PLAY.11 月光は二人を少し近づける。そんな甘いのいかがです?
あたしがカインの自室に戻ると、
部屋の中は暗く、シャンデリアの灯りも落とされた後だった。
冷たい夜風がおでこをなでる。
部屋の窓が開け放たれている。
この国は湿気もないので、夜は涼しく過ごしやすい。
「カイン?」
寝てしまったのだろうか、とあたしは彼の名前を呼んだ。
目を凝らしてベッドの上を見るが誰もいない。
がちゃん
あたしは後ろ手で部屋の鍵を閉める。
部屋に敷かれたワインレッドの絨毯は、
闇の中で深いバイオレットに照らされている。
薄いふわふわとそよぐカーテンのそばに、2人がけのテーブルと椅子がある。
その上に鎮座する花束を見て、あたしは小さく感嘆を上げる。
「すごい量ね、さすがに」
底の広い陶器の花瓶にどっさりと入れられた太陽の黄色。
それは、夜の黄色に照らされて青く、黄色く、白く、そして淡くその力強い美しさを晒している。
ネイキッドからの黄色い薔薇は、とても大切そうに生けられていた。
「なんか、意外」
そばに寄って、薔薇の花びらを人差し指で撫でつけた。
するりと滑らかな花弁は、冷たい刺激をくれる。
「花に罪はないだろう」
テノールの声に顔を上げた。
「わ、居るなら返事してよ」
あたしは一人で浸っていたのが恥ずかしくて声を荒げた。
「月が綺麗だった」
カインは短く告げると、
かたん
ベランダから部屋に戻ってくる。
手に持っていたキセルをテーブルに置く。
黒いスラックスに、白いシャツを着ているドS中佐は、すっかり寛ぎモードだ。そのボタンは開けられて肌が少しは覗いている。
「これ、カインがやったの?」
黄色い薔薇を指差す。
「あ?」
「あ、いえ、なんでも……」
そんなに睨まなくてもいいじゃんかとむくれる。
ヒール大佐曰く、
カインは、今まで組んできた相棒を《叶え屋》の現場に連れて行くことはなかった、と。
でも。
ーーあたしを連れて行ってることに、さして意味はないように思う。
特別なんだ、とか期待するだけバカを見そうで、
あたしは自分の中に生まれたプワプワした柔らかい感情を、自ら握り潰した。
振り切るように、明るめのトーンで話しかける。
「ねぇ、カイン。
あなたはずっとこの国で生きてきたの?」
「ああ、そうだが」
「すごいわね。こんな綺麗な世界で生まれて、生きてきて」
あたしの小さな決意は、夜のセレーネ海と月光の前では無力で、
だから。
「そしたら、あんたみたいに綺麗な瞳が持てるのかな」
ーーらしくないことを、言った。
世界がなんだか優しい気がした。
月明かりが淡く青く照らすから、
胃袋がふわりと浮いているみたいだ。
カインは、あたしを一度見たけれど、
あたしはセレーネ海をじっと見て、カインを見なかった。
カインの感情は全く動く気配はなくて、
それがなんだか安心できた。
「……」
そうしてしばらく黙っていると、
カインはうなじをばりばりと掻いてから、
「調子狂う事言うんじゃねぇよ」
と小さく呟いた。
ぱきん、と小さく心が割れる。
「あはは、なんだろね、ホームシックっていうか」
なんだか、よく分からない流れに流されてしまいそうで、あたしは空気を読めないままにカインを見上げた。
「やだなぁ、カインってば。
いつもみたいにテキトーにあしらってよ」
カラカラと笑うのに、カインが微動だにせずに見下ろしてるもんだから間がもたない。
やめて、その目を向けて見つめないでよ、そう思いたいのに、本心は真逆な方向に走っていく。
「ーーーーそゆの無理だって」
「ニケ?」
あたしは精一杯の笑顔で笑う。
なぜか、とても泣きたくなっている。
気が緩んだら泣き出しそうな自分が怖かった。
カインの声はなんだか掠れて聞こえた。なんなの、なんなの、この甘いの。
そっと、カインの黒い革手袋があたしの肩に触れた。
ほんの少し、人差し指と中指の“ハラ”だけ。
それだけのことなのに。
びくん。
あたしの肩は震えた。
カインの指が僅かに離れる。
目の前にはカインの逞しい胸がある。
白いシャツがはだけていた。
見慣れたはずの少し焼けた肌に、
ゴツゴツした上半身に、
今更鼓動が早鐘を鳴らし始める。
二人は、無言の取引を仕掛け始めている。
望みの見えない取引だ。
張り詰めているのは、心と空気の両方だった。
それは、あたしのものだけではないと、
そう思ったのは、ちらりと盗み見た彼の眉が、少し困っていたからだ。
「ぁ」
否定をするための声は、なぜか声にならない。
声帯はうまく働いてくれない。
まるで、言葉の生成を拒絶しているように。
「ニケ」
「ッ」
砂糖菓子よりも甘い声は、あたしの名前を呼んでいた。
確かにカインの声だった。
《総司じゃない》
そんなこと、わかってることだろうに、脳髄が強く主張してきた。
「なぜだろうな?」
カインが小首を傾げる。
その顔は、ゆがんでいる割に、
厚めの唇は笑みを刻み、
どこか困った眉の下にある二つの瞳は細められていた。
これはどんな感情なのか、聞かれれば答えられない。
ピラミッドがどうして作られたのか、リンゴはなぜリンゴというのか、そんな質問の方がよほどカンタンだと思う。
ただ。
カインのその時の声は、
聞いたことのない音で、
あたしの魂をまるごと救ってくれるようなものだった。
ーー縋ってしまいたくなる。
「カイン、困るよ」
「何がだ?」
「そんな顔が、なぜか嬉しいんだもん」
あたしは笑う。
カインは、そのままあたしを抱き寄せた。
「わっ?!」
「少し黙れ」
耳元で囁かれれば、膝から崩れ落ちそうになる。
ああ、困るなぁ、こういうのに免疫はないのに。
「ニケが悪い。
そんな顔をした女は抱くしかない」
「ちょ、どんなルールよ、それ」
「家訓だ」
「ぷっ、は、はは、やだもう、ッ」
あたしは吹き出してしまう。
笑いがカインのシャツにこもって熱い……いや、暑い。
「く、くすぐってぇだろうが」
カインが身体を離す。
あたしは涙で滲む目を拭いつつ彼を見上げた。
カインは、少年みたいな顔をして口をへの字にしている。
なんだかおかしくて、さらに声に出して笑ってしまった。
しばらく笑いあうと、あたしたちはどちらともなくベッドに腰掛けた。
「ニケよ、貴様の世界にもあの花はあるのか?」
何をするでもなく黄色い薔薇を見ていた。
二人の間には、五センチの空間が空いている。どちらともなく空けたギリギリの立ち入り禁止ラインだ。
「あるわ。なんだか懐かしい。いろんな色があるの」
「ほう」
月は海にキスをするべく近づいてきている。
窓枠から見える真珠は、なんと美しいことだろう。
「なあ、ニケよ」
「なによ?」
「明日、買い物にいこう」
カインは、前を見据えていた。
あたしもそれにならう。
「買い物?」
「ああ、いやか?」
「ううん、でもなんか買い物?」
「報酬、もらっただろうが」
報酬、さっきもらった金貨のことだろう。
「服だの、なんだの、女は金がかかるって言うからな」
「はぁ」
あたしに何か買ってくれるということだろうか。
意味がわからなくて、間の抜けた声が出る。
「あのネイキッドの野郎から来た薔薇、明日以降は寝室から出したい」
「え? なんで?」
「ーー俺は貴様を気に入っている」
カインは、あたしの方を見て、ぶっきらぼうにそう言った。
やたら滑舌良く。
「え? 何?? 話が見えないんですけど!?」
話が繋がらないが、彼の好意的なセリフに驚いた。
全身が火を吹きそうになるが、今までの所業を考えて、無理矢理平常心を取り戻す。
「そのままの意味だ。
貴様は退屈を寄越さないからな」
あたしは隣に座るカインを覗き込んだ。
彼はデフォルトの不敵な笑みを浮かべている。
「意味わかんないけど、じゃあ少しはあたしのこと丁寧に扱ってよね」
ため息をつく。
どうせからかっているんだろうとどこか残念に感じている自分がいた。
「は?」
とカインは返す。
「は? とは何よ。
気に入っている相棒なら、もうちょっち丁寧に扱えって言ってんのよ」
あたしは人差し指をおっ立てて啖呵を切る。
カインは、がりがりとうなじを掻いてから、大きな舌打ちをした。
これは明らかに「チッ」というセリフだろうと言えるほどの舌打ちを。
「ーーーー寝るぞ」
それだけ言うと、カインは大げさにシーツをめくった。
あたしはごろりとベッドに転がってしまう。
「ちょっと!?」
シーツの中から、にゅ、と長い腕が伸びてきたと思うと、あたしの腕を掴んだ。
ぐいっ。
拒否権は完全に黙殺されている。
シーツの中に引き込まれたあたしは、カインの両腕にあたしは正面からすっぽりと包まれてしまった。
「まだ寝間着じゃないんですけど!」
「俺は脱いだ」
「自己中!!」
確かにいつのまにかカインは上半身裸である。
「文句を言うな」
カインはそのまま寝息を立て始めてしまう。
「嘘でしょー、もうっ」
ぐい、と持ち上げようにも、がっつりホールドされていて身をよじることもできない。
カインの腕が触れる自分の二の腕が異常に汗をかいている気がした。
意識している自分が恥ずかしい。
ヒール大佐が変なことを言うからだ。
「…………」
しばし、動かないでいたが、
状況は全く変わらない。
寝れるわけない。
時間が経つほどに、あたしは変な緊張感に苛まれていく。
何を隠そう、あたしは寝る時はいつも一人だったのだ。
朝はカインと寝ているけど、
でもそれも背中から抱っこされている状態だった。
つまり。
正面からは、……未体験だ。
「ますます、寝れなくなってきた」
見上げるカインは、すやすやと眠っている。
「すぅ、すぅ、」
さらりと揺れる漆黒の前髪に、太めの眉毛。
すこし尖った耳たぶ。
吐く呼吸は短めだ。
月光を正面から受けていた。
どくん、
「やめてよ、好きみたいじゃん」
そっと、そっと触れた彼の頬は、触れた瞬間ぴくりと跳ねた。




