第8話-C 雨の図書室 ~記録の書~
翌日、昼休みの図書室。
まだ雨が残っている。
由奈と桂花は、再び書庫の扉の前に立っていた。
「……あの本、もう一度見よう」
もともと図書室によく通っており、図書委員でもある由奈と桂花は司書さんとも仲がいい。
昨日、委員会の時間に書庫で気になる本を見つけたと説明して、書庫の鍵を貸してもらった。
二人は静かに書庫の鍵を開けた。
中へ入り、昨日、あの本を見つけた棚の方へ歩いた。
「これ……だよね」
二つの外箱の中には、数冊の古びた辞典のような本があった。
――だが、光っていない。
それぞれの箱の背表紙には、金の文字で刻まれていた――
記録の書「異世界編」
記録の書「現実世界編」
由奈はしゃがんでそっと手に取った。
「“記録の書”って、なんの記録だろうね?」
「“異世界編”と“現実世界編”って、どういうこと?」
由奈が外箱を少し持ち上げて言った。
「私、これ、読んでみるよ」
「えっ、これ、結構たくさんあるし分厚そうだよ」
「うん、でも、読みたくなった」
「そっか。由奈ならわりとすぐ読めちゃったりして」
「あはは、どうかな」
由奈は「異世界編」を抱えて閲覧室に行き、本をテーブルに置いて一巻を開いた。
最初の数ページを読んだかと思うと、もう次のページをめくっている。
さらに数分後には、ぱらり、ぱらりと一定のリズムでページをめくり続けていた。
桂花はぼそりと呟いた。
「由奈、夢中になると早いもんなぁ」
由奈は黙々と読んでいて反応しなかった。
桂花は司書さんのところに行き、小声で言った。
「由奈が書庫で見つけた本を読み始めたんです。すごく分厚くて」
「そう。それは、桂花ちゃん、しばらく退屈だね」
「はい」
桂花は司書さんと顔を見合わせ、小さく笑った。
それから、昼休みと放課後、それぞれ三十分ずつ、由奈は図書室で「異世界編」を読み続けた。
「由奈ちゃん、その本、借りていって家で読んだらいいのに」
司書さんにそう言われても由奈は頑なに学校で読んでいた。
一週間と数日経った日の放課後――
この日も朝から雨降りで外は薄暗かった。
由奈の隣で漢字ドリルの宿題をやっていた桂花の目の端に、由奈が最後の一巻の裏表紙を閉じたのが見えた。
「由奈、読み終わった?面白かった?」
由奈が桂花を見た。
「えっとね……異世界転移ってわかる?」
「異世界?」
「こことは違う世界のこと。外国、とかじゃなくてさ」
「うん、なんとなくわかる」
「若者が異世界に行って魔王を封印する話。
強くなるために修行したり、旅したりするの」
「へぇ、なんか、RPGによくありそうな?」
「そうだね。あと、冒険する以外にも、異世界の人たちと仲間になったり一緒に生活したりしてることも書かれてたよ」
「ゲームのキャラや町の人との会話とか想像するけど、そういうのが書かれてる感じ?」
「そうだね、そんな感じ」
由奈はパラパラと本をめくりながら話した。
桂花は、細かな活字に眉を寄せて本をじっと見た。
そして、最初のページに記された文言に目を止める。
体は時に縛られ、魂は時を超える。
記録の書は時空を渡る舟。
体は“縛られた時”の姿へ戻るが、
心に刻まれし年輪は消えぬ。
――それは、「時空を駆ける者」に与えられし力。
桂花は眉をひそめた。
「……なにこれ、読む気しないし」
由奈は笑ってページをめくった。
「ここは難しそうだけどさ、こういうのばっかりでもないよ」
「ほんとに?」
由奈が別のページを開いた。
「うん、こことかさ」
桂花は少し目を通した。
登場人物が、剣や魔法を駆使して魔物に挑む場面。
「確かに……読みやすい。これ、わりと好きかも」
「でしょ? 桂ちゃん、こういうの好きだと思った」
由奈が笑った。
「冒険のことだけじゃなくて恋愛のことも載ってたよ」
由奈が指した箇所を桂花も覗き込んだ。
そこには冒険の最中に芽生える心の揺れが描かれていた。
(一緒に異世界に行った人同士の恋愛ならいいけど。
これって、異世界の人との恋愛だよね……)
「ねぇ由奈、この人って、この後……」
桂花が由奈に声をかけたそのとき――背後から声が聞こえた。
「おまえら、よくそんな分厚いの読んでんなぁ」
「え?」
由奈と桂花は声の方を見た。
――健斗と晴基だった。
桂花は思わず声に出した。
「絶対ここに用事ない二人だ」
晴基が苦笑した。
「ははっ、小藤さん、ひでぇし。
俺らだって図書室来るよな?」
「来るし」
健斗が頷いた。
「あっ、図書当番?」
由奈が思い出したように言った。
「そうそう」
「じゃなきゃ、来ねーし」
健斗が笑って、ふざけた体勢でそばのソファに沈み込んだ。
晴基も健斗の隣に座った。
桂花は目を泳がせた。
(……高野と古山は、こういうの、絶対読まないよね。
それに、あのときの光った本だとも思ってなさそう)
健斗は、早速、由奈に軽口を飛ばし由奈も負けじと返していた。
「ここ、図書室だから静かにしなよ。図書委員でしょ」
「お前もうるせーし」
「あんたが変なこと言ってくるから」
(やっぱり、由奈って他の女子より高野と近い気がするけどな。
……ある意味、渡瀬さんよりも)
桂花は二人のやりとりを見ながらそんなふうに考えていると、晴基が冗談めかして言った。
「健斗、由奈と仲いいよな」
桂花は晴基を見た。
(やっぱ、そう言いたくなるよね)
「は?んなわけねーよ、こんな地味なやつ。女子じゃねーし」
健斗が返すと、由奈はむっとして睨み返した。
「なに言ってんの?仲良くなんてないから」
桂花は首を傾げた。
(由奈って、地味かな……?
そりゃあ、渡瀬さんと比べたらおとなしく見えるしノリは良くないかもしれないけど……。
でも、由奈が面白い子だって、高野だってわかってそうだけどな)
「……由奈って地味かな?」
桂花はハッとして口を手で押さえた。
(思わず口から出ちゃった)
目の前にいる三人は言い合いをしていた。
(よかった。聞こえてなかったみたい。
由奈は、高野のこと、なんとも思ってないのかな。
高野と仲はいいけど……)
桂花は由奈に視線を送る男子の方をちらっと見た。
(……足立も由奈とよく話してるしな)
「桂花、帰ろ」
突然、由奈が言った。
「へ?」
「もう、読書済んだしさ」
「あ、うん。でも、私、もう少しこの本……」
「夏休み、来て読もうよ」
由奈はそう言って広げた本を外箱に収めた。
桂花は慌てて荷物をまとめた。
「いいなぁ、帰れるのかー」
健斗がおどけて言った。
「うん、じゃあね」
由奈は本を持って歩き始めた。
そして、本の整理をしていた司書さんのところへ行った。
「あの、この本、夏休みにも読みに来たいんです。私は読み終わったけど、桂花も読みたいって」
司書さんは顔を上げて微笑んだ。
「そう。じゃ、カウンターの中に置いておくわ」
「やった、ありがとうございます」
「桂花ちゃんも、読書がんばるのね?」
司書さんは桂花に笑顔を向けた。
「えっ、は、はい……」
「じゃ、司書さん、また明日。さよなら」
「さよなら。気をつけて帰ってね」
それから由奈は桂花の手を引いて図書室から出た。
(由奈、急に帰るって言うし、夏休みにも来ることになったし。
ま、いいけど)
「私も、もうひとつの方も読みたいからさ。
夏休みも一緒に図書室来よう」
由奈が振り返って言った。
桂花は小さく微笑んだ。
「うん」
――昇降口から出ると、いつの間にか雨は上がっていた。
薄い青空が覗いていて、濡れた校庭が光を受けて静かに輝いていた。
二人は並んで歩き出した。




