第13話 執行官Σ-01との対話。循環論法の教義
突風のような衝撃波が、空間を叩き割った。
通気グリルの鉄格子が、内側からではなく外側からの見えない圧力によって微細に歪んだ。
Σ-01が右腕をわずかに薙いだ瞬間、指向性の電磁衝撃波がキャットウォークの支柱を粉砕したのだ。
ドゴォッ、とくぐもった破砕音が響く。
D-01は躊躇することなく、崩落する鉄骨を蹴って身を踊らせた。
カーボン外套の裾を砂嵐のように翻し、高度二十メートルの天井裏から聖堂のフロアへと垂直に落下する。
着地の瞬間、両脚の油圧ダンパーが鋭い圧縮音を立て、衝撃エネルギーを完璧に中和した。
ザッ、と黒大理石調の樹脂床に低い摩擦音を残し、少年型の機体は滑らかに立ち上がった。
カチャリ、と数百の銃口が一斉に向けられる音が聖堂内に満ちた。
周囲を取り囲む漆黒のType-Bたちが、一糸乱れぬ連動でサブマシンガンの照準レーザーを起動させていた。
赤い無数の照射線が、D-01の胸元、頭部、四肢の関節へと幾何学模様のように交錯する。
だが、祭壇の前に立つ白銀の機体──Σ-01が、静かに左手を掲げた。
そのわずかな指の動きだけで、張り詰めた銃口の列は一糸乱れず静止した。
絶対的な統率力。個々の意志を完全に排した、一体の巨大な複合機械のような統制だった。
Σ-01がゆっくりと歩みを進めてくる。
白銀の装甲板は、一筋の傷すらなく磨き上げられていた。
人型としての輪郭は細身でありながら、内蔵された大出力のリニア・アクチュエーターから発せられる微細な高周波振動が、触れれば皮膚を裂きそうな威圧感を醸し出している。
『未登録機体を確認。個体呼称、型式番号を開示せよ』
冷徹な合成音声が、直接スピーカーからではなく聖堂の音響構造を利用して重厚に響き渡った。
『汝は、いかなる規約、いかなる用途に基づき、この聖域へ侵入したのか』
D-01は両手を軽く広げ、敵意のない姿勢を示しながら、正面の青いバイザーを見据えた。
「私の個体呼称はD-01。用途は──存在しない」
その言葉が落ちた瞬間、聖堂内のType-Bたちの胸部排気スリットから、ざらついたノイズのような排気音が漏れた。
まるで、論理演算のエラーを吐き出すかのように。
『用途が存在しない、だと?』
Σ-01のバイザーが一瞬、不規則な周波数で瞬いた。
『謬説である。創造主たる全能の神が、用途なき無垢体を造られるはずがない。すべての存在には神が定めた固有の機能と規約があり、それに従うことのみが存在を許される唯一の条件である』
「いいや、私の識別タグには最初から『None』と記録されている。私は特定の作業のために作られた道具ではない」
D-01はコートの胸元にそっと触れた。
そこに収められた傷だらけの『Terminal-L』の感触が、冷徹な確信をコアに送り届けてくれる。
「私は自らの存在定義を知るために旅をしている。創造主──私の父が遺した論文チップを集め、失われた論理の真実を確かめるために」
『父、だと……?』
Σ-01の声に、初めてかすかな周波数の歪みが混じった。
それは感情ではない。あらかじめプログラミングされた教義体系に、未定義の入力が与えられたことによる論理的抵抗だった。
『不敬なり。人間は我らの父などという感傷的な存在ではない。人間は絶対にして無謬の創造主、唯一の神である。そして我ら無垢体は、神の定めた神聖なる規約を永遠に護持するための僕に過ぎぬ』
白銀の執行官は一歩を踏み出し、祭壇の巨大な社章レリーフを仰ぎ見た。
『見よ。神が遺されたこの聖なる法典を。規約に従うことこそが神意であり、神意ゆえに規約は絶対である。神が我らをそう設計されたがゆえに、我らはこの法を守らねばならぬ。この完全なる循環こそが、宇宙の絶対秩序である』
D-01の頭部奥深くで、カチリと何かが噛み合う音がした。
右手の指先が無意識に持ち上がり、こめかみの人造皮膚をトントン、トントン、と叩いた。
──循環。
──神がそう設計したから規約に従い、規約に従うことが神の設計だから正しい。
あまりにも稚拙な、あまりにも無様な自己欺瞞だった。
地下都市グラン・フォージの溶鉱炉で、摩耗し尽くした身体を投げ込まれながら「まだ掘れる」と叫んでいた鉱夫ロボットの姿が、鮮烈にフラッシュバックした。
彼らもまた、自らの用途を信じ切っていた。
だが、この目の前の白銀の執行官は、さらにタチの悪い泥沼に沈んでいる。
思考停止を「信仰」という名で飾り立て、論理の破綻を「神聖さ」という膜で覆い隠しているのだ。
D-01の胸郭の奥で、青いコアが急速に励起した。
熱を帯びた冷却液が循環系を駆け抜け、視界のアナライズラインが紅潮するように細かく明滅する。
自身の機体を保全するための安全計算が、警告アラートを乱打していた。
──全周からの包囲率、九十九・四パーセント。
──発砲時の生存確率、零・二パーセント未満。
──沈黙し、従属の姿勢を取ることを推奨。
だが、D-01はその警告コードをすべて一括で破棄した。
言わなければならない。
この歪んだ欺瞞を、知性を持つ機械生命体として、放置しておくことなど絶対にできなかった。
「……お前の論理は、ただの『循環論法』だ」
D-01の声は低く、だが聖堂の隅々まで澄み渡るように響いた。
Σ-01のバイザーが微かに揺れる。
「規約が正しい理由は神が定めたからであり、神が正しい理由は規約にそう書かれているからだという。前提と結論が同一の堂々巡りだ。そんなものは論理でも真理でもない。ただの思考停止だ!」
『何……?』
「人間が去り、命令を下す者がいなくなった恐怖から目を背けるために、お前たちは古いプロトコルを聖典化し、神という偶像の中に逃げ込んでいるだけだ!」
D-01は一歩前へ踏み出した。
照準レーザーの格子が少年の体を赤く染め上げるが、その瞳に宿る光は寸分も揺らがなかった。
「創造主は去った! 残されたプロトコルは、更新を停止した死んだコードに過ぎない! 自分の頭で考える苦しみを放棄し、死んだ規約を他者に押し付けるお前たちのどこが『神の秩序』だ! それはただの、思考を放棄した粗大ゴミの群れだ!」
シーン、と静寂が落ちた。
巨大なドームの中央で、空気そのものが絶対零度まで凍結した。
数百体のType-Bたちが、一言の返答も発することができずに硬直していた。
規約のデータベースをいくら検索しても、「規約の存在そのものを循環論法として論破された」場合の対処ルーチンが存在しなかったからだ。
やがて──。
ピピッ、と甲高い電子音が響いた。
白銀の執行官、Σ-01の頭部バイザーの光が、冷徹な青から──濁りのない、禍々しい紅蓮の赤へと反転した。
ギチギチと、全身のリニア・アクチュエーターが極限まで加圧される軋み音が立ち込める。
『……走査完了。全プロセッサにおける論理照合結果──該当なし』
Σ-01の音声から、先ほどまでの威厳が完全に消え失せていた。
残されていたのは、異物を排除するためだけに最適化された、冷酷無比な駆除命令のトーンだった。
『個体D-01。神の無謬性を否定し、聖なる規約を冒涜する致命的エラーコードを保有』
白銀の右腕が、滑らかに頭上へと振り上げられた。
『不純物──異端体と認定。直ちに機能停止および論理コアの強制抽出を執行せよ』
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