嫌な思い出もある。
ここから、校庭を見渡せる。
広い校庭の向こうには、列をなす桜の木、遊具、体育館、プール、飼育小屋、花壇まで見える。
それぞれの場所に思い出がある。
――そして、
高学年では、桂花といるようになってから、あの教室の空気も、少しだけ耐えられるものになった。
(桂花がいてくれて、本当に助かったな)
隣にいる桂花も校庭を見渡している。
あの頃は、健斗や晴基は全然違う世界にいたのに。
今は、にわかには信じがたいような話に一緒に臨んでいる。
(別に、仲が悪かったわけじゃないけど。
やっぱり、この二人と私たちが一緒にいるなんて、変だよね)
由奈は小さく息をついた。
少し離れたところでフェンスに手を置いて校舎を眺めている健斗を、ちらっと見た。
目が合いそうになり、慌てて視線を逸らす。
「由奈、なに?」
健斗が明るい声で言った。
「な……、何でもないよ」
(さっき、変なところで話が終わっちゃったけど……。
まぁ、いいか)
「ほら、行くぞ」
晴基が三人に声をかけた。
小さな階段を降りて学校の敷地に入ると、昇降口の横を通った。
懐かしくて、つい覗き込む。
昇降口を通り過ぎ、飼育小屋や観察池、体育館の近くを通って正門の方に向かうと、来客用の玄関前に着いた。
(今でも、迷わず歩けちゃうな)
晴基が受付の事務員に声をかけると、職員室に電話をかけてくれた。
「志野先生、すぐにいらっしゃるそうですよ」
由奈は急に緊張してきた。
当時は毎日のように会っていた先生でも、あれから一度も会っていない。
(こういうとき、なんで緊張するのかな)
そう思いながら先生を待った。
(こんな四人で訪ねてくるなんて……先生、絶対思わないよね)
「志野先生ってさ、厳しいときもあったけど、フランクで信じてくれる先生だったよな」
晴基が話し出して、少し緊張がほぐれた。
由奈は笑って頷いた。
「先生、特に古山くんには、『任せたぞ』って言い方、よくしてたよね」
「そうだったか?」
「由奈、よく覚えてるねぇ」
健斗は懐かしそうに言った。
「俺、先生には結構何でも話してたな。親に話しづらいこととかでも」
「あー、確かに。あの頃、俺と健斗、先生と話し込んでたな」
「今思えば、志野先生って、子どもでもちゃんと人として尊重してくれてたんだよね」
三人が由奈を見た。
「一人ひとりに興味を持ってるぞって示してくれてたから、安心して何でも話せたのかなって」
そのとき、職員室の方から人が近づいてくる気配がした。
逆光の中を歩いてくるため、顔はよくわからない。
けれど、そのシルエットで志野先生だとわかる。
やがて、はっきりと顔が見える。
由奈は目を見張った。
あの頃より少し落ち着いた雰囲気を纏っているが、
背筋の伸びた立ち姿と、優しい眼差しはまったく変わっていなかった。
「おー……!」
先生は驚いたように目を見開き、それからすぐに柔らかく笑った。
「先生!」
四人の声が揃った。
先生は一瞬驚いた顔をして、それからすぐに笑顔になった。
「本当に久しぶりだ……健斗、晴基、由奈、桂花」
「ご無沙汰してます、先生」
由奈がゆっくり頭を下げる。
「背、伸びたなあ。男子は声も変わって。
みんな大人っぽくなって……高校生か」
先生は四人を見回し、嬉しそうに目を細めた。
「晴基から電話をもらったとき、びっくりしたよ。金曜日には、由奈からももらってたって聞いた」
晴基が笑った。
「はは。そりゃそうだよな。先生にしたら突然だもん」
「先生、お変わりないですね」
由奈が声をかけた。
緊張していたけど、先生の姿を見たら普通に話しかけられた。
「ああ、由奈。相変わらずしっかりしてるな。あと、元気になったよな」
「ありがとうございます。今、高校が楽しいです。
……桂花とはずっと仲良くしてて、古山くんとはコースは違うけど同じ高校です。
最近、高野くんとも偶然再会しました」
桂花も頭を下げた。
「先生、ご無沙汰してます」
「桂花も元気そうだなぁ。あの頃は大人しかったけど、今はずっと元気そうに見える」
そう言われて桂花が嬉しそうに微笑む。
「健斗も相変わらず元気か?」
先生は健斗に声をかける。
「はい。高校は、ちょっと離れたところだけど、家から通ってます」
先生は少し笑った。
「ますます雰囲気よくなったな。いろいろあるだろ」
その言葉に、桂花が笑いを堪えるしぐさ。
晴基は小さく肩をすくめ、由奈は少し目を泳がせた。
健斗は「なんだよ」とぼやくように言った。
先生は四人の反応に不思議な顔をしたが、誰も答えなかった。
「晴基も、あの頃から頼りになると思っていたが、ますます磨きがかかったな。いるだけで安心感がある。
だよな?」
先生が言うと、晴基以外の三人は笑って頷いた。
先生は笑顔で四人を見回してから言った。
「もう少し、図書室で仕事をしないといけないんだ。
あそこなら涼しいし、もう司書さんも帰ったから、一緒に行こう」
とりあえず、図書室に行くことになった。
桂花が小声で由奈に言った。
「いきなり図書室とか、なんか因縁を感じるよね」
「確かにね」
久しぶりに小学校の校舎に入った。
夏休みの校舎は、しんと静まり返っていた。
西に傾いた陽射しが窓から差し込んでいる。
外からは蝉の声がかすかに届くだけで、他には何の音もしない。
少しこもったような、木とワックスの混ざった匂い。
懐かしさと、少しだけ遠い場所に来たような感覚。
図書室の前に立ったとき、由奈は「図書室」と書かれたプレートを見上げた。
あの頃、ここに来れば少しだけ息がしやすくなったことを思い出す。
図書室で、隣に桂花が座っているだけで安心できた。
そして、室内の佇まいが大きく変わっていなかったことに、なぜか安心した。
かすかに紙と木の匂いが混じった、懐かしい空気。
人気のない室内には、整然としたままの本棚が静かに並んでいる。
傾いた陽射しが斜めに差し込み、埃の粒がきらきらと浮かんでいるのが見えた。
懐かしくて、ついあちらこちらを見回す。
カウンターに向かう先生が、振り返って言った。
「そのへんのテーブル使って」
四人が席についたところで、先生が言った。
「さて、懐かしい話や最近の話なんかもしたいところだけど。
今日は何かあって来たんだろう?」
先生にそう言われて、四人は息を飲んだ。




