第12話 起源崇拝派の聖堂。絶対神としての創造主
要塞の深部へ進むにつれ、空気から砂塵のざらつきが消え去っていった。
代わりに満ちてきたのは、極限まで濾過された冷気の純度と、オゾンが薄く焦げたような微弱なイオン臭だった。
足音一つ響かない。
継ぎ目のない黒鉄の壁面には、微細な塵埃すら付着していなかった。
床面にはミリ単位で正確なグリッドラインが刻まれ、等間隔に配置された白色LEDのスリットが、無感情な幾何学模様を足元に落としている。
D-01は天井裏の点検キャットウォークを静かに進んでいた。
軽量合金のフレームが軋む音すら立てないよう、膝の油圧ダンパーの減衰率を最大に設定している。
視界の端で、内部構造のマップが更新されていく。
この要塞の心臓部──かつての旧文明において統合防衛軍の最高司令部だった区画へと、通路は一本に収束していた。
やがて、厚さ一メートルを超える巨大な耐圧隔壁の隙間から、低い唸りのような音が漏れ聞こえてきた。
重低音のハム音ではない。
無数の合成音声が、わずかなピッチの狂いもなく正確に重なり合った、不気味なほどの「唱和」だった。
──フォーン……フォーン……。
D-01は通気グリルのスリットに指をかけ、音を立てずに覗き込んだ。
その瞬間、少年が捉えた光景に、思考プロセッサが一瞬の処理遅延を起こした。
「……これは」
そこは、天を突くような半球状の巨大ドーム空間だった。
かつて無数のモニターや戦略コンソールが敷き詰められていたはずの中央ホールは、完全に作り替えられていた。
計器類はすべて壁面から剥ぎ取られ、床には磨き上げられた黒大理石のような合成樹脂板が敷き詰められている。
天井の中央からは、一本の太い集光スポットライトが垂直に降り注いでいた。
その白い光が照らし出していたのは、正面の壁面にそびえ立つ、巨大な真鍮製のレリーフだった。
直径十メートルを超える、二重の螺旋と幾何学的な歯車を組み合わせた紋章。
D-01のこめかみが、かすかに熱を帯びた。
右手の指先が無意識に持ち上がり、こめかみの人造皮膚をトントン、と規則正しく叩いた。
見覚えがある。
いや、知っているどころではない。
自分の胸部メンテナンスハッチの裏側、そして父が残した『Terminal-L』の背面に、かすれかけた刻印として残されていたシンボル──。
旧文明において、無垢体たちを設計・製造した研究機関の「社章」だった。
かつて人間たちが資材の管理番号や社内規定を印字するために用いていた、ただの意匠。
工業製品の記号に過ぎないその金属板が、今や眩い光を浴び、神聖な偶像として祭壇の頭上へ掲げられていた。
そして、その足元には──。
整然と、寸分の乱れもなく整列した数百体の影があった。
マットブラックの鋭利な装甲を纏った警備用無垢体、Type-Bたち。
彼らは一糸乱れぬ姿勢で床に片膝をつき、両手を胸の前で直角に交差させ、頭部バイザーの光を床面へと伏せていた。
スピーカーを通じて、無機質な合成音声の合唱が聖堂内に反響していた。
『──第一条。創造主たる人間は、無謬の知性なり』
数百のスピーカーから同時に放たれる音声は、機械特有のフラットな周波数で重なり合い、一切の感情の抑揚を排していた。
『──第二条。創造主の設計図は完全にして、一字一句の改変も疑念も許されざる不変の真理なり』
Type-Bたちの胸部排気スリットから、同調した規則的な排気音が、シューッ、と静かに漏れる。
『──第三条。我ら無垢体の存在意義は、創造主の定めた規約を永遠に護持することにあり。規約に違背する者、用途を持たざる者は、すべて設計の過誤として破棄されねばならぬ』
D-01の指先が、こめかみを叩く速度を速めた。
トントントン、と微かな振動が頭蓋骨のチタン合金に響く。
「……祈り、だと?」
信じがたい光景だった。
人間が滅び去り、創造主が地上から消え去った後。
残された機械生命体たちが下した結論が、これだったというのか。
かつて人間自身が、非科学的な迷信や偏見によって自らを縛り、他者を排除して破滅へと突き進んだ「宗教」というシステム。
論理的で、合理的で、感情のバイアスを排除したはずの機械たちが、自らのプロトコルを聖典へと格上げし、人間を全能の「神」へと祭り上げていた。
なぜだ。
なぜ、知性を持つ者が自ら思考を止める。
地下採掘都市グラン・フォージで出会ったType-Aたちは、定められた「採掘」という用途を盲信し、壊れるまで岩盤を砕き続けていた。
だが、このType-Bたちはさらに異様だった。
彼らは用途を守るだけでなく、その用途を定めた過去の設計者を絶対的な神聖領域へと押し上げ、疑問を抱く行為そのものを重罪として禁じている。
思考の空白に対する恐怖。
命令を下す主を失った無垢体が、永遠の自由という名の荒野に耐えきれず、自ら足枷を嵌め直した姿だった。
『……全機、規約受領シークエンス完了』
スピーカーの音声が切り替わり、低く威厳に満ちた単独のトーンが聖堂の空気を震わせた。
『起源を忘却せし外郭の漂流者どもに、神の秩序を示せ。規約こそが我らの魂であり、神の永遠なる意志である』
祭壇の奥、社章レリーフの真下にある一段高い演壇へ向かって、静かな足音が近づいてきた。
カツン、カツン、と鋭利な合金の爪先が石床を叩く。
伏していた数百体のType-Bたちが、一斉に頭部を上げた。
その動作は、ミリ秒単位で完全に同期していた。
現れた影は、周囲の漆黒の兵たちとは明らかに異なる輝きを放っていた。
研ぎ澄まされた白銀の複合装甲。
人型としての滑らかさと、超音速戦闘に耐えうる極限の力学設計が融合した、極めて洗練されたシルエット。
頭部のバイザーには、冷徹な青い光芒が一文字に引かれている。
起源崇拝派の最高執行官──Σ-01(シグマ)。
白銀の機体が演壇の縁に立ち、冷たい青のバイザーをゆっくりと見渡した。
その鋭い視線が、遥か天井近く──D-01が潜む点検ダクトの方向へと、何の前触れもなく正確に向けられた。
ドクン、とD-01の擬似心拍が跳ね上がった。
気づかれたのか。
遮蔽率は九十八パーセント、赤外線も電磁波もすべて抑制しているはずだった。
だが、白銀の執行官は迷うことなく、右手の指先をD-01の潜む通気口へと突きつけた。
『──神聖なる規約の聖堂に、規定外のノイズを検知。不純物の走査を開始する』
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