PLAY.16 追跡者と、逃亡者が交わる未来に光はあるか
とん、とん、とん……
あたしは、レンの家の玄関を出て、2、3歩歩いたところで空を仰いだ。
地面には、すのこが敷かれていて、歩くと可愛らしい音が鳴った。
「そうカンタンにはいかないよね……」
自分の中に生まれた感情が消化できなくて気持ち悪い。焦るのに、イライラする。苦しいのに嬉しい。悲しいけど嫌じゃない。なんだか、怖い。
パタン
背後に人の気配を感じた。
後ろを振り返るまでもない。カインだ。
彼は静かにドアを閉めて、一歩あたしの方に歩み寄る。
手を伸ばせば届くか、届かないかという距離だ。
視線を感じるが彼を見ることができない。
何も言わない、漆黒の軍服。
「ーー」
ざぁぁぁ、、、ん
さぁぁあん、ざん、さん、さん……さん……
崖の下には、セレーネ海だ。
小さな波を立てて、崖に打ち付けられる、キラキラとした水しぶきは、泣きそうになってるあたしには、少し物足りない刺激だった。
荒い波なら、大泣きしていたかもしれない。
仰いだ太陽は、西に傾いていて、雲に半分隠れているのが肉眼で確認できた。
「……」
カインもあたしも黙っている。
ざぁん、さん、さん、さん……っ
波の音が鼓膜をくすぐる。
ちゃりちゃり、と彼が腰から下げている短剣の金具が繊細な金属音を立てる。
ばさ、という音がしたのは、カインが自分のマントを背後にさばいていなしたからだろう。
やはり、崖の上は風が少し強い。
「……っちょっと、カイン。
なんでついてくんのよ!」
「ニケが、逃げるからだ」
つっけんどんな、いつものカインの応えに、あたしの涙腺が意味もなく緩む。
「何それ、それも、家訓?」
涙で滲んだ声を隠しながら、なんとか嫌味を言う。
「いや、経験則か。
こんなときの女は落とし時だからな」
こいつの嫌味なとこは、こういうデリカシーのないことを悪気なく言うところだ。
「台無しだわ」
「ふん、馬鹿な貴様には、あけすけな位があつらえ向きだろうが」
前髪をかきあげながら、カインは言って、腕を組んでから溜息をついた。
「ーー三年間も居たのね、あの人」
あたしは遠く、セレーネ海を見た。
どこまでも続くエメラルドブルーは、眺めているだけで荒んだ心を鎮めてくれる。
小学生の頃、担任が海は世界のどこにでも繋がってるのだと教えてくれた。でも、この海の向こうに、日本はない。
「あんな天才、人生で初めて会ったわ」
「ああ、マミヤか」
「ねぇ、あたしがココに来た時、どーだったの?」
投げやりな言い方で、あたしは聞いた。
振り向かないまま、カインの気配を伺う。
「あ? ああ、びっくりしたが」
「いや、そうゆうんじゃなくて」
カインは胸元からタバコを出した。
マッチで火をつける気配がする。
出先ではキセルは吸わないらしい。
しばらくして、カインから独特な香りが漂ってきた。
何度か外で吸っていた奴だ。
ココア色をしたタバコ。
その煙はバニラの香りがして、あまったるい。
そういえば、あたしの世界にも、海外の葉巻に、こんな感じのがあった。やたらめったら甘いのだ。
すぱー、と煙を吹くカインをチラリと盗み見る。
壁に少しだけ体重を預けて、眉間にシワを寄せて、小さく口を開けて地面を見ている。
「ーーまあ、マミヤが一生懸命元の世界に戻る方法を試行錯誤しているのは知っていたからな。むこうの話も聞いていたし。
まさかな、とは思った。
ほっとけなかったんだ。
あの時は……」
「カイン」
あたしはカインに振り向いた。
ペリドットの瞳は、半分伏せられている。太陽の光を受けて黄金がかってみえる。
少し、心臓が跳ねる。
肋骨の中でころころと、転がっているような感覚を覚えてしまう。
「なんたって、素っ裸だっーー」
「ぎやぁぁぁぁぁっっ!」
あたしは反射的に大声を出した。
「ほんと、あんたって性格悪いわ!」
あたしは人差し指をカインに指しつつ、その腕をぶんぶん、と振った。
せっかくいい雰囲気だったのに、と内心残念に思う。いや、流される訳にはいかないんだけど。女のプライドかけて!
と、あたしが自分の心と戦っている時だった。
「ふ、ニケはそうやって怒っている方がいい」
そう言って、カインは小さく破顔してみせた。
「え?」
あたしは自分が見たものを信じられずに、動きを止めて彼を見つめる。
「あ? なんだ?」
不思議そうにガンを垂れるおっさんカイン。
「……いや、あんたもそんな風に笑うのね」
口から本音がダダ漏れした。
「喜怒哀楽は持ち合わせているが」
馬鹿にしたような顔を向ける仏頂面がデフォルトの中佐は、そう言って空に向かって煙を吐いた。
「あー、もうなんか疲れてきたわ」
あたしは、よろよろとカインの足元まで行って、しゃがみこんだ。
「あたしバカみたい……」
「安心しろ、大概馬鹿だ」
「もう、あんたは黙ってて!」
磨かれた彼のロングブーツには、土がこびりついている。つま先はスクエア型で少し天を向いていた。
いつでも人のことを見下しているカインに似合いの靴だと思う。
「ニケのくせに、難しいことを考えるからだ。ほらみろ、自爆したじゃねぇか。自爆女め」
カインはタバコを咥えたままで、腰を下ろした。
コンビニの前にこんなヤンキー座りの兄ちゃんよくいるな、と、どうでもいいことを思う。
「うっさいわーー」
と、あたしが言い返そうと顔を上げた時だった。
ぽんぽん
カインの黒手袋が、あたしの頭に乗っかって、二度優しくたたく。
「?!」
あたしは何が起こったのかわからなかったので、勢いをもって顔をあげた。
「近っ!?」
目の前に、カインの顔があった。彼の息がかかるくらいの距離だ。
カインはあたしの事をじっと見つめてから、
わしゃわしゃっとあたしの頭を撫でた。
「なに、っ!?」
思った以上のあたたかさとトキメキに襲われてしまい、あたしは後ろにひっくり返りそうになる。
「ひゃあっ!」
カインは、すかさずあたしの背中を支えて態勢を戻してくれた。
「ったく、考えなしが」
彼はタバコを右手で持ち、ゆっくりと細く甘い煙を吐いてから、
「ーーーー俺はマミヤを見ていたから、分かってた。
だから、正直言っちまえば、ニケと奴を会わせたくなかった」
と言った。
「ひどいなぁ、何それ」
ーーだから、あの時もあの時もごまかしたのか。
過去の彼の行動に合点がいく。ぜんぶ、あたしのためだったのかと思うと、心が踊ってしまう。
「ぜんぶ、知ってたの……」
「…………」
ふる、とまぶたがヒクついた。
眉根が寄る。泣きそうだ。
涙と一緒に冷静に分析された現実までおちてくる。今泣くわけにはいない。顎をあげて涙の落下を抑える。
ーー確かにマミヤはすごい。
でも。
そのマミヤでさえも、三年かかっても元の世界に戻ることは出来ていない。
不安が、はっきりと現実になっていく感覚を受けて、胃袋の底が軋む。
【すぐには帰れない】
希望があるにしても、絶望の方が数倍大きく感じる。
【このまま帰れないかもしれない】
カインが口を開く。やけにゆるりとした動きだった。
あたしを気遣っているのだろうか。いつもより少しだけゆっくりとした口調で、
「マミヤの研究は、レンの隠れ蓑があってこそだ。レンはこの国でも指折りの錬金術師だからな。
万が一、マミヤがやっている実験が公になり、異世界から貴様のような人間が来たことがバレれば、マミヤの命が危ない」
と言った。
「なんで?」
「上の人間どもは、新しいものに理解がないからな。
平和ボケしているディグニティエ皇国は、一見平和な国だが、先の戦争で受けた傷をずっと引いている。
謀反をする人間だと疑われ、処刑される可能性もないわけじゃない」
「あ……」
あたしは寒気がして、しゃがんだまま膝を抱えた。
「ニケにマミヤを会わせるのは、もう少し、後になってからとは思っていた。
まあ、無駄な努力だったが」
困り顔をしながら、無理やり微笑むカイン。
見たこともない表情に、あたしは心の奥がチリチリと焼け付く感じがした。
ーーなんなの、この感覚。
いつもみたいに意地悪で上から目線のカインはログアウトしちゃったわけ?
カインが触れたところが、なんだか熱い気がして、あたしは小さくかぶりを振った。
「……帰りたいか?」
カインがあたしの顔を覗き込む。
恋人に向けるような、熱のこもった声だった。
視線を感じるけど、ここで顔をあげたら、変な顔をしているのがバレてしまう。
色々一気に情報開示されてしまったものだから、頭がついていっていない。
きっと今、すごいブス面してる。
何より、カインの見たこともない表情はあたしの落ち着きを完全に駆逐してしまっている。
あたしは顔もあげずに沈黙するしかなかった。
「まったく、だんまりかよ」
くしゃ
痺れを切らしたカインは、あたしの頭をもう一度撫でてから、する、と毛先に手のひらを移す。
さら、
猫っ毛の栗色の髪が、カインの革手袋に巻きついているのが見えた。
「ーーーー帰りたい」
あたしは、少し勢いをつけて言った。
どくん、どくん、どくん、どくん、
心臓が五月蝿い。
あたしは地面に穴が開くほど足元を見ていた。
カインはしばらく黙っていたけれど、
「そうか」
と言って、髪の毛から、する、と手を離した。
「っ」
離れていく手を、あたしは確かに目で追った。
カインはタバコを地面に擦りつけて火を消す。
「気が済んだら、戻ってこい」
いつもの滑舌のよいテノールでそう告げると、一人、家の中に入って行った。
ぱたん。
ドアが閉まる音が聞こえた。
すぐ近くなのに、すごく遠い。
ぱた、……ぱた……っっぱたたっ……
雫がすのこにシミを作っていく。
「ふっ、な、によ、これっ」
目から、音もなく涙が溢れていた。
我慢の限界だった。
カインが残した熱は、髪にいつまでも残っているようで、
カインに置いていかれたのが、
当たり前のことなのに寂しくて。
自分の口から出た言葉が悲しくて。
「っく、う、……くぅ、ふ、」
あたしは一人、声を殺して泣いた。




