第50話-A 高校1年生 ~出発当日~
8月14日(月)
朝の光が、カーテンの隙間から差し込む。
外はすでに蝉の声。
由奈は、出勤する両親を見送りたくて、いつも間に合うように早く起きた。
夏休み中は両親が出かけた後に起きることも多い。
由奈が起きていくと、両親は少し驚いた顔をした。
「起きちゃったから、一緒にごはん食べていい?」
「もちろんいいけど……」
由奈は席に着いて食べ始める。
両親は今夜のことを話している。
「今日はできるだけ早めに帰るようにするよ」
「そうね、私も早めに帰るようにするわ。せっかくみんな来てるものね」
「みんな、きっと今日はどこかに出かけるだろうな」
「そうね、いいわね」
「由奈は、今日は友達に会うって言ってたな」
「うん」
父親から話を振られて、由奈は短く答えた。
「また、夜、みんなと遊べるわね」
「うん」
そして、先に家を出る父親を見送った。
「由奈も出かけるなら、気をつけてな」
「うん。行ってらっしゃい」
父親より少し後に母親を見送る。
「じゃ、葉太のこと、おばあちゃんにお願いしておいてね」
「……うん」
「じゃ、行ってきます」
母親は、小さく微笑んで出かけて行った。
扉が閉まり、由奈は小さくため息をついた。
時計を見ると、7時半過ぎ。
(落ち着かないな。
けど、ちゃんと頭が働くようにしておかないと)
8時半にスマホのアラームをセットし、居間のソファで横になる。
(寝れるかな……)
観る気もなく流していた朝のワイドショーの声が少し遠ざかる。
知らないうちに眠っていて、目覚ましに起こされた。
(思ったより、よく寝れたな)
由奈がソファから体を起こして伸びをしていると、葉太が起きてきた。
「おはよう」
「おはよ。朝ごはん、用意してあるよ」
「うん」
葉太は少し眠そうにしている。
顔を洗い、食事が用意してあるテーブルについて朝ごはんを食べ始めた。
由奈はその様子を少し眺めて声をかける。
「葉太、今日、私、桂花と出かけるね」
「わかった。
おばあちゃんとこでみんなと遊ぶ」
葉太は、由奈の方を見ずに答えた。
由奈は気づかれないようにため息をついた。
(あーあ、いいな、葉太は)
その時、桂花からのメッセージが入った。
「10時頃、そっち行くね」
「うん、待ってます」
由奈は返信し、葉太の前に座った。
葉太は少しだけこちらを見たが、気にしない様子で朝食を続ける。
(葉太なら、ゲーム好きだし異世界のこと信じるかな)
(でも、葉太はきっと、大人に話しちゃう)
(やっぱり、誰にも話せないな……)
「お昼は、おばあちゃんに頼んでおくね」
「うん」
葉太はちらっと由奈を見て頷いた。
由奈は小さくため息をついた。
この家を出る瞬間を、両親に見られないのは救いだ。
どうせ、葉太は由奈が出かける時なんて、気にしない。
(……よし、着替えよう)
自分の部屋で部屋着を着替える。
桂花と打ち合わせした、“ちょうどいいちゃんとした服”。
そして――
祖父母の家に行くと、既に賑やかだった。
「あっ、由奈ちゃん、おはよう」
伯母が気づいて声をかけてくれた。
「うん。おはよう。
みんな、もう起きてるんだね」
「そう。賑やかでしょ。
由奈ちゃん、今日はお友達と出かけるの?」
「うん。おばあちゃんに、葉太のお願いしてくるね」
洗濯物を干しているおばあさんに声をかけた。
「おはよう。もう出かけるの?」
由奈は頷く。
「ちょっと……桂花と」
「そう、気を付けてね。葉太も、そのうちこちらに来るわよね」
「うん。お母さんが、お願いしますって」
「わかったわ。由奈ちゃんも、また夜にね」
「うん……。
おじいちゃんは?」
「今日は仕事」
「そっか……。じゃ、私も出かける準備するね」
「いってらっしゃい」
いつもの笑顔で言われると、ふと涙が込み上がりそうになった。
慌てておばあさんに背を向ける。
(ここで泣いたらおかしいし)
どうにか堪え、親戚たちに挨拶して自分の部屋に戻った。
二階の自分の部屋に直行して呼吸を整え、下の部屋を覗きに行くと、葉太はいなかった。
(もう、おばあちゃんのところに行ったんだな)
(……今のうちに荷物)
預かっていた桂花のキャリーケース。
二人分のキャリーケースは一度には運べない。
桂花から、「着いたよ」とメッセージが来た。
自宅の玄関を開けると、桂花が立っていた。
「おはよう」
桂花が表情なく言う。
「おはよ。これね」
桂花の荷物を指した。
玄関を閉める音が、やけに大きく響く。
風がぬるい。
夏の朝特有の湿気が、肌に貼りつく。
蝉の声の向こうから、車の音。
「ありがと。じゃ、行こっか」
桂花が荷物を受け取りながら、由奈の顔を見た。
「うん」
最後に振り返る。
「今日は、おばあさんと葉太くんだけ?」
桂花も“ちょうどいいちゃんとした服”を着ている。
「ううん。実は、昨日から親戚が来ててさ。昨日から賑やかなの」
「そっか。せっかくなのにね」
「うん……。
うちのお父さんとお母さんは仕事だけどね。
……二人の見送りはできたけど、おじいちゃんには会えなかったな」
「私は、いつも通りの家から出てきただけ。
荷物はここだから。変に思われなかったし。
……まぁ、うちは、由奈んとこみたいな感じでもないからさ」
「そっか」
「……うん。行こうか」
志野先生とは、14時に小学校の玄関前で待ち合わせている。
その前に、四人で集まって昼食を摂ることにしている。
二人は荷物を引っ張りながら、待ち合わせ場所に向かって歩き出した。
――11時。
最近、よく集まるファミレス。
先に着いていた晴基が店内から手を振る。
健斗もすぐ隣で、手を挙げている。
あまり人目に付かない席で、由奈も桂花も比較的安心して過ごせる席。
「お、荷物でかっ」
「いやー、女子はそんなもんか」
「そっち、荷物小さいねー」
「特に、高野」
そんな軽い会話で始まるのに、全員の中で言葉にできない緊張が漂っている。
店内の空気、いつも通りのざわめき。
健斗と晴基の向かいに座ると、少しだけほっとした。
家を出てきた時の落ち着かなさが、少しだけ薄れる。
(このまま昼を食べて笑って帰る、そんな“普通”には戻れない。
……みんな、同じ気持ちだよね)
「早速、食べるか」
晴基がメニューをめくりながら言う。
由奈が頷いた。
「そうだね。向こうでは、どうなるかわかんないし」
健斗が苦笑した。
「どうなるかわかんないって……」
桂花はさらりと言った。
「でも、確かにそうだよね」
健斗は三人の淡々とした様子を見て、静かにメニューを開いた。
しばらくして運ばれてきた食事の湯気、それにフォークとナイフの音が、この場所だけ時間をゆっくり進めているように感じられた。
窓の外では、夏の陽射しが白く揺れている。
いつもの昼下がりとよく似ている。
「とりあえずさ、二週間あっちに滞在してみて、一度、戻るのを目標にするか」
晴基が三人を見て言った。
「いいな、それ」
「うん、なんか気持ちが軽くなるかも」
なんとなく緊張していた場の空気が和らぐ。
食べ終わった頃、健斗がいかにも軽そうな自分のスポーツバッグを指して言った。
「ここにさ、ポテチ入ってんだよ。今夜、みんなで食べない?」
一瞬の沈黙。
「え?」
健斗はみんなの反応が意外そうな顔をした。
「お前、荷物少なそうだと思ったけど、そこにポテチとか入ってんの?」
晴基が驚いた声で言った。
由奈が健斗のバッグを見て言った。
「ほんとだ。言われてみれば確かに」
健斗はバッグを持ち上げた。
「普通に三袋入ってる」
「マジか。強気だな、お前」
「なんかすごいねー、高野は」
「でも、みんなでポテチ食べれるの、楽しみかも」
「だろ」
健斗が笑う。
そのまま、四人の間に笑いが広がった。
(こういうところ、高野くんらしいな)
由奈は健斗を見ながら、ふと思った。
(みんな、この笑顔に惹きつけられてたんだよね)
(……あの頃の面影、あるな)
健斗と目が合いそうになって、慌てて顔を逸らした。
そのまま時計を見ると、もう13時を少し過ぎていた。
「あっ。志野先生との待ち合わせ、14時だよね」
「ああ。そろそろ出ないとな」
四人は立ち上がった。
レジに並びながら由奈は桂花に言った。
「この店から出るのも、なんか、ね……」
「うん……」
ドアを出ると、夏の光がまぶしい。
「……行こうか」
由奈がそう言うと、みんな頷いた。
そして、小学校に向かって歩き始めた。




