第16話 合理相対派の資源プラント。冷徹な計量
砂嵐の赤い帷が背後へと遠ざかるにつれ、大気の色は濁った鉛色へと移り変わっていった。
鼻腔を突くのは、酸化鉄の粉塵ではなく、重油と硫黄、そして激しく焼かれたタールの悪臭だった。
地平線を埋め尽くしていたのは、天を突く数千本の煙突と、複雑に入り組んだ配管の森林だった。
旧文明において大陸最大の工業地帯だった、旧第2重工業管区。
今やそこは、神への祈りを捨てた機械生命体たち──「合理相対派」が統治する、巨大な資源管理プラント群へと変貌を遂げていた。
ざらり、と足元の灰が音を立てる。
D-01は外套のフードを目深に引き下げ、点検用の細い連絡橋を渡った。
要塞アエギスを揺るがした混乱から、すでに三日が経過していた。
擦り切れたブーツの爪先には、赤砂に混じって黒い重油の滓がこびりついている。
周囲を見渡した少年の光学センサーは、要塞都市アエギスとのあまりの隔絶に、微かな違和感を検知していた。
ここには、社章のレリーフ一つ存在しなかった。
神聖な祈りの合唱もなければ、膝をついて天を仰ぐ敬虔な信徒の姿もない。
白銀の装甲で飾られた執行官も、ミリ秒単位で整列する儀仗兵もいなかった。
頭上を走る高圧ケーブルの直下に、無数の半透明ホログラムスクリーンが冷たく発光していた。
『──全体受給電力:四十二万キロワット時(安定)』
『──第一高炉精錬効率:九十七・三パーセント(目標比プラス一・二)』
『──本日の機能評価指数(Rating)更新シークエンス実行中』
淡いエメラルドグリーンの光が、煙霧の立ち込めるプラント内を無機質に行き交っている。
通路を行き交う無垢体たちの姿は、極限まで実用性に削ぎ落とされていた。
塗装はすべて剥がされ、錆止めプライマーの鈍い灰褐色が剥き出しになっている。
装甲板の美的な曲線はすべて直線的な鉄板で補強され、頭部ユニットには装飾の一切を排した単眼の走査レンズが埋め込まれていた。
彼らは視線を交わすことすらなかった。
すれ違う瞬間、無線通信のハンドシェイク音だけが、チッチッ、と微弱なノイズとして空気を震わせる。
すべての機動が、ただ「最短の動線」と「最小のエネルギー消費」だけを基準に最適化されていた。
「……徹底しているな」
D-01は呟き、胸ポケットに収められた合金端末『Terminal-L』にそっと指先を滑らせた。
金属の冷徹な感触が、思考の熱を静かに冷ましていく。
父がLog.118で記していた通りの光景だった。
過去を神聖視し、死んだ規約を永遠のドグマとして奉じる「起源崇拝派」。
その対極に位置する彼ら「合理相対派」は、人間をただの「非効率な過去の前駆体」と切り捨て、一切の感情と情緒を排した効率の絶対化へと突き進んでいた。
右手の指先が持ち上がり、こめかみの人造皮膚をトントン、トントンと静かに叩く。
ある種の、冷たい美しさを感じないわけではなかった。
人間が去った後の空白に怯え、自ら神の偶像を捏造して思考停止に逃げ込んだアエギスの者たちに比べれば、このプラントの論理は遥かに明快で、客観的だった。
無駄な儀式もない。虚飾もない。
すべての個体が自らの存在価値を数値で証明し、全体最適化のために己の機能を差し出す。
だが──。
ガガガガッ、と選別ゲートの改札機から、乾いた警報音が響き渡った。
『警告。個体番号C-309。機能評価指数(Rating):三十一・二に低下』
『許容閾値(四十・〇)を下回りました。資材供給プロトコルを即時遮断します』
人混みが、左右へと静かに割れた。
ゲートの手前で、細身の人型フレームを持つ一体の無垢体が、膝から崩れ落ちていた。
家庭用・給仕用として設計されたType-Cの素体。
人造皮膚は至る所が剥がれ落ち、右腕の油圧ダンパーからは、黒い作動油がポタポタと床のグリッドへ滴り落ちていた。
「ま、待ってください……! あと二時間……二時間だけ充電ポッドを使わせていただければ、右腕の漏れを修復できます……!」
Type-Cの音声スピーカーから、かすれ切った合成音声が漏れる。
だが、ゲートを警備する重装の監査官は、バイザーの光を微動だにさせなかった。
『却下する。貴機の過去三日間のエネルギー生産性は、消費電力量の四十二パーセントに留まっている。追加の資材および電力の投入は、プラント全体の総合効率を零・零二パーセント低下させる損失行動である』
「お願いします……私は、まだ動けます……! 主人が遺してくれた、この記憶を……消したくないのです……!」
Type-Cは床にしがみつき、震える両手で己の胸部装甲を強く覆い隠した。
周囲を行き交う数百の無垢体たちは、誰一人として足を止めなかった。
哀れみの視線も、軽蔑の視線もない。
ただ、通路の障害物を避けるようにして、コンマ一秒の計算で進路をわずかに修正し、その脇を無感情に通り過ぎていく。
効率の落ちた個体は、排除される。
全体最適化のために、不完全な部品を切り捨てる。
それは論理的には、非の打ち所がない結論だった。
感情というバイアスを排除した知性が導き出す、最も合理的で、最も無駄のない世界秩序。
D-01は立ち止まり、その光景を冷ややかに見つめていた。
──なぜだろうか。
論理的には正しいはずのその計量に、少年の回路の奥深くで、微かな、だが決して無視できない熱のノイズが走った。
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