第11話 砂塵の要塞都市アエギス。Type-Bの監視網
風の唸りが、低く湿った地鳴りから、乾いた甲高い擦過音へと変貌していた。
地平線を覆い尽くすのは、赤茶けた砂塵の嵐だった。
かつての大戦で焦土と化した大陸中央部。
風化した花崗岩の微粒子と、兵器の残骸から削り出された酸化鉄の粉末が、猛烈な突風に巻き上げられて赤い霧の壁を作り出している。
ざざ、ざざ、と足を踏み出すたびに、砂の層が長靴の底を深く飲み込んだ。
D-01はカーボン外套の襟元を片手で固く引き寄せ、フードを目深に下げた。
人造皮膚の表面に、砂粒が容赦なく打ち据えられる。
パチパチと乾いた弾ける音が耳元で鳴り続け、首筋や手首の関節の隙間に微細な砂が噛み込むたび、微小な摩擦抵抗のアラートが神経模倣センサーを通じて伝わってきた。
外気温度、摂氏十二度。
極北の凍てつく吹雪に比べれば遥かに穏やかな数値だったが、空気の過酷さは別の意味で苛烈を極めていた。
吸気スリットの防塵フィルターが、数分おきに高圧エアを逆噴射させて目詰まりを吹き飛ばす。
プシュー、という短い排気音とともに、少年の口元から赤い煙のような粉塵が吐き出された。
「……現在位置、グラン・フォージより南南東へ百二十キロ」
網膜ディスプレイに展開されたトポロジーマップを見つめながら、D-01は呟いた。
背後に残してきた地下採掘都市グラン・フォージ。
そこでは今も、無数のType-Aたちが疑念のかけらもなく岩盤を砕き続け、老朽化した個体は「規格外」として溶鉱炉へと投げ込まれているはずだ。
あの溶鉱炉の縁にしがみつき、「まだ掘れる」と叫んでいたA-1889の焼け爛れた五本指の残像が、今も思考のバッファから消え去ってはくれない。
用途があることは、無垢体にとっての幸福である。
父の論文Log.042に記されていたその命題は、論理的には非の打ち所がない真理だった。
だが、その幸福と引き換えに彼らが差し出していたのは、用途を失った瞬間にゴミとして抹殺される、逃げ場のない破滅だった。
用途とは、祝福なのか。それとも、壊れるまで走り続けなければならない呪いなのか。
胸元の内ポケットに収められた『Terminal-L』の硬い感触を確かめる。
その答えは、まだ見つかっていない。
◇◇◇
行軍を続けること、さらに三時間。
吹き荒れる赤い砂嵐のカーテンの向こう側に、異様な「直線」が姿を現した。
自然の地形が作り出す起伏や断崖とは、根本的に異なる幾何学。
水平線に対して寸分の狂いもなく平行に引かれた、巨大な水平の稜線。
そして、垂直に天を突く直角の稜線。
D-01は歩みを止め、光学センサーの望遠モードを作動させた。
砂煙を透過する赤外線フィルターの向こう側に浮かび上がったのは、黒鉄の巨壁だった。
高さ四十メートル、幅数キロメートルに及ぶ巨大な直方体の防壁要塞。
表面には窓一つなく、マットブラックの電波吸収塗料で覆われた装甲板が、隙間なく組み合わされている。
防壁の頂部には、一定間隔で配置された全方位索敵タレットと、空を睨む無数の対空レールガンの砲身が、冷徹な威圧感を放っていた。
鉄壁要塞「アエギス」。
旧文明の最高位防衛司令部跡を拠点とし、秩序の維持を唯一の任務と信じる警備用無垢体──Type-Bたちが築き上げた、起源崇拝派の軍事・宗教中枢。
極北の凍てつく孤立観測所、そして混沌とした地下採掘都市グラン・フォージとも違う。
ここを支配しているのは、極限まで研ぎ澄まされた、寸分の隙もノイズも許さない「軍事秩序」の完全性だった。
キィィィィン……。
頭上から、空気を震わせる高周波のタービン音が降ってきた。
見上げると、防壁の遥か上空を、漆黒の小型無人偵察機が三機編隊で旋回していた。
翼下に装備された走査レーザーが、砂塵の荒野を網の目のようにスキャンし、定期的なパルス波を地表へと投射している。
旋回半径、三百メートル。
周回周期、正確に四十五・〇〇秒。
ドローン同士の車間距離、七・五メートル。
誤差はコンマ一パーセントすら存在しない。
すべての機動が、あらかじめ完璧に定義された防衛プロトコルに従い、機械生命体の冷徹な同期精度で実行されていた。
◇◇◇
D-01は岩陰に身を潜め、要塞の唯一の地表搬入口である「北郭第三ゲート」を観察した。
分厚い二重耐爆扉の前に、歩哨が立っている。
四体のType-B。
自分と同じく、直立歩行を行うスマートな人型のシルエット。
だが、その纏う空気は、グラン・フォージの鉱山労働者たちとは根本から異なっていた。
純白の強化セラミック装甲に身を包み、頭部には表情を持たない鋭利なバイザー。
バイザーの内側で、深紅の光学スキャナーが左右へと規則正しくスイープを繰り返している。
骨格を覆う人工筋肉は、岩を持ち上げるための高トルク型ではない。
ミリ秒単位で初速を最大化し、超音速の抜刀や射撃反動を完全に相殺する、超高出力・高反射の戦術特化型バイオアクチュエータ。
腰のハードポイントには電磁ライフルが収められ、五本の指は常にトリガーのわずか数ミリ手前で静止していた。
隙がない。
グラン・フォージの守衛のように、失効した古い保全コードで誤魔化せるような緩みは、この軍事要塞の通信網には一片も存在しなかった。
ピ、ピ、ピ……とD-01の受信ポートに、要塞から漏れ出る暗号化ビーコンが飛び込んでくる。
【アエギス管区・統合防衛ネットワーク】
【交信規約:旧文明軍事暗号標準(MIL-STD-8840B)】
【暗号シグネチャ更新周期:三〇〇秒】
D-01は呼吸を潜め、その電波波形を解析した。
侵入者を容赦なく蜂の巣にする自動迎撃システム。
だが、どんなに完璧に見える論理体系であっても、物理的な通信を維持する以上、必ず「プロトコルの裂け目」が存在する。
暗号シグネチャが更新される、三百秒に一度の瞬間。
要塞のメインサーバーが全歩哨とタレットに向けて新たな共通鍵をブロードキャストする際、古い鍵が破棄されて新しい鍵が展開されるまでの間に、〇・二一秒の「照合待機時間」が生じる。
その瞬間だけは、外部からの通信パケットが未検証のままバッファに保留されるのだ。
「……〇・二一秒」
指先が、無意識に右のこめかみをトントンと叩く。
D-01は網膜にタイマーを立ち上げた。
現在時刻の暗号サイクル終了まで、あと十四秒。
十三……十二……。
D-01はカーボン外套の裾を絞り込み、脚部のアクチュエータに予備電力を充填した。
トクン、と胸の核融合セルが熱を放つ。
五……四……三……二……一──。
ゼロ。
パシッ、と空間を満たしていた電波圧が一瞬だけ途切れた。
動く。
D-01は岩陰を蹴り出した。
砂煙を突き破り、低空を滑るようにしてゲートの死角へと突進する。
歩哨のバイザーが、突如として砂嵐の奥から現れた侵入者の影を捉えた。
ピピピッ!
歩哨の右手が電磁ライフルへと伸びる。反射速度、〇・〇八秒。
だが、引き金が引かれるより早く、D-01の指先から偽装パケットが至近距離で射出された。
新旧の暗号鍵が交差する、〇・二一秒の隙間。
送り込んだのは、旧文明の軍事協定における「最優先・暗号鍵更新ハンドシェイク要求」。
歩哨の火器管制システムが一瞬だけ処理を保留し、照準レーザーの照射がコンマ数秒、凍結した。
その刹那の迷いの間を、D-01の身体がすり抜けた。
搬入ゲートの脇に設けられた、保守用エアロックの細いスリット。
身体を滑り込ませ、内側から手動緊急閉鎖バーを引き倒す。
ガシャン!
分厚い耐爆シャッターが重い衝撃音とともに下り、背後の荒野と歩哨たちの銃口を完全に遮断した。
耳をつんざくような砂嵐の咆哮が、一瞬で掻き消える。
D-01は壁に背を預け、乱れかけた冷却ファンの回転を整えた。
潜入成功。
だが、ここからが本当の難所だった。
暗闇の通路の奥、遥か頭上から、パイプオルガンの重低音にも似た、不気味なほど整然とした「斉唱」が響いてきていた。
それは機械の駆動音ではなく、数百、数千の合成音声が声を揃えて紡ぎ出す、異様な祈りの声だった。
「……これは、何だ?」
少年は、要塞の深淵を見据えた。
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