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冒険の書  作者: siva5880


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新しい生活

「お父さんっ!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、カレンだった。


「うわぁぁぁん!」


 涙をいっぱいに溜めたカレンが、俺に飛びついてくる。


 俺はその小さな身体を受け止め、そのまま抱き上げた。


「よしよし……もう大丈夫だ」


「……ほんと?」


「ああ。お父さんはちゃんと生きてるぞ」


「……よかったぁ……!」


 カレンは俺の胸に顔を埋め、しばらく泣き続けていた。


 その小さな身体を抱きしめながら、俺はようやく実感する。


 ――生きている。


 あれほどの強敵との戦いを終えても、俺はこうして大切な家族のもとへ帰ってこられた。


「レオン……」


 顔を上げると、アリスが立っていた。


 その瞳には、安堵と心配、そして喜びが入り混じっている。


「……アリス」


 俺はカレンを抱いたまま、アリスのもとへ歩み寄る。


 そして――。


 アリスを強く抱きしめた。


「……生きて帰ってこられて……本当によかった」


「……うん」


 アリスも俺の背中に腕を回す。


 言葉は、それだけだった。


 けれど――それで十分だった。


 互いの体温を感じながら、俺は生きていることの喜びを噛み締める。


 何度も死を経験してきた俺にとって――。


 こうして帰る場所があることが、どれほど大切なことなのか。


 改めて思い知らされた。


「レオン!」


 そこへ、アンとグリフも駆け寄ってくる。


「いやぁ……本当に凄かったですよ!」


 アンが満面の笑みを浮かべる。


「まさか、あのデュラハンナイトを倒しちまうとはな!」


 グリフも嬉しそうに笑った。


「二人とも……ありがとう」


「何言ってるんですか。仲間なんですから、当然ですよ」


「ああ。胸を張れ、レオン」


 二人の言葉に、俺は小さく笑った。


 決勝戦。


 命を懸けた強敵との戦い。


 その果てに待っていたのは――。


 仲間たちの笑顔と、大切な家族の温もりだった。


 俺は腕の中のカレンをもう一度抱きしめる。


「……帰ってこられて、本当によかった」


 今はただ――。


 この幸せを、静かに噛み締めていた。


そして――。


「うおおおおおおっ!」


「雷鳴の勇者だ!」


「よくやったぞ!」


「優勝おめでとう!」


 闘技場を埋め尽くす観客たちから、祝福の声が次々と上がった。


 それに続くように、大きな拍手が巻き起こる。


 俺たちはそんな声に包まれながら、闘技場を後にした。


 控え室へ戻るための通路を歩いていると――。


「……体が痛い……」


 思わず、俺は呟いた。


 戦っている最中は気にならなかった。


 だが、緊張が解けた途端、全身から痛みが一気に押し寄せてくる。


 腕も、脚も、背中も痛い。


 特にデュラハンナイトの攻撃を受け止め続けた腕は、まともに動かせそうにない。


「お父さん……」


 俺の腕の中で、カレンが心配そうに顔を上げる。


「大丈夫だ。ちょっと疲れただけだよ」


 そう言って笑ってみせる。


 すると――。


「カレン、こっちへおいで」


 アリスが優しく手を伸ばした。


「うん!」


 俺はアリスへカレンを渡す。


 アリスはすぐにカレンを抱き上げ、その小さな身体をしっかりと抱きしめた。


「お父さん、痛いんだって」


「うん……でも、お父さん強かったよ!」


 カレンが俺を見ながら、嬉しそうに笑う。


「そうだな」


 俺も笑い返す。


 するとアリスが、少し呆れたような、それでいて優しい表情を浮かべた。


「無理をしすぎです、レオン」


「……反省してる」


「本当に?」


「ああ……たぶん」


「もう」


 アリスは小さく笑った。


 そんな二人の姿を見ながら、俺もようやく肩の力を抜く。


 ――戦いは終わった。


 今はもう、何も考えなくていい。


 ただ、みんなと一緒に帰ってこられた。


 それだけで十分だった。


控え室へ戻ると――。


「おかえりなさい!」


 そこには、オヴェリアの姿があった。


 そして、その隣には王都から訪れていた貴族たちも並んでいる。


 俺たちが姿を現した瞬間――。


 パチパチパチパチッ!


 大きな拍手が控え室に響き渡った。


「おめでとうございます!」


「素晴らしい戦いでした!」


「雷鳴の勇者に栄光あれ!」


 次々と祝福の言葉が飛んでくる。


 俺は少し驚きながら、みんなの顔を見渡した。


 オヴェリアも、アンも、グリフも。


 そして――腕の中で嬉しそうに笑っているカレンも。


 誰一人として欠けていない。


 全員が、ここにいる。


「……そうか」


 俺は小さく息を吐いた。


 これまでの戦いでは、何度も仲間を失ってきた。


 だからこそ――。


 こうして誰一人欠けることなく、全員で戦いを終えられたことが、何よりも嬉しかった。


「レオン!」


 オヴェリアが笑顔で駆け寄ってくる。


「本当にお疲れさまでした!」


「ああ。ありがとう」


 俺がそう答えると、再び大きな拍手が起こった。


 その音に包まれながら――。


 俺は改めて思う。


 ――勝ったんだ。


 そして何より――。


 みんなで、生きて帰ってこられた。


 それが、今は何より嬉しかった。


控え室では、すぐに治癒師による治療を受けることになった。


「少し痛みが酷いですね」


 治癒師が俺の身体に手をかざす。


 淡い光が全身を包み込んでいく。


「……おお」


 先ほどまで身体中を走っていた痛みが、少しずつ和らいでいく。


「ありがとうございます」


「完全に治ったわけではありません。今日はゆっくり休んでください」


「ああ。そうさせてもらいます」


 こうして簡単な治療を終えた俺たちは、優勝の授与式へと向かった。


 闘技場の中央。


 大勢の観客が見守る中、魔族の王が俺たちの前へと歩み寄ってくる。


「雷鳴の勇者よ」


「はい」


「見事な戦いであった」


 魔族の王はそう言うと、俺へ一つの箱を差し出した。


「これは我が魔族領に古くから伝わる、強力なルーンストーンだ」


「……ルーンストーン?」


 俺は思わず目を見開いた。


 魔族領に伝わるルーンストーン。


 それがどれほど貴重なものなのかは、俺にも想像がつく。


「ありがたく頂きます」


 両手で受け取る。


 その重みに、ただの石ではない何かを感じた。


「そして――」


 魔族の王が続ける。


「こちらは優勝者への報酬だ」


 続いて渡されたのは、大量の金貨だった。


「……こんなに?」


「そなたらの戦いに相応しい褒美であろう」


 俺は苦笑しながらも、ありがたく受け取る。


 だが――。


 最後に差し出されたものを見た瞬間、俺は言葉を失った。


 一冊の古びた本。


 長い年月を経ているにもかかわらず、丁寧に保管されていたことが分かる。


「これは……?」


「魔物図鑑だ」


「魔物図鑑?」


「ただの図鑑ではない」


 魔族の王は、静かにその本へ視線を落とす。


「英雄王ジークが自ら書き記したものだ」


「……!」


 その名を聞いた瞬間、胸が高鳴った。


 英雄王ジーク。


 かつて魔神と戦い、世界を救ったと伝えられる存在。


 その本人が記した魔物図鑑。


 そんなものが、この世界に残っていたのか。


「これは魔族領にとっても、とても貴重なものだ。だが――」


 魔族の王は、俺の隣にいるカレンへと視線を向ける。


 そして、優しく微笑んだ。


「きっと、この図鑑は小さき勇者の役に立つでしょう」


「……カレンに?」


 俺がそう尋ねると――。


 魔族の王は頷いた。


「そなたの娘は、実に多くの魔物と心を通わせていると聞いている」


「……」


「ならば、知識もまた力となる」


 そう言って、魔族の王は俺へその本を手渡した。


「受け取るがよい」


 俺は両手で、慎重にそれを受け取る。


「……ありがとうございます」


 そして俺は、腕の中のカレンを見る。


「カレン。お前に凄いものをもらったぞ」


「ほんと?」


 カレンが目を輝かせる。


「ああ。英雄王ジークが書いた魔物図鑑だ」


「……魔物さんの本?」


「そうだ」


「わぁ……!」


 カレンは嬉しそうに本を見つめた。


 その姿を見て、俺は思わず笑みを浮かべる。


 大量の金貨。


 強力なルーンストーン。


 そして――英雄王ジークが残した、世界に一冊しかないかもしれない魔物図鑑。


 どれも、とても貴重なものだ。


 だが俺にとって一番嬉しかったのは――。


 魔族の王が、この小さな勇者の未来を考えて、この本を託してくれたことだった。


授与式が終わると――。


 会場は再び、祝福と拍手に包まれた。


「雷鳴の勇者!」


「おめでとう!」


「素晴らしい戦いだったぞ!」


 そんな声を背に受けながら、俺たちは闘技場を後にした。


 長かった戦いが、ようやく終わったのだ。


 その日の夜。


 俺たちは宿屋の食堂で、少し豪華な料理を囲んでいた。


「今日はお祝いだな!」


 グリフが嬉しそうに料理を口へ運ぶ。


「ええ。これくらいはいいでしょう」


 アンも楽しそうに笑っている。


 カレンは目の前に並んだ料理を見て、嬉しそうにしていた。


「いっぱいある!」


「ああ。今日は好きなだけ食べていいぞ」


「ほんと!?」


 そんなカレンを眺めながら、俺はふと考える。


 ――これからのことを。


「なあ、みんな」


「ん?」


 グリフが顔を上げる。


「これからの旅についてなんだけど……」


 俺は一度カレンを見る。


「カレンを、しばらく王都の魔法学校に通わせたいと思っている」


「魔法学校ですか?」


 アンが尋ねる。


「ああ」


 カレンは魔物を仲間にするだけじゃない。


 精霊とも心を通わせ、魔法も少しずつ覚えている。


 英雄王ジークが残した魔物図鑑も手に入れた。


 だからこそ――。


「数年間、王都でちゃんと勉強させてやりたい」


 旅を続けながら学ぶこともできる。


 けれど、カレンには同年代の子供たちと過ごす時間も必要だと思っていた。


「俺たちも、カレンが学校に通っている間は西の大森林を拠点にしようと思ってる」


「……なるほど」


 グリフが頷く。


 すると――。


 アンとグリフが、ふと顔を見合わせた。


「……」


「……」


「どうした?」


 俺が尋ねると、二人は少し困ったような顔をする。


 そして――。


「実は……」


 アンがゆっくりと口を開いた。


「私たちからも、話しておきたいことがあるんです」


「話しておきたいこと?」


 俺が首を傾げる。


 アンは少し照れたように、自分のお腹へ手を添えた。


「……私、お腹に赤ちゃんがいます」


「…………え?」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「赤ちゃん……?」


「はい」


 アンが小さく頷く。


「私たちの子です」


「……!」


 俺は思わずグリフを見る。


 グリフは照れくさそうに頭を掻いていた。


「まあ……そういうことだ」


「おめでとう……!」


 俺がそう言うと、アンは嬉しそうに笑った。


 カレンも意味を理解したのか、目を輝かせる。


「アン姉ちゃん、お母さんになるの!?」


「ええ」


「赤ちゃん!?」


「ああ」


 グリフが笑う。


「ほんと!?」


 カレンは嬉しそうに立ち上がった


 アンが優しく微笑む。


 その光景を見ながら――。


 俺は胸の奥が温かくなるのを感じていた。


 決勝戦で命を懸けて戦った今日。


 その日の夜に、俺たちの仲間から新しい命が生まれることを知らされた。


 ――旅は、少しずつ形を変えていく。


 それでも。


 こうして大切な仲間と、家族と一緒に未来を迎えられることが――。


 俺には、何より嬉しかった。


「そうと決まれば――」


 グリフが力強く頷いた。


「王都に家を買おう」


「家を?」


「ああ。アンの出産と子育てに専念するんだ」


 グリフはそう言って、アンのお腹へ優しい視線を向ける。


「これからは無理に旅を続ける必要もない。子供がある程度大きくなるまでは、王都を拠点にしよう」


「……グリフ」


 アンが嬉しそうに微笑む。


「そうですね。私も、そのほうが安心できます」


「俺たちも賛成だ」


 俺がそう言うと、アリスも頷いた。


「カレンの学校のこともありますからね」


「ああ」


 こうして――。


 俺たちはこれからの暮らしについて話し合った。


 グリフとアンは王都に家を購入し、アンの出産と子育てに専念する。


 そして俺とアリスは――。


 王都の西に広がる大森林で暮らすことになった。


 そこならアリスにとっても馴染み深い場所だ。


 そしてカレンは――。


 毎日、王都にある魔法学校へ通う。


 俺たちの新しい生活は、そんな形で始まることになった。


「そう考えると、入学試験まではまだ数ヶ月あるんだよな」


 俺がそう言うと、アリスが頷く。


「ええ。まだ時間はあります」


「それなら、早めに準備を始められるな」


 俺はカレンを見る。


「学校に必要なものを揃えたり、王都までの通学方法を考えたり……やることは結構ありそうだ」


「カレン、学校に行くの?」


「ああ」


「毎日?」


「毎日だ」


「魔法のお勉強?」


「ああ。いっぱい勉強するんだぞ」


「うん!」


 カレンは嬉しそうに頷いた。


 その隣では、アンとグリフも笑っている。


「なんだか、急に忙しくなりそうですね」


 アンが言う。


「でも……楽しみです」


「ああ」


 俺も笑った。


 闘技大会を終えたばかりだというのに――。


 俺たちの前には、また新しい日々が待っている。


 戦いの日々だけじゃない。


 家族と過ごす時間。


 カレンが学校で学ぶ時間。


 そして――新しく生まれてくる命を迎える時間。


 そんな穏やかな日々が、これから始まろうとしていた。


そして――翌朝。


 俺たちは朝食を済ませると、すぐに出発の準備を整えた。


 魔族領での目的は、すべて終わった。


 闘技大会も終わり、カレンには強力なルーンストーンと、英雄王ジークが残した貴重な魔物図鑑も託された。


 あとは――王都へ戻るだけだ。


「カレン、お願いできるか?」


「うん!」


 カレンが元気よく頷く。


 カレンは両手を前へ伸ばし、魔力を集中させる。


「テレポーテーション!」


 次の瞬間――。


 俺たちの身体が淡い光に包まれた。


 視界が一瞬だけ白く染まり――。


 次の瞬間には、魔族領の景色が消え、王都ハルディオの街並みが目の前に広がっていた。


「……着いた!」


 カレンが嬉しそうに声を上げる。


「お疲れさん、カレン」


 俺が頭を撫でると、カレンは嬉しそうに笑った。


 魔族領での長い旅は、これで一区切りだ。


 俺たちは再び王都へ戻ってきた。


 そして――。


 ここから、俺たちの新しい日々が始まる。


王都へ戻ると、グリフとアンはしばらく王都に滞在し、家を探すことになった。


「俺たちは、ゆっくり探すことにするよ」


 グリフがそう言う。


「ああ。二人とも無理せず探してくれ」


 俺たちは二人と別れ、王都で必要な食料や日用品を買い揃えた。


 そして――。


「それじゃあ、帰ろうか」


「うん!」


 俺たちは人目の少ない場所へ移動する。


 カレンが魔力を集中させた。


「テレポーテーション!」


 次の瞬間――。


 王都の景色が消え、深い緑に包まれた西の大森林へと切り替わった。


「……帰ってきたな」


 目の前には、久しぶりの我が家がある。


「お家だー!」


 カレンは嬉しそうに駆け出した。


 家の中へ入ると、カレンは腰のポーチから一枚の魔法カードを取り出した。


「エルザ!」


 カードを掲げる。


 淡い光が溢れ出し――。


 その場に、一人の女ケンタウロスが姿を現した。


「お呼びですか、カレン」


「エルザ! ただいま!」


「お帰りなさい、カレン」


 エルザが優しく微笑む。


 カレンは嬉しそうにエルザへ駆け寄った。


「久しぶりのお家だよ!」


「ええ。久しぶりですね」


「お家、案内してあげる!」


「ふふ。お願いします」


 カレンはエルザの手を引く。


「こっちこっち!」


 嬉しそうに家の中を案内していく。


「ここがお父さんとお母さんのお部屋!」


「まあ、素敵ですね」


「それからね――」


 今度は外へ飛び出す。


「森も案内する!」


「待ってください、カレン!」


 エルザも笑いながら後を追っていく。


 そんな二人の姿を眺めながら、俺は思わず笑った。


「……カレン、本当に嬉しそうだな」


「ええ」


 アリスも優しく微笑む。


 長い旅を終えて帰ってきた我が家。


 ここには、大切な家族と仲間たちがいる。


 カレンにとって――。


 やっぱりここは、特別な場所なのだろう。


カレンは、大森林に戻ってくると――。


 魔法カードにしている仲間たちを、必要なとき以外は自由にしていた。


 大森林には、カレンがこれまで仲間にしてきた魔物たちが暮らしている。


 オーガもサイクロプスも。


 大きなクマさんもミノタウロスも。


 そして、様々な魔物たちも。


 みんな、この森で自由に暮らしている。


 カレンが決めたことは一つだけ。


 ――敵意を向けてくる者以外には、決して危害を加えないこと。


 だからこの森では、魔物たちが争うこともほとんどない。


 カレンが森へ戻ってくると――。


「カレンだ!」


「お帰りなさい!」


 あちこちから魔物たちが集まってくる。


「みんな、ただいま!」


 カレンも嬉しそうに声を上げる。


 そんな光景を眺めながら、俺は思わず笑みを浮かべた。


 そして――。


「私は、少し休ませてもらいますね」


 エルザが大きな木の根元へ向かって歩いていく。


 そこには、太い幹にできた大きな窪みがあった。


 エルザはその中へ入り、自分で敷き詰めた藁のベッドへ腰を下ろす。


「ふぅ……やはり森は落ち着きますね」


 長い旅を終えたばかりだ。


 エルザも、しばらくこの大森林でゆっくり過ごすつもりなのだろう。


「エルザ、寝るの?」


 カレンが窪みを覗き込む。


「ええ。少し休みます」


「じゃあ、またあとで遊ぼうね!」


「はい。楽しみにしています」


 カレンは嬉しそうに頷くと、また森の仲間たちのところへ駆けていった。


 その姿を見送りながら、俺は静かに思う。


 ――この森は、もうただの大森林ではない。


 カレンと、その仲間たちが安心して暮らせる場所。


 敵意を持たない者には、誰も牙を剥かない。


 そんな優しい場所になっていた。


大森林で暮らすようになったカレンの仲間たち。


 その中でも――。


 やっぱり、ポーチさんと妖狐だけは違っていた。


 二人は、カレンから離れることがない。


 妖狐は普段は可愛らしい狐の姿をしているが、カレンが外へ出ると、ふわふわのマフラーへと姿を変える。


「キツネさん、あったかいね!」


 カレンが首に巻けば、妖狐は嬉しそうに尻尾を揺らす。


 そして――。


「今日はちょっと暑いね」


 そんな日には、ふわふわのマフラーから薄手のスカーフへと姿を変える。


 首元に優しく巻きつきながら、いつもカレンのそばにいる。


 ポーチさんも同じだった。


 普段はアリスのポーチの姿をしている、カレンにくっついているかのように離れない。


「ポーチさんも一緒に行こうね!」


 カレンがそう言えば、ポーチさんは小さく揺れて応える。


 中には、カレンが大切にしている魔法カードがたくさん入っている。


 どこへ行くにも――。


 何をするにも――。


 ポーチさんと妖狐は、いつもカレンと一緒だった。


 森の仲間たちは、それぞれの場所で自由に暮らしている。


 けれど、この二人だけは違う。


 カレンのそばこそが、自分たちの居場所なのだ。


「カレン、今日はどこへ行くの?」


 妖狐が尋ねる。


「うーん……森をお散歩!」


「それなら、私も一緒ですね」


「ポーチさんも!」


 カレンが嬉しそうに笑う。


 そんな三人の姿を少し離れた場所から眺めながら、俺は思わず笑みを浮かべた。


 ――きっとこれからも。


 この2匹は、カレンの一番近くにいるのだろう。


西の大森林。


 その広大な森の上空を――。


 一体の巨大な影が、ゆっくりと旋回していた。


 水竜。


 巨大なシードラゴンだ。


 青く輝く鱗を陽光にきらめかせながら、大森林の上空を悠然と飛んでいる。


 その姿を見た者たちは、いつしかこう呼ぶようになった。


 ――大森林の守護竜。


 シードラゴンは、森に暮らす者たちには決して危害を加えない。


 人間であろうと、魔物であろうと――。


 敵意さえなければ、ただ静かに空を舞うだけだ。


 だが。


 大森林へ敵意を持って侵入する者が現れたとき、その姿は一変する。


「グオオオオオオッ!」


 巨大な咆哮が森中に響き渡る。


 シードラゴンが空中で翼を広げる。


 そして――。


 周囲の水分が一瞬で集まり、巨大な魔法陣が空中に浮かび上がった。


 次の瞬間。


 轟音とともに、凄まじい水圧を纏った水魔法が地上へと降り注ぐ。


 ――ズドォォォォンッ!


 敵意を持って近づいてきた魔物は、抵抗する暇すらなかった。


 一瞬。


 本当に、一瞬だった。


 強大な水魔法によって吹き飛ばされ――。


 その姿は、跡形もなく消え去った。


 そしてシードラゴンは、何事もなかったかのように再び空へ舞い上がる。


 森には、再び静寂が戻ってくる。


 ――この森に敵意を持って近づいてはいけない。


 いつしか、その噂は王都にまで広がっていった。


 だが――。


 森の中で暮らす者たちにとって、シードラゴンは恐ろしい存在ではない。


 空を見上げれば、今日も巨大な水竜が悠然と旋回している。


「シードラゴンさんだ!」


 カレンが嬉しそうに空を指差す。


 するとシードラゴンも、まるでカレンの声が聞こえたかのように、大きく翼を広げて森の上空を一周する。


 大森林はいつしか――。


 多くの魔物たちが自由に暮らし。


 カレンとその仲間たちが笑顔で過ごし。


 そして巨大な水竜が空から見守る――。


 そんな、誰もが簡単には手を出せない場所になっていた。


 その中でも――。


「カニさんは、今日もいるな」


 森の奥にある大きな滝。


 その滝壺の近くでは、カニさんがいつものように滝に打たれていた。


 ドドドドドッ――!


 凄まじい勢いで落ちてくる水を、全身で受け止めている。


 どうやら、ここがお気に入りの場所らしい。


「カニさん、気持ちいい?」


 カレンが声を掛ける。


 カニさんは大きなハサミを持ち上げる。


 どうやら、今日もご機嫌らしい。


 そして――。


 森の入り口。


 そこには、いくつもの巨大な岩が転がっていた。


 だが、その中には――。


 ゴーレムたちがいた。


 身体を岩そっくりに変化させ、完全に周囲へ溶け込んでいる。


 森へ近づいてくる者を、静かに見張っているのだ。


 敵意のない者が近づけば、何もせずに見送る。


 だが――。


 森へ危害を加えようとする者が現れれば、すぐに動き出す。


 大森林の入り口には、そんな頼もしい見張り番がいる。


 一方――。


 森の一番端の方では、サイクロプスやオーガたちが暮らしていた。


 大きな木々の間に巣を作り、そこでのんびりと過ごしている。


「今日も平和だなぁ」


 そんな声が聞こえてきそうなほど、穏やかな時間が流れている。


 誰かが昼寝をしていたり。


 誰かが食事をしていたり。


 時には仲間同士で遊んでいたり。


 戦いとは無縁の時間を、それぞれが楽しんでいた。


 大森林は、広い。


 だからこそ――。


 たくさんの魔物たちが、それぞれお気に入りの場所を見つけて暮らすことができる。


 カレンが作ったわけではない。


 けれど、いつの間にかここは――。


 魔物たちにとっての「家」になっていた。


数週間が経った。


 大森林での穏やかな暮らしにも、少しずつ慣れてきた頃――。


 俺たちは王都へ向かった。


 そして、オヴェリアとリリスのもとを訪れる。


「実は、相談したいことがあるんだ」


「相談……ですか?」


 オヴェリアが首を傾げる。


「ああ。カレンのことなんだけど……」


「カレン様の?」


 オヴェリアがすぐに反応する。


「カレンを、王都の魔法学校へ入学させたいと思っている」


「…………え?」


 オヴェリアが目を見開いた。


「カレン様が……魔法学校へ?」


「ああ」


 俺が頷く。


 すると――。


「本当ですか!?」


 オヴェリアが嬉しそうに声を上げた。


「もちろんです! ぜひカレン様に入学していただきたいです!」


 隣にいたリリスも驚きながらも、すぐに笑顔になる。


「まさか……雷鳴の勇者であるカレン様が、王都の魔法学校へ入学するなんて」


「そんなに驚くことか?」


「驚きますよ!」


 リリスが即答した。


「想像もしていませんでした! あの闘技大会で大活躍したカレン様が、普通の子供たちと一緒に魔法を学ぶんですよ?」


「まあ、カレンはまだ子供だからな」


 俺がそう言うと、アリスも頷く。


「カレンには、戦いだけではなく、同年代の子供たちと過ごす時間も必要ですから」


「素晴らしいと思います!」


 オヴェリアが大きく頷いた。


「カレン様なら、きっと学校でも多くの友人ができるでしょう」


「そうだといいんだけどな」


 俺は苦笑する。


「ただ……雷鳴の勇者だってことで、騒ぎにならないかが少し心配だ」


「それは……」


 リリスが少し考える。


「……おそらく、無理でしょうね」


「やっぱりか」


 俺が肩を落とす。


 オヴェリアはそんな俺を見て、くすりと笑った。


「ですが、きっと大丈夫です」


「?」


「カレン様なら、どんな場所でもきっと楽しく過ごせますから」


 そう言って、オヴェリアは嬉しそうに微笑んだ。


 魔法学校への入学を決めるにあたって――。


 カレンには、二つの試験が課せられることになった。


「入学するには、筆記試験と実技試験があります」


 オヴェリアがそう説明すると、リリスが苦笑しながら口を開いた。


「……とはいえ、正直に申し上げますと」


 リリスはカレンを見る。


「すでにカレン様の魔法の実力や、魔法に関する知識は……我々を遥かに超えています」


「……え?」


 カレンはきょとんと首を傾げた。


 その隣で話を聞いていたアリスが、静かに頷く。


「やはり……魔法学校はやめて、私が教えたほうがいいでしょう」


「えっ!?」


 リリスの顔が引きつった。


「お、お待ちください、アリス様!」


「何か問題でも?」


「大問題です!」


 珍しく慌てた様子で、リリスが身を乗り出す。


「確かにカレン様の魔法の知識と実力は、すでに並の魔法使いでは到底及ばないでしょう。ですが、魔法学校で学べるのは魔法だけではありません!」


「……魔法だけじゃない?」


 カレンが興味深そうに聞き返す。


「はい!」


 リリスは指を一本立てた。


「魔法植物学!」


 もう一本。


「錬金術!」


 さらに一本。


「魔法薬学、魔法史、魔法陣学、魔道具学……その他にも、普通では学べない様々な授業があります!」


「……なるほど」


 アリスが少し考え込む。


「それに――」


 リリスは、ここぞとばかりに続けた。


「カレン様と同じくらいの年齢の子供たちも、大勢通っています」


「……!」


 その言葉に、カレンの瞳がぱっと輝いた。


「同じくらいの子……?」


「はい。きっと、お友達もたくさんできますよ」


「お友達……」


 カレンは小さく呟いた。


 そして――。


「……カレン、学校行ってみたい!」


 満面の笑みを浮かべた。


「……」


 アリスはそんな娘の顔を見つめる。


 しばらくして、小さく息を吐いた。


「……仕方ありませんね」


「アリス様!」


「ですが」


 アリスはカレンの頭にそっと手を置く。


「学校で教えられないことは、私が教えます」


「うん!」


 カレンは嬉しそうに頷いた。


そして――。


 魔法学校の入学試験当日となった。


 朝早く。


 魔法都市の中心にある大きな建物の前には、すでに多くの親子が集まっていた。


 色とりどりのローブを身につけた子供たち。


 緊張した面持ちで試験会場を見上げる者もいれば、友達同士で楽しそうに話している者もいる。


「わぁ……!」


 その光景を見て、カレンの瞳が輝いた。


「いっぱい人がいるね、お父さん!」


「ああ。今日が入学試験だからな」


 レオンはそう言って、カレンの頭を優しく撫でる。


 カレンは今日のために用意した魔法学校の制服を身につけていた。


 まだ幼さの残る顔。


 美しい髪。


 そして、その頭には――エルフ女王から贈られた髪飾り。


 腰には、いつものポーチさん。


 ただの可愛らしい少女にしか見えない。


 しかし――。


「……あの子、ハーフエルフ?」


「綺麗……」


「もしかして、あれが噂の……」


 周囲から、ちらほらと声が聞こえてくる。


「カレン様だ……」


「特待生候補の……?」


 どうやら、すでに噂になっているらしい。


「……?」


 カレンは周囲を見回した。


「お父さん、みんなこっち見てるよ?」


「気にしなくていい」


「うん!」


 カレンは元気よく頷いた。


 その隣では、アリスが娘の姿をじっと見つめていた。


「……よく似合っていますね」


「えへへ……ありがとう、お母さん!」


 その後ろでは、リリスとオヴェリアも見守っている。


「では、受験者の皆様。こちらへお進みください」


 試験官の声が響いた。


 いよいよ――。


 魔法学校の入学試験が始まる。

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