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冒険の書  作者: siva5880


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かけがえのない物

「レオン……気を確かに……」


 アリスの声が、遠くから聞こえてくる。


「絶望に……負けないで……」


 次の瞬間――。


 アリスが、俺の身体を優しく抱きしめた。


 温かい。


 その温もりが、凍りついていた俺の心へ、ゆっくりと染み込んでくる。


「……アリス……」


 俺は、呆然と彼女の肩へ手を置いた。


 そして――。


 ようやく気づいた。


「……そうだ」


 どうして……忘れていたんだろう。


 俺は、何度も死んできた。


 戦いの中で身体を引き裂かれたこともあった。


 仲間を守れず、目の前で失ったこともあった。


 大切な人との別れを、何度も経験した。


 新しい人生が始まっても――記憶だけは残り続ける。


 そしてまた、生きる。


 仲間と出会い、絆を築き……。


 やがて、そのすべてを失う。


 そして――また死ぬ。


 それを、何度繰り返したのだろう。


「……俺は……」


 声が震える。


「生きることに……絶望していたんだ……」


 強く目を閉じる。


 忘れていたわけじゃない。


 忘れたかったんだ。


 何度も繰り返した別れも。


 何度も味わった死の恐怖も。


 大切な人たちが消えていく苦しみも。


 すべてを抱えたまま、俺は長い時間を生き続けてきた。


 いつしか――。


 生きることそのものが、苦痛になっていた。


「……もう、誰も失いたくなかった」


 俺の頬を、一筋の涙が伝った。


 アリスは何も言わず、ただ俺を抱きしめ続けている。


 その温もりだけが――。


 今の俺を、この世界へ繋ぎ止めていた。


「俺は……」


 声が、震えた。


「誰も……守れなかった……」


 その言葉とともに――。


 過去の記憶が、次々と脳裏を駆け巡っていく。


 守れなかった仲間。


 目の前で失われていった大切な人たち。


 何度繰り返しても、避けることのできなかった別れ。


 そして――。


 何度も何度も、自分自身が迎えた悲惨な最期。


「……あぁ……」


 思い出すたびに、胸が締めつけられる。


 やがて――。


 俺の瞳から、少しずつ光が消えていった。


 まるで、心そのものが過去へ引きずり込まれていくようだった。


「レオン……」


 アリスの瞳から、涙がこぼれ落ちる。


 それでも彼女は俺を離さなかった。


 優しく、強く――。


 俺を抱きしめ続けてくれている。


 その時だった。


 小さな足音が聞こえた。


 そして――。


 カレンが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「……お父さん?」


 その小さな声に、俺はゆっくりと顔を上げる。


「大丈夫……?」


 その瞬間――。


 胸の奥で、何かが弾けた。


「……カレン……」


 そうだ。


 俺には――。


 今がある。


 過去には戻れない。


 失った人たちを取り戻すこともできない。


 それでも――。


 今、俺の目の前には大切な家族がいる。


 俺を抱きしめてくれているアリス。


 心配そうに俺を見つめるカレン。


 そして――。


 長い時間を共に歩んできた、大切な親友。


 グリフ。


 アン。


「……そうだ……」


 俺は、ゆっくりと息を吐いた。


「俺には……まだ、いるんだ……」


 過去に失ったものばかりを見ていた。


 だから、目の前にある大切なものに気づけなかった。


 もう一度、カレンを見る。


 その小さな瞳に映っているのは――。


 過去の俺ではない。


 今を生きている、俺自身だった。


「……俺は、まだ生きてる」


 その言葉を口にした瞬間。


 暗く沈んでいた俺の瞳に――。


 ほんの僅かに、光が戻った。


 そして、その光は少しずつ強くなっていく。


 アリスが涙を浮かべたまま、微笑んだ。


 カレンもまた、安心したように笑う。


「……うん」


 俺は二人を見つめながら、静かに頷いた。


 過去は消えない。


 失ったものも、決して戻ってこない。


 それでも――。


 俺はもう一度、この世界で生きていく。


 俺を必要としてくれる人たちと共に。


 そして――。


 この大切な日々を、今度こそ守るために。


俺は、アリスとカレンを強く抱きしめた。


「……ありがとう……」


 それ以上の言葉は、出てこなかった。


 アリスは何も言わず、そっと目を閉じる。


 そして、俺の背中へ優しく腕を回してくれた。


 カレンは小さな手を俺の頭へ伸ばし――。


 優しく、ゆっくりと撫でてくれた。


「大丈夫だよ、お父さん……」


 その言葉に、胸の奥が温かくなる。


 失ったものは、決して戻らない。


 過去を変えることもできない。


 それでも――。


 今、俺の腕の中には大切な家族がいる。


 守りたいと思える人がいる。


 俺は二人を抱きしめながら、静かに目を閉じた。


 そして――。


 もう一度だけ、深く息を吸った。


 胸の奥に残っていた暗闇が、少しずつ消えていく。


 代わりに――。


 確かな温もりと、生きる力が戻ってきた。


 俺の瞳には、もう迷いの光はなかった。


 そこに宿っていたのは――。


 今度こそ、この大切な人たちを守り抜くという、強い意志だった。


少し離れた場所では、アンとグリフも心配そうに俺を見つめていた。


 二人とも、何も言わずにただ俺の様子を見守っている。


 長い付き合いだ。


 俺がどれほど苦しんでいたのか――きっと、言葉にしなくても分かっていたのだろう。


 俺は二人へ視線を向ける。


「……もう、大丈夫だ」


 そう言って、俺は小さく笑った。


 すると――。


「……そうか」


 グリフが、ほっとしたように息を吐く。


 アンも胸に手を当て、安堵したように微笑んだ。


「よかった……」


 その表情を見て、俺の胸がまた温かくなる。


俺たちは、ドワーフ族の古城を隅々まで探索した。


 長い年月を経た城内には、かつてドワーフたちが暮らしていた痕跡が至る所に残されている。


 崩れかけた廊下。


 使われなくなった工房。


 誰もいなくなった広間。


 それらを一つずつ調べていく中で――。


 俺たちは、ひとつの扉を見つけた。


「……ここだけ、妙に綺麗だな」


 俺が呟く。


 その扉には、古代の魔法によって強力な封印が施されていた。


 複雑な魔法陣が扉全体を覆い、近づいただけで肌が震えるほどの魔力を感じる。


 アリスはしばらくその封印を見つめていた。


 そして――。


「……ユリアナ……」


 ぽつりと、その名を口にした。


「え?」


 俺が振り返ると、アリスはどこか寂しそうに微笑んだ。


「この封印の作り……」


 指先で魔法陣をなぞる。


「……間違いないわ」


 アリスの瞳が、少しだけ細くなる。


「私に……見つけてもらいたかったのね」


 その言葉に、俺たちは息を呑んだ。


「ユリアナが……?」


「ええ」


 アリスは静かに頷いた。


「この封印は、ただ中にあるものを守るためだけのものじゃない」


 魔法陣を見つめながら、アリスは続ける。


「きっと……いつか私がここへ辿り着くことを信じて、残したのよ」


 そして――。


 アリスは扉の前へ歩み出る。


「なら……応えなくちゃね」


 アリスがそっと手を伸ばす。


 瞬間――。


 扉を覆っていた魔法陣が、眩い光を放った。


 強大な魔力が周囲へ広がる。


 それほどまでに強力な封印だった。


 だが――。


「……解除」


 アリスが小さく呟いた。


 たったそれだけだった。


 次の瞬間。


 バチッ――!


 封印を覆っていた魔法陣が、一瞬で砕け散った。


扉の奥へ足を踏み入れた俺たちは――。


 その光景に、思わず足を止めた。


「……これは……」


 そこには、無数の書物が並べられていた。


 壁一面に設けられた巨大な書棚。


 そこには、古びてはいるものの、一冊一冊が丁寧に整理された書物が収められている。


 驚くべきことに――。


 何千年もの時を経ているとは思えないほど、その多くが綺麗な状態で残されていた。


「……」


 アリスが、ゆっくりと部屋の中へ入っていく。


 そして、一冊の本を手に取った。


 表紙に刻まれた文字を見た瞬間――。


「これは……」


 アリスの瞳が大きく見開かれる。


 言葉が出てこない。


 何度も本の表紙を確かめるように指でなぞる。


「アリス……?」


 俺が声をかけても、アリスは答えなかった。


 ただ、震える手で本を抱きしめている。


 やがて――。


「……これ……全部……」


 かすかな声が漏れた。


「ドワーフ族が……残してきたもの……」


 アリスは周囲を見渡した。


 そこに並んでいるのは、ただの書物ではなかった。


 ドワーフたちが生み出した技術。


 鍛冶の歴史。


 魔法具の研究。


 王国の興亡。


 他種族との交流。


 そして――。


 彼らが何を考え、何を求め、どんな時代を生き抜いてきたのか。


 そのすべてが、この部屋に残されていた。


「……歴史そのものだわ」


 アリスが、震える声で呟く。


 長い年月の中で失われてしまったと思われていた、ドワーフ族の歩み。


 それが今――。


 俺たちの目の前に、ほとんど失われることなく残されている。


「ユリアナ……」


 アリスが小さく、その名を呼んだ。


 その瞳には、驚きと喜び――そして、僅かな寂しさが浮かんでいた。


 きっとユリアナは、これを守り続けていたのだ。


 いつか誰かが、この場所へ辿り着く日を信じて。


 そして――。


 その誰かが、アリスであることを願って。


 俺は静かに部屋を見渡した。


 ここにあるのは、宝ではない。


 金貨でも、魔法具でもない。


 ドワーフ族が歩んできた、長い長い道のり。


 ――そのすべてが、この場所に眠っていた。


「……これは、大切に保管しなくちゃいけないな」


 俺は、部屋いっぱいに並ぶ書物を見渡した。


「俺たちが持ってちゃいけないやつだな」


 これほどのものを、俺たちだけで管理することなんてできない。


 何より――。


 これは俺たちのために残されたものじゃない。


 ドワーフ族が長い年月をかけて築き上げてきた、かけがえのない歴史なのだ。


「王都で、大切に保管してもらおう」


 そう言うと――。


 アリスはしばらく書物を見つめていた。


 そして、ゆっくりとこちらへ振り返る。


「……ええ」


 その顔には、優しい笑顔が浮かんでいた。


「それが一番いいと思うわ」


 アリスは、もう一度書棚へ視線を向ける。


「きっと……ユリアナも、それを望んでいるはずよ」


 俺は頷いた。


 この場所に眠っていたドワーフ族の歴史は――。


 これから先も、誰かに受け継がれていく。


 そのために、俺たちはこの書物を守るのだ。


その後も俺たちは、ドワーフ族の古城を隅々まで探索した。


 そして――。


 数多くの貴重な品々を発見した。


 マジックアイテム。


 ドワーフ族が鍛え上げた武具。


 数千年もの時を経て残された書物や魔導書。


 そして、ドワーフ族の歴史を物語る数々の芸術品。


 どれも、この世界に二つとない価値を持つものばかりだった。


「……さすがに、これは多すぎるな」


 俺は、持ってきていた魔法カバンを覗き込む。


 予備として用意していたものまで使ったというのに――。


「もう入らないわね」


 アリスも苦笑する。


 カバンは、すでに限界まで膨れ上がっていた。


「一度、王都へ戻ろう」


 俺たちは相談した結果、いったん王都へ戻ることにした。


 特に、あの貴重な書物や歴史ある芸術品は、俺たちが持ち歩くべきものではない。


 王都で厳重に保管してもらう必要がある。


 そこで――。


「カレン、頼めるか?」


「うん!」


 カレンが頷く。


 そして、俺たちの周囲に魔力が集まり始めた。


 次の瞬間――。


 視界が一瞬にして白く染まった。


 ◇ ◇ ◇


 ――王都、宮廷魔導士の塔。


 俺たちは、以前と同じように塔の庭へ転移した。


「ふぅ……」


 王都の空気を吸い込み、俺は辺りを見渡す。


 すると――。


 少し離れた場所に、見覚えのある姿があった。


「よう、リリス。久しぶり」


 俺が気軽に声をかける。


「…………」


 リリスが固まった。


「……リリス?」


 呼びかけても、反応がない。


 そして――。


「…………は?」


 次の瞬間。


 リリスは驚きのあまり、後ろへ一歩よろめいた。


「きゃっ――!」


 ドスン!


 そのまま尻もちをつく。


「はうっ……!」


 目を丸くしたまま、地面に座り込んでいる。


 隣にいた宮廷魔導士の職員も、目の前の光景を理解できていないようだった。


「な、なぜ……?」


 俺たちは普通に立っている。


 しかも――。


 魔法カバンからは、入りきらなかった荷物まで溢れそうになっている。


 職員は慌てて立ち上がると――。


「た、大変だ!」


 そう叫び、走り出した。


「陛下に……いや、王宮へ知らせないと!」


 あっという間に庭から姿を消していった。


「……?」


 俺は首を傾げる。


「何かあったのか?」


 すると、地面に座り込んだままのリリスが、ようやく口を開いた。


「ドワーフ族の古城を攻略してきたんだ」


 俺がそう説明すると――。


「…………ドワーフ族の……古城?」


 リリスは、しばらく俺の顔を見つめていた。


 そして、ゆっくりと俺たちの足元へ視線を落とす。


 魔法のカバンから、入りきらずに顔を覗かせている品々。


 古びた装飾品。


 見たこともない形をした魔法具。


 歴史を感じさせる武具。


 そして、何冊もの古い書物。


「…………」


 リリスの表情が固まった。


「ちょ、ちょっと待って……」


 リリスは立ち上がろうとする。


 だが――。


「よい……しょ……」


 ふらつく。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫よ!」


 そう言いながらも、明らかに足元がおぼつかない。


 それでも、もう一度カバンからはみ出している品々を確認すると――。


「……これ……全部……?」


「うん。古城に残されていたものだ」


「…………」


 リリスの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「ま、待って……」


 そして次の瞬間――。


「ここでは話せないわ!」


「え?」


「応接室へ! 今すぐ!」


 リリスは慌てて俺たちの前を歩き始める。


 いや、歩いているというより――。


 転ばないように必死で足を動かしているように見える。


「ちょっと、リリス。そんなに急がなくても……」


「急ぐわよ!」


 振り返ったリリスの顔は真剣そのものだった。


「こんな物を廊下で広げていたら、誰かに見られるでしょう!」


「……そんなに凄い物なのか?」


「凄いなんてものじゃないわよ!」


 リリスは頭を抱えるように叫んだ。


「あなたたち……いったい、どれだけとんでもない物を持って帰ってきたのよ!」


 そう言いながら、リリスは俺たちを応接室へと案内していった。


 俺たちは顔を見合わせ――。


 その後をついていく。


 どうやら王都へ戻ってきた途端、また一騒動になりそうだった。


俺たちが応接室へ入って間もなく――。


 廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「レオン様は、こちらです!」


 扉が勢いよく開かれる。


「レオン様!」


 そこに現れたのは――。


 王女オヴェリアだった。


 普段の落ち着いた様子とは違い、明らかに慌てた表情を浮かべている。


「いったい何があったのですか!?」


「いや……何がって言われても……」


 俺が答えようとした、その時だった。


 また廊下から、複数の足音が聞こえてくる。


「こちらです!」


「例の品々は!?」


「書物もあるという話だぞ!」


「芸術品の保管担当者も急いで呼んでくれ!」


 次々と人が応接室へ入ってくる。


 冒険者ギルドの職員。


 王宮の文官。


 古代史を研究する者。


 そして――。


 芸術品や歴史的資料の保管を担当する者たちまで。


 あっという間に、応接室は大勢の人で埋め尽くされた。


「…………」


 俺は部屋を見渡す。


「……なんか、大事になってないか?」


 隣にいたグリフが苦笑する。


「お前が持って帰ってきた物を見れば、そりゃそうなるだろ」


 アンも、魔法のカバンから少しだけ顔を覗かせている古い装飾品を見ながら頷いた。


「これは……私たちが想像していた以上かもしれないわね」


 アリスは何も言わず、静かに人々を見渡していた。


 そして――。


 オヴェリアが、俺たちの前へ歩み出る。


「レオン様……」


 その視線が、魔法のカバンへ向けられる。


「……いったい、何を見つけてきたのですか?」


 俺は少し困ったように頭を掻いた。


「ドワーフ族の古城を探索してきたんだ」


 その言葉だけで――。


 部屋の空気が、一瞬にして変わった。


「ドワーフ族の古城……?」


 オヴェリアが、驚いたように目を見開く。


 そして、俺たちの顔を一人ずつ見つめた。


「……あの古城は、魔物の巣窟となっていたはずです」


 オヴェリアの声には、まだ信じられないという響きがあった。


「過去に、騎士団による調査も行われました。しかし――」


 一度言葉を区切る。


「内部に生息する魔物の数と強さから、攻略は不可能と判断されたはずです……」


「そうです」


 隣にいたギルド職員も、慌てた様子で続けた。


「冒険者ギルドでも、何度か高ランクの冒険者パーティーへ依頼を出しています」


 職員は、俺たちの足元に置かれた魔法のカバンを見る。


「ですが……どのパーティーからも、攻略は極めて困難だという報告が上がっていました」


「……それなのに」


 オヴェリアが呟く。


「レオン様たちは……あの古城を?」


「ああ」


 俺が頷く。


 すると、応接室にいた者たちの間から、小さなどよめきが起こった。


「攻略……したのですか?」


 オヴェリアが確認するように尋ねる。


「うん。中を隅々まで探索してきた」


 俺がそう答えると――。


 誰も言葉を発しなくなった。


 俺たちにとっては、少し長い探索を終えて帰ってきただけだった。


 だが――。


 王都の人々にとって、それは何年、何十年と誰も成し遂げられなかったことだったのだ。


 そして、その沈黙を破るように――。


 魔法のカバンから覗いていた古い書物が、わずかに姿を現した。


「……まさか」


 誰かが、息を呑む。


 その視線は、俺たちではなく――。


 カバンの中に眠る、古代ドワーフ族の遺産へと向けられていた。


静まり返った応接室で――。


 アリスが、ゆっくりと口を開いた。


「オヴェリア」


「はい」


 オヴェリアが姿勢を正す。


 アリスは、部屋に集められた人々と、魔法のカバンから覗いている古い書物へ視線を向けた。


「ここにあるものは、私たちが持っているべきものではありません」


 アリスの声は、いつになく真剣だった。


「ドワーフ族が長い年月をかけて大切に残してきた歴史ある書物、文献……そして、数々の芸術品です」


 一冊の古い書物を、そっと手に取る。


「これは、ドワーフ族が歩んできた歴史そのもの」


 アリスは、その本を大切そうに胸へ抱いた。


「だからお願いがあります」


 そして、オヴェリアを真っ直ぐに見つめる。


「これらを――王都で保管してもらえないでしょうか」


 オヴェリアは、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、その表情が柔らかなものへと変わっていく。


「……もちろんです」


 力強く頷く。


「王都の名において、厳重に保管することをお約束します」


 その言葉を聞いたアリスは――。


「ありがとう」


 優しく微笑んだ。


 その笑顔を見て、俺も頷く。


 これでいい。


 ドワーフ族が残したものは、これからも失われることなく、この世界に受け継がれていく。


 そして――。


 いつか誰かが、この書物を開いた時。


 そこに記されたドワーフ族の歩みが、再び語り継がれていくのだ。


アリスは、もう一度部屋に並べられた品々へ目を向けた。


 その瞳には、懐かしさと寂しさが浮かんでいる。


「これは……ドワーフ族の王女、ユリアナが守り続けてきたものです」


 静かな声だった。


「そして――」


 アリスは、一冊の古い書物をそっと撫でる。


「私の……大切な親友だったユリアナの、大切な思い出でもあります」


 そう言うと――。


 アリスはオヴェリアの前へ歩み寄った。


「どうか……よろしくお願いします」


 そして――。


 深々と頭を下げた。


「ア、アリス様!?」


 オヴェリアが慌てて声を上げる。


 周囲にいた職員たちも、一斉にざわめき始めた。


「大賢者様、どうか頭をお上げください!」


「も、もちろんです!」


「必ず……必ずお守りします!」


 普段なら王族ですら滅多に頭を下げさせることのできない大賢者。


 そのアリスが、自分たちへ頭を下げている。


 職員たちは完全に恐縮し、慌てて深く頭を下げ返していた。


「私たちにお任せください!」


「これほど貴重な歴史的資料を、決して失わせたりはいたしません!」


 オヴェリアもまた、アリスの前へ歩み寄る。


「アリス様……」


 そして、アリスの肩へそっと手を添えた。


「どうか、頭を上げてください」


 アリスがゆっくりと顔を上げる。


 オヴェリアは、真っ直ぐにアリスを見つめていた。


「ユリアナ様が残された大切な遺産――そして、あなたの大切な思い出」


 その言葉に、オヴェリアは強く頷いた。


「この国の名において、必ず守り続けることをお約束します」


「……ありがとう」


 アリスは微笑んだ。


 その瞳には、涙が僅かに浮かんでいた。


 長い時を越えて――。


 ようやくユリアナの残したものを、託すことができたのだ。


そして――。


 書物や芸術品以外にも、俺たちは古城から大量の品々を持ち帰っていた。


 マジックアイテム。


 ドワーフ族が鍛えた武具。


 装飾品や、用途の分からない魔法具まで。


 その量は――俺たちの想像を遥かに超えていた。


「……これだけの量を、王都で扱うのは難しいでしょう」


 集められた品々を見ていた商人ギルドの関係者が、困ったように呟いた。


「王都にも商人は大勢おりますが、これほど大量のマジックアイテムや武具を一度に市場へ流すとなると……」


 男は少し考えた後、口を開く。


「王都から北へ向かった先にある、貿易都市ザイルなら話は別です」


「ザイル?」


「はい」


 商人ギルドの関係者が頷く。


「あそこなら大陸中から商人が集まります。珍しい魔法具や武具を扱う商人も多い。これだけの品々でも、適切な買い手を探せるでしょう」


「なるほど……」


 俺は積み上げられた品々を見る。


 確かに、これだけの量を王都だけで売ろうとすれば、かなり時間がかかりそうだ。


 そこで、ふと思い出した。


「それと――」


 俺は、別の袋に入れていた鉱石を取り出した。


 鈍い銀色の輝きを放つ、巨大な鉱石。


「このアダマンタイトを加工できる鍛冶屋も、貿易都市にはあるのか?」


 その言葉に、商人ギルドの男が頷こうとした――その時。


「ありますよ」


 答えたのは、オヴェリアだった。


「王都にあるアダマンタイトの鎧も、ザイルの鍛冶師によって鍛えられたものです」


「……本当か?」


「はい」


 オヴェリアは微笑む。


「ザイルには、非常に優れた鍛冶師が集まっています。特にアダマンタイトのような希少な金属を扱える職人は、王都でも限られていますから」


 俺は手の中のアダマンタイトを見つめた。


 これだけの量があれば――。


 新しい武具を作ることもできるかもしれない。


「……じゃあ、次はザイルだな」


 俺がそう呟くと――。


 アリスたちも頷いた。


 こうして俺たちは、次の目的地を決めることになった。


 王都から北へ――。


 大陸中の商人と職人が集まる、貿易都市ザイルへ。


「……それで、次はザイルへ向かうんですね」


 話を聞いていたリリスが、ぽつりと呟いた。


 だが――。


 突然、その顔が青ざめる。


「ま、まさか……」


 リリスが俺を見る。


「すぐに王都を発たれるのですか……?」


「ああ。荷物の整理が終わったら――」


「そ、それなら!」


 リリスが勢いよく立ち上がった。


「カレン様を、私に貸してください!」


「……え?」


 部屋にいた全員が、一斉にリリスを見る。


 リリスは興奮した様子で続けた。


「私はまだ、魔物の言葉についてほとんど分かっていないのです! それに、魔物が使う術についても知りたい!」


「リリス……」


「カレン様なら、魔物たちとも意思疎通ができますし、魔物の術についても――」


「ダメです」


 ――即答だった。


「…………」


 リリスが固まる。


 声のした方を見ると――。


 アリスが、にっこりと微笑んでいた。


「ダメです」


「……二回言いました?」


「大事なことなので」


「いや、でもですね! これは魔法研究のために非常に重要な――」


「ダメです」


「……」


 リリスは完全に言葉を失った。


 そして、俺の隣にいるカレンを見る。


「カレン様……」


「リリスお姉ちゃん?」


 カレンが不思議そうに首を傾げる。


 リリスは何かを言おうとしたが――。


 すぐにアリスの視線に気づき、口を閉じた。


「……はい」


 しょんぼりと肩を落とす。


 その様子を見て、グリフが小さく笑った。


「諦めろ、リリス」


「あなたまで……!」


 応接室に、少しだけ穏やかな笑い声が広がった。


 どうやら――。


 カレンを研究対象にしたいリリスと、絶対に娘を渡したくないアリスの戦いは、まだまだ続きそうだった。


「そうだ!」


 突然、リリスが何かを思い出したように声を上げた。


「アリス様。ぜひ、王城の大浴場で一日ゆっくり過ごされてはいかがでしょうか?」


「王城の大浴場?」


 アリスが首を傾げる。


「はい。大貴族や王族が利用するための浴場です。旅の疲れを癒すには、ちょうどいいかと」


 俺は少し考えた。


 確かに――。


 俺たちはまだ、今夜泊まる宿すら決めていない。


 古城の探索から戻ったばかりで、全員かなり疲れている。


「……それもいいな」


 俺はアリスを見る。


「せっかくだし、王城で一晩お世話になるか?」


「そうね」


 アリスは少し考えてから、微笑んだ。


「私も、大貴族や王家の方々が利用するお風呂には少し興味があるわ」


「じゃあ、決まりだな」


 カレンも嬉しそうに手を上げる。


「お風呂!」


「ふふ、カレンも楽しみね」


 アリスが優しくカレンの頭を撫でる。


 こうして俺たちは――。


 王家の厚意に甘え、今夜は王城の客人として一日お世話になることになった。


 長い古城探索を終えた俺たちにとって――。


 久しぶりに、ゆっくりと身体を休める夜になりそうだった。


「おおー!」


 大浴場へ入った瞬間、俺は思わず声を上げた。


「これがお風呂なのか!」


 目の前には、何人でも入れそうなほど巨大な湯船が広がっている。


「こりゃあ、すげぇな!」


 隣ではグリフも目を輝かせていた。


「こんな風呂、冒険者宿じゃ見たことねぇぞ!」


 俺たちは早速、身体を洗う。


 旅の間に溜まった疲れを流し、ようやく湯船へと足を入れた。


「はぁぁ……」


「……最高だな」


 肩まで湯に浸かる。


 温かい湯が身体を包み込み、張り詰めていた身体の力がゆっくりと抜けていく。


「幸せだ……」


「まったくだ……」


 俺とグリフは顔を見合わせ、思わず笑った。


 長い冒険の後に入る風呂ほど、気持ちのいいものはない。


 その頃――。


 女湯では、アリス、カレン、アン、そしてオヴェリアが湯浴みを楽しんでいた。


「わーい!」


 カレンは初めて見る大浴場に大喜び。


 あちこち走り回っている。


「カレン、走ったら危ないわよ」


「待ってー!」


 アリスが追いかける。


 そして――。


「捕まえた」


「きゃー!」


 ようやくカレンを捕まえると、アリスは苦笑しながら髪や身体を洗ってあげる。


「もう。元気なのはいいけれど、ちゃんと綺麗にしないとね」


「はーい」


 カレンは大人しくアリスに髪や体を洗われている。


 アンとオヴェリアも、その様子を微笑ましそうに眺めていた。


 やがて身体を綺麗に洗い終えると――。


「お風呂、入ろう!」


 カレンが嬉しそうに湯船へ向かう。


 アリスたちも続いて湯に浸かった。


「……はぁ……」


 アリスがゆっくりと息を吐く。


「気持ちいいわね」


「うん!」


 カレンも湯船の中で嬉しそうに笑う。


 アンも肩まで湯に浸かり、ほっとした表情を浮かべていた。


「こういう時間も、たまにはいいわね」


 オヴェリアも微笑む。


 王城の静かな夜。


 今日だけは誰も急ぐ必要はない。


 冒険のことも、古城のことも、これからの旅のことも――。


 今はすべて忘れて。


 俺たちはただ、温かい湯の中で幸せを噛みしめていた。


大浴場を存分に満喫した俺たちは、身体を拭いて脱衣所へ戻った。


 すると――。


「わーい!」


 カレンが元気よく駆け出した。


「カレン、待ちなさい!」


 アリスが慌てて後を追いかける。


「待ってー!」


「もう、カレンったら!」


 脱衣所の中を、カレンが楽しそうに走り回る。


 アリスも笑みを浮かべながら、その後を追いかけている。


「ほら、こっちにいらっしゃい」


「やー!」


 しばらく追いかけっこが続いた後――。


「捕まえた!」


「きゃっ!」


 ようやくアリスがカレンを捕まえた。


「もう……元気なのはいいけれど、風邪を引いちゃうわよ」


 そう言いながら、アリスは優しくカレンの髪と身体を拭いてあげる。


「じっとしててね」


「はーい」


 今度は素直にアリスへ身を任せるカレン。


 その様子を見ていたアンとオヴェリアは、思わず顔を見合わせて笑った。


「ふふ……本当に元気な子ね」


「ええ。見ているだけでこちらまで楽しくなります」


 そんな穏やかな笑い声が、王城の脱衣所に響いていた。


その後――。


 俺たちは王宮の客人用の食堂へ案内された。


 そこで待っていたのは――。


「……すごい」


 思わず、俺は声を漏らした。


 長いテーブルの上には、色とりどりの料理が所狭しと並べられている。


 焼き上げられた大きな肉料理に、新鮮な魚介を使った料理。

 香草で味付けされた野菜に、焼きたてのパン。


 さらに、普段はなかなか口にすることのできない果物や菓子まで用意されていた。


「こんなに食べていいの?」


 カレンが目を輝かせる。


「もちろんよ。今日は好きなだけ食べていいわ」


 オヴェリアが笑顔で答えると――。


「わーい!」


 カレンは嬉しそうに料理へ駆け寄った。


「カレン、ゆっくり食べなさい」


「はーい!」


 アリスが苦笑しながらカレンを見守る。


 俺たちも席につき、料理を口に運んだ。


「……美味いな」


「ええ。本当に美味しいわね」


 アリスも満足そうに微笑む。


 グリフとアンも料理に舌鼓を打ちながら、王宮での食事を楽しんでいた。


 普段の旅では、簡単な食事で済ませることも多い。


 だからこそ――。


 こうして何も気にせず、豪華な料理を味わえる時間は新鮮だった。


 食事を終えた後も、俺たちは王宮でゆっくりと過ごした。


 王宮の庭を散策したり、オヴェリアたちと他愛のない話をしたり。


 カレンは広い庭を走り回り、アンやグリフもそれを楽しそうに追いかけている。


 俺とアリスは、そんな仲間たちの姿を眺めながら、穏やかな時間を過ごした。


 冒険の最中には、なかなか味わうことのできない――。


 そんな、何気ない一日だった。


 そして夜。


 王宮の客室へ戻った俺たちは、久しぶりに何の心配もなく眠りについた。


 こうして俺たちは――。


 思いがけず、王宮での一日を存分に満喫することになった。

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