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冒険の書  作者: siva5880


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57/69

王都 崩落

カレンを魔法学校へ送り届けた後――。


 俺とアリスは、久しぶりに二人きりで王都を歩いていた。


「今日はどこへ行こうか?」


「そうね……」


 アリスは少し考えると、王都の通りを見渡した。


 今日はカレンの入学試験。


 俺たちが付き添えるのは朝までだったため、試験が終わるまでの時間は、久しぶりに夫婦二人で過ごすことになった。


「たまには、ゆっくり買い物でもするか」


「いいわね」


 俺はそう言いながら、ふと思った。


 最近、アリスには何かと苦労をかけている。


 カレンのこともあるし、旅や冒険に出ることも多かった。


 だから今日は――。


「そうだな……今日はアリスに服でも買ってあげようかな」


「服?」


「ああ。せっかくだし、女性らしい服とか、靴とか。いつも同じような服ばかりだろ?」


 アリスは自分の服を見下ろした。


 確かに、いつもの魔導士らしい服装だ。


「……別に困ってないわよ?」


「そう言うと思ったよ」


 俺は苦笑する。


「でも、たまにはいいだろ?」


「うーん……」


 アリスは少し考え――。


 そして、目を輝かせた。


「それなら、魔導書が欲しいわ」


「……」


「あと、珍しい書物とか。王都には地方では手に入らない本がたくさんあるでしょう?」


「服や靴じゃなくて?」


「ええ」


 即答だった。


「……アリスらしいな」


「だって、面白そうな本がたくさんあるもの」


 アリスは楽しそうに笑う。


 その表情を見ていると、無理に服を買わせる必要もないと思えてきた。


「分かったよ」


 俺は笑いながら頷いた。


「今日はアリスの好きなものを買おう」


「本当に?」


「ああ。魔導書でも珍しい書物でも、好きなだけ探していいぞ」


「ふふっ……じゃあ、まずは王立大書庫の近くにある古書店に行きましょう!」


「もう行き先まで決まってるのかよ」


「もちろんよ!」


 アリスは俺の腕に自分の腕を絡める。


「せっかくのデートなんだから、楽しみましょう?」


「ああ」


 俺も笑って答えた。


 カレンが魔法学校で頑張っている間――。


 俺たちは俺たちで、久しぶりの二人きりの時間を楽しむことにした。


アリスに連れられてやって来た古書店は――。


 王都の賑やかな大通りから少し外れた場所に、ひっそりと建っていた。


 建物はかなり古い。


 木造の壁はところどころ黒ずみ、扉を開けると――。


 ギィィ……。


 古びた音が店内に響いた。


「……随分と古い店だな」


「ふふっ。こういう店ほど、掘り出し物があるのよ」


 店の中には、天井まで届きそうなほど高く積まれた本棚がいくつも並んでいた。


 古びた魔導書。


 歴史書。


 失われた文明について書かれた書物。


 見たこともない文字で書かれた本まである。


 俺にはさっぱり分からないものばかりだ。


「……アリス、そんなに本を買ってどうするんだ?」


「読むのよ」


「いや、それは分かるけど……」


「全部読むの」


「……全部?」


「全部」


 アリスは即答すると、楽しそうに本棚を眺め始めた。


「これは……違うわね」


「こっちは?」


「ただの歴史書ね」


「これは?」


「料理の本」


「なんで魔導書の棚に料理の本があるんだよ……」


「古書店だもの。色々あるわよ」


 そんな会話をしながら、アリスは次々と本を手に取っていく。


 その目はまるで宝探しをしている子供のようだった。


「……あっ」


 しばらくして――。


 アリスが一冊の本の前で立ち止まった。


「どうした?」


「……これ」


 アリスが指差したのは、一冊の古びた魔導書だった。


 他の本とは明らかに違う。


 分厚い黒い表紙。


 表面には見たことのない紋様が刻まれている。


 そして――。


 何重もの鎖が巻き付けられていた。


「……なんだ、これ」


 俺が近づいた瞬間。


 ゾクリ。


 背筋に悪寒が走った。


 明らかに普通の本ではない。


 鎖で封印されているというだけでも十分怪しいのに――。


 その本から、禍々しいオーラが漂っている。


「アリス……」


「ええ」


 アリスもそれを感じ取っているようだった。


 だが――。


 彼女の表情は恐怖ではなかった。


 むしろ――。


 キラキラと目を輝かせている。


「これにするわ……!」


「いや、待て」


 俺は思わずアリスを止めた。


「明らかに危険そうな魔導書じゃないのか……?」


「ええ。でも――」


 アリスは本の表紙をじっと見つめる。


「この魔導書には……死者を蘇らせる魔法について記述されている様子なの……!」


「……」


 俺は言葉を失った。


「それって……危険じゃないのか……?」


「そうね」


 アリスは頷いた。


「でも、死者を蘇らせる魔法なんて、今まで見たことも聞いたこともないわ」


「だからって……」


「失われた魔法よ?」


 アリスの目がさらに輝く。


「どんな理論で構築されているのかしら……。魂をどうやって肉体へ戻すのかしら……。そもそも、本当に蘇生なのか、それとも――」


「アリス」


「……」


「完全に研究者の目になってるぞ」


「だって、こんなもの……滅多に見つからないもの」


 アリスは名残惜しそうに魔導書を見つめた。


 そして――。


 先ほどまでピンと立っていたエルフの尖った耳が、ゆっくりと垂れ下がっていく。


「……買っちゃダメなの?」


「……」


 アリスが俺を見る。


 その瞳は――。


 ウルウルと潤んでいた。


「……」


 ずるい。


 その顔はずるいだろ。


「いや……ダメじゃないけど……」


「本当?」


「まあ……いいか」


「……!」


 その瞬間。


 アリスの耳がピンッと立った。


「やった!」


「……」


 さっきまでのしょんぼりした姿はどこへ行ったんだ。


「ありがとう、あなた!」


 アリスは嬉しそうに魔導書を抱きしめる。


「……まったく」


 俺は苦笑しながら頭を掻いた。


 まあ――。


 こんなに嬉しそうなアリスを見ることができるなら、たまにはこういう買い物も悪くないか。


 ……ただし。


 鎖で封印された、禍々しい魔導書を買うことになるとは思わなかったけどな。


その後も、俺たちは王都での時間をゆっくりと楽しんだ。


 古書店を出たあと――。


「ねえ、あなた。あっちのお店、見てみない?」


 アリスが指差したのは、色とりどりのアクセサリーが並んだ店だった。


「アクセサリーか」


「ええ。ちょっと見てみましょう」


 店内には、指輪やネックレス、髪飾りなど、様々な装飾品が並べられている。


 その中で俺たちの目に留まったのは――。


「……これ、いいんじゃないか?」


 シンプルな銀色の腕輪だった。


 二つ並べてみると、ほとんど同じデザインだ。


「お揃いね」


 アリスが嬉しそうに微笑む。


「たまには、こういうのもいいだろ?」


「うん」


 アリスは腕輪を手に取ると、自分の腕に当ててみる。


「似合う?」


「ああ。よく似合ってるよ」


「ふふっ」


 結局、俺たちはその腕輪を二つ買うことにした。


 店を出てから、俺は自分の腕に腕輪をつける。


 そしてアリスの腕にも同じ腕輪をつけてやった。


「これでお揃いね」


「ああ」


 アリスは腕輪を眺めながら、嬉しそうに笑った。


 その後――。


 俺たちは王都でも有名だというレストランへ向かった。


 店内は落ち着いた雰囲気で、昼間だというのに多くの客で賑わっている。


「ここ、パンケーキが有名なんだって」


「パンケーキ?」


「ああ。せっかくだし食べてみよう」


 注文してしばらくすると――。


 運ばれてきた皿を見て、俺たちは思わず目を見開いた。


「……大きいな」


「すごい……!」


 ふわふわに焼き上げられたパンケーキが何枚も重なっている。


 その上には甘い果物とクリームがたっぷり乗せられ、さらに蜂蜜まで添えられていた。


「いただきます」


「いただきます」


 二人で一口食べる。


「……美味しい」


「ええ……!」


 アリスの顔がぱっと明るくなる。


「ふわふわね」


「これは確かに人気になるわけだ」


「もう一口……」


「気に入ったな」


「だって美味しいもの」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。


 魔導書を探したり。


 お揃いの腕輪を買ったり。


 美味しいものを二人で食べたり。


 特別なことをしているわけじゃない。


 それでも――。


 カレンが魔法学校で頑張っている今、こうして夫婦二人でゆっくり過ごせる時間は、とても幸せなものだった。


「……こういう日も、いいわね」


 アリスが小さく呟く。


「ああ」


 俺も笑って頷いた。


「またカレンが大きくなったら、三人で来よう」


「うん」


 アリスはそう答えながら、嬉しそうにパンケーキをもう一口食べた。


 王都の穏やかな昼下がり。


 俺たちはそんな何気ない幸せを、二人でゆっくりと噛みしめていた。


――そんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。


「……ん?」


 その瞬間だった。


 ズズズズズ……!


 大地が、揺れた。


「な、なんだ……?」


 レストランの食器がカタカタと音を立てる。


 店内にいた客たちも、一斉に顔を上げた。


 そして――。


 先ほどまで雲ひとつなかった王都の空が、急速に暗くなっていく。


「……え?」


 窓の外を見た俺は、思わず立ち上がった。


 空を覆い尽くしていたのは――。


 真っ黒な雷雲。


 それは一つの雲などという規模ではなかった。


 王都全体を包み込むほど巨大な雷雲が、まるで空そのものを飲み込むように広がっている。


 ゴロゴロゴロゴロ……!


 雲の中で、凄まじい雷鳴が轟く。


「な、なんだよ……これ……」


 街の人々も次々と建物から飛び出し、空を見上げている。


 恐怖に怯える声が、あちこちから聞こえてきた。


 俺は隣にいるアリスを見る。


「ま、魔神が……現れたのか……!?」


 こんな魔力を俺は知らない。


 大地を震わせるほどの魔力。


 空を覆うほどの異常な現象。


 これほどのものを引き起こせる存在など――。


 魔神くらいしか思いつかなかった。


「……」


 しかし、アリスは何も答えない。


 ただ、窓の外に広がる雷雲をじっと見つめていた。


「アリス?」


「……カレンの魔力ね」


「…………」


 俺は固まった。


「……え?」


「カレンの魔力」


 アリスは、もう一度そう言った。


 そして――。


 静かにため息をつく。


「どうやら……」


 アリスの耳が、ほんの少しだけ垂れ下がった。


「今日で王都は消滅するらしいわ」


「…………は?」


 俺は思わず聞き返した。


「我が娘の手によって……」


「いやいやいやいや!」


 俺は慌てて窓の外を見る。


 空では雷雲がさらに大きく渦巻いている。


「カレンは今、魔法学校の実技試験中だろ!?」


「そうね」


「なんで実技試験で王都を滅ぼしかけてるんだ!?」


「……さあ?」


「母親だろ!?」


「私にも分からないわ」


 アリスはそう言いながら、空を見上げる。


 そして――。


「でも……」


 ほんの少しだけ、誇らしそうに微笑んだ。


「さすが私たちの娘ね」


「感心してる場合かぁぁぁっ!!」


 俺の叫び声が、雷鳴にかき消された。


 ――王都上空。


 真っ黒な雷雲の中で――。


 赤い稲妻が、轟音とともに走っていた。


――王都は、瞬く間に混乱へと陥っていた。


「逃げろぉぉぉっ!」


「何が起きてるんだ!?」


「建物の中へ! いや、地下へ避難しろ!」


 大通りを、我先にと人々が走っていく。


 店を飛び出す者。


 子供を抱えて走る者。


 空を見上げたまま、立ち尽くす者。


 その誰もが、王都を覆い尽くす真っ黒な雷雲に恐怖していた。


「王都騎士団より通達! ただちに避難してください!」


「雷雲から離れろ! 建物の中へ入るんだ!」


 騎士団員たちも大慌てで街を駆け回り、必死に避難を呼びかけている。


 だが――。


 誰も、この状況をどうすればいいのか分からない。


 ゴロゴロゴロゴロ……!


 空を震わせる雷鳴。


 そのたびに大地まで揺れる。


「こ……この世の終わりだ……」


 誰かが、震える声で呟いた。


「もう……王都は終わりだ……」


 人々の顔から血の気が引いていく。


 絶望。


 誰もがそう思っていた。


 ――しかし。


「……素晴らしいわ」


「…………」


 俺は隣を見た。


 そこには――。


 目を輝かせながら空を見上げるアリスがいた。


「カレン……」


 アリスの表情には、恐怖など一切ない。


 むしろ――感動していた。


「あなたは……ついにここまで辿り着いたのね……」


「いや、アリス……」


「こんなにも膨大な魔力を……」


「アリス」


「しかも、あれほど巨大な雷雲を……」


「アリス!」


「素晴らしいわ……!」


「感動してる場合じゃない!」


 俺はアリスの肩を掴んだ。


「何とかしてくれ!」


「……」


「このままだと本当に王都が消し飛ぶぞ!」


「……そうね」


 アリスはようやく我に返った。


 そして――。


 空を見上げる。


「カレン」


 アリスが小さく呟いた。


「もう十分よ」


 その瞬間だった。


 ――スゥゥゥ……。


 先ほどまで王都を覆い尽くしていた真っ黒な雷雲が、まるで何かに吸い込まれるように薄くなっていく。


「……え?」


 街の人々が一斉に空を見上げる。


 ゴロゴロ……。


 雷鳴も、徐々に遠ざかっていく。


 そして――。


 真っ黒だった空が、少しずつ青空を取り戻していく。


 雲は消え。


 雷も消え。


 大地の揺れも収まっていく。


 やがて――。


 先ほどまでの騒ぎが嘘だったかのように、王都には静寂が戻った。


「…………」


「…………」


 逃げていた人々が、恐る恐る足を止める。


 騎士団員たちも空を見上げたまま固まっている。


 そこにあったのは――。


 雲ひとつない、いつもの青空だった。


「……何だったんだ?」


「雷雲が……消えた?」


「助かった……のか?」


 街中から、安堵の声が少しずつ広がっていく。


 俺は大きく息を吐いた。


「……助かった」


 そして隣を見る。


「アリス……」


「何?」


「……次からカレンに、実技試験ではもう少し加減するように言ってくれ」


「ええ」


 アリスは頷く。


 そして――。


「私からも、ちゃんと言っておくわ」


 少しだけ困ったように笑った。


「……『王都が消滅するから』って」


「それを先に言ってくれ……」


 俺は頭を抱えた。


 ――こうして。


 王都を滅ぼしかけたほどの魔力は、何事もなかったかのように消え去った。


 だが、この日――。


 王都にいた人々の心には、決して忘れられない光景として刻み込まれることになる。


 ――黒い雷雲と。


 その中心にいた、たった一人の少女の存在を。


俺は、しばらく青空を見上げていた。


 さっきまで王都を覆い尽くしていた黒い雷雲は、もうどこにもない。


 街も、建物も、人々も――幸い、何一つ失われてはいなかった。


 俺は大きく息を吐く。


「……流石に」


 隣にいるアリスを見る。


「魔法学校に行くか……」


「ええ」


 アリスは笑顔で頷いた。


「素晴らしい魔法だったと、カレンに伝えにいきましょう」


「……」


「きっとカレンも喜ぶわ」


「いや……」


 俺は少し考えてから、苦笑した。


「まずは『よくやった』より先に、『次からはもう少し加減しような』って言わないとな……」


「ふふっ」


 アリスは楽しそうに笑う。


「でも、あれほどの魔力を自分で制御して、ちゃんと止められたのよ?」


「……それは確かにそうだな」


 アリスの言う通りだった。


 あれほど膨大な魔力を放出したにもかかわらず、カレンは自分の意思で魔力を抑え込んだ。


 そして――。


 王都に被害を出すことなく、魔法を終わらせた。


「カレン……ちゃんと成長してるんだな」


「ええ」


 アリスは嬉しそうに頷いた。


「だから、直接褒めてあげましょう」


「ああ」


 俺たちは顔を見合わせる。


「じゃあ、行くか」


「ええ。カレンのところへ」


 こうして俺とアリスは――。


 娘が今まさに、とんでもない実技試験を終えたであろう魔法学校へ向かうことにした。


 ……果たして、カレンはどんな顔をして俺たちを迎えるのだろうか。


 俺はそんなことを考えながら、アリスと並んで歩き始めた。


魔法学校の正門前には――。


 多くの保護者たちが集まっていた。


 見るからに身分の高そうな貴族たち。


 子供を迎えに来た両親。


 そして、王族の姿まである。


 皆、試験を終えて出てくる子供たちを待っているようだった。


「それにしても……さっきのアレは何だったんだ?」


「王都全体を覆うほどの雷雲だったそうだぞ」


「大地まで揺れたらしい……」


「まさか、魔族の襲撃では……?」


「いや、魔神が現れたという噂まであるぞ」


 そこかしこから、先ほどの異変について話す声が聞こえてくる。


 俺は――。


「…………」


 何とも言えない気持ちになった。


 ……すみません。


 たぶん、その雷雲。


 うちの娘です。


 心の中で、王都の人々に謝罪する。


 隣にいるアリスはというと――。


「……」


 何故かいつも通りの顔をしていた。


「アリス……」


「何?」


「ちょっとは申し訳なさそうな顔をしてくれ」


「だって、カレンは何も悪いことをしていないもの」


「そうだけど……」


 そんな会話をしていると――。


 魔法学校の門が開いた。


「出てきたぞ!」


 待っていた保護者たちが、一斉に門へ視線を向ける。


 すると、次々と子供たちが出てきた。


「お父さん!」


「お母さん!」


 試験を終えた子供たちが、それぞれの両親のもとへ駆け寄っていく。


「よく頑張ったな!」


「怖かったよぉ……!」


 中には、試験が難しかったのか、泣きながら両親に抱きつく子供もいた。


「大丈夫よ。よく頑張ったわね」


 そんな親子の姿を見ていると――。


「……カレンは大丈夫かな」


 俺は少し心配になった。


 そして――。


「……あっ!」


 聞き覚えのある声がした。


「お父さーん!」


 振り向く。


 そこには――。


 カレンがいた。


 俺たちを見つけた瞬間、満面の笑顔になる。


「お父さん! お母さん!」


 カレンはそのまま、こちらへ駆けてきた。


「カレン!」


 俺は両手を広げる。


 次の瞬間――。


「お父さーん!」


 ドンッ!


「おっと!」


 カレンが勢いよく俺に飛びついてきた。


 俺はその小さな身体をしっかりと受け止める。


「よしよし」


 そのままカレンを抱っこして、ぎゅっと抱きしめた。


「おかえり、カレン」


「ただいま!」


 カレンは俺の腕の中で嬉しそうに笑っている。


 どうやら、試験で疲れている様子はない。


「試験、どうだった?」


「うん! 楽しかった!」


「楽しかったのか……」


 さすがカレンだ。


 俺とアリスは顔を見合わせる。


 すると、カレンが何かを思い出したように目を輝かせた。


「そうだ、お父さん!」


「ん?」


「今日ね!」


 カレンは俺の首に腕を回したまま、嬉しそうに話し始めた。


「同い年のお友達ができたの!」


「友達?」


「うん!」


 カレンは満面の笑顔で頷く。


「ファリスちゃんっていうの!」


「そうか」


「とっても優しい子なんだよ!」


 その嬉しそうな顔を見て――。


 俺も自然と笑顔になった。


「よかったな、カレン」


「うん!」


 カレンは嬉しそうに頷く。


 魔法学校でどんな魔法を使ったのか。


 どれほどの魔力を見せたのか。


 ……そんなことよりも。


 今日、カレンに初めて友達ができた。


 俺にとっては、それが何よりも嬉しいことだった。


 そして――。


「カレンちゃん!」


 少し離れたところから、聞き覚えのある声がした。


 カレンが振り返る。


「ファリスちゃん!」


 どうやら――。


 その友達も、こちらへ向かって歩いてきていた。


カレンの声を聞いて、ファリスがこちらへ歩いてきた。


 俺とアリスの前まで来ると――。


「は、初めまして……!」


 ファリスは背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「ファリスと申します。本日は……カレンちゃんと仲良くしていただいて、ありがとうございます」


「こちらこそ、よろしくな」


 俺も笑顔で返す。


「私はアリスよ。カレンのお母さんです」


「は、はい! よろしくお願いします!」


 ファリスは少し緊張しながらも、礼儀正しく頭を下げた。


 ……しっかりした子だな。


 俺はそんなことを思いながら、ふと周囲を見渡した。


 他の子供たちは、みんな両親や家族と一緒にいる。


 だが――。


 ファリスの隣には、誰もいなかった。


「……ファリス」


「はい?」


「ご両親は、まだ来ていないのか?」


 そう尋ねると、ファリスは少しだけ視線を落とした。


「……母は仕事が忙しくて……」


「そうなのか」


「それと……父は数年前、冒険者をしていて……亡くなりました」


「……」


 俺は言葉を失った。


「……そうだったのか」


 ファリスは小さく頷く。


「はい……」


 寂しそうな笑顔だった。


 その姿を見ていると――。


 どうしても放っておけなかった。


 俺はカレンを抱っこしたまま、ファリスへ手を伸ばす。


「……え?」


「ほら」


 ファリスの身体をそっと抱き上げる。


「わっ……!」


 突然のことに、ファリスが驚いた顔をする。


「今日の試験、よく頑張ったな」


「……!」


 ファリスは俺の腕の中で固まっていた。


 そして――。


「……はい」


 小さな声で返事をした。


 隣では、カレンが嬉しそうに笑っている。


「ファリスちゃん、お父さんに抱っこしてもらったね!」


「う、うん……!」


 ファリスも少し照れながら笑った。


 俺の両腕には――。


 カレンとファリス。


 二人の小さな女の子が抱っこされている。


「ふふっ」


 アリスも、その光景を見て微笑んでいた。


「二人とも、とっても嬉しそうね」


「うん!」


「……はい」


 カレンは俺の胸に顔を寄せ、ファリスも安心したように身体の力を抜く。


 ――試験に合格できるかどうか。


 そんなことは、今はどうでもよかった。


 今日。


 カレンには友達ができた。


 そして、その友達は――。


 たった一人で、ここまで頑張ってきた子だった。


 俺は二人を抱きしめながら、しばらくその場に立っていた。


俺はカレンとファリスを両腕で抱っこしたまま、ファリスの家へ向かって歩いていた。


「それでね、ファリスちゃん。魔法陣の問題、どうだった?」


「えっと……最初はちょっと難しかったけど……」


「うんうん!」


「カレンちゃんは、どうしてあんなに簡単に直せたの?」


「んー……?」


 カレンは少し考える。


「なんとなく、魔力の流れが変だったから……」


「なんとなく……?」


「うん!」


「……すごいね、カレンちゃん」


「えへへ」


 二人は俺の両腕の中で、楽しそうに今日の試験について話している。


 魔法陣のこと。


 実技試験のこと。


 先生たちのこと。


 そして――これから魔法学校で何を勉強したいか。


 二人の会話を聞きながら歩いていると、俺まで楽しい気分になってきた。


 しばらく大通りを歩いたあと、ファリスが小さな道を指差した。


「こっちです」


「こっち?」


「はい!」


 小道へ入っていく。


 大通りとは違い、こちらはずいぶん静かだった。


 そして少し歩いたところで――。


「あっ、見えてきました!」


 ファリスが嬉しそうに声を上げた。


 そこには、小さな食堂があった。


 決して大きくはない。


 けれど、店先には今日の料理を書いた小さな看板が置かれ、店内からは料理のいい匂いが漂っている。


「ここが私のお家です」


 ファリスが笑顔で言った。


「きっと母がお仕事してると思います」


「そうか」


 俺は二人を抱っこしたまま、食堂の扉を開けた。


「いらっしゃ――」


 店内から女性の声が聞こえる。


 だが――。


「……え?」


 女性がこちらを見た瞬間、動きを止めた。


 忙しそうに一人で食堂を切り盛りしていた女性。


 それが――ファリスの母親だった。


「お母さん!」


 ファリスが声を上げる。


「ファリス……!」


 女性は慌ててこちらへ駆け寄ってきた。


「どうして……」


 そして俺に抱っこされている娘を見て、驚いた表情を浮かべる。


「申し訳ありません……! ファリスを迎えに行けなくて……!」


「いえ、気にしないでください」


 俺がそう答えると、ファリスの母親は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


 そして俺からファリスを受け取る。


「おかえりなさい、ファリス」


「ただいま、お母さん」


 ファリスは母親に抱きついた。


 その姿を見て、カレンも嬉しそうに笑っている。


「ファリスちゃん、お母さんに会えてよかったね!」


「うん!」


 ファリスの母親はカレンを見ると、改めて頭を下げた


「娘と仲良くしてくださって、本当にありがとうございます」


「私もファリスちゃんとお友達になれて嬉しいよ!」


「……ありがとうございます」


 母親の顔に、少しだけ安堵したような笑顔が浮かんだ。


「狭い家ですが……どうぞこちらへ。少々お待ちください……!」


 そう言って、俺たちは食堂の奥にある小さな部屋へ案内された。


「ここで少々お待ちください……!」


「ああ。ありがとうございます」


 俺とアリス、そしてカレンは部屋へ入った。


 そこで――。


「……ん?」


 俺の目に、一枚の肖像画が入った。


 壁に飾られた、一枚の絵。


 そこには――。


 三人の人物が描かれていた。


 笑顔のファリス。


 その隣に、若い頃のファリスの母親。


 そして――。


「…………」


 俺は息を呑んだ。


 そこに描かれていた人物には、見覚えがあった。


 優しい笑顔。


 懐かしい顔。


 忘れるはずもない。


「……レインさん……」


 絵の中では、ファリスの母親と肩を並べ――。


 その二人の間で、小さなファリスが幸せそうに笑っていた。


 俺はしばらく、その肖像画から目を離すことができなかった。


「……お父さん?」


 カレンが不思議そうに俺を見る。


 俺は答えられなかった。


 ――レインさん。


 かつて俺たちに冒険者としての厳しさを教えてくれた人。


 そして――。


 俺たちを守るために、命を落とした人。


 その人が。


 ファリスの父親だった。


しばらくすると――。


「お待たせしました……」


 セイラさんが部屋へ戻ってきた。


 俺は改めて、壁に飾られた肖像画を見る。


 そこに描かれているレインさんの姿を見ていると、どうしても伝えなければならないことがあるような気がした。


「セイラさん……」


「はい?」


「実は……俺も、レインさんを知っています」


「……え?」


 セイラさんが驚いたように目を見開く。


 ファリスも俺を見る。


「お父さんを……?」


「ああ」


 俺はゆっくりと頷いた。


「俺がまだ新人の冒険者だった頃、レインさんには本当に多くのことを教えてもらいました」


 そして――。


 俺はレインさんとの出会いから、共に過ごした時間。


 冒険者として教えてもらったこと。


 厳しく叱られたこと。


 それでも、最後には優しく背中を押してくれたこと。


 そして――。


 俺たちが危険な状況に陥った時、レインさんが俺たち新人冒険者を守るために命を張って戦ってくれたこと。


 そのすべてを、ゆっくりと話した。


 セイラさんも、ファリスも――。


 何も言わず、黙って俺の話を聞いていた。


「……レインさんは、最後まで俺たちを守ろうとしてくれました」


 俺は拳を握る。


「俺たちが未熟だったから……。俺たちだけでは、どうすることもできなかった」


 あの時の光景が、今でも鮮明に蘇る。


「レインさんは……俺たちに生きろと、そう言ってくれたんです」


 部屋が静まり返る。


「俺は……レインさんに返せないほどの恩があります」


 俺は深く頭を下げた。


「だから……」


 そして、セイラさんへ向かって告げる。


「どうか、困ったことがあれば言ってください」


「…………」


「俺にできることなら、何でも力になります」


 頭を下げたまま、俺は続けた。


「レインさんから受けた恩を……俺は忘れることができません」


「……レオンさん」


 しばらくして――。


 肩に、温かな手が触れた。


「……どうか、頭を上げてください」


 セイラさんの優しい声だった。


 俺はゆっくりと顔を上げる。


 セイラさんは、穏やかな笑顔を浮かべていた。


「夫が……そんなにもあなたたちの力になっていたなんて……知りませんでした」


「……」


「レインは、きっと……最後まで冒険者だったんですね」


 セイラさんの目には、僅かに涙が浮かんでいた。


 それでも――。


 その表情はどこか誇らしげだった。


「ありがとうございます、レオンさん」


 セイラさんはそう言って、もう一度優しく微笑んだ。


「夫のことを……覚えていてくださって」


 その言葉を聞いて、俺は胸が熱くなった。


 レインさんはもう、この世にはいない。


 けれど――。


 レインさんが残してくれたものは、確かにここにある。


 そして今。


 その娘であるファリスが、俺の娘――カレンの友達になった。


 不思議な縁だと思った。


「……こちらこそ、ありがとうございます」


 俺はそう答えた。


 隣では、カレンとファリスが静かに二人を見つめていた。


俺が顔を上げると――。


 隣にいたアリスが、静かに立ち上がった。


「アリス……?」


 アリスはセイラさんの前まで歩いていく。


 そして――。


 深々と頭を下げた。


「……え?」


 セイラさんが驚いた声を漏らす。


「私からも……お礼を言わせてください」


 アリスは頭を下げたまま続ける。


「レインさんは、私の大切な夫であるレオンを救ってくださいました」


「…………」


「レインさんがいなければ……今のレオンは、ここにはいなかったかもしれません」


 アリスの声は、いつになく真剣だった。


「私にとっても、レインさんは命の恩人です」


 ゆっくりと顔を上げる。


「本当に……ありがとうございました」


 セイラさんは、しばらく何も言えなかった。


 そして――。


「……こちらこそ、ありがとうございます」


 目に涙を浮かべながら、微笑んだ。


 アリスはそんなセイラさんを見つめ、優しく言葉を続ける。


「だから……」


 アリスはファリスを見る。


「これからは、私たちを頼ってください」


「……え?」


「セイラさんも、ファリスちゃんも」


 アリスは穏やかな笑顔を浮かべた。


「何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってください。私が二人の力になります」


「アリス……」


 俺は思わず隣を見る。


 アリスは当たり前のことを言っているような顔をしていた。


「レインさんが大切な人を守ってくれたのなら――」


 アリスはファリスへ視線を向ける。


「今度は私たちが、レインさんの大切な家族を守ります」


「…………」


 ファリスの瞳が、大きく揺れた。


「……お母さん」


「……ええ」


 セイラさんは涙を拭いながら、ファリスの頭を優しく撫でる。


「本当に……ありがとうございます」


 そしてファリスも、小さな声で呟いた。


「……ありがとうございます」


「ふふっ」


 アリスが微笑む。


「それに――」


 アリスはカレンを見る。


「カレンにも、素敵なお友達ができたものね」


「うん!」


 カレンは嬉しそうに頷いた。


「ファリスちゃんは私のお友達だよ!」


「……カレンちゃん」


 ファリスも笑った。


 その笑顔を見ながら、俺は思った。


 ――レインさん。


 あなたが命を懸けて守ったものは、ちゃんとここに残っています。


 そしてこれからは――。


 俺たちも、その大切なものを守っていこう。


 そんな思いが、静かに胸の中に湧き上がっていた。


「……そうだ、レオンさん」


 ファリスが、少し遠慮がちに口を開いた。


「もしよかったら……私に剣術を教えてくれませんか?」


「……俺が?」


「はい。お父さんが昔……私が大きくなったら、剣術を教えてくれるって話していたのを覚えています」


 その言葉を聞いて、俺は胸が熱くなった。


 レインさんが、いつか娘に剣を教える日を楽しみにしていたのだろう。


 その約束を、今度は俺が引き継ぐ。


 そう思うと、自然と笑みがこぼれた。


「……もちろんだ」


「本当ですか?」


「ああ。俺でよければ、喜んで教えるよ」


「ありがとうございます!」


 ファリスが嬉しそうに笑う。


 すると、そのやり取りを見ていたカレンが、すぐに俺のところへ駆け寄ってきた。


「ずるーい!」


「え?」


「カレンにも教えて……!」


 少し頬を膨らませながら、俺を見上げるカレン。


 思わず笑ってしまった。


「分かった、分かった。カレンにも教えるよ」


「やったー!」


 カレンは嬉しそうに飛び跳ねた。


 その様子を見ていたアリスも、優しく微笑んだ。


「それじゃあ、私は魔法を教えてあげるわ」


「えっ……?」


 ファリスが驚いたようにアリスを見る。


「いつでもウチへ遊びにおいで。カレンと一緒に魔法を勉強しましょう」


「……はい!」


 ファリスが嬉しそうに頷いた。


 その隣では、セイラさんも二人の姿を見つめながら、嬉しそうに微笑んでいた。


「……よかったね、ファリス」


「うん!」


 セイラさんのその笑顔を見て、俺も嬉しくなった。


 きっとセイラさんにとっても、レインさんが残した約束が、こうして新しい形で叶っていくことが嬉しいのだろう。


 俺はファリスとカレンを見ながら、静かに思った。


 これから二人に、剣と魔法を教えていこう。


 そしていつか――。


 二人が立派な冒険者へと成長する姿を、見届けたい。


 そんな未来を想像すると、自然と笑みがこぼれた。

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