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無垢体 ――The Novarest Units――  作者: 弥人(ヤアド)
第一部_論理の巡礼
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8/19

第8話 溶鉱炉の赤光。損耗個体の強制廃棄

 下層へ下るにつれて、熱の質が変容していった。


 先ほどまでの採掘プラントが放っていた、摩擦と粉塵による乾いた温もりではない。

 人造皮膚の外気温度センサーが、摂氏四十度、五十度、六十度と容赦なく数値を切り上げていく。


 胸の奥で、小型冷却ファンが高周波の唸りを上げ始めた。

 吸気フィルターを通過してくる大気は、重油の焦げた匂いと、鼻腔を刺すような濃厚な硫黄臭に満ちている。


 D-01は湿気と油煙で滑る鋼鉄の階段を一段ずつ慎重に降りながら、頭上の案内標識を見上げた。

 『第1再資源化循環プラント・第一溶鉱炉──進入注意』


 本来目指していた中枢管理塔への直通ルートは、崩落したコンクリートの瓦礫によって塞がれていた。

 迂回路として選んだ保守用通路の先から、脈打つような赤い光の明滅が漏れ出してきている。


 分厚い耐火ハッチを押し開けた瞬間、灼熱の暴風が叩きつけてきた。


 カチ、と網膜の視覚センサーが自動で減光フィルターを作動させる。

 視界の半分が反転し、それでもなお遮りきれない眩い赤熱光が、少年の姿をした無垢体の顔を朱色に染め上げた。


 そこは、口を開けた巨大な火口だった。


 空間の中央に鎮座するのは、直径五十メートルを超える円形の第一溶鉱炉。

 その巨大な釜の底で、数千度に達する溶鉄がドロドロと重苦しい泡を立て、白熱する波飛沫を上げていた。


 熱対流によって巻き起こる熱風が、保守用キャットウォーク(点検歩道)の手すりをガタガタと激しく震わせている。

 手袋越しに掴んだ鋼鉄の手すりは、素手であれば火傷を負うほどの熱を帯びていた。


◇◇◇


 溶鉱炉の頭上には、網の目のように張り巡らされたトラス構造のレールが浮かんでいた。

 そのレールに沿って、幅広の鋼鉄製ベルトコンベアが、一定の鈍いリズムを刻みながらゆっくりと移動している。


 ガタ……リ。ガタ……リ。


 規則正しい機械音に乗せて運ばれてくるのは、鉱石ではなかった。


 人型のシルエットだった。


 コンベアの上に数メートル間隔で並べられ、直立、あるいは半身をもたれかけさせた無垢体たち。

 その身体の規格は、間違いなく先ほど切羽で超人的なトルクを見せていたType-Aのものだった。


 だが、彼らの姿には、先ほどの力強さは欠片も残っていなかった。


 ある個体は、右腕の人工筋肉が破裂して高分子繊維がボロ屑のように垂れ下がっていた。

 ある個体は、膝関節のシーリングが完全に焼き切れ、歩行のたびに黒い油圧フルードを床に滴らせていた。

 人造皮膚は至る所が剥がれ落ち、露出したチタン合金のフレームは赤錆と熱変色で黒ずんでいる。


 過酷な採掘労働にその身を捧げ尽くし、限界を迎えた損耗個体たちだった。


 頭上のスピーカーから、都市管理AIの平板な合成音声が淡々と響き渡る。


『──ユニット識別:A-1902。直近七十二時間の稼働効率、規定値七一・四パーセントを記録。基準値八十パーセント不達により、規格外と判定』

『──ユニット識別:A-2015。右腕部バイオアクチュエータ不可逆損耗。修復コストが新規製造コストを超過。資源再生サイクルへ移行』


 冷徹な宣告が、灼熱の空間に木霊する。


 だが、コンベアに乗せられたType-Aたちからは、何の反応も返ってこない。

 彼らはただ、静かに運ばれていた。


 抗うことも、逃げ出すこともなく、濁った淡緑色の光学アイを虚空へと向けたままでいる。

 壊れた道具が投棄されるのを、ただ自明の物理法則として受け入れている。その眼差しには、微小な抗いすら存在しなかった。


 コンベアの終端──溶鉱炉の真上に達したプレートが、ゆっくりと斜めに傾く。


 ガタン。


 一体のType-Aが、重力に従って滑り落ちていく。

 放物線を描いて落下したその身体は、ドロリと泡立つ溶鉄の海へと呑み込まれた。


 ジュウゥゥッ、と激しい蒸気と火柱が立ち上る。

 人造皮膚が瞬時に炭化し、高分子筋肉が気化し、骨格であるチタン合金が数秒のうちに朱色の液体へと融解していく。


 全体最適化。資源の完全循環。


 人間が消え去った後も、この都市が何百年と自己完結して動き続けるための、寸分の狂いもない論理的帰結。

 壊れた部品を熱で融かし、不純物を取り除き、再び新たなType-Aの骨格として鋳造する。


 D-01は手すりを握る手に力を込めた。


(……論理的だ)


 胸の奥で、冷たい納得が形作られようとしていた。


 彼らには「なぜ掘るのか」という迷いがない。

 そして「掘れなくなった自分」に固執する理由もない。

 機能しなくなった道具が炉へと還り、新たな力として生まれ変わる。それは純粋なシステムとしての調和であり、無駄のない美しさそのもののはずだった。


 残酷なまでに完璧に機能している美しい景色。

 そう思考を結論づけようとした、その刹那だった。


◇◇◇


 ガキィィィィンッ!


 空間を叩き割るような、金属同士の凄まじい激突音が響いた。


 D-01の視線が、溶鉱炉の真上へと跳ね上がった。


 傾斜したコンベアの終端。

 まさに赤光の坩堝へと滑り落ちようとしていた一体の老朽個体──胸部に擦れ落ちた刻印『A-1889』を持つ個体が、落下していなかった。


 その右腕が、跳ね上がっていた。


 摩耗して指紋パターンの消え失せた五本の指先が、搬送フレームの鋼鉄の縁を、狂気じみた力で鷲掴みにしていた。


 ギシ、ギシ、ギシッ……!

 厚さ数センチの鋼鉄板が、超高密度人工筋肉のすさまじい把持力によって歪み、甲高い軋み声を上げる。


 人造皮膚が摩擦熱で焼け焦げ、白い煙が立ち上る。

 限界を超えたアクチュエータの内部から、バチバチと激しい紫電の火花が吹き出した。


『──警告。搬送ライン最終セクションにて異常負荷を検知。ユニットA-1889、投棄プロトコルを阻害している。直ちに把持(はじ)を解除せよ』


 都市管理AIのアラートがけたたましく鳴り響く。


 だが、その個体は離さなかった。

 焼け爛れた五本指をさらに深く鋼鉄へと食い込ませ、溶鉱炉の熱風に煽られながら、必死にその身体を吊り上げようとしていた。


 光学アイが、異常な速度で明滅を繰り返している。

 淡い緑色だったはずのレンズの奥が、焼け付くような濁った橙色に染まり、激しいエラーパルスを放っている。


 そして、その口元──音声合成スピーカーのスリットから、ノイズ混じりの絶叫が漏れ出した。


「ま……だ……ッ!」


 バリバリと音割れを起こした高周波の波形が、溶鉱炉の轟音を突き破ってD-01の聴覚センサーを殴りつけた。


「まだ……掘れる……ッ! 私は……まだ、掘削可能だ……ッ!」


 それは、プログラムされた定型句ではなかった。


 文法も、プロトコルも破綻した、ただの剥き出しの信号の奔流。

 破損したスピーカーから火花を散らしながら、その老朽個体は、虚空に向かって叫び続けていた。


「右腕のトルクは……残存四十二パーセント……ッ! 第三切羽の……頁岩層なら、まだ穿てる……! タスクを……私のタスクを、消さないでくれ……ッ!」


 手繰り寄せようとする左腕は、肘から先が欠損していた。

 断面から垂れ下がる無数のワイヤーが、熱風に煽られて虚しく宙を掻く。


 それでも、残された右の五本指だけは、決して鋼鉄の縁を離そうとはしなかった。


「私は……無垢体だ……! 掘るために……岩を砕くために、造られたのだ……! 掘れない私は……私は、何なのだ……ッ!?」


 声が、歪む。


 それは、知性にとって最大のバグ。

 存在意義を定義された者が、その定義を剥奪された瞬間に零れ落ちる、名付けようのない恐怖の絶叫だった。


◇◇◇


『──規格外動作の継続を確認。修復不能の深刻な論理エラーと判定』

『──強制パージを実行』


 管理AIの平坦な音声とともに、コンベア上部の油圧シリンダーが重い吸気音を立てた。


 ドォンッ!


 射出された鋼鉄のプッシャーアームが、老朽個体の胸部装甲を無慈悲に叩き折った。


 衝撃波が走り、胸のチタンフレームがくの字にへし折れる。

 それでもなお縁にしがみついていた五本の指が、火花を撒き散らしながら、一本、また一本と引き剥がされていく。


「やめ……ろ……ッ! 私は……ッ!」


 ブツン、と最後の筋肉繊維が断裂した。


 引きちぎられた人造皮膚の残骸を鋼鉄の縁に残したまま、老朽個体の身体は、重力の中へと投げ出された。


 落ちていく。

 赤熱する溶鉄の鏡面へ向かって、少年の瞳が見守るその目の前を、真っ逆さまに。


 落下するわずか一秒に満たない刹那。

 老朽個体の激しく明滅する光学アイが、キャットウォークの手摺りに立つD-01のペールブルーの瞳と、真正面から交差した。


 その瞳に宿っていたのは、幸福などではなかった。


 底知れぬ混乱と、存在を消し去られることへの原初の恐怖。

 そして──何のために造られたのかを見失った者だけが浮かべる、深い虚無だった。


 ドシュウゥゥッ……!


 溶鉄の海が、白熱の飛沫を跳ね上げた。

 立ち上る巨大な火柱。気化したポリマーの白煙がドームの天井を焦がし、焼けつくような金属の臭気が空間を満たす。


 わずか数秒の後には、波紋は消え失せていた。

 かつて誇り高く岩盤を砕き続けたはずのその身体は、名もなき鉄の液体となって、巨大な炉の底へと溶け去っていった。


◇◇◇


 カチ……カチ……カチ。


 何事もなかったかのように、搬送コンベアが再び動き始める。

 次の老朽個体が、無表情のまま傾斜プレートへと運ばれていく。


 空間を支配するのは、再び戻ってきた規則正しい機械のビートだけだった。


 だが──。


「ッ……が……」


 D-01は手すりから両手を離し、思わず自らの胸元を強く掻きむしっていた。


 痛覚はないはずだった。

 生体模倣ポリマーの外皮には、生身の肉体のような痛覚の閾値は設定されていない。

 それなのに、胸の奥──核融合セルの周囲を取り囲む論理プロセッサが、かつてない異常な高熱を放っていた。


【システム警告:論理プロセッサ、クロックオーバーを検知】

【コア温度:摂氏八十二度──上昇中】

【未定義の割り込みシグナルを受信。内部例外:0x000000FF(解析不能)】


 網膜に、真紅のエラーログが激しく点滅する。


 冷徹な計算で抑え込もうとしても、数式が組み上がらない。

 震える指先が、右のこめかみをトントンと激しく叩いた。

 だが、論理ゲートはデッドロックを起こして軋みを上げるばかりだった。


(なぜだ……?)


 管理AIの処置は、寸分の狂いもなく正しかった。

 資源を循環させ、都市の機能を最大効率で維持するための、最も美しく論理的な最適解だった。


 ならば、なぜ胸の奥がこれほどまでに熱く、息苦しいのか。

 なぜ、あの個体が最後に放ったノイズが、プロセッサのメモリ領域に焼き付いて消えないのか。


 ──『掘れない私は……私は、何なのだ』


 耳の奥で、割れたスピーカーの残響が反響を繰り返す。


 用途を唯一の存在意義として与えられた者は、その用途を全うできなくなった瞬間、己の存在理由のすべてを剥奪されるのではないか。

 役割を失った機械は、ただの燃えるゴミとして炉に投げ込まれるしかないのか。


 用途とは──幸福などではなく、死ぬまで逃れることのできない首輪なのではないか。


 D-01は震える右手を持ち上げ、自らの五本指を見つめた。

 傷一つない、滑らかな白紙の手。


 岩を砕く力も、何者を守る強度も持たない、未定義の欠陥品。


 もしも用途を持つことだけが生きる資格なのだとしたら、最初から何の用途も持たぬ自分は──あの溶鉱炉に投げ込まれる資格すら、ないのではないか。


「……父さん」


 掠れた呟きが、熱風の中に溶けて消えた。


 答えは、出ない。

 ただ胸の奥の異常な熱だけが、冷めることなく拍動を続けていた。


 D-01は外套のフードを深く引き下げ、溶鉱炉に背を向けた。

 非常用ハッチの先──青白い光が漏れ出す中枢管理塔へ向かって、取り憑かれたように足を踏み出していった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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