筆記試験、実技試験
――そして、魔法学校の入学試験当日。
最初に行われるのは、筆記試験だった。
魔法学校の校舎前まで、俺とアリスはカレンを見送りに来ていた。
「わぁ……!」
目の前にそびえ立つ大きな校舎を見上げ、カレンは目を輝かせている。
これから入学試験だというのに、緊張している様子はまるでない。
むしろ――。
「楽しみだなぁ……!」
今にも駆け出してしまいそうなほど、楽しそうだった。
「カレン、試験なんだから、ちゃんと問題を読んでから答えるのよ?」
「うん!」
「分からない問題があっても焦らなくていいからね?」
「うん!」
「それから――」
「……アリス」
俺は思わず声を掛けた。
「ん?」
「緊張してるのはカレンじゃなくて、アリスじゃないか?」
「…………」
アリスの動きが止まった。
「そ、そんなことないわ」
「いや、さっきからカレンに同じことを何度も言ってるぞ」
「だって……」
アリスは心配そうにカレンを見る。
「カレンにとっては初めての試験なのよ?」
「大丈夫だって」
俺は笑った。
カレンがこれまでどれだけ魔法を学んできたのか。
それを一番よく知っているのは、他でもないアリスだ。
「今まで教えた通りにやれば、筆記試験も難しくないわ」
アリスはそう言って――。
……いや。
そう言ったものの、その表情にはまだ不安が残っている。
「カレンなら大丈夫だよ」
「うん!」
カレンは満面の笑みを浮かべた。
「カレン、いっぱい勉強したもん!」
「そうね……」
アリスは優しく微笑む。
そしてカレンの髪をそっと撫でた。
「だから、いつも通りでいいのよ」
「うん!」
カレンは元気よく頷いた。
すると――。
「それじゃあ、行ってきます!」
「ああ。頑張ってこい」
「いってらっしゃい、カレン」
「行ってきまーす!」
カレンは大きく手を振ると、魔法学校の校舎へと駆けていった。
その背中を、俺とアリスは並んで見送る。
しばらくすると、カレンの姿が校舎の中へ消えていった。
「…………」
「…………」
「……大丈夫かしら」
ぽつりと呟いたのは、やはりアリスだった。
「大丈夫だよ」
「でも……」
「カレンよりアリスの方が緊張してるぞ」
「……もう」
アリスは少し頬を膨らませる。
けれど――。
その顔には、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
今日のために、カレンはずっと勉強してきた。
そして今日から――。
あの子自身の新しい世界が始まる。
「……楽しみね」
「ああ」
俺たちはもう一度、魔法学校の校舎を見上げた。
その頃、校舎の中では――。
「わぁ……!」
カレンが、目を輝かせながら筆記試験の会場へ向かっていた。
試験会場へ入ると――。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
流石、王都にある魔法学校。
筆記試験を受ける子どもたちは、かなりの人数に上っていた。
広い試験会場には、いくつもの机が整然と並べられている。
そこに座っているのは、十歳前後の子どもたち。
皆、これから始まる試験を前にして――。
「……緊張するなぁ」
「ちゃんと答えられるかな……」
「昨日、もっと勉強しておけばよかった……」
不安そうな顔を浮かべている。
中には何度も参考書を確認している子もいれば、両手を握りしめて祈るように目を閉じている子もいた。
そんな中――。
カレンはというと。
「…………」
机に座りながら、きょろきょろと周囲を見回していた。
「いっぱい人がいるなぁ……」
緊張しているというより、初めて見る光景を楽しんでいるようだった。
やがて――。
試験会場の扉が開く。
「……!」
ざわついていた会場が、一瞬で静まり返った。
入ってきたのは、数人の試験官だった。
その中でも先頭に立つ人物が、受験生たちを見渡す。
「――ようこそ、王都魔法学校へ」
よく通る声が、静かな会場に響き渡った。
「これより、王都魔法学校入学試験――筆記試験を開始します」
その言葉に、受験生たちの表情が一層引き締まる。
「試験時間は――」
試験官が説明を続ける。
そして――。
「それでは、試験用紙を配布します」
試験官が片手を軽く上げた。
すると――。
ふわっ。
空中に大量の紙が現れた。
「……!」
それらはまるで意思を持っているかのように、次々と宙を舞う。
そして――。
ひらり。
ひらり。
受験生たちの机の上へ、一枚ずつ正確に着地していく。
魔法による一斉配布。
その光景に、何人かの子どもたちは思わず目を輝かせた。
「……すごい」
カレンも机の上に置かれた試験用紙を見つめる。
表紙には――。
『王都魔法学校 入学試験 筆記試験』
そう書かれていた。
「全員に試験用紙が行き渡りましたね」
試験官が確認する。
会場に静寂が広がった。
緊張した面持ちで、試験用紙を見つめる子どもたち。
カレンも静かに紙へ視線を落とす。
「それでは――」
試験官が告げる。
「――始めてください」
その瞬間。
カリッ、カリッ、カリッ――。
一斉に鉛筆を走らせる音が、広い試験会場に響き始めた。
――こうして。
カレンの王都魔法学校入学試験、その最初の試験が始まった。
筆記試験が始まってしばらくすると――。
会場には、鉛筆を走らせる音だけが響いていた。
試験問題は、単純な魔法の知識を問うものではなかった。
最初の問題は――属性に関する問題。
『火属性と水属性の魔法が互いに干渉した場合、どのような現象が起こる可能性があるか答えよ』
さらに――。
『土属性の魔法と風属性の魔法、それぞれの特徴を三つずつ挙げよ』
魔法の基礎理論を理解していなければ、答えることは難しい。
そして次の問題。
そこには、一つの魔法陣が描かれていた。
しかし――。
その魔法陣には、いくつかの間違いが含まれている。
『この魔法陣には誤りがあります。間違っている箇所を指摘し、正しい形に修正しなさい』
「…………」
受験生たちは、必死に魔法陣を見つめていた。
魔法陣は一つの線が間違っているだけでも、魔力の流れが変わってしまう。
正確な魔法陣の構造を理解していなければ、修正することはできない。
さらに――。
後半になると、より実践的な問題が出題された。
『魔物と戦闘になった場合、状況に応じて最も適切だと思われる魔法を一つ選びなさい』
そして、その下にはこう続いている。
『また、その魔法が適切である理由を、魔物の性質、周囲の環境、味方への影響などを考慮した上で論述しなさい』
単に「この魔法が強いから」という理由では、正解にはならない。
相手の魔物がどのような性質を持っているのか。
自分たちがどのような場所で戦っているのか。
味方を巻き込む危険はないのか。
魔力の消費量は適切なのか。
そして――。
その魔法を使うことで、戦況をどう変えられるのか。
そこまで考えなければならない問題だった。
「…………」
カレンは一問ずつ、問題を読み進めていく。
そして――。
さらさらさら……。
迷うことなく、答えを書き込んでいった。
魔法陣の問題では、間違っている箇所をすぐに見抜く。
属性問題では、単純な相性だけではなく、それぞれの属性が持つ特徴まで丁寧に書いていく。
そして論述問題。
カレンは少しだけ考えると、ゆっくりと答案を書き始めた。
――これは、今までアリスから教わってきたことだった。
魔法とは、ただ強力な魔法を使えばいいわけではない。
相手を知り。
環境を知り。
自分の魔力を知る。
その上で――。
最も適した魔法を選択する。
「…………」
カレンは楽しそうに答案を書き続けていた。
周囲の受験生たちが頭を抱えている中――。
カレンだけは、まるで勉強を楽しんでいるかのようだった。
そして――。
試験会場の後方から受験生たちを監督していた試験官の一人が、そんなカレンの姿に気付く。
「…………?」
その筆の速さに、試験官はわずかに目を細めた。
――まだ試験開始から、それほど時間は経っていない。
それなのに。
あの少女は、一切筆を止めることなく答案を書き続けていた。
そして――。
カレンが特に楽しそうに答案を書いていたのは、魔法陣に関する問題だった。
問題用紙に描かれているのは、人族の魔法使いが使う――基礎中の基礎。
初級魔法を発動させるための魔法陣。
魔法学校に入学する子どもなら、誰もが一度は学ぶものだった。
「…………」
カレンは魔法陣をじっと見つめる。
そして――。
「ふふっ」
小さく笑った。
「ここ……いらないよね」
カレンにとって、その魔法陣は――。
間違いだらけに見えていた。
魔力の流れを必要以上に複雑にしている線。
同じ役割を持つ術式を重複させている部分。
そして、わざわざ遠回りさせている魔力経路。
確かに、これでも魔法は発動する。
人族の魔法使いたちが長い年月を掛けて研究し、受け継いできた魔法陣なのだ。
しかし――。
カレンにとっては、もっと簡単な方法が見えていた。
「こうして……」
カレンは間違っている箇所を直すだけではなく――。
魔法陣そのものを書き換え始めた。
一本の線を消す。
別の線を繋ぐ。
術式の一部を簡略化する。
そして――。
「できた!」
そこに完成したのは、元の魔法陣とは似ているようで――まるで違う魔法陣だった。
必要な術式だけを残し、余分な部分を徹底的に削ぎ落としている。
魔力の流れも、元の魔法陣より遥かに単純。
それでいて――。
魔法としての機能は失われていない。
むしろ。
元の魔法陣よりも効率がいい。
「これなら、もっと少ない魔力で使えるよね」
カレンは嬉しそうに呟いた。
本人にとっては――。
ただ、もっと使いやすいように魔法陣を直しただけ。
けれど。
もし、この答案を見た者がいたなら――。
きっと、そう簡単には信じられなかっただろう。
人族が長い年月を掛けて完成させてきた基礎魔法陣。
それを十歳の少女が――。
より簡単に。
より効率的に。
そして――。
より少ない魔力で発動できる形へと、独自に改良してしまったのだから。
「次は……これだ!」
カレンは目を輝かせ、次の問題へと進んでいく。
その姿はまるで――。
難しい試験を受けているというより、楽しい遊びをしているようだった。
そして――。
「そこまで!」
試験官の号令が、静かな試験会場に響き渡った。
「筆記試験を終了します。筆記用具を置いてください」
カリカリと響いていた鉛筆の音が、一斉に止まる。
受験生たちは大きく息を吐いた。
「終わった……」
「難しかった……」
「次は実技か……」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
カレンはというと――。
「終わったぁ!」
ぱっと顔を上げると、楽しそうに伸びをした。
しばらくの小休憩を挟んだ後、受験生たちは次の試験会場へと移動することになった。
向かった先は――。
魔法学校の校舎内にある、大きな訓練場。
広々とした空間には、魔法を使うための十分なスペースが確保されている。
これから行われるのは――魔法の実技試験だ。
受験生たちがぞろぞろと訓練場へ向かって歩いていると――。
「……あの」
カレンの後ろから、小さな声が聞こえた。
「ん?」
振り返る。
そこにいたのは――。
黒髪のおかっぱ頭の少女だった。
年齢はカレンとそれほど変わらない。
けれど、その少女はカレンを見ると少し緊張したように身体を強張らせた。
「あ、あの……」
「どうしたの?」
カレンが笑顔で尋ねる。
少女は一度深呼吸すると――。
「こんにちは、カレン様……」
「こんにちは!」
カレンは満面の笑みで返した。
あまりにも自然な返事だったため、少女の方が少し驚いたように目を瞬かせる。
「わ、私は……ファリスと言います」
「ファリスちゃん?」
「は、はい……!」
ファリスは恐る恐る頷いた。
「よろしくお願いします……」
「うん! よろしくね、ファリスちゃん!」
カレンは嬉しそうに笑った。
ファリスはそんなカレンをしばらく見つめていた。
もっと怖い人なのかと思っていた。
特待生として入学試験を受けるほどの少女。
しかも、周囲からは「カレン様」と呼ばれている。
だから――。
きっと、近寄りがたい人なのだと思っていた。
けれど。
「ファリスちゃんも、魔法の試験?」
「はい……」
「そっか! じゃあ一緒だね!」
「……え?」
「一緒に頑張ろう!」
カレンはそう言って、にこっと笑った。
「……はい!」
ファリスの表情から、ほんの少しだけ緊張が消えた。
こうして――。
魔法学校でカレンが最初に声を交わした少女。
黒髪のおかっぱ頭の少女、ファリス。
その出会いは、二人にとって小さな一歩となった。
ファリスと並んで歩いていると――。
「おい」
後ろから、声を掛けられた。
カレンとファリスが振り返る。
そこにいたのは、三人の少年だった。
三人ともカレンたちと同じくらいの年齢。
しかし、その身なりは明らかに違っていた。
仕立ての良い服。
胸元には家紋らしき刺繍。
髪型も服装も整えられており、見るからに貴族の子どもたちだった。
三人の中央にいる少年が、カレンを見ながら口を開く。
「君、カレンだろ?」
「うん。そうだけど?」
「俺はヴァイスだ」
少年は自信満々に名乗った。
「こっちの二人も俺の友人だ」
そして――。
ヴァイスはファリスへ視線を向けた。
「……そいつと一緒にいるのか?」
「うん。ファリスちゃんだよ」
「やめておいた方がいい」
「……え?」
ファリスの肩が、びくっと震えた。
「こいつは平民の出だ」
ヴァイスはそう言って、どこか見下すような視線をファリスへ向ける。
「付き合うなら、俺たちみたいな貴族と一緒にいた方がいいぞ」
「…………」
ファリスは俯いた。
小さな手が、ぎゅっと握り締められている。
明らかに怯えていた。
カレンはそんなファリスを見て――。
「……どうして?」
静かに尋ねた。
「どうしてって?」
「貴族だから?」
「そうだ」
ヴァイスは当然のことのように答えた。
「貴族と平民じゃ身分が違う。学校にいる間だって、付き合う相手は選んだ方がいい」
「…………」
カレンはヴァイスたちを見つめる。
そして――。
「私は、貴族だろうと平民だろうと関係ないよ」
「なに?」
「その人がどんな身分なのかなんて、私には関係ない」
カレンはそう言って、ファリスを見る。
「ファリスちゃんは、ファリスちゃんだよ」
「……カレン、様……」
ファリスが小さく呟いた。
「一緒にお話しして楽しいなら、それでいいじゃない」
カレンはにこっと笑った。
「だから――」
カレンはファリスの手を優しく握る。
「行こう、ファリスちゃん」
「……え?」
「実技試験、始まっちゃうよ!」
「あ……はい!」
カレンに手を引かれ、ファリスも歩き出す。
二人はそのまま、訓練場へ向かっていった。
「…………」
残されたヴァイスたちは、呆然とその背中を見つめていた。
そして――。
カレンに手を握られたファリスは、俯いたまま小さく笑った。
初めて会ったばかりなのに。
自分を庇ってくれた。
身分なんて関係ないと、迷いなく言ってくれた。
――ファリスにとって、その日が魔法学校で初めてできた友達との出会いだった。
訓練場へ向かう廊下を、二人並んで歩いていると――。
「カ、カレン様……」
「ん?」
ファリスが、まだ少し緊張した様子で口を開いた。
「さっきのヴァイス君……名門貴族なんだよ……」
「そうなの?」
カレンは少し驚いたようにファリスを見る。
「うん……。王都でも有名な家の子だって……」
「へぇ……」
カレンは少し考える。
そして――。
「でも、魔法を勉強するのに身分は関係ないよ」
にこっと笑った。
「貴族だから魔法が上手になるわけじゃないし、平民だから魔法が下手ってこともないでしょ?」
「……!」
ファリスは目を丸くする。
「だから、私はファリスちゃんと一緒に勉強したいな」
「カレン様……」
ファリスの顔に、少しずつ笑顔が戻っていく。
するとカレンは、ふと思い出したように言った。
「あっ、そうだ」
「はい?」
「『カレン様』って呼ばなくていいよ」
「えっ?」
「カレンでいいよ」
「で、でも……」
ファリスは困ったように眉を下げる。
「そんな……呼び捨てなんて……」
「じゃあ――」
カレンは少し考えてから、笑った。
「カレンちゃんでもいいよ!」
「……カレンちゃん?」
「うん!」
ファリスはしばらくカレンの顔を見つめていた。
そして――。
「……じゃあ」
恥ずかしそうに笑う。
「カレンちゃんって呼びたい」
「うん! そう呼んで!」
「……カレンちゃん」
「なぁに?」
すぐに返事をするカレン。
それを聞いたファリスは――。
「ふふっ……」
思わず笑ってしまった。
「なんだか……嬉しい」
「私も!」
二人は顔を見合わせて笑う。
さっきまで張り詰めていたファリスの表情は、もうすっかり柔らかくなっていた。
そして二人は――。
手を繋いだまま、実技試験が行われる訓練場へと向かっていった。
訓練場へ到着すると――。
そこには、先ほどの筆記試験とは別の試験官が数名、横一列に並んでいた。
広い訓練場の奥には、いくつもの的が設置されている。
そして――。
「……あれ?」
受験生の何人かが、訓練場の反対側へ視線を向ける。
そこには、試験を見守るように大勢の魔導士たちが立っていた。
全員、身に着けているローブが普通の魔法使いとは違う。
――宮廷魔導士。
王国を代表する魔法使いたちだった。
「宮廷魔導士まで……?」
「なんでこんなにいるの……?」
受験生たちの間に、再びざわめきが広がる。
そして、その中央付近には――。
「……リリスさん!」
カレンが嬉しそうに声を漏らした。
そこにいたのは、宮廷魔導士団を率いる団長――リリスだった。
リリスもカレンの姿に気付くと、小さく微笑んだ。
「…………」
しかし、カレン以外の受験生たちは、それどころではない。
宮廷魔導士に見られながら魔法を使う。
それだけで、緊張するには十分だった。
「それでは、実技試験の説明を始めます」
試験官の声が訓練場に響いた。
受験生たちが一斉に前を向く。
「これより行う試験は、魔法による遠距離攻撃です」
試験官が指し示した先。
そこには、一つの的が置かれていた。
「皆さんには、あちらの的へ向かって魔法を放ってもらいます」
そして――。
「距離は約三十メートル」
「……三十メートル?」
受験生の間から、動揺した声が上がった。
魔法を使える子どもにとっても、三十メートルという距離は決して短くない。
近距離なら当てられる魔法でも、距離が伸びれば魔力の制御は難しくなる。
ましてや、入学試験を受ける十歳前後の子どもたちだ。
「自分が最も得意とする魔法を使用してください」
試験官は淡々と説明を続ける。
「威力だけを評価するわけではありません。魔力の制御、精度、魔法の構築などを総合的に評価します」
「…………」
受験生たちは、遠くにある的を見つめる。
さっきまで筆記試験で落ち着いていた子どもたちも、今度ばかりは顔が強張っていた。
「三十メートル……」
「届くかな……」
「失敗したらどうしよう……」
そして――。
「…………」
ファリスも遠くの的を見つめていた。
その小さな手は、ぎゅっと握られている。
「どうしよう……」
不安そうに呟くファリス。
カレンはそんなファリスの横顔を見て――。
「ファリスちゃん」
「……うん?」
カレンは優しく笑った。
「大丈夫だよ」
「でも……三十メートルだよ?」
「うん!」
カレンは遠くの的を見る。
そして――。
「いつも通りに魔法を使えばいいんだよ」
そう言って、にこっと笑った。
その言葉とは裏腹に――。
カレンの視線は、まるで三十メートルという距離など存在しないかのように、真っ直ぐ的を捉えていた。
実技試験が始まった。
受験生たちは一人ずつ前へ出て、自分の得意な魔法を的へ向けて放っていく。
そして、全員がそれぞれ違った杖を手にしていた。
細く真っ直ぐな木製の杖を持つ者。
先端に小さな魔石が埋め込まれた杖を持つ者。
少し太く、装飾の施された立派な杖を持つ者。
中には、身長ほどもある長い杖を持っている受験生もいる。
杖の形も、材質も、装飾も様々だった。
それぞれが自分に合った杖を握りしめ、緊張した表情で試験の順番を待っている。
「ファイアボール!」
ゴッ――!
受験生の一人が杖を振る。
杖の先から炎の塊が放たれた。
しかし――。
的まで届くことなく、途中で霧散してしまった。
「次!」
「はい!」
別の受験生が前へ出る。
「ウィンドアロー!」
杖の先端から風の矢が放たれる。
今度はかなりの距離を飛んだものの、的の横を大きく逸れていった。
「魔力制御が甘いな」
「出力は悪くない」
試験官たちは、受験生一人ひとりの魔法を確認しながら記録していく。
魔法の威力だけではない。
使用した属性。
魔法の種類。
魔力の量。
魔力制御。
そして、三十メートルという距離をどこまで正確に飛ばせたのか。
様々な項目が測定されていた。
受験生たちは必死だった。
しかし――。
多くの受験生が、的まで魔法を届かせることすらできていない。
「……難しい」
「あと少しだったのに……」
そんな声が聞こえてくる。
そして――。
「次、ファリス」
「……!」
名前を呼ばれた瞬間、ファリスの身体がぴくっと震えた。
「は、はい!」
ファリスは自分の杖をぎゅっと握りしめる。
それは彼女の身長に合わせた、細身の木製の杖だった。
決して豪華なものではない。
けれど、ファリスにとっては大切な杖なのだろう。
緊張した面持ちで前へ出る。
そして――。
杖を的へ向けた。
「…………」
一度、大きく息を吸う。
「……アイスボルト」
ファリスが詠唱すると、杖の先端から冷気が溢れ出した。
周囲の空気が一瞬で冷たくなる。
杖の先に氷が集まり、一本の氷の矢が形成されていく。
「…………っ」
ファリスは必死に魔力を流し込んだ。
額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
「いけ……!」
そして――。
「アイスボルト!」
ヒュンッ!
杖から放たれた氷の矢が、三十メートル先の的へ向かって真っ直ぐ飛んでいく。
「……!」
ファリスの目が輝く。
いける。
このままなら――。
しかし。
アイスボルトは、的まであと数メートルというところで――。
シュウゥゥ……。
「……あっ」
空中で消滅した。
ファリスは呆然とする。
けれど――。
「惜しかったな」
試験官の一人がそう呟いた。
「三十メートル近くまで飛ばせている」
「魔力制御も悪くない」
「出力は十分。ただし、終盤で魔力が維持できなくなったようだな」
試験官たちは記録を書き込んでいく。
ファリスは俯きながら、自分の杖を見つめた。
「……届かなかった」
悔しそうな声。
すると――。
「ファリスちゃん!」
後ろから、カレンの声が聞こえた。
「すごかったよ!」
「……え?」
ファリスが振り返る。
カレンは嬉しそうに笑っていた。
「もうちょっとだったね!」
「……うん」
「でも、すごく真っ直ぐ飛んでたよ!」
「……ありがとう、カレンちゃん」
ファリスは小さく笑った。
届かなかった。
それでも――。
自分の魔法をちゃんと見てくれている友達がいる。
それだけで、少しだけ嬉しかった。
そして――。
「次、カレン。ヴァイス」
試験官の声が響いた。
ついに二人の番がやってきた。
カレンとヴァイスは並んで前へ出る。
三十メートル先。
そこには、二人のための的が並んで設置されていた。
「…………」
カレンは静かに的を見つめる。
その隣では――。
「ふんっ」
ヴァイスがカレンを横目で見る。
そして、鼻で笑った。
「…………」
どうやら、よほど実技試験には自信があるらしい。
ヴァイスが手にしているのは、見るからに高価そうな一本の杖。
その長さは、なんとヴァイスの身長ほどもある。
美しく磨かれた杖には細かな装飾が施され、先端には大きな魔石まで埋め込まれていた。
周囲の受験生からも、思わず視線が集まる。
「すごい杖……」
「貴族の杖かな……」
ヴァイスはそんな周囲の反応など気にすることなく、ゆっくりと杖を構えた。
「…………」
そして――。
杖へ大量の魔力を流し込んでいく。
魔石が赤く輝き始める。
周囲の空気が熱を帯びていく。
「火属性……」
試験官が呟く。
ヴァイスは杖の先を、三十メートル先の的へ向けた。
「――ファイアーボール!」
ドンッ!
杖の先端から巨大な火球が放たれた。
炎を纏った火の玉は、凄まじい勢いで空気を切り裂き――。
一直線に的へ向かって飛んでいく。
そして――。
ドゴォンッ!!
火球は見事、的の中心を射抜いた。
「…………!」
訓練場にいた受験生たちから、驚きの声が上がる。
「すごい……!」
「一発で当てた……!」
試験官たちも頷きながら記録を取る。
「命中精度、問題なし」
「威力も十分だ」
「魔力制御も安定している」
ヴァイスは満足そうに杖を下ろした。
そして――。
再びカレンを見る。
「……どうだ?」
まるで自分の実力を見せつけるような視線だった。
カレンはそんなヴァイスを見て――。
「…………」
ただ、きょとんとしていた。
そして――。
小さく首を傾げる。
「すごいね」
カレンは素直にそう言った。
ヴァイスは少しだけ口元を上げた。
――次は、カレンの番だった。
ヴァイスの魔法が終わると――。
「次、カレン」
「はい!」
カレンが元気よく前へ出る。
そして、的の前に立った。
「…………」
試験官がカレンの準備を確認する。
しかし――。
「……あれ?」
試験官の視線が、カレンの両手へ向けられた。
何も持っていない。
「君、杖は……?」
「……?」
カレンは首を傾げる。
「杖?」
「ああ。魔法を使うための杖だ」
「……あっ」
カレンは少し考えるような仕草をして――。
「私、杖は使ったことがないよ」
「…………」
試験官が固まった。
「……え?」
「杖、使ったことないです」
「そ、そんな馬鹿な……!」
思わず声を上げる試験官。
周囲の受験生たちも、ざわざわと騒ぎ始めた。
「杖を使ったことがない?」
「じゃあ、どうやって魔法を……?」
試験官は驚きを隠せないまま、カレンに尋ねる。
「杖が無ければ、魔法の制御はどうしているんだ?」
「どうって……」
カレンは自分の手を見る。
「自分で……」
「…………」
「自分で制御してるよ?」
あまりにも素直な答えだった。
試験官が言葉を失う。
その時だった。
「待ってください!」
訓練場の後方から、慌ただしい足音が響いた。
「――カレン!」
「……リリスさん?」
現れたのは、宮廷魔導士団長――リリスだった。
リリスはそのままカレンのところまで駆け寄ってくる。
「カレン、アリス様から杖について何か言われていませんか?」
「うん?」
カレンは少し考えてから答えた。
「言われてるよ」
「何と?」
「膨大な魔力量を自分で制御できるようになるまでは――」
カレンは母親から言われた言葉を、そのまま思い出す。
「杖を使ってはいけませんって」
「…………」
リリスの表情が固まった。
試験官たちも同じだった。
周囲にいた宮廷魔導士たちまで、ざわめき始める。
「……膨大な魔力量?」
「杖を使わない理由が、それなのか……?」
リリスはカレンを見つめる。
そして――。
小さく息を吐いた。
「……なるほど」
それならば、納得できる。
カレンの母親――大賢者アリス。
そのアリスが、娘に杖を持たせていない。
それは――。
杖が必要ないからではない。
今のカレンには、杖を使う前に身につけなければならないことがあるからだ。
「……カレン」
「なぁに?」
リリスは苦笑しながら言った。
「あなたのお母様は……相変わらず、とんでもないことを考えますね」
「そうなの?」
カレンは不思議そうに首を傾げた。
そして――。
「じゃあ、魔法使っていい?」
リリスは思わず笑ってしまった。
「ええ。あなたの魔法を見せてください」
その言葉に――。
カレンは嬉しそうに笑った。
「では――」
試験官はカレンを見て言った。
「全力で、あの的を狙ってください」
「……え?」
カレンが目を丸くする。
「全力で……いいの?」
「もちろんです」
試験官は迷いなく答えた。
「あなたが持っている力を、すべて使ってください」
「……分かりました」
カレンは素直に頷いた。
「じゃあ……全力で雷属性を撃ちます」
「ええ。お願いします」
その瞬間だった。
カレンの表情から、先ほどまでの無邪気さが消えた。
「…………」
ゆっくりと目を閉じる。
そして――。
カレンは、自らの中にある魔力を解放した。
――ドォンッ!!
「――――っ!?」
瞬間。
訓練場全体を包み込むほどの、膨大な魔力が一気に溢れ出した。
「な、なんだ……この魔力は!?」
魔力はカレンを中心に渦を巻き始める。
ただ溢れているだけではない。
まるで意思を持った生き物のように、蠢き、うねりながら周囲を覆っていく。
空気が震える。
大地が――揺れる。
「な……なんて量だ……!」
宮廷魔導士たちが思わず後ずさる。
そして――。
バチッ。
バチバチバチッ!!
カレンの身体から、真っ赤な雷が姿を現した。
「…………」
赤い雷鳴がカレンの身体を這う。
その一つ一つが、まるで生きているかのように激しく明滅している。
――ゴロゴロゴロゴロ……。
遠くから、轟音が響いた。
「……え?」
誰かが空を見上げる。
王都の上空。
先ほどまで晴れていた空に――。
真っ黒な雷雲が、凄まじい速度で集まり始めていた。
――ゴロゴロゴロゴロゴロッ!!
雷鳴が王都全体に響き渡る。
「…………」
訓練場にいる全員が、空を見上げていた。
そして――。
「……あぁ……」
一人だけ、別の意味で震えている者がいた。
宮廷魔導士団長――リリスだった。
「あぁ……素晴らしい……」
その目は完全に恍惚としている。
「これほどの雷鳴を……この距離で……」
そして両手を広げ――。
「あぁ……!」
「リ、リリス様!?」
「あぁ……私は今、雷鳴に打たれて死ねるのですね……!」
「何を言っているんですか!?」
完全に錯乱していた。
「リリス様! しっかりしてください!」
「このままでは王都が消滅します!」
「リリス様、なんとかしてください!」
「…………はっ!」
宮廷魔導士たちに揺さぶられ、ようやくリリスの意識が戻る。
「……王都が?」
「はい!」
「消滅します!」
「……!」
リリスの顔が青ざめた。
「カレンを止めます!」
リリスは慌ててカレンへ駆け寄った。
「カレン!」
「……?」
カレンが振り返る。
その周囲では、いまだ赤い雷が激しく弾けている。
「もう十分です!」
「え?」
「ここまでです! 試験は終了です!」
「でも、まだ撃ってないよ?」
「撃たなくていいです!」
リリスは必死だった。
「もう十分すぎます!」
「……そうなの?」
「はい!」
カレンは少し不思議そうな顔をした。
そして――。
「分かった」
素直に頷いた。
「じゃあ、やめるね」
カレンが魔力を抑え込む。
すると――。
バチッ……。
バチバチ……。
赤い雷が一つ、また一つと消えていく。
渦巻いていた魔力も、ゆっくりとカレンの身体へ戻っていった。
そして――。
ゴロゴロ……。
王都上空を覆っていた黒い雷雲も、少しずつ薄れていく。
やがて訓練場には――。
何事もなかったかのような静寂が戻った。
「…………」
誰も言葉を発することができない。
そんな中――。
「…………」
ヴァイスは、その場にへたり込んでいた。
腰が抜けてしまったのだ。
「…………ひっ」
身体が震えている。
さっきまでの自信に満ちた表情は、もうどこにもなかった。
自分の放ったファイアーボールを見て、勝ち誇っていた少年。
その目の前で――。
自分とは比較にならないほどの魔力を持つ少女が、まるで当たり前のようにそれを解放した。
「……あれが……同い年……?」
ヴァイスは震えながら、カレンを見上げていた。




