第10話-B 中学1年生 ~名前のない違和感~
「藤野くん、感じのいい子だったな……」
藤野と話した後、廊下を歩きながら由奈はそんなことをぼんやり考えていた。
明るくて、茶化すような軽さもあったけれど、ちゃんと話を聞いてくれて、由奈にお礼まで言ってくれたあの姿勢が、他の男子より大人びて感じ、印象に残った。
「……それで、藤野くん、彼女いるって言った?」
友人の目が期待にキラキラと輝く。
「いないって言ってたよ。誰かに好意持ってるかは分かんなかったけど。」
と答えると、友人は少し息を飲んでから、ぽつりと言った。
「……バレンタイン、チョコ渡そうかな。私」
「いいじゃん。渡せば。藤野くん、感じいいし」
「……でも、恥ずかしいし、タイミングとか無理……。
由奈ちゃん、ちょっと考えてくれない?間に入ってくれるとか……」
由奈は一瞬、目を伏せた。
(まただ……どうして私が)
面倒に思わなかったと言えば嘘になる。
でも、期待されると断れないのが、由奈の性分だった。
「……わかった。引き受けるよ」
ため息の代わりに、笑顔を見せた。
数日後。
昼休みのチャイムが鳴って、由奈は再び健斗のクラスの前にいた。教室の中をちらりと覗いた瞬間、ちょうど健斗が出てきた。
「あれ、由奈?どうしたの?」
「藤野くん、いるかなって。ちょっと、また話があって……」
健斗は少し眉を上げた。
「……ああ、いるよ。呼んでくる」
そう言って、教室に戻っていった。
由奈が静かに待っていると、藤野くんがにこっと笑いながら出てきた。やっぱり、気さくで話しやすい空気を纏っていた。
「またこの前の話でしょ?なんとなくわかったよ」
由奈は笑って頷いた。
「うん、バレンタインにチョコ渡したいんだって。直接は恥ずかしいみたいで……」
「なるほどね。いいよ、ちゃんと受け取るよ。
場所とか時間、教えてくれれば」
やっぱり、話が早い。誰からかわからないのに、前向きに考えてくれる。
由奈は心の中で感謝しながら、具体的なことを藤野に伝えた。
そんな様子を、廊下の端からそっと見ている視線があった。
健斗だった。
笑いながら会話する二人の雰囲気は、どこか親しげで、それが健斗の胸に小さな波を立てていた。
理由もなく胸がむずがゆくなる。
けれど、それを自分の中で言葉にすることは、まだできなかった。
「別に……気になるってわけじゃないし。由奈なんて、地味だし、男っぽいし、
女に思えない、よな」
小学生の時に思っていたそのままを自分にそう言い聞かせて、健斗はゆっくりと背を向けた。
でも、その小さな違和感は、じわじわと彼の心を包み込み始めていた。
別の日。
昼休みのざわめきの中、由奈が、再び健斗のクラスの入り口に現れた。
「ねえ、藤野くんいる?」
教室の中にいた男子のひとりが顔を上げる。
「今、いないよー。外かな」
「そっか、ありがとう。また来るね」
にこっと笑って、由奈はそのまま踵を返して去っていった。
健斗は、教室の後ろの席から、そのやりとりを静かに見ていた。
由奈は目立つようなことはしていないのに、なぜか自然と目がいってしまう。
由奈の姿が廊下の向こうに消えていくのを、なんとなく追ってしまう自分に、健斗は気づいていた。
(……また藤野か)
由奈が消えた反対の廊下の向こうから、ちょうど藤野がゆったりと歩いてきて、
教室に入ってきた。その瞬間、健斗は、椅子から立ち上がって声をかけた。
「藤野ってさ……最近、由奈と何話してんの?」
藤野は一瞬、面食らったように目を丸くした。
「え、なんだよ、いきなり…。
別に、佐山さん(由奈)から、バレンタインのチョコ、誰かが俺に渡したいっ
て言われてるだけ」
「……何それ、誰から?」
健斗の声が、ほんのわずか低くなっていた。
自分でもそれに気づいて、舌打ちしそうになる。
藤野は、からかうように片眉を上げた。
「さぁ?名前までは言われてねぇよ。
なんだよ、高野、気になってんの?」
「別に」
すぐに答えたが、藤野の表情がニッと歪んだのを見て、健斗はそっぽを向いた。
気になってなんか、いない。ただ――
(……なんか、モヤモヤすんだよな)
由奈の声も、表情も、笑った横顔も、別に特別なものじゃない。
昔から普通に話してた。それだけだ。なのに今は、何かが違って見えた。
(……なんなんだよ、これ)
健斗の胸の奥に、小さな違和感が静かに沈殿していく。
それはまだ、名前のつかない感情だった。




