接敵
洞窟を少し進むと、前方に何かが動いているのが見えた。
月明かりのポーションのおかげで、暗闇の中でもその姿ははっきりと見える。
小柄な体。
獣のような耳。
そして手には粗末な棍棒。
「……コボルトか」
コボルトは元々、平原や森などに生息していた魔物だ。
しかし近年、ウルフやゴブリンによって生息域を奪われていた。
コボルトは臆病で、あまり好戦的ではない。
そのため、縄張りを奪われても争うことはせず、次第に住処を追われていった。
そして行き着いたのが、山脈のふもとにある洞窟だった。
山脈の中腹や山頂付近には、また別の魔物が住み着いている。
そのため、コボルトたちは山を登ることもできず、比較的安全な山麓の洞窟を根城にしているのだ。
レオンは物陰から、しばらくコボルトの様子を観察した。
すると、少し妙なことに気づく。
「……こいつ、ほとんど見えてないのか?」
コボルトは辺りを見回しているものの、どこか動きがおぼつかない。
一歩進んでは立ち止まり、手を前に伸ばして周囲を探っている。
そして――
ゴンッ。
「ギャッ!」
コボルトの体が洞窟の壁にぶつかった。
「……」
レオンは思わず目を疑った。
コボルトは何事もなかったかのように歩き始める。
だが、しばらくすると再び壁へ向かっていき――
ゴンッ。
「……本当に見えてないんだな」
どうやらコボルトにとって、この洞窟は完全な暗闇らしい。
一方、レオンの視界には洞窟の壁も、足元の小石も、目の前を歩くコボルトの姿もはっきりと映っている。
月明かりのポーションの効果は、想像以上だった。
「これなら……」
レオンは静かに剣を抜いた。
コボルトは、まだこちらに気づいていない。
初めての洞窟での戦い。
レオンが静かに距離を詰めていると、後方から微かな足音が聞こえた。
「……?」
振り返る。
そこには、いつの間にかジェイがいた。
ジェイは人差し指を口元に当て、静かにするよう合図を送る。
そしてコボルトを見ると、腰の短剣へ手を伸ばした。
「レオン、動くな」
小声でそう言うと、ジェイは音もなくコボルトの背後へ回り込んだ。
コボルトはまだ気づいていない。
ジェイが一歩。
さらに一歩。
その動きには、ほとんど音がなかった。
次の瞬間――
「……っ!」
短剣が閃いた。
一瞬だった。
コボルトが振り返るよりも早く、ジェイはその背後から攻撃を仕掛けていた。
恐ろしく速いバックスタブ。
斥候であるジェイは弓の扱いを得意としている。
しかし、それだけではない。
接近戦で使う短剣の扱いにも秀でている。
正面から敵とぶつかるのではなく、相手の死角へ入り込み、一瞬の隙を突く。
それがジェイの戦い方だった。
ジェイの短剣が、コボルトの急所を正確に捉えていた。
「ギャ……」
コボルトが小さく声を漏らす。
そのまま力なく膝から崩れ落ち、地面に倒れた。
レオンは盾を構えたまま、呆然とその光景を見つめていた。
「……え?」
あまりにも一瞬の出来事だった。
レオンがこれから戦うつもりで構えた時には、すでに勝負は終わっていた。
ジェイは短剣についた血を払い、静かに鞘へ戻す。
「周囲を確認するぞ。仲間がいるかもしれない」
「……はい」
レオンは倒れたコボルトを見る。
急所への一撃。
無駄のない動き。
そして、敵に反撃する隙すら与えない速さ。
これが熟練冒険者の実力。
そして、冒険者訓練施設で教官を務めるジェイの実力だった。
普段は穏やかで親切なジェイ。
しかし一度戦いになれば、その姿はまるで別人だった。
ジェイはすぐさま倒れたコボルトの亡骸を洞窟の端へ寄せた。
レオンはその様子を見て尋ねる。
「どうして端に?」
「こうしておけば、戦う時の邪魔にならないからな」
ジェイは短く答えた。
「逃げる時も同じだ。足元に死体が転がっていたら、つまずくかもしれない。戦闘中なら、それだけで命取りになる」
「なるほど……」
レオンは頷いた。
倒した魔物をそのままにしておく。
それだけのことが、戦闘では危険につながる。
ジェイは周囲を見渡しながら続ける。
「洞窟は狭い。だからこそ、こういう細かいことが大事なんだ」
そう言って、ジェイは再び奥へと視線を向けた。
「まだ仲間がいるかもしれない。気を抜くなよ」
レオンは盾を握り直した。
一匹倒した。
だが、この洞窟にはまだ何が潜んでいるのか分からない。
レオンたちは警戒を続けながら、洞窟の奥へと進んでいった。
先行していたジェイとグリフが、同時に足を止めた。
「……!」
二人は息を呑む。
洞窟の少し奥。
そこには、先ほどまでとは比べものにならないほど広い空間が広がっていた。
そして、その中には――
「コボルト……」
何匹ものコボルトがいた。
そのうちの一匹が、突然鼻をひくつかせる。
「……クンクン」
何かの匂いを探すように、周囲の空気を嗅ぎ始めた。
そして、次第に興奮した様子を見せる。
「ギャウ……ギャウ!」
コボルトが仲間へ何かを知らせる。
ジェイはすぐに状況を察した。
「まずい……」
洞窟の入り口から、ほんの僅かな風が吹き込んでいた。
その風が、洞窟の奥へと流れている。
そして、その風に乗って運ばれてきたもの。
――人間の匂い。
コボルトは嗅覚が非常に敏感な魔物だ。
暗闇では人間ほど目が利かなくても、匂いを頼りに周囲の状況を把握することができる。
「俺たちの匂いを嗅ぎつけたか……」
ジェイが小さく呟く。
さっきまでこちらが一方的にコボルトを発見していた。
だが、それもここまでだった。
コボルトたちは、すでにこちらの存在を感じ取っている。
グリフがゆっくりと武器へ手を伸ばした。
「……どうする?」
ジェイは答えなかった。
広い空間の中には、まだこちらに気づいていないコボルトもいる。
だが、先ほど匂いを嗅ぎつけた一匹は、明らかにこちらを警戒している。
次の瞬間――
「ギャアアアッ!」
コボルトの鋭い叫び声が、洞窟内に響き渡った。
「ギャアアアッ!」
コボルトの叫び声が洞窟内に響き渡る。
その瞬間だった。
広間にいたコボルトたちが、一斉にこちらを振り向いた。
「来るぞ!」
グリフが叫ぶ。
コボルトたちが一斉に立ち上がり、こちらへ向かおうとした――
その時だった。
「これを!」
アンが素早く何かを取り出し、コボルトたちへ向かって投げつけた。
カランッ。
小さな瓶がコボルトの足元へ転がる。
「……?」
コボルトが不思議そうに瓶を見下ろした。
次の瞬間――
パリンッ!
瓶が割れた。
すると、周囲に強烈な悪臭が広がり始めた。
「ギャッ!?」
「ギャウッ!」
コボルトたちが一斉に鼻を押さえるような仕草をする。
「ギャアアアッ!」
鼻の利くコボルトにとって、その臭いは耐え難いものだった。
何匹ものコボルトが慌てて後ずさる。
「今のうちです!」
アンが叫ぶ。
ジェイは一瞬だけアンを見ると、すぐに状況を理解した。
「よし、行くぞ!」
コボルトたちが悪臭に怯んでいる。
その隙を逃さず、ジェイたちは武器を構えた。
調合師であるアン。
直接戦う力はなくても、彼女には彼女にしかできない戦い方がある。
この一手が、パーティーを救った。
だが――
「……うっ!」
レオンが思わず顔をしかめた。
悪臭は想像以上だった。
人間であるレオンたちですら、思わず鼻を覆いたくなるほどの凄まじい臭い。
「くさっ……!」
グリフも顔をしかめる。
しかし、その臭いを最も強く感じているのはコボルトたちだった。
コボルトは嗅覚が非常に敏感だ。
人間には耐えられる程度の臭いでも、コボルトにとっては比べものにならないほどの苦痛になる。
「ギャアアッ!」
コボルトたちは鼻を押さえ、苦しそうにその場でうずくまっている。
中には立っていることすらできず、地面に倒れ込むものまでいた。
「今だ!」
ジェイが飛び込む。
短剣が閃く。
グリフも続いて武器を振るう。
レオンは盾でコボルトの攻撃を防ぎながら、一匹ずつ確実に仕留めていく。
コボルトたちはまともに反撃することすらできない。
鼻を押さえ、涙を流し、苦しみながら逃げようとする。
そこへ容赦なく冒険者たちの攻撃が加わる。
一匹。
また一匹。
次々とコボルトが倒れていく。
「……」
レオンは剣を握ったまま、目の前の光景を見つめた。
戦っている。
そう言えば聞こえはいい。
だが――
これはもう、戦いではなかった。
戦闘が終わり、洞窟に静寂が戻った。
レインは鼻をつまみながら、アンの方を振り向く。
「なあ、アン……」
「はい?」
「一体なんだ? さっきの悪臭は?」
アンは少しだけ考えるような顔をした。
そして――
「……本当に聞きたいですか?」
そう言って、少し笑う。
「……」
レインの顔が引きつった。
「い、いや……やっぱり遠慮しておく」
「そうですか」
アンは何事もなかったかのように答えた。
レインはそれ以上、聞かなかった。
聞かない方がいい。
なぜか、そんな気がした。
一方、アンは何やら満足そうに自分の荷物を整理している。
レインはそれを見ながら、二度とあの薬の正体を聞かないことに決めた。
コボルト退治は順調に進んでいた。
先ほどまであれほど警戒していたコボルトたちも、今ではこちらの存在を正確に捉えられていない。
どうやら、アンの悪臭のおかげらしい。
いや――
正確には、アンが投げた悪臭の小瓶のおかげだ。
あまりにも強烈な臭いによって、洞窟内に漂っていた人間の匂いまでもが覆い隠されている。
コボルトの鋭い嗅覚でも、人間特有の匂いを探知することができないようだ。
「これなら、かなり楽に進めそうだな」
レインが周囲を見渡す。
コボルトたちはこちらを見つけられず、混乱している。
ジェイはその様子を確認しながら、静かに頷いた。
「匂いを頼りにこちらを探していたんだろう。今の状態なら、かなり有利だ」
「……すごいですね、アン」
レオンが感心したように言う。
アンは少し得意そうな顔をした。
「調合師ですから」
ただし――
「……それにしても臭いな」
グリフが鼻を押さえる。
「これ、いつまで続くんだ?」
アンは少しだけ視線を逸らした。
「……さあ?」
「さあって……」
誰も、それ以上は聞かなかった。
ともあれ、この悪臭が続く限り、コボルトたちはこちらの存在を嗅ぎ取ることができない。
コボルト退治は、思いのほか順調に進んでいた。
いったい、何十体のコボルトを退治したのだろう。
洞窟を進むたびにコボルトが現れ、そのたびに俺たちは迎え撃った。
アンの悪臭の小瓶によって、コボルトはこちらの存在を正確に捉えることができない。
ジェイやグリフが先行し、コボルトを見つけては仕留めていく。
俺たちは、ほとんど苦戦することなく洞窟の奥へと進んでいった。
「……多すぎないか?」
レインが呟いた。
最初は、山麓の洞窟を住処にしているコボルトの群れなのだと思っていた。
だが、明らかに数がおかしい。
これだけの数のコボルトが、なぜこの洞窟に集まっているのか。
そして、なぜここまで異常な数に増えているのか。
俺たちは洞窟のさらに奥へと進んでいく。
やがて――
「……なんだ、あれ?」
グリフが足を止めた。
その視線の先にあったものを見て、俺たちは言葉を失った。
そこには、今まで見てきたものとは明らかに違う光景が広がっていた。
コボルトの異常な繁殖。
その理由が、俺たちの目の前に姿を現したのである。
――鉱山の街、ラッカム。
ここは山脈から採掘される鉱石や、周辺で採れる魔物の素材が集まり、商業がとても栄えている街だ。
街の大通りには多くの商店が並び、商人たちの声があちこちから聞こえてくる。
「いらっしゃいませー!」
その中でも、ひときわ元気の良い声が響いていた。
交易商人のネネだ。
「プラムの街から仕入れてきた商品ですよー! 珍しいものもありますよー!」
ネネが店先に並べているのは、プラムの街で仕入れてきた交易品だった。
食料品や日用品、旅人向けの商品など、ラッカムでは手に入りにくい品も多い。
プラムの街で安く仕入れ、ラッカムで必要としている人へ売る。
それがネネの仕事だ。
「お姉さん、この商品はどこから仕入れたんだい?」
「プラムですよー!」
ネネは笑顔で答える。
「向こうではまだたくさんありますからね。欲しいものがあったら、今度また仕入れてきますよ!」
鉱山で働く人々、冒険者、旅人、そして商人。
様々な人間が行き交うラッカムでは、こうした交易商人も街の重要な役割を担っていた。
ネネの店は、とても繁盛しているようだった。
プラムの街から仕入れてきた商品を目当てに、今日も多くの客が訪れている。
その中には、冒険者の姿も多かった。
「これ、プラムで買ってきたのか?」
「そうですよー!」
「へぇ、助かるな。こっちじゃあまり見ないんだよ」
そんな会話が飛び交う店内。
その一方で、買い物をしながら冒険者たちが何やら噂話をしている。
「なあ、聞いたか?」
「何を?」
「東の高山の話だよ」
ネネは商品を並べながら、何気なく耳を傾けた。
「最近、あの辺りで妙なコボルトを見たって話があるらしい」
「コボルト?」
「ああ。普通のコボルトとは比べものにならないくらい大きくて、しかも恐ろしく獰猛なんだとか」
「本当かよ?」
「さあな。見たっていう奴も、遠くから姿を見ただけらしい」
冒険者たちは半信半疑といった様子で話している。
だが――
「東の鉱山……」
ネネは小さく呟いた。
その場所は、ラッカムから見てさほど遠くない山域だ。
噂が出てからは冒険者はあまり近づかないと言う
「大きなコボルト、ですか……」
ネネは少しだけ考え込む。
「それにな……」
冒険者の一人が、声を少し落とした。
「そのコボルト、姿もかなり異様らしいぞ」
「異様?」
「ああ。普通のコボルトとは明らかに違う。身体も大きいし、見た奴の話じゃ、まるで何かに取り憑かれているんじゃないかって言われてる」
「取り憑かれてるって……魔物にか?」
「分からん。ただ、とにかく様子がおかしいらしい」
冒険者は周囲を気にするように声を潜める。
「コボルトって、本来は臆病な魔物だろ?」
「そうだな」
「それが、その大きなコボルトは違うんだ」
冒険者の表情が真剣になる。
「人間を見つけると、逃げるどころか襲いかかってくるらしい」
「……好戦的ってことか?」
「ああ。それも尋常じゃないほどにな」
店内に、少しだけ沈黙が流れた。
ネネは商品を整理する手を止め、冒険者たちの話に耳を傾けていた。
臆病なコボルト。
それがコボルトという魔物の一般的な認識だ。
それなのに――
「何かに取り憑かれている……」
ネネは小さく呟いた。
その言葉が、妙に引っかかった。
「そういえば……」
近くで話を聞いていた商人が、会話に加わってきた。
「最近、売りに出ているコボルトの毛も、前とは少し違うんですよ」
「毛が?」
冒険者が振り向く。
商人は頷いた。
「ええ。ここ最近入ってくるコボルトの毛は、以前に比べてずいぶん質がいいんです」
「確かに、最近の毛皮はよく売れるな」
別の冒険者も思い出したように呟いた。
「毛並みが良くて、傷も少ない。加工する側からも評判がいいんですよ」
商人は嬉しそうに話す。
「特に毛の密度が高くて、手触りもいい。防寒具を作るにはかなり良い素材です」
「へぇ……」
ネネも商品を整理しながら話を聞いていた。
コボルトの毛。
最近になって品質が良くなった。
そして――
異常なほど増えているコボルト。
さらに、東の高山で目撃されたという巨大で好戦的なコボルト。
一見すると、それぞれ別々の話に聞こえる。
だがネネは、なぜか胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
「……何か、変ですね」
ネネがぽつりと呟いた。
ネネは店に並べられたコボルトの毛と爪を手に取った。
「……」
毛を指先で撫でる。
確かに、以前扱っていたものとは違う。
毛並みが良い。
一本一本がしっかりしていて、密度も高い。
続いて、コボルトの爪を手に取った。
爪にも明らかな違いがあった。
「……これ」
ネネは小さく呟いた。
商人として、これまで数え切れないほどの魔物素材を見てきた。
だからこそ分かる。
「栄養状態が……良い?」
これまでのコボルトは、決して状態が良いとは言えなかった。
ウルフやゴブリンに生息地を追われ、餌場も限られていた。
そのため、毛は荒れ、爪もどこか弱々しい。
だが、最近ラッカムに入ってくるコボルトの素材は違う。
毛並みが良く、爪もしっかりしている。
まるで――
「今までとは、まるで別の場所で育ったみたい……」
ネネはそう呟いた。
しかし、そこで一つの疑問が浮かぶ。
コボルトたちは生息地を追われていたはずだ。
それなのに、なぜ最近になって栄養状態が良くなっている?
しかも――
「数まで増えている……」
ネネは、先ほど冒険者たちが話していた巨大なコボルトの噂を思い出した。
異様に大きい。
臆病なはずなのに、恐ろしく好戦的。
そして、最近になって急激に増えているコボルト。
「……何かある」
ネネは確信した。
コボルトたちの身に、一体何が起きているのだろうか。
それは、疑問が確信に変わった瞬間だった。
洞窟のさらに奥。
そこには、いくつものコボルトの巣が広がっていた。
そして――
「……なんだ、あれは?」
巣の周囲の壁を埋め尽くすように、無数の蔓が伸びている。
普通の植物ではない。
地面から伸びた蔓は壁を這い、さらに洞窟の奥へと広がっている。
その先には、赤黒い実がいくつも実っていた。
「マッドプラント……」
アンが呟いた。
マッドプラント。
寄生型の植物系魔物で、分類上はF型の魔物にあたる。
鉱山の豊富な栄養を含んだ土壌を好み、ここ最近になってその生息域を急速に広げているようだった。
そして――
「ギャウ……」
一匹のコボルトが蔓に近づき、実をむしり取る。
そのまま、口へ運んだ。
「おい、待て!」
ジェイが声を上げる。
だが、間に合わない。
コボルトは実を食べると、しばらくして身体を震わせ始めた。
「ギャ……ギャアアアッ!」
突然、コボルトが雄叫びを上げる。
目つきが変わった。
先ほどまで見せていた臆病な様子は、もうどこにもない。
周囲の仲間にまで襲いかかろうとする。
「マッドプラントの実……」
アンが険しい表情を浮かべた。
「食べた生き物は、理性を維持できなくなって凶暴化するんです」
「……だからか」
ジェイが呟く。
異常に好戦的なコボルト。
そして、急激に良くなった栄養状態。
すべてが一本に繋がった。
マッドプラントは鉱山の栄養豊富な土壌に根を張り、その実を大量につけている。
そしてコボルトたちは、その実を食料として食べていた。
「これだけ栄養があれば……」
レインが周囲を見渡す。
巣の周りには、まだ大量の実が残っている。
「コボルトが増えるのも当然か」
だが、それだけではなかった。
マッドプラントの実によって、コボルトたちは凶暴化している。
さらに栄養状態が改善したことで、毛並みや爪の状態まで良くなっていた。
そして――
その中には、普通のコボルトとは比べものにならないほど巨大に成長した個体までいる。
東の鉱山で噂されていた、巨大で獰猛なコボルト。
その正体も、これで説明がつく。
「……こいつら」
レオンは目の前に広がる光景を見つめた。
コボルトの異常繁殖。
その原因は、魔物そのものではなかった。
この洞窟に広がった――
マッドプラントだった。
「マッドプラントは……」
アンが、目の前に広がる蔓を見つめる。
「私がやります」
「アンが?」
レインが振り向く。
アンは頷き、カバンの中から小さな小瓶を取り出した。
「もしかしたら、これが効くかもしれません」
そう言うと、アンはマッドプラントへ向かって小瓶を投げつけた。
カランッ――
小瓶が地面に落ちる。
そして――
パリンッ!
ガラスが割れた瞬間だった。
「……!」
洞窟の壁を這っていたマッドプラントの蔓が、一斉に動き始めた。
長く伸びていた蔓が、まるで悲鳴を上げるかのように激しく縮んでいく。
そして、みるみるうちに色が変わっていった。
緑色だった蔓が黒ずみ、葉は萎れ、実も次々と落ちていく。
「効いてる!」
レインが叫ぶ。
アンは小瓶の割れた場所を見つめながら、小さく頷いた。
「やっぱり……」
マッドプラントが苦しむように蔓を激しく動かす。
その瞬間――
ヒュンッ!
矢が飛んだ。
一本目がマッドプラントの中心を射抜く。
続いて――
ヒュンッ!
二本目の矢が突き刺さった。
ジェイとグリフの放った矢だった。
「今だ!」
ジェイが叫ぶ。
二人は一切の迷いなく、弱ったマッドプラントへ矢を撃ち込んでいく。
マッドプラントの蔓が大きく痙攣する。
そして――
ズルッ……。
力を失った蔓が、洞窟の壁からゆっくりと剥がれ落ちた。
「これで……」
アンが呟いた。
だが――
「待て」
ジェイが低い声で言った。
洞窟の奥から、何かが聞こえる。
「……グルルル……」
低い唸り声。
一つではない。
「……複数いる」
グリフが弓を構えた。
暗闇の奥から、ゆっくりとコボルトたちが姿を現す。
その数は――
少なくとも五体。
いや、さらに奥にもいる。
「……なんだ、こいつら」
レインが息を呑んだ。
姿が明らかにおかしい。
これまで見てきたコボルトとは、まるで違う。
身体は一回り、いや二回りほど大きい。
筋肉は異様に発達し、毛は逆立っている。
そして何より――
その目には、理性の光がほとんど残っていなかった。
「グルルル……」
コボルトたちは、こちらを睨みつける。
逃げる気配はない。
怯える様子もない。
ただ、獲物を見つけた獣のように唸っている。
アンが小さく呟いた。
「……もう、実を食べてしまった個体ですね」
ジェイは短剣を抜いた。
「そういうことか」
マッドプラントは倒した。
だが、それで終わりではない。
すでに実を食べ、凶暴化してしまったコボルトたちは残っている。
「来るぞ!」
次の瞬間――
「ギャアアアアッ!」
複数のコボルトが、一斉にこちらへ飛びかかってきた。
「来るぞ!」
ジェイとグリフが、ほぼ同時に弓を引き絞った。
ヒュンッ!
二本の矢が暗闇を切り裂く。
「ギャアアアッ!」
矢は正確にコボルトの身体へ突き刺さった。
だが――
「……!」
コボルトは怯まなかった。
矢が刺さったまま、こちらへ向かってくる。
「効いてないのか!?」
レインが驚きの声を上げる。
次の瞬間、コボルトが大きく跳躍した。
「来る!」
俺は盾を構えた。
レインさんも同時に盾を前へ突き出す。
ドンッ!
凄まじい勢いでコボルトが盾へぶつかってきた。
「ぐっ……!」
衝撃で腕が痺れる。
だが、俺とレインさんは盾を傾け、コボルトの突進を真正面から受け止めるのではなく、横へと受け流した。
「今だ!」
コボルトの身体が大きくよろめく。
その隙を狙い、ジェイとグリフが次の矢を放つ。
しかし――
「まだ来るぞ!」
奥から、さらに別のコボルトが飛び出してきた。
一体ではない。
この異様なコボルトたちは、まだ何体も残っている。
洞窟内に、獣の唸り声が響き渡った。
「バックスタブ……!」
誰かが呟いた。
その瞬間だった。
一体の異様なコボルトが、レインさんの盾に弾かれて大きく体勢を崩した。
そこへ――
「……!」
グリフが駆け込んだ。
ジェイがこの戦いで何度も見せていた、あの動き。
敵の死角へ入り込み、背後から急所を狙う。
グリフはそれを、見よう見まねでやってのけた。
「グリフ!」
ジェイが叫ぶ。
グリフは答えない。
ただ、短剣を握り直し、コボルトの背後へ滑り込む。
そして――
ズブッ!
短剣が深々と突き刺さった。
その一撃は、美しく正確だった。
異様なコボルトの急所を寸分違わず捉えている。
「グ……ガ……」
コボルトの動きが止まる。
そのまま力なく地面へ倒れた。
「……仕留めた」
グリフが呟く。
ジェイは倒れたコボルトを確認すると、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「よくやったな」
グリフは短剣を見つめる。
自分でも驚いているようだった。
先ほどまでジェイが見せていた技。
それを、今度は自分が使った。
「……ありがとうございます」
グリフは短剣を構え直した。
まだ戦いは終わっていない
そして――
俺たちは接敵した。
洞窟の奥から、ゆっくりと何かが姿を現す。
最初に見えたのは、その大きな腕だった。
次に、肩。
そして――
巨体が暗闇の中から姿を現した。
「……なんだ、あれ」
誰かが息を呑んだ。
そこにいたのは、コボルトだった。
しかし、これまで見てきたコボルトとは明らかに違う。
身体が大きい。
それだけではない。
全身の筋肉が異常なまでに発達している。
太い腕。
分厚い胸板。
巨大な脚。
その肉体は、まるで別の魔物かと思うほどだった。
「……あいつか」
ジェイが低い声で呟いた。
冒険者たちの間で噂されていた個体。
東の高山で目撃されたという、巨大で獰猛なコボルト。
「まさか……本当にいたとはな」
グリフが弓を構える。
巨大なコボルトは、ゆっくりとこちらを見た。
その目には、これまでのコボルトにあった臆病さなど微塵もない。
ただ、こちらを敵として認識している。
そして――
「グルルル……」
低く、地の底から響くような唸り声。
洞窟内の空気が、一瞬で張り詰めた。
俺は盾を構え直した。
剣を握る手に、自然と力が入る。
こいつは――
今まで戦ってきたコボルトとは、明らかに違う。




