魔物を使役する者を使役する者
魔族領へやって来て――。
数週間が経った。
俺たちは、その間に多くの魔族と出会った。
冒険者ギルドから依頼を受け、魔物の討伐へ向かったり。
困っている村へ赴き、魔物から人々を守ったり。
時には――。
人手が足りないという理由だけで、荷物運びを手伝ったこともあった。
最初は、魔族の人々もどこか戸惑っていた。
「まさか……人族の冒険者が依頼を受けてくれるとは」
「本当に来てくれたのか……?」
そんな言葉を、何度も耳にした。
どうやら魔族領では――。
人族の冒険者が自分たちの依頼を受けてくれることなど、ほとんどなかったらしい。
だが――。
俺たちにとっては、魔族だからという理由で断る必要などなかった。
困っている人がいる。
ならば、手を差し伸べる。
ただ、それだけだった。
依頼をこなすたびに。
少しずつ、魔族たちとの距離も縮まっていった。
「レオンさん!」
「また来てくれたんですか!」
「この前は本当に助かりました!」
いつしか、町を歩いているだけでも声を掛けられるようになった。
そして――。
ある日。
冒険者ギルドへ立ち寄った俺たちは、妙な呼ばれ方をされていることに気づいた。
「お疲れ様です、Aランク冒険者一同様!」
「……え?」
受付の魔族が、俺たちへ頭を下げる。
「そして――」
受付の視線が、カレンへ向いた。
「雷鳴の勇者一同様!」
「…………」
俺は固まった。
「……雷鳴の勇者?」
隣を見る。
カレンが胸を張っている。
「カレンだよ!」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
どうやら――。
カレンが雷魔法を使うこと。
そして魔物を次々と仲間にしていく姿から。
いつの間にか、魔族たちの間でそんな呼び名が広まっていたらしい。
「雷鳴の勇者……」
グリフが腕を組む。
「悪くない名前だな」
「そうね」
アンも頷く。
「カレンらしくていいじゃない」
「お母さんもそう思う?」
「ええ」
アリスが笑う。
「とても素敵だと思うわ」
カレンは嬉しそうに笑った。
「えへへ!」
俺は改めて周囲を見渡す。
そして――。
「……あれ?」
ふと、あることに気づいた。
「これ……カレンがリーダーってことなのか?」
「…………」
グリフ。
アン。
アリス。
そしてカレン。
全員が俺を見る。
……いや。
違う。
全員が――。
カレンを見ている。
「え?」
カレンが首を傾げる。
「カレンがリーダーなの?」
すると――。
「うん!」
カレンが元気よく頷いた。
「カレン、リーダー!」
「…………」
俺は頭を抱えた。
「いや、俺たちのパーティーだよな?」
「カレンがリーダー!」
「みんなもそう思ってるのか?」
俺が尋ねると――。
全員が頷いた。
「…………」
どうやら異論はないらしい。
当の本人は――。
「カレン、雷鳴の勇者のリーダー!」
とても嬉しそうだ。
「……まあ」
俺は苦笑する。
「カレンも喜んでるし……」
みんなも頷いている。
「……まあ、いっか」
こうして俺たちは――。
いつの間にか。
魔族領で――。
『雷鳴の勇者一同』
と呼ばれるようになっていた。
そして、そのリーダーは――。
金髪の小さな女の子。
カレンだった。
魔族領で過ごすようになってから――。
カレンには、最近お気に入りの遊びがあった。
「クマさん! 大きいクマさん!」
カレンが魔法カードを取り出す。
すると――。
淡い光とともに、二匹のクマが姿を現した。
ワイルドベアの――クマさん。
そしてもう一匹は――。
ジャイアントグリズリー。
カレンが勝手に呼んでいる――。
“大きいクマさん”だ。
「よいしょ!」
カレンは二匹の間へ駆け寄る。
そして――。
「えいっ!」
ジャイアントグリズリーのお腹へ、勢いよく飛びついた。
「ふかふかー!」
巨大な毛皮に顔を埋める。
モフモフ。
フワフワ。
カレンはとても気持ちよさそうだ。
「大きいクマさん、あったかい!」
ジャイアントグリズリーは嫌がる様子もなく、その場に座っている。
やがてカレンは身体を起こすと、今度は――。
「クマさんも!」
ワイルドベアのお腹へ飛びついた。
「わぁ……!」
こちらもモフモフだ。
「気持ちいい!」
二匹のクマに挟まれながら、カレンは嬉しそうに笑っている。
俺は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「……こうして並ぶと、よく分かるな」
隣にいたグリフが頷く。
「ああ」
二匹とも魔物としてはかなり大きい。
ワイルドベアだって、普通の動物のクマとは比べ物にならないほどの巨体だ。
だが――。
ジャイアントグリズリーの隣に並ぶと、その差は明らかだった。
「ワイルドベアも十分大きいはずなんだけどな……」
俺が呟く。
「小さく見えるな」
グリフも苦笑する。
ジャイアントグリズリーは――。
ワイルドベアの二倍以上はある。
座っているだけでも、その巨体は圧倒的だった。
「こーんなに大きいよ!」
両手を思い切り広げる。
「クマさんも大きいけど、大きいクマさんはもっと大きい!」
「ふふっ」
アリスが微笑む。
そして――。
またカレンがジャイアントグリズリーのお腹へ飛び込んだ。
「大きいクマさん、モフモフー!」
巨大な身体に埋もれる小さなカレン。
その姿を見ていると――。
Aランクの恐ろしい魔物だったことなど、すっかり忘れてしまいそうだった。
魔族領へ来て、しばらく経った。
そして――。
いよいよ、闘技大会の開催が近づいていた。
街の至るところに大会の告知が貼り出され、冒険者ギルドにも詳しいルールが掲示されている。
俺たちも依頼を終えた帰りに、ギルドへ立ち寄ってその内容を確認していた。
「……なるほど」
俺は掲示板に貼られた大会規則を読み進める。
今回の闘技大会は、一般的な対人戦とは少し違っていた。
参加するのは――。
個人ではなく、パーティー。
そして――。
戦う相手は、魔族領側があらかじめ用意した魔物たちだ。
大会が始まると、参加パーティーは闘技場へ入る。
そこで待ち受ける魔物を討伐する。
討伐が完了すると、次の戦いへ。
そして――。
回を重ねるごとに、出現する魔物はどんどん強くなっていく。
「つまり……」
グリフが掲示板を読みながら言う。
「最後まで魔物を倒し続けたパーティーが優勝ってことか」
「ああ」
俺は頷く。
単純なルールに見える。
だが――。
実際には、かなり厳しい大会だ。
戦いが続けば続くほど、魔物は強くなる。
体力も魔力も消耗していく。
回復する時間がどれだけ与えられるのか。
どの程度の魔物が用意されているのか。
そこまでは、詳しく書かれていない。
「最後まで戦い続けたパーティー……」
アンが呟く。
「結構大変そうね」
「そうだな」
俺も頷いた。
ただ強いだけでは勝ち残れない。
仲間との連携。
魔力や体力の管理。
そして――。
どんな魔物が出てきても対応できる力。
それらすべてが必要になる。
「カレンはどう思う?」
俺が尋ねると――。
「カレンも出る!」
カレンが元気よく手を挙げた。
「もちろん一緒に出るぞ」
「やった!」
カレンは嬉しそうに笑う。
そして――。
「クマさんも出していい?」
「……」
俺は掲示板へもう一度目を向けた。
大会規則を確認する。
参加者が使役している魔物についての制限は――。
特に書かれていない。
「……たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、大きいクマさんも!」
カレンの目が輝く。
「うん!」
俺たちは顔を見合わせる。
魔族領へ来てから、数週間。
様々な依頼をこなし、魔族たちとも交流を深めてきた。
そして今度は――。
魔族領最大級の闘技大会。
果たして、どんな魔物が俺たちを待ち受けているのか。
「……楽しみになってきたな」
グリフが笑う。
「ああ」
俺も頷いた。
いよいよ――。
俺たちの新しい戦いが始まろうとしていた。
闘技大会まで――。
あと数日。
俺たちは大会へ向けて準備を進めていた。
そんなある日のことだった。
「ねえ、みんな」
アンが一枚の資料を持ってきた。
「ちょっと気になる魔物の情報を仕入れたの」
「気になる魔物?」
俺が尋ねる。
「ええ」
アンは資料をテーブルへ広げた。
そこに描かれていたのは――。
巨大な蜂だった。
「……蜂?」
カレンが覗き込む。
「そう。名前は――キラービー」
資料によると、首都ギースからそれほど遠くない森林に巣を作ったらしい。
そして――。
「大きさは、人族の子供くらい」
「子供くらい……?」
グリフが眉をひそめる。
「蜂としては、とんでもない大きさだな」
「でしょう?」
アンは嬉しそうに資料を指差す。
「しかも、このキラービーは普通の魔物じゃないの」
「どんな能力なんだ?」
「毒よ」
アンが答える。
「それも――二種類」
資料には、キラービーが持つ毒について詳しく記されていた。
一つは――。
強力な麻痺毒。
そしてもう一つは――。
猛毒。
「二種類の毒を持っているのか……」
俺は資料を読みながら呟く。
「ええ。そしてね」
アンは、さらに嬉しそうな顔をした。
「このキラービーの毒……魔族領ではかなり高値で取引されているの」
「そんなに高いの?」
アリスが尋ねる。
「ええ。薬の材料や、魔道具の研究なんかにも使われるみたい」
アンは腕を組む。
「私も少し仕入れてみたんだけど……かなり高かったわ」
「アンが自分で買ったのか?」
「もちろん」
アンは胸を張った。
そして――。
「でも、その効果はもう実証済みよ」
「……」
俺たちは顔を見合わせる。
誰もが思い出していた。
あの巨大な魔物。
ジャイアントグリズリー。
あれほどの巨体を、ワイバーンの肉に塗った麻痺毒だけで動けなくした。
「確かに……あの毒は凄かったな」
グリフが頷く。
「ええ」
アンは満足そうに頷いた。
「キラービーの毒は期待できると思うの」
アンの目が――。
妙に輝いている。
「……アン」
「なに?」
「まさか……」
俺が嫌な予感を覚えた、その時だった。
アンがカレンを見る。
「もし――」
そして、ニッコリと笑った。
「カレンちゃんがお友達になれたら……ね?」
「…………」
全員の視線がカレンへ集まる。
「お友達?」
カレンは首を傾げる。
「うん」
アンが頷く。
「キラービーとお友達になれたら……」
アンはそこで言葉を切った。
そして――。
「毒、いっぱい採れるかもしれないわよ?」
「…………!」
カレンの目が輝いた。
「お友達……!」
どうやら――。
闘技大会を目前に控えた俺たちには。
もう一つ、新しい目的ができてしまったようだった。
俺たちは顔を見合わせた。
実際――。
これまでの冒険で、アンの毒には何度も助けられてきた。
強力な魔物を足止めしたり。
動きを封じたり。
時には、俺たちが危険な戦いを避けるためにも役立っている。
そんなアンの毒の材料を――。
カレンが使役したキラービーから採取できるようになれば。
これからの冒険は、かなり楽になるはずだ。
「……確かに」
俺は腕を組む。
「キラービーを仲間にできるなら、今後の冒険でかなり役に立ちそうだな」
「でしょう?」
アンが嬉しそうに頷く。
「よし」
俺は立ち上がった。
「そのキラービーを捕まえに行こう」
「やった!」
アンが嬉しそうに声を上げる。
だが――。
「……でも」
カレンが小さく呟いた。
「カレン、あんまり虫好きじゃないよ……?」
「…………」
アンの笑顔が固まった。
「え?」
「虫さん……ちょっと苦手」
カレンは困ったように首を傾げる。
「…………」
アンが慌ててカレンの前へしゃがみ込む。
「カレンちゃん! 違うよ!」
「……?」
「この子はね!」
アンは必死だった。
「とってもいい子なの!」
「いい子……?」
「そう!」
アンは何度も頷く。
「冒険でみんなの役に立ってくれる、とっても大切なお友達になってくれる子なの!」
「……お友達?」
「そうよ!」
アンはさらに身振りを大きくする。
「毒だってね、ちゃんと役に立つの! 危ない魔物からカレンちゃんたちを守ってくれるんだから!」
「…………」
カレンはじっとアンを見る。
「本当にいい子?」
「もちろん!」
即答だった。
「絶対にいい子!」
「…………」
その様子を見ていたアリスが――。
「ふふっ……」
思わず笑った。
「アン、必死ね」
「だって!」
アンが振り返る。
「キラービーの毒、すごく高いんだから!」
「そこなのね……」
アリスは楽しそうに笑っている。
カレンはしばらく考えたあと――。
「……じゃあ」
小さく頷いた。
「カレン、キラービーさんとお友達になってみる」
「本当!?」
アンの顔が一気に明るくなる。
「うん!」
カレンも笑顔になった。
「いい子なら、お友達!」
「そうよ! きっと仲良くなれるわ!」
アンは嬉しそうにカレンの手を握った。
……どうやら。
今回のキラービー討伐――いや。
キラービー友達作りは、アンにとっても絶対に失敗できない戦いになったらしい。
「……お父さん」
カレンが俺を見る。
「ん?」
「虫さん、怖くないかな?」
「どうだろうな」
俺は苦笑する。
「でも、カレンならきっと大丈夫だ」
「うん!」
カレンは元気よく頷いた。
その隣では――。
「絶対に仲間にしてもらわなきゃ……」
アンが小さく呟いていた。
そして俺たちは――。
キラービーの生息地へと向かった。
首都ギースからしばらく離れた場所にある、広大な森林。
森へ足を踏み入れてすぐに、俺は周囲を見回した。
「……かなり大きな森だな」
木々は高く、空を覆うように枝葉を伸ばしている。
そして――。
この森に生息する魔物も、やたらと大きかった。
「魔族領の魔物って、やっぱり大きいのが多いわね」
アンが周囲を見ながら呟く。
「さっきから、俺たちより大きな足跡ばかりだぞ」
グリフも苦笑する。
そんな森の中をしばらく進んでいくと――。
「……あれじゃない?」
アリスが前方を指差した。
俺たちは足を止める。
そして――。
「…………」
思わず言葉を失った。
木々の間。
そこには――。
巨大な巣があった。
一本の木に作られているという規模ではない。
いくつもの木を覆い尽くすようにして、巨大な巣が広がっている。
そして、その周囲を――。
無数のキラービーが飛び回っていた。
「……すごい数だな」
俺が呟く。
遠目から見ても、その数は明らかに尋常ではない。
一匹一匹が、人族の子供ほどの大きさ。
それが何十匹――いや。
巣の奥まで考えれば、もっといるだろう。
「これ……全部キラービーなの?」
カレンが俺の後ろから顔を出す。
「そうみたいだな」
「…………」
カレンは少しだけ身を引いた。
どうやら――。
やっぱり虫は苦手らしい。
「刺されたり噛まれたりしたら……」
グリフが弓を構えながら、苦笑する。
「痛いじゃ済まされそうにないな」
「でしょうね」
アンも真剣な表情になる。
「一匹ならともかく、この数を相手にするとなると話が違うわ」
キラービー。
その魔物自体のランクは――C。
決して最上位の魔物ではない。
だが――。
それは、あくまで一匹単位で見た場合の話だ。
キラービーは群れで行動する。
そして、巣には大量の個体が存在する。
特に――。
これほど大型の巣ともなれば。
「大型のキラービーの巣は、討伐難易度Aに指定されている」
アンがギルドから受け取った資料を確認する。
「魔物一匹のランクと、巣全体の危険度は別ってことね」
「なるほど……」
俺は巣を見上げる。
Cランクの魔物。
そう聞けば、それほど恐ろしく感じない。
だが――。
そのCランクが、数十匹。
いや、もしかすると百匹以上。
それだけの数が一斉に襲ってくれば――。
「……確かにAランク相当だな」
俺は剣の柄に手を添えた。
その時――。
ブゥゥゥン……。
森の中に、低い羽音が響き渡った。
一匹。
また一匹。
そして――。
こちらへ向かって飛んでくるキラービーの姿が見えた。
「……気づかれたか?」
グリフが弓を引き絞る。
アンも大きな肉切り包丁を構えた。
アリスは静かに魔力を集める。
そして――。
「お父さん……」
カレンが俺の服の裾をぎゅっと握った。
「……虫さん、いっぱいだね」
「……ああ」
俺は苦笑した。
目の前には――。
巨大な巣。
無数のキラービー。
そして、Aランク指定の討伐難易度。
だが。
今回の目的は――。
討伐ではない。
「カレン」
「うん?」
「できれば……お友達を作ろうな」
「…………」
カレンは飛び回るキラービーを見つめる。
そして――。
「……がんばる」
小さく拳を握った。
その姿を見て――。
アンが期待に満ちた目を輝かせた。
「……絶対に仲間にしてもらうわよ」
「アンのほうが必死じゃないか……」
俺は思わず苦笑した。
そして――。
俺たちはキラービーの巣へと近づいていった。
「まずは、これね」
アンが取り出したのは、いくつかの小さな容器だった。
「毒の煙よ」
容器を開けると――。
白く濁った煙が、ゆっくりと辺りへ広がっていく。
「アリス、お願い!」
「ええ」
アリスが手を掲げる。
すると――。
ふわりと風が生まれた。
その風が毒の煙を押し流し――。
キラービーの巣へと送り込んでいく。
「ブゥゥゥン……!」
「ブブブブ……!」
巣の周囲を飛び回っていたキラービーたちが、次々と動きを鈍らせていく。
「効いてるな」
俺は様子を見ながら呟いた。
「ええ。かなり有効よ」
アンが頷く。
やがて――。
地面へ落ちるキラービーが現れ始めた。
特に弱い個体は、すでに動かなくなっている。
だが――。
「油断するな」
俺は剣を構えた。
「まだ動ける奴もいる」
「分かってる」
グリフも弓を構える。
俺たちは慎重に、一匹ずつキラービーを倒していった。
無理に群れへ突っ込むことはしない。
弱っているとはいえ――。
キラービーの毒は危険だ。
一匹でも刺されれば、大きな隙を作られる。
ましてや、これだけの数。
慎重に進みながら、少しずつ巣の奥へと入っていく。
そして――。
「……あれか」
俺たちは足を止めた。
巣の中心。
そこには――。
他のキラービーとは明らかに違う存在がいた。
ひときわ大きな身体。
そして、周囲を圧倒するような魔力。
「……女王キラービー」
アンが呟いた。
女王キラービーは、俺たちを睨みつけている。
「女王が持っている毒は――劇毒よ」
アンの声が妙に真剣になる。
「通常のキラービーが持っている毒より、遥かに強力」
「劇毒……」
俺は女王を見つめる。
すると――。
「私は、あの毒が欲しい!」
「……やっぱりそこか」
アンの目は完全に研究者のそれだった。
「絶対に手に入れたい!」
「アン……」
俺が呆れていると――。
「お父さん……」
カレンが俺の後ろへ隠れた。
「……虫、怖い……」
「…………」
アンが固まった。
「え?」
カレンは俺の服をぎゅっと掴んでいる。
「虫さん、いっぱい……」
「…………」
アンの顔が引きつった。
「カレンちゃん!」
アンが慌てて駆け寄る。
「違うよ!」
「……?」
「ほら!」
アンは必死に辺りを見回す。
そして――。
「この甘い匂い、分かる?」
「甘い匂い……?」
カレンが鼻を動かした。
「そう!」
アンは女王キラービーの巣を指差す。
「これはね、キラービーたちが自分たちの魔力で作った――」
そこでアンは、一度息を吸い込んだ。
「とっても甘い蜂蜜の匂いなの!」
「……蜂蜜?」
カレンの表情が少し変わった。
「そう! そして今、あそこにいるのがキラービーの女王!」
アンはさらに畳みかける。
「女王の巣から採れる蜂蜜は、それはもう貴重でね!」
「貴重……?」
「そう!」
アンは大きく頷いた。
「魔族領でも高額で取引されて――」
そこまで言って――。
「……あ」
アンが止まった。
そして、何かを思いついたように笑う。
「……違った」
「?」
「カレンちゃんには、こっちのほうがいいわね」
アンはしゃがみ込み、カレンと目線を合わせる。
「その蜂蜜で作ったクッキーやドーナッツ――」
「…………!」
カレンの目が――。
ほんの少しだけ輝いた。
「もうね……絶品なの」
アンは両手を広げる。
「甘くて、ふわふわで、とろーっと蜂蜜が広がって……」
「…………」
カレンが黙ってアンを見る。
「カレンちゃんに――」
アンがニッコリと笑った。
「食べさせてあげたいなぁ……?」
「…………!」
カレンの目が――。
一気に輝いた。
「……クッキー?」
「うん」
「ドーナッツ?」
「うん!」
「蜂蜜の?」
「そう!」
アンは力強く頷いた。
「とっても美味しいよ!」
「…………」
カレンはしばらく女王キラービーを見る。
それから――。
俺の服の陰から、そっと顔を出した。
「……お父さん」
「ん?」
「カレン……」
カレンは真剣な顔で女王を見つめる。
「ちょっとだけ、頑張ってみる」
「…………」
俺は思わず苦笑した。
さっきまで――。
「あんまり虫好きじゃない」と言っていたはずなのに。
「……アン」
「なに?」
「お前、本当にカレンの扱いが上手くなったな」
「ふふっ」
アンは満足そうに笑った。
「美味しいもののためなら、きっと仲良くなれるわ」
その言葉を聞いたカレンは――。
小さく頷いた。
「女王キラービーさん……」
そして――。
少しだけ勇気を出して、一歩前へ踏み出した。
さて――。
「俺とグリフが構える。
「このまま羽や腕をもぎ取って、弱らせるか……?」
俺が剣を構え直す。
「それが一番安全かもな」
グリフも弓を構えたまま、女王キラービーを見据える。
俺たちは――。
ゆっくりと距離を詰めていく。
ジリ……。
ジリ……。
そのたびに――。
女王キラービーの身体が小さく震えた。
「……?」
様子がおかしい。
女王キラービーは攻撃してこない。
むしろ――。
俺たちから逃げるように、少しずつ後退している。
「怯えてるのか……?」
グリフが呟いた。
俺は周囲を見回す。
巣の周りには、すでに動かなくなったキラービーが何匹も転がっている。
これほどの数がいたにもかかわらず――。
俺たちはほとんど苦戦することなく、ここまで辿り着いてしまった。
女王キラービーも、それを理解しているのだろう。
「……戦う気がないのかもしれないな」
俺がそう呟いた、その時だった。
「お父さん」
カレンが俺の横を通り抜ける。
「カレン?」
「カレン、行ってみる」
「おい、危ないぞ」
俺が声を掛ける。
だが――。
カレンはゆっくりと女王キラービーへ近づいていった。
女王キラービーは――。
逃げない。
ただ、震えながらカレンを見つめている。
「怖くないよ」
カレンが優しく声を掛ける。
「カレンは、あなたをいじめないよ」
「…………」
女王キラービーが僅かに身体を動かす。
そして――。
カレンがそっと手を伸ばした。
「お友達になろう?」
その瞬間だった。
カレンの首元に刻まれたルーンが――。
ほんのりと輝いた。
「……!」
淡い光がカレンの身体から溢れる。
それに呼応するように――。
女王キラービーの身体も淡く輝いた。
次の瞬間。
「…………」
女王キラービーの身体から、張り詰めていた力が抜けた。
そして――。
カレンの前で静かに頭を下げた。
「……え?」
カレンが目を丸くする。
どうやら――。
女王キラービーは、カレンの使役を受け入れたようだった。
「……あっさりだな」
グリフが呆然と呟く。
「うん……」
俺も思わず苦笑する。
どうやら――。
先ほどまでの戦いで、周囲のキラービーがあっという間に倒されてしまったことで。
女王キラービーは、すでに戦う意思を失っていたらしい。
そこへ現れたカレン。
自分を傷つけようとせず――。
ただ「お友達になろう」と手を差し伸べた。
だからこそ――。
女王キラービーは、迷うことなくその手を受け入れたのだろう。
「お友達になってくれたの?」
カレンが尋ねる。
「ブゥン……」
女王キラービーが、優しく羽音を響かせる。
「……!」
カレンの顔が、一気に明るくなった。
「やった!」
そして――。
カレンは嬉しそうに女王キラービーを見つめる。
「よろしくね!」
女王キラービーは、そんなカレンの周りをゆっくりと飛び始めた。
「…………」
その光景を見ながら――。
俺たちは顔を見合わせた。
Aランク指定だったキラービーの巣。
その女王を――。
カレンは、戦うことなく仲間にしてしまった。
「……これで、アンの欲しがってた毒も手に入るな」
俺がそう言うと――。
「ええ!」
少し離れた場所で見ていたアンが、勢いよく駆け寄ってきた。
「最高よ、カレンちゃん!」
その顔は――。
今日一番の笑顔だった。
キラービーの女王を仲間にした俺たちは――。
そのまま首都ギースへと戻ることにした。
帰り道は――。
テレポーテーション。
アリスの魔法によって、俺たちは一瞬で首都ギースの自宅へと帰ってきた。
「ただいまー!」
家に着くなり、アンが元気よく声を上げる。
だが――。
アンは休む暇もなく、女王キラービーのところへ向かった。
「さあ、お願いね!」
「ブゥン……」
女王キラービーが小さく羽音を鳴らす。
アンは女王キラービーから少しずつ蜂蜜を分けてもらっていた。
「……本当に綺麗な色ね」
瓶へ流し込まれていく蜂蜜を見ながら、アンが嬉しそうに呟く。
通常のキラービーは――。
自分たちの魔力を使って蜂蜜を作る。
そのため、魔力が尽きれば蜂蜜を作ることもできない。
だが――。
女王キラービーには、今までとは違う環境があった。
「カレンちゃんから少しずつ魔力をもらってるから、蜂蜜を作れるのね」
アリスが女王キラービーを見ながら言う。
「そうみたいだね」
俺も頷く。
女王キラービーは、カレンから少しずつ魔力を受け取っている。
その魔力を使って――。
ゆっくりと蜂蜜を作り出しているのだ。
「すごい……」
カレンも興味津々で蜂蜜を覗き込んでいる。
「カレンの魔力で作った蜂蜜なんだね!」
「そうよ」
アンが笑う。
「だから、ちょっと特別な蜂蜜ね」
「特別……!」
カレンの目が輝いた。
そして――。
「よし!」
アンが腕まくりをする。
「せっかくだから、約束通り作ってあげる!」
「なにを?」
「クッキーよ!」
「クッキー!」
カレンが嬉しそうに飛び跳ねる。
アンはさっそく台所へ向かった。
小麦粉。
バター。
卵。
そして――。
採れたばかりの女王キラービーの蜂蜜。
それらを混ぜ合わせていく。
しばらくして――。
「できたわ!」
オーブンから焼き上がったクッキーが取り出された。
部屋いっぱいに、甘く香ばしい匂いが広がる。
「わぁ……!」
カレンが目を輝かせる。
焼きたてのクッキーは、きつね色に焼き上がっていた。
「熱いから、ゆっくり食べてね」
アンが一枚をカレンへ渡す。
「いただきます!」
カレンは両手でクッキーを持つ。
そして――。
ぱくっ。
「…………!」
カレンの目が大きく見開かれた。
「……おいしい!」
その瞬間――。
カレンの顔が、ぱっと笑顔になる。
「すっごく美味しい!」
「本当?」
「うん!」
カレンは嬉しそうにクッキーを頬張る。
「甘い! サクサク! おいしい!」
「ふふっ」
アンも嬉しそうに笑う。
「気に入ってくれた?」
「うん!」
カレンは元気よく頷いた。
「カレン、キラービーさんとお友達になってよかった!」
その言葉に――。
女王キラービーが、カレンの周りを嬉しそうに飛び回る。
「ブゥン……」
「えへへ!」
カレンも笑う。
それを見ていた俺は――。
「……これなら、虫が苦手でも仲良くできそうだな」
そう呟いた。
「うん!」
カレンはクッキーをもう一枚手に取る。
「だって――」
そして、満面の笑顔で言った。
「キラービーさん、いい子だもん!」
どうやらカレンにとって――。
キラービーはもう、怖い虫ではなく。
美味しい蜂蜜を作ってくれる、大切なお友達になったようだった。
そして――。
ついに、その日がやってきた。
明日――。
いよいよ闘技大会が開催される。
すでに大会への受付も済ませてある。
あとは――。
本番を迎えるだけだ。
「準備は全部終わったわよ」
アンが言う。
その手には――。
小さな瓶が握られていた。
「ハチさんから、劇毒もちゃんと回収しておいたからね!」
「ハチさん……」
俺は思わず苦笑する。
いつの間にかアンの中では、女王キラービーは完全に「ハチさん」になっていた。
「これで準備万端!」
アンは満足そうに瓶を掲げる。
その中には――。
女王キラービーから採取した、強力な劇毒が入っている。
「……大会で使うつもりなのか?」
「もちろん」
アンは即答した。
「使えるものは、何でも使うわよ」
「ほどほどにな……」
「分かってるわよ」
アンは笑う。
グリフは自分の弓を確認し、アリスも魔法具を整えている。
カレンはというと――。
「明日はどんな魔物かなぁ?」
楽しそうに、魔法カードを並べていた。
ポーチさんから取り出したカードを一枚ずつ確認している。
「クマさんも出られるかな?」
カレンが尋ねる。
「大会のルールでは、使役した魔物も禁止されていないみたいだからな」
俺は答える。
「じゃあ、大きいクマさんも!」
「もちろん!」
カレンは嬉しそうに笑った。
その横では――。
女王キラービーが、静かに羽音を響かせている。
「ハチさんも一緒!」
「ブゥン……」
カレンが嬉しそうに笑う。
こうして――。
俺たちの準備は整った。
思えば、魔族領へ来てからというもの。
様々な依頼を受け。
たくさんの魔物と戦い。
そして――。
多くの魔族とも出会った。
最初は人族である俺たちを警戒していた者たちも、今では俺たちを見かけると声を掛けてくれる。
「雷鳴の勇者一同様」
そんな呼び名まで――。
いつの間にか定着していた。
「……明日か」
俺は窓の外を見る。
首都ギースの夜。
静かな街の向こうに、明日の闘技大会を待つ熱気が感じられる。
俺たちは――。
果たして、どこまで勝ち進めるのか。
そして――。
カレンは、どんな魔物と友達になるのか。
「お父さん!」
「ん?」
「明日、いっぱい頑張ろうね!」
「ああ」
俺は笑って頷いた。
「みんなで楽しもう」
「うん!」
明日――。
いよいよ、闘技大会が始まる。




