潮喰らいの迷宮(3層)
しばらくの間――。
俺たちは、誰も言葉を発することができなかった。
目の前にいるシードラゴン。
その額には、アリスと同じルーンが刻まれている。
そして――。
先ほどまで俺たちへ牙を剥いていたAランクの魔物は、もう敵意を見せていなかった。
ただ静かに、カレンを見つめている。
「……よかった」
カレンが嬉しそうに微笑む。
「これからお友達だね!」
その言葉に反応するように、シードラゴンが僅かに頭を動かした。
そんな光景を見て、俺はようやく肩の力を抜いた。
「どうやら……本当に成功したみたいだな」
「うん!」
カレンは満面の笑みを浮かべる。
だが――。
「…………」
その隣にいたアンは、なぜか浮かない顔をしていた。
「……アン?」
俺が声をかける。
「どうした?」
「……別に」
「いや、明らかに悲しそうだけど」
アンはシードラゴンをじっと見つめている。
そして、小さくため息を吐いた。
「……シードラゴンの素材、欲しかったのに」
「…………」
俺は思わず固まった。
「そこかよ!」
「だって……!」
アンはシードラゴンの身体を見ながら悔しそうに呟く。
「Aランクの魔物よ? 鱗も、牙も、爪も……絶対に凄い素材なのに」
「いや、カレンの大切な友達になったんだから、解体するわけにはいかないだろ」
「……分かってるわよ」
アンは少しだけ頬を膨らませた。
「だから悲しいの」
「……」
なんとも言えない空気が流れる。
そんな俺たちをよそに、シードラゴンがゆっくりと身体を起こした。
「……っ!」
俺たちは一斉に身構える。
しかし――。
シードラゴンは俺たちを襲うことなく、ゆっくりとカレンへ顔を向けた。
「大丈夫だよ」
カレンが優しく声をかける。
「もう戦わないからね」
すると――。
シードラゴンの身体が、淡い光に包まれ始めた。
「……?」
カレンが目を丸くする。
光は次第に強くなっていく。
「カレン、カード化が始まったんじゃないか?」
「ほんと?」
俺がそう言った直後――。
――パァァァァッ!
シードラゴンの巨体が光に包まれた。
そして、その身体が徐々に光の粒子へと変わっていく。
「……!」
カレンが両手を伸ばす。
「おいで……!」
光がカレンの手元へ集まっていく。
その瞬間だった。
――ポロッ。
何かが床へ落ちた。
「……ん?」
俺は足元を見る。
そこに落ちていたのは――。
シードラゴンの鱗だった。
先ほどの戦いで傷つき、剥がれ落ちたものだ。
さらに――。
――ポロポロッ。
火傷を負った皮膚。
傷ついた鱗。
欠けた爪。
そして、戦いによって剥がれ落ちた様々な部位が、光の中から次々と床へ落ちていく。
「……これって」
アンの目が大きく開く。
さっきまでの悲しそうな表情が――。
一瞬で消えた。
「素材……?」
アンが恐る恐る、一枚の鱗を拾い上げる。
傷ついてはいる。
だが――。
「……凄い」
アンの目が輝き始める。
「これ、シードラゴンの鱗よ!」
「アン……?」
「しかも、カード化したから身体そのものは消えたけど、傷ついていた部分や剥がれ落ちた素材は残ったんだわ!」
アンは次々と床へ落ちていく素材を見つける。
「こっちは皮膚!」
「こっちは爪……!」
「この鱗も使える!」
さっきまで悲しそうだったアンが、まるで別人のように素材を拾い集め始めた。
「……よかったな、アン」
「ええ!」
アンは満面の笑みを浮かべる。
「最高よ!」
そして――。
シードラゴンの巨体が、完全に光へと変わった。
残された光が一枚のカードへと収束する。
――パチン。
カレンの小さな手の中へ、一枚のカードが収まった。
「……シードラゴン」
カレンがカードを大切そうに見つめる。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「これからよろしくね!」
一方――。
「ふふふ……」
アンはその横で、拾い集めたシードラゴンの素材を魔法のバックへ次々と収納していた。
「これだけあれば……」
その嬉しそうな顔を見て、俺は苦笑する。
「……結局、一番喜んでるのはアンじゃないか?」
「だって、Aランクの素材よ?」
アンは当然のように答えた。
カレンはそんなアンを見て、楽しそうに笑っている。
「アン姉ちゃん、よかったね!」
「ええ。本当によかったわ」
こうして――。
俺たちは新たな仲間を得た。
Aランクの魔物。
水の竜、シードラゴン。
その力が、これから俺たちの冒険にどんな変化をもたらすのか――。
今はまだ、誰にも分からなかった。
シードラゴンをカードへ戻した俺たちは、さらに奥へと進んだ。
そして――。
やがて、下層へと続く階段を見つけた。
「……また階段か」
俺は足元へ視線を落とす。
ここまで来ると、いったいこの迷宮がどこまで続いているのか分からない。
俺たちは警戒しながら、一段ずつ階段を降りていった。
――そして。
最後の段を踏み終えた瞬間。
「……っ」
身体を包み込む空気が、明らかに変わった。
「寒っ……!」
カレンが両手を自分の身体に回す。
俺も思わず腕をさすった。
「急に温度が下がったな……」
つい先ほどまでいた二層とは比べものにならない。
まるで、冷たい水の中へ身体ごと沈められたような感覚だった。
吐いた息が白くなる。
足元から伝わってくる冷気が、じわじわと身体へ染み込んでくる。
「……まるで深海にいるみたいだ」
グリフが周囲を見渡しながら呟いた。
「深海?」
カレンが首を傾げる。
「ああ。俺は実際に深海へ潜ったことはないけど……なんとなく、そんな感じがする」
グリフはそう言いながら、弓を構え直した。
「それに――」
グリフが前方へ目を向ける。
そこには、二層とは比べものにならないほどの暗闇が広がっていた。
「……かなり暗いな」
俺も目を凝らす。
ほとんど何も見えない。
二層までは濃密な魔力が漂っていたことで、僅かながら周囲の様子を確認することができた。
だが、三層は違う。
光そのものが吸い込まれているようだった。
「アリス、魔法で明かりを出せるか?」
「ええ」
アリスが手を掲げる。
小さな光の球が生まれ、俺たちの頭上へ浮かび上がった。
――ふわっ。
周囲が僅かに照らされる。
だが――。
「……え?」
カレンが目を丸くする。
光が届くはずの場所まで、まるで闇が残っている。
「おかしいわね……」
アリスも不思議そうに周囲を見渡した。
「光が、遠くまで届かない」
「魔力のせいか?」
「……それもあるかもしれない」
アリスは慎重に魔力を探る。
しかし――。
「この階層も、かなり特殊みたい」
アリスの声が少し低くなる。
「二層とは違う魔力の流れを感じるわ」
「……」
俺は暗闇の先を見つめた。
何かがいる。
そんな気がした。
だが、姿は見えない。
音もしない。
ただ――。
冷たい。
そして、暗い。
「みんな、気をつけよう」
俺は盾を構えた。
「三層は……今までとは何か違う」
グリフも頷く。
「この暗闇だ。何が潜んでいてもおかしくない」
アンが投げナイフへ手を伸ばす。
「それに、この寒さ……普通じゃないわ」
カレンも俺たちの間に入り、辺りを見回す。
「……お父さん」
「どうした?」
「この下にも……何かいるよ」
「……分かるのか?」
「ううん」
カレンは小さく首を振る。
「でも……なんとなく、そんな気がするの」
俺は暗闇の先へ視線を向けた。
深く、深く続く闇。
その奥には――。
俺たちがまだ知らない、この迷宮の新たな脅威が待ち構えているような気がしてならなかった。
俺たちは光の球を頼りに、三層の奥へと歩き始めた。
俺たちは、すぐにリュックから防寒着を取り出し、それぞれ身に付けた。
「寒い……」
カレンが身体を縮こませる。
俺たちも厚手の防寒着に身を包んだ。
多少、動きにくくはなる。
だが――。
「凍えるよりはマシだな」
俺がそう言うと、グリフも頷いた。
「ああ。この寒さは、長時間耐えられるものじゃない」
俺たちは周囲を警戒しながら、少し先へ進んだ。
やがて、野営するのにちょうどよさそうな部屋を見つける。
「今日はここで休もう」
俺がそう言った。
一層、二層とほとんど休憩を取らずに進んできた。
しかも二層では、ハープンフィッシュの群れとの戦闘に加え、Aランクのシードラゴンとも戦った。
これ以上、無理に進むのは危険だ。
「賛成」
アンもすぐに頷いた。
「ちゃんと食事を取って、身体を休めましょう」
俺たちは、その部屋を今日の野営地とすることにした。
「グリフ、アリス。少し先を見てきてくれるか?」
「ああ、任せろ」
「分かったわ」
二人は周囲を警戒しながら、少し先の部屋まで確認に向かった。
魔物が潜んでいないかを確認し、もしもの時に知らせるための罠も仕掛けてくれる。
その間――。
「俺はテントを張るか」
「私は料理の準備をするわね」
アンはすぐに調理道具を取り出し始めた。
俺もテントを広げ、設営に取り掛かる。
ダンジョンの中とは思えない、いつもの野営と変わらない光景になっていく。
「カニさん!」
そんな中、カレンはビッグハンマークラブと楽しそうに遊んでいた。
「こっちだよ!」
カレンが笑いながら走る。
ビッグハンマークラブも、その後をゆっくりと追いかける。
「待ってよー!」
その様子を見ながら、俺は微笑んでいた。
だが――。
「……あれ?」
突然、カレンの声が止まった。
「カニさん?」
ビッグハンマークラブの身体を見つめるカレン。
次の瞬間――。
――ポロッ。
「……あ」
何かが床へ落ちた。
カレンが目を丸くする。
俺も何が起きたのか分からず、そちらへ視線を向けた。
床に落ちていたのは――。
ビッグハンマークラブの、大きなハサミだった。
「カニさんのお手々……取れちゃった!」
カレンが慌ててビッグハンマークラブへ駆け寄る。
「大丈夫!? 痛くない!?」
ビッグハンマークラブは、残ったもう片方のハサミをゆっくりと動かしている。
どうやら、先ほどのハープンフィッシュとの戦闘で傷ついていたらしい。
その傷が原因で、ハサミが外れてしまったようだ。
「お父さん! カニさんの手が取れちゃったよ!」
「落ち着け、カレン」
俺がそう言ったところで――。
「ただいま」
アリスとグリフが戻ってきた。
「お母さん!」
カレンが慌てて駆け寄る。
「カニさんの手が取れちゃったの!」
「まあ」
アリスはビッグハンマークラブを見ると、すぐに状況を理解した。
「大丈夫よ、カレン」
「……ほんと?」
「ええ」
アリスは優しく微笑んだ。
「カニさんはね、よく脱皮するの」
「脱皮?」
「そう。古くなった殻や身体の一部を脱ぎ捨てて、新しくするのよ」
アリスはビッグハンマークラブの身体を確認する。
「今回の戦いで傷ついていたから、少し早く外れたのかもしれないわね」
「じゃあ……痛くないの?」
「少しは痛かったかもしれないけれど、大丈夫よ」
「……よかったぁ」
カレンは胸を撫で下ろした。
ビッグハンマークラブも、何事もなかったかのように残ったハサミを動かしている。
「ほら。元気そうでしょう?」
「うん!」
カレンは安心したように笑った。
そんな二人の様子を――。
アンがじっと見ていた。
「…………」
そして、床に落ちている巨大なハサミへ視線を向ける。
「……ねえ」
「ん?」
俺が振り返る。
アンはハサミを指差した。
「カニさんのお手手、捨てちゃうの勿体無いよね?」
「……お手手?」
カレンが首を傾げる。
「ええ。せっかく取れたんだもの」
アンはその巨大なハサミを持ち上げる。
「これ、食べられるわよね?」
「…………」
俺は言葉を失った。
「アン……」
「だって勿体無いじゃない」
アンは当然のように答える。
「せっかくのカニさんのハサミなんだから、みんなで食べましょう」
「……まあ、食べられるならいいけど」
俺がそう答えると――。
「決まりね!」
アンは嬉しそうに笑った。
そして、すぐさま調理道具を並べ始める。
「カレンも食べる?」
「うん!」
カレンは嬉しそうに頷いた。
「カニさんのお手々、おいしくする!」
「そうね」
アンは手際よく下処理を始める。
大きなハサミを丁寧に洗い、殻を確認しながら調理の準備を進めていく。
「……カニさん、自分の手を食べられるのを見てるぞ」
グリフが苦笑する。
ビッグハンマークラブは、残ったハサミを動かしながら、調理されていく自分の身体の一部をじっと見つめていた。
「……気にしてないのか?」
俺が尋ねると――。
ビッグハンマークラブは、ゆっくりと身体を動かした。
まるで、
――好きにしろ。
そう言っているようにも見えた。
「ふふっ」
アリスが笑う。
「魔物の身体って、不思議よね」
やがて、鍋から湯気が立ち始める。
冷え切った三層の空気の中に、温かな料理の香りが広がっていった。
今日の夕食は――。
思いがけず、ビッグハンマークラブのハサミ料理になった。
こうして俺たちは、危険なダンジョンの三層で――。
束の間の休息を取ることになった。
俺たちは、しばらくの間ゆっくりと身体を休めた。
一層、二層とほとんど休まず進み、二層ではハープンフィッシュの群れやAランクのシードラゴンとも戦った。
さすがに疲労が溜まっている。
十分に休息を取ったところで、見張りの時間になった。
「次は俺たちだな」
俺が立ち上がると、グリフも弓を手に取った。
「ああ。しっかり警戒しておこう」
そして――。
俺とグリフ、そしてクマさんが見張りを担当することになった。
クマさんは大きな身体を部屋の入口付近に横たえ、眠っているようにも見えるが、その耳だけは周囲の音を拾うように動いている。
「……頼もしいな」
俺がそう呟くと、グリフが苦笑した。
「俺たちより警戒してるかもしれないぞ」
「グオッ」
まるで返事をするように、クマさんが小さく唸った。
しばらくすると、交代の時間がやってくる。
俺たちは全員を起こした。
「そろそろ出発するか」
外は相変わらず、深海のような冷気に包まれている。
だが、まだ身体には昨日の疲れが残っていた。
そこでアンが温かい紅茶を淹れてくれた。
「はい。寝起きにはこれが一番よ」
湯気の立つ紅茶を受け取る。
「……温かいな」
冷え切った身体へ、紅茶の温もりがゆっくりと染み込んでいく。
「ふぅ……」
カレンも両手でカップを包み込みながら、嬉しそうに飲んでいる。
「あったか~い……」
アリスも紅茶を一口飲み、ほっと息を吐いた。
「少し元気が戻ったわね」
グリフもカップを傾けながら頷く。
「よし。これなら進めそうだ」
俺は紅茶を飲み終えると、立ち上がった。
「それじゃあ――行こう」
テントを片付け、防寒着を整える。
カレンもビッグハンマークラブのカードを大切そうにしまった。
「カニさん、今日も頑張ろうね!」
そして俺たちは、再び三層の奥へ向かって歩き始めた。
冷たい空気。
薄暗い迷宮。
その先に何が待っているのか――。
三層をさらに進んでいく。
俺たちはいくつもの細い通路を抜け、その先にある部屋を一つずつ確認しながら進んでいった。
部屋へ入るたびに、現れる魔物も違った。
鋭い牙を持つ魚。
巨大な触手を持つ魔物。
暗闇に紛れて襲いかかってくる海蛇のような魔物。
三層はまるで、深海そのものを迷宮の中へ閉じ込めたような場所だった。
その中でも――。
「……あれは、かなりデカいな」
グリフが弓を構えながら呟いた。
暗闇の向こうから現れたのは、巨大なサメだった。
俺たちの何倍もある巨体。
そして何より目を引くのは――その口だった。
何列にも並んだ鋭い牙が、大きく開いた口の中にずらりと並んでいる。
「メガファングシャークよ」
アリスが静かに告げる。
「三層に生息する魔物の中でも、かなり危険な部類ね」
「……あの口で噛まれたら」
グリフが弓を引き絞る。
「真っ二つだろうな」
「縁起でもないこと言うなよ」
俺は盾を構えた。
メガファングシャークが、濃密な魔力の中を泳ぐようにこちらへ迫ってくる。
「来るぞ!」
グリフが矢を放った。
――ヒュッ!
一射。
続けて二射。
そして――三射。
――シュシュシュッ!
三本の矢が一直線に飛び、メガファングシャークの片目へ突き刺さった。
「ギャアアアアッ!」
メガファングシャークが苦痛の咆哮を上げる。
「入った!」
グリフが叫ぶ。
だが、怒り狂ったメガファングシャークは止まらない。
巨大な身体を反転させ――。
「グリフ!」
俺が叫んだ瞬間。
メガファングシャークが大きな口を開いた。
「――っ!」
グリフへ向かって、一気に飛び込んでいく。
巨大な口。
無数の牙。
あれに噛みつかれれば、本当にひとたまりもない。
「させるか!」
俺はグリフの横へ駆け込んだ。
盾を構える。
そして――。
「シールドバッシュ!」
――ドゴォンッ!!
身体強化を乗せた盾が、メガファングシャークの巨体へ真正面から叩き込まれた。
「グォオオッ!?」
巨体が大きく弾き飛ばされる。
床を転がりながら、メガファングシャークが体勢を崩した。
「今だ!」
俺が叫んだ――その瞬間。
横から、凄まじい水流が走った。
「――!」
シードラゴンだ。
カレンに使役された水の竜が、静かに頭をもたげていた。
そして――。
「グォオオオオオッ!」
口から放たれた水のブレスが、一直線にメガファングシャークへ向かう。
――ズドォオオオオオッ!!
凄まじい水圧を伴ったブレスが、メガファングシャークの横腹を貫いた。
「ギィィィィィッ――!」
巨体が大きく痙攣する。
そして――。
ドォン……。
力を失った身体が、床へと崩れ落ちた。
「……一撃かよ」
グリフが呆然と呟く。
俺も倒れたメガファングシャークを見つめた。
「さすがAランク……」
先ほどまで俺たちを苦しめていた巨大なサメを、シードラゴンはほとんど一撃で仕留めてしまった。
「すごい!」
カレンが嬉しそうに駆け寄る。
「シードラゴンちゃん、強い!」
シードラゴンはゆっくりとカレンへ顔を向ける。
そして――。
まるで褒められたことが嬉しいかのように、静かに喉を鳴らした。
「ふふっ。仲良くなってるわね」
アリスが微笑む。
俺はその光景を眺めながら、改めて思った。
Aランクの魔物――シードラゴン。
昨日までなら、俺たちにとって討伐対象だった存在。
それが今では――。
「……頼もしい仲間が増えたな」
俺がそう呟くと、グリフが苦笑する。
「まったくだ。……ただ、こいつがいると俺の出番が減りそうだな」
「そんなことないよ、グリフお兄ちゃん!」
カレンが笑う。
「グリフお兄ちゃんの弓もカッコいいよ!」
「……そうか?」
「うん!」
グリフは少し照れたように笑った。
俺たちは倒したメガファングシャークをアンに任せ、素材を回収する。
一つ、また一つと部屋を確認しながら、俺たちは三層の奥へと進んでいった。
現れる魔物を倒し、使えそうな素材を回収する。
それを繰り返しているうちに、俺たちはかなり奥まで来ていた。
そして――。
次の部屋へ足を踏み入れた瞬間。
「……あっ!」
カレンが突然、声を上げた。
「いた!」
その目が、キラキラと輝く。
「カメさん!」
「……カメ?」
俺たちがカレンの視線を追う。
そこにいたのは――。
巨大な亀だった。
四本の太い脚。
大きな頭。
そして何より目を引くのは、その甲羅。
暗い三層の中でも鈍い光を放ち、金属そのもののような輝きを帯びている。
カレンは大喜びで駆け出そうとする。
「カメさんだ! おっきい!」
「待て、カレン!」
俺は慌てて呼び止めた。
あの甲羅を見れば分かる。
ただの亀じゃない。
アリスも、その姿を見た瞬間に表情を変えた。
「……あれは」
グリフが目を細める。
「普通の亀じゃないな」
アリスが静かに頷いた。
「ええ。間違いないわ」
そして――。
「アダマンタイトの亀よ」
「……アダマンタイト?」
俺は目の前の亀を見つめる。
アダマンタイト。
極めて希少で、並の武器や魔法では傷一つ付けることすら難しいと言われる超硬質の金属。
以前、アリスが作った氷獄の鎧にも使われていた素材だ。
「まさか……魔物そのものがアダマンタイトを?」
「そういうことね」
アリスが頷く。
「この亀の甲羅は、長い年月をかけて魔力を吸収し続けたことで、アダマンタイトのような性質を持つようになったのよ」
グリフが苦笑する。
「……つまり、あの甲羅そのものが超一級の素材ってことか」
「ええ」
アンの目が輝いた。
「……素材」
その一言に、カレンが振り返る。
「アン?」
アンは慌てて表情を戻した。
「な、何でもないわ」
だが、その視線は完全に亀の甲羅へ釘付けになっている。
俺は思わず苦笑した。
「カレン、あの亀はかなり強そうだ。勝手に近づいちゃ駄目だぞ」
「でも……」
カレンは亀を見つめる。
「お友達になれるかな?」
「……どうだろうな」
俺たちが警戒する中、アダマンタイトの亀はゆっくりとこちらへ顔を向けた。
巨大な瞳が、俺たちを捉える。
そして――。
ズシン……。
巨大な脚を一歩踏み出した。
床が小さく震える。
「……来るぞ」
俺は盾を構える。
カレンも慌てて立ち止まった。
だが――。
アダマンタイトの亀は、俺たちを襲うことなく、ただじっとカレンを見つめていた。
「……?」
カレンが首を傾げる。
「カメさん……?」
亀は答えない。
ただ、その巨大な身体からは――。
今までの魔物とは違う、異様なほど濃密な魔力が漂っていた。
俺は無意識に槍を握り直す。
目の前にいるのは、ただの可愛い亀ではない。
紛れもなく――。
希少な金属、アダマンタイトの名を冠するほどの強大な魔物だった。
俺はしばらく、目の前のアダマンタイトの亀を見つめていた。
巨大な身体。
そして、あまりにも頑丈そうな甲羅。
その姿を見ているうちに、俺は一つの決断をした。
「……カメさんは、何とか討伐しよう」
「えっ……?」
カレンの顔が固まる。
俺はそんなカレンを見ながら、言葉を続けた。
「理由は分かるだろ?」
俺はアダマンタイトの甲羅へ視線を向ける。
「アリスが作ってくれた氷獄の鎧にも使われているくらいだ。武器や防具を作る上でも、アダマンタイトはかなり貴重な素材だ」
「……確かに」
アリスが頷く。
「これほど純度の高いアダマンタイトを確保できる機会は、そう多くないわね」
「それに――」
俺はアンを見る。
「カレンの友達になってしまえば、解体するのは難しいだろ?」
「もちろん!」
アンは即答した。
「アダマンタイトの甲羅なんて、絶対に欲しいわ!」
「アン……」
「だって、貴重な素材なんだもの」
アンは当然のように答える。
グリフもアダマンタイトの亀を見ながら、弓を構え直した。
「……まあ、そうだな」
「グリフまで……」
カレンが頬を膨らませる。
アリスも少し困ったように笑いながら頷いた。
「今回は素材を優先したほうがいいと思うわ」
「お母さんまで!」
カレンの頬が、さらに膨らんでいく。
「だって……カメさん、お友達にできるかもしれないのに……」
ぷーーっと頬を膨らませ、あからさまに怒っている。
「カレン、そんな顔するなよ」
「やだ!」
カレンは俺から顔を背ける。
「お父さん、カメさんをいじめるんだもん!」
「いじめるわけじゃない」
「いじめるもん!」
「……」
俺は思わず言葉に詰まった。
その横で、グリフが小さく笑う。
「レオン。これは相当怒ってるぞ」
「分かってるよ……」
アリスも苦笑しながらカレンの頭を撫でる。
「カレン。今回は仕方ないわ」
「むぅ……」
カレンは納得していない。
それでも――。
俺たちは武器を構えた。
俺は盾を前へ。
グリフは弓を引き絞る。
アンは投げナイフを手に取った。
そしてアリスは、周囲の魔力を探りながら静かに立つ。
その時――。
「……グルルル」
アダマンタイトの亀が低く唸った。
巨大な身体が、ゆっくりとこちらへ向きを変える。
甲羅が鈍く輝く。
俺は盾を握り直した。
「みんな、気をつけろ」
カレンは頬を膨らませたまま、俺たちの後ろへ下がる。
「……カメさん、ごめんね」
小さな声でそう呟いた。
そして――。
アダマンタイトの亀との戦いが始まった。
戦いが始まってすぐ――。
俺たちは、想像以上の壁にぶつかった。
「……硬すぎる!」
俺は盾を構えながら、アダマンタイトの亀へ槍を突き込む。
――ガキィンッ!
槍の穂先が甲羅へ弾かれた。
まるで、物理攻撃そのものが無効化されているかのようだった。
グリフの矢も同じだった。
――カンッ!
甲羅へ当たった瞬間、矢は虚しく弾き飛ばされる。
「くそっ……!」
グリフが距離を取りながら呟く。
「傷一つ付かないぞ!」
アリスも魔法を放つ。
しかし、アダマンタイトの亀は巨大な甲羅に身体を引っ込め、魔法の直撃を耐え抜いてしまう。
「これは厄介ね……」
アリスが眉をひそめる。
俺は亀を見ながら考えた。
正面からでは、どうやっても攻撃が通らない。
甲羅の硬さが異常すぎる。
「……弱点を探すしかない」
その時だった。
「レオン!」
アンの声がした。
「ちょっと試してみる!」
「何を――」
アンが腰の道具袋から一本の小瓶を取り出した。
中に入っているのは、これまで温存していた毒。
「私が持っている中で、一番強い毒よ」
「……劇毒か」
俺は目を見開く。
アンが頷いた。
「ええ。まともに身体へ入れば、普通の魔物ならまず耐えられない」
問題は――。
この亀のどこへ入れるか。
アンはアダマンタイトの亀をじっと観察する。
そして――。
「……見つけた」
アンが呟いた。
「え?」
「甲羅で覆われていない場所がある」
アンは短剣と毒を取り出した。
そして、亀が身体を動かした一瞬の隙を狙って駆け出す。
「アン、気をつけろ!」
巨大な脚が振り下ろされる。
――ドォン!
アンはすんでのところで横へ飛び退いた。
「ここ!」
素早く亀の後方へ回り込む。
そして、甲羅に覆われていない最も柔らかな部分へ狙いを定め――。
「……これなら、どう?」
毒を塗った短剣を突き込んだ。
――ズブッ!
「グオオオオオッ!」
アダマンタイトの亀が苦しそうに身体を震わせる。
アンはすぐに距離を取った。
「入った!」
俺たちは一斉に亀へ視線を向ける。
果たして――。
この劇毒が、アダマンタイトの亀にも通用するのか。
俺たちは固唾を呑んで、その様子を見守った。
劇毒の効果は――凄まじかった。
短剣を突き込んでから、ほんの僅かな時間しか経っていない。
「……グオ……」
アダマンタイトの亀が、苦しそうに身体を震わせる。
そして――。
ズシン……。
巨大な身体が、その場へ崩れ落ちた。
「……動かなくなった?」
グリフが弓を下ろす。
俺たちが見つめる中、アダマンタイトの亀は口から泡を吹きながら、ゆっくりと息を引き取った。
「…………」
あまりにも呆気なかった。
あれほど硬く、俺たちの攻撃をことごとく弾き返していた魔物が――。
たった一度、毒を体内へ入れられただけで倒れてしまった。
「……劇毒、恐ろしいな」
俺が呟くと、アンは少しだけ複雑そうな顔をした。
「効くとは思ってたけど……ここまでとは思わなかったわ」
俺は倒れた亀を見る。
巨大な甲羅は傷一つなく、鈍い光を放っている。
これほどの素材を持つ魔物が、こうして命を落とした。
すると――。
「…………」
俺の尻に、妙な違和感が走った。
「……ん?」
なんだ、この感覚。
隣を見ると、グリフもどこか落ち着かない様子で自分の尻をさすっている。
「……レオン」
「なんだ?」
「なんか……尻が痛くないか?」
「……!」
俺も思わず自分の尻を押さえる。
「……痛い」
「だよな?」
なぜだ。
別に攻撃を受けたわけでもない。
それなのに――。
俺もグリフも、なぜか妙に尻が痛い。
アンが不思議そうにこちらを見る。
「二人とも、どうしたの?」
「……いや」
俺は答えに困りながら、倒れているアダマンタイトの亀を見る。
「なんでもない」
グリフも小さく頷いた。
「……ああ、なんでもない」
そして俺たちは、静かに頭を下げた。
「……亀さん」
俺は心の中で呟く。
「すまない……」
カレンは――。
少し離れた場所で、頬をぷくっと膨らませていた。
どうやら、まだ怒っているらしい。
俺はそんなカレンを見ながら、ため息をついた。
「……あとでちゃんと謝ろう」
こうして俺たちは、アダマンタイトの亀を討伐した。
そして――。
アンによる解体が、始まろうとしていた。
「……硬すぎる」
アンが解体用の肉切り包丁を握り、アダマンタイトの亀の甲羅へ刃を当てる。
――ギィンッ!
「……駄目ね」
刃が、まるで石にでも当たったかのように弾かれた。
何度試しても同じだった。
傷一つ付かない。
「解体用の包丁でも歯が立たないなんて……」
アンが困ったように呟く。
俺もグリフも、その甲羅を見つめる。
戦っている時から分かっていた。
こいつの硬さは尋常じゃない。
物理攻撃が効かない――。
そう錯覚するほどの硬度だった。
「……こうなったら、仕方ないわね」
アンが包丁を握り直す。
「どうするんだ?」
俺が尋ねると、アンはアダマンタイトの亀の身体をじっと観察した。
「外側が駄目なら――中から解体するしかないでしょう?」
「…………」
「…………」
俺とグリフは顔を見合わせた。
「まさか……」
アンは何も言わず、亀の身体の中へと続く、もっとも柔らかそうな部分へ包丁を入れる。
「よし……ここならいける」
慎重に刃を入れていく。
外側の硬い部分とは違い、内部はどうにか刃が通った。
「本当に中からやるのか……」
俺が呟く。
「素材を無駄にするわけにはいかないからね」
アンは真剣そのものだった。
そして――。
時間をかけながら、少しずつ内部から解体を進めていく。
甲羅。
筋肉。
内側の組織。
使えそうな部位を一つずつ丁寧に切り分け、魔法のバックへと収納していく。
「……すごいな」
グリフが呟く。
「何が?」
「いや……アンの執念が」
「当然でしょう?」
アンは当然のように答えた。
「これだけ貴重な素材なんだから」
俺は苦笑する。
確かに――。
アダマンタイトの甲羅は、これまで見てきたどんな素材よりも硬い。
武器にも、防具にも。
きっと、とてつもない価値がある。
だからこそ、アンが一切の素材を無駄にしようとしないのも理解できた。
そして――。
最後の素材を魔法のバックへ収めたアンが、満足そうに息を吐いた。
「……終わった」
「本当に全部……?」
「ええ」
俺は床に残されたアダマンタイトの甲羅を見つめる。
その圧倒的な硬度。
そして、その硬さを前にしても諦めず、内側から全てを解体してみせたアン。
「……恐るべし」
思わず、そう呟いてしまった。
グリフも小さく頷く。
「同感だ」
その横では――。
「……」
カレンがぷくっと頬を膨らませていた。
「カメさん……」
悲しそうに、空になった部屋を見つめている。
俺はそんなカレンの頭をそっと撫でた。
「……ごめんな、カレン」
カレンは何も言わなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに俯いていた。




