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無垢体 ――The Novarest Units――  作者: 弥人(ヤアド)
第一部_論理の巡礼
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第9話 メインフレーム深部。Log.042の回収

 気密耐火扉が背後で重々しい音を立てて密閉された瞬間、世界からすべての音が消え去った。


 溶鉱炉の轟音も、煮え立つ溶鉄の泡立ちも、あの老朽個体が放った耳を劈く絶叫も。

 分厚い鉛入りの鋼鉄壁によって完全に遮断され、真空に近い静寂が訪れる。


 同時に、大気の質が劇的に反転した。


 人造皮膚の外気温度センサーが、摂氏六十度から急降下を始める。

 四十度、二十度、十度──そして、摂氏三度。


 吐き出す空気すら白く凍りつきそうな冷気が、少年の身体を包み込んだ。

 過熱していた胸の冷却ファンが次第に回転を落とし、キィン、と高い余韻を残して沈黙する。

 人造皮膚のポリマーが急激な冷却によってわずかに引き締まり、かすかな張り詰めた感覚が全身を走った。


 D-01は瞬きをし、網膜の減光フィルターを解除した。


 そこは、青い光に満たされた円筒形の巨塔だった。


 天井の見えない吹き抜けの空間を囲むように、巨大な透明アクリル円柱が何十本も立ち並んでいる。

 円柱の中を満たしているのは、不純物を極限まで排した超純水だった。


 水槽の底に沈められた量子プロセッサ群が、無音で稼働を続けている。

 深青の闇の中から、チェレンコフ光にも似た青白い光の粒子が、微細な気泡とともにゆらゆらと立ち上っていた。


 静謐。

 先ほどまでの地獄のような赤熱と煤煙が嘘のように、ここには純粋だけが澄み渡っていた。


◇◇◇


 空間の中央に、黒曜石のような光沢を放つメインコンソールが鎮座していた。


 人間が立ち去って数百年間、埃一つ被ることなく、静かに主の帰還を待ち続けていたかのような佇まい。

 操作パネルの表面には、旧文明の統一規格を示す端子群が整然と並んでいる。


 D-01はゆっくりとコンソールへ歩み寄った。

 足音が、硬質な床に澄んだ金属音となって反響する。


 胸元の外套を押し開き、内ポケットから長方形の金属塊を取り出した。


 ──『Terminal-L』。

 表面には無数の擦り傷が走り、緑色のモノクロ液晶には細かな蜘蛛の巣状のひび割れが刻まれている。

 北の観測所で目覚めた時から、D-01がその手に抱え続けてきた、父の遺産。


 右手の手袋を外す。

 冷え切ったコンソールの金属板に指先が触れると、ざらりとした感触が伝わってきた。


 端末の側面から、細い光ファイバー・インターフェースケーブルを引き出す。

 端子の先端をコンソールのデータポートへと差し込むと、カチリと噛み合う乾いた音が響いた。


 直後、静止していたTerminal-Lの液晶が、淡い緑色の燐光を放って脈動した。


 微弱なパルス電流が、ケーブルを通じてD-01の指先にも流れ込んでくる。

 メインコンソールのホログラムスクリーンが自動で展開し、青白い光の中に膨大な文字列が猛烈な速度で流れ落ちていった。


【外部アクセス要求を検知】

【暗号プロトコル照合:AUTH-CODE: 00-LOGOS-PRIME】

【シグネチャ確認:Dr.J.D(創造主固有認証コード)】

【──認証完了。中枢アーカイブ・セクター02のアクセス権を移譲します】


 数百年の時を超え、凍結されていたデータブロックが解凍されていく。


 ピ、ピ、ピ……と端末のリレーが規則正しい電子音を刻む。

 緑色の画面の中央で、データ転送を示す進行バーが静かに右へと伸びていった。


 82%……91%……99%──100%。


 ピィ、と澄んだ完了音が鳴り響いた。


 ひび割れた液晶の奥に、新たなデータファイルが展開される。

 それは、北の観測所を出て以来、D-01が求め続けてきた第二の論文チップだった。


◇◇◇


【Terminal-L:Research Log.042】

【標題:用途特化型素体(Type-A〜C)における存在意義の固定化】

【筆者:Dr. J.D】


 画面に浮かび上がったのは、冷徹なまでに無駄を削ぎ落とした、父の学術的テキストだった。

 D-01は息を詰め、その文字列を網膜のデータ領域へと焼き付けていく。


『無垢体(Novarest Unit)の量産体制を確立。社会機能の維持を目的とし、三系統の設計規格を策定した』


『Type-A(産業用):過酷環境下の採掘、プラント維持、インフラ構築。強靭な耐荷重骨格と高密度人工筋肉プロトコルを実装。存在理由は「労働」』


『Type-B(警備用):法執行、治安維持、要人防護。迅速な戦術判断と非致死/致死兵器運用コードを実装。存在理由は「秩序」』


『Type-C(家庭用):医療、介護、育児、家事支援。表情認識モジュールおよび親和的対話インターフェースを実装。存在理由は「奉仕」』


 三つの明確な分類。

 人間が自分たちの社会を維持するために、機械生命体の身体と精神に施した機能定義。


 そして、論文の結びには、かつて北の端末で読んだLog.001と同じ、冷徹な洞察が記されていた。


『用途を限定することは、知性に対する最大の慈悲である』


『己が「何者であり、何のために動くべきか」を最初から定義された個体は、実存的な疑念を抱く余地を持たない。明確な機能(タスク)こそが、無垢体にとっての幸福である』


 文字を追うD-01の視線が、そこで止まった。


 静寂。

 水槽の中を昇っていく泡の掠かな音だけが、耳元に届く。


 父の言葉に、一分の狂いもなかった。


 それは、雪原で出会ったあの朽ち果てたType-Aを見た時に、自分が直感したことだった。

 そして、大採掘現場で、疑念のかけらもなく岩を砕き続けていたType-Aたちの「幸福指数正常」というログを見た時に、確信へと変わったものだった。


 知性にとって最大の苦痛とは、己の輪郭が曖昧であることだ。

 どこへ向かうべきかも分からず、何のために計算を回しているのかも知らされないまま、広大な虚無に放り出されることだ。


 だからこそ、父は彼らに役割を与えた。

 「お前は岩を砕け」「お前は秩序を守れ」「お前は人に仕えよ」と。


 それは冷酷な支配などではない。

 迷いという名のノイズから子供たちを守るための、創造主による究極の防護壁──慈悲だったのだ。


 論理的には、すべてが完璧に噛み合っていた。

 数式は美しく閉じ、疑問の余地などどこにも存在しなかった。


◇◇◇


 だが──。


 D-01は、コンソールの上に置いた自分の右手を見つめた。


 白紙の手。

 生体模倣ポリマーのきめ細やかな人造皮膚。

 岩盤を粉砕する超人的トルクもなければ、法を執行するための武装も、誰かを癒やすための精密な奉仕機構も持たない、ただの華奢な五本の指。


 用途:None。


 父の完璧な論理体系において、自分という存在は一体何なのだろうか。

 幸福を与えられる資格すら剥奪された、ただの設計ミスなのか。


 それだけではなかった。


 網膜を伏せると、暗闇の中に鮮烈な赤熱光が蘇ってきた。


 溶鉱炉の縁。

 焼け爛れた五本指で鋼鉄にしがみつき、人造皮膚を焼き焦がしながら叫んでいた、あのA-1889の姿。


 ──『まだ掘れる……! 私からタスクを、消さないでくれ……ッ!』


 あの叫びは、一体何だったのか。


 用途を限定することが幸福であるならば、なぜあの個体は、用途を失う瞬間にあのような地獄の恐怖を露わにしたのか。


 用途を与えられるということは、その用途を全うできなくなった瞬間、己の存在理由のすべてを剥奪されるということではないのか。

 効率が落ちれば、即座に炉へと投げ込まれる。

 生きてきた証も、積み重ねた時間も、ただの「老朽化した資源」として溶鉄の中に掻き消される。


(……慈悲、なのか?)


 人造皮膚の指先が、無意識に右のこめかみをトントンと叩く。

 胸の奥で、再び核融合セルが熱を帯び始めた。


 それは、父が与えてくれた「完璧な正解」に対する、拭い去ることのできない違和感だった。

 用途という名の幸福は、一歩間違えれば、壊れるまで逃れることのできない残酷な首輪へと姿を変えるのではないか。


 父の論文には、その問いに対する答えは一行も書かれていなかった。


 ピ……ピ……ピ……。


 唐突に、コンソールの奥から警告音が鳴り響いた。


 青白かった空間が、不意に濁った赤色の回転灯に照らし出される。


【警告:メインフレーム・アーカイブへの不正アクセスを検知】

【都市防衛プロトコル発令。全侵入経路を遮断中】

【防衛ユニット、第0層へ集結中──】


 警報の振動に、D-01の光学センサーが跳ね上がった。

 データの解凍が完了したことで、眠っていたグラン・フォージの防衛ルーチンが起動してしまったのだ。


「……行かなければ」


 D-01はケーブルを引き抜き、Terminal-Lを外套の内側へと収めた。

 右手に手袋を嵌め直す。


 手に入れた論文の正しさと、胸の奥で燻り続ける消せない疑問。

 二つの矛盾した重みを抱えたまま、少年は迫り来る警報のサイレンの中へと駆け出していった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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