解体、解体、解体
オークキングを倒した後――。
俺たちは、オークの集落を改めて見渡していた。
「……流石に多すぎだろ、これ……」
グリフが、集落に残された無数のオークの遺体を見ながら呟く。
その言葉通りだった。
今回討伐したオークの数は、あまりにも多い。
やがてカイゼルの街から、多くの男たちがやって来た。
彼らは協力してオークの遺体を運び、街の外れにある広い場所へと次々に集めていく。
「こりゃ大仕事だな……」
「五十近くいたって話だからな」
男たちは汗を流しながら、せっせと作業を続けていた。
その一方で――。
「ふふ……これは使えそうね」
アンはというと、運ばれてきたオークの遺体を前に、楽しそうに解体作業をしていた。
皮や牙、爪などを丁寧に取り出し、使えそうな素材を次々と選別していく。
「これは売れるわね」
アンは嬉しそうに素材を袋へ入れていく。
そんな様子を少し離れた場所から見ていたカレンが、首を傾げた。
「……アン」
「ん?」
「オークさん、お友達……?」
「――えっ!?」
アンの手がピタリと止まった。
「ち、違うよ!」
明らかに動揺している。
「これは……その……悪いオークさんだから!」
「悪いオークさん?」
「そう! 悪いオークさんだから、もうお友達じゃなくて……」
アンは手にしていた牙を見せる。
「素材になるんだよ!」
「……そざい?」
「そ、そう! 素材!」
カレンはしばらくアンと牙を交互に見つめる。
「……お友達じゃないの?」
「う、うん……」
アンは苦笑しながら頷いた。
「今は素材なの」
「そっか!」
カレンは納得したように頷いた。
「なら、いい子にしてね。オークさん!」
「……いや、もう死んでるからね?」
アンが小さく呟く。
その様子を見ていたグリフが、思わず吹き出した。
「はははっ! アン、お前も大変だな」
「笑ってないで手伝ってよ!」
「はいはい」
そんなやり取りをしながら、俺たちはオークの集落をさらに探索することにした。
集落の中には、思っていた以上に多くの物が残されていた。
別の魔物から奪ったと思われる牙や爪。
大きな魔物の皮。
そして――。
「……宝石まであるのか」
俺は小さな箱の中に入っていた宝石を手に取った。
粗末な集落には似つかわしくないほど、美しい宝石だった。
「おそらく、旅人や冒険者から奪ったものも混ざっているでしょうね」
アリスが周囲を見渡す。
「これまで送り込まれた冒険者たちの装備もあるのかもしれないわ」
「なるほど……」
集落が大きくなっていた理由の一つは、こうした略奪品を蓄えていたからなのかもしれない。
さらに奥へ進むと――。
「……これは?」
アリスが、一冊の古びた本を拾い上げた。
表紙には見たことのない文字が刻まれている。
「魔導書ね」
アリスは本を開く。
ページにはびっしりと文字が書かれていた。
だが――。
「……オーク族の言葉ね」
「読めないのか?」
「ええ。文字そのものは理解できる部分もあるけれど、文章として読むには難しいわ」
アリスが眉を寄せる。
長い年月を生きてきた大賢者であるアリスですら読めない。
それほど特殊な言語なのだろう。
「カレンには分かるか?」
何気なく尋ねると――。
「うん!」
カレンが本を覗き込んだ。
「これ、読めるよ!」
「……え?」
アリスの目が見開かれる。
「カレン、本当に?」
「うん!」
カレンは不思議そうな顔をしながら、本の文字を指でなぞっていく。
「ここにはね――」
カレンが読み始めた。
その瞬間。
アリスの表情が変わった。
「……待って」
「?」
「カレン。今、何語を話しているの?」
「オークさんの言葉だよ?」
「…………」
アリスは言葉を失った。
そして、カレンの首元へ視線を向ける。
そこには――あのルーンが刻まれている。
カレンが魔法を使った時に浮かび上がる、謎のルーン。
アリスはゆっくりとカレンへ問いかけた。
「……カレン」
「なあに?」
「その文字が、どうして読めるの?」
カレンは首を傾げる。
「だって……書いてあることが分かるから」
あまりにも自然な答えだった。
アリスは魔導書を見つめる。
そして、もう一度カレンを見る。
「…………」
これまでにも、カレンのルーンには多くの謎があった。
使役。
強大な魔力。
そして――あの赤い稲妻。
しかし今度は、言語までも理解している。
アリスは静かにカレンの首元に刻まれたルーンを見つめた。
「……あなたのルーンはいったい……」
その呟きは、誰にも届かないほど小さかった。
オークの集落での探索が続く中――。
今度は、昨日討伐した大型のシーサーペントの解体も始まった。
カイゼルから来た男たちが、巨大な身体を前にして息を呑む。
「……これ、本当に一匹なのか?」
「昨日のうちに討伐したっていうんだから驚きだよな……」
その横では、アンが目を輝かせていた。
「そこを押さえて! そう、そのまま!」
「お、おう!」
「次はそっち。そこを切れば綺麗に取れるわ!」
「分かった!」
アンは男たちへ次々と指示を出しながら、慣れた手つきでシーサーペントの身体を解体していく。
「この皮はかなり丈夫ね。防具の素材に使えそう」
鱗を一枚剥がし、光にかざす。
「それに、この牙もかなり価値があるわ」
アンの表情は、とても楽しそうだった。
まるで宝物を見つけたかのように、次々と素材を見つけていく。
その少し離れた場所では――。
「お母さん、ここ読んであげるね」
「ええ。お願い、カレン」
カレンはアリスの膝の上にちょこんと座り、昨日見つけたオーク族の魔導書を開いていた。
アリスはカレンの身体を優しく支えながら、そのページを覗き込む。
「ここには……何が書いてあるの?」
「えっとね……」
カレンは文字を追いながら読み上げる。
「オークさんが使う魔法について書いてあるよ」
「魔法……?」
「うん」
カレンはページをめくる。
「これはね――『闇属性』っていう魔法なんだって」
「……闇属性」
アリスの瞳がわずかに輝いた。
「続きは?」
「えっと……闇属性の魔法は、魔物の身体に流れる魔力と相性が良くて、人族やエルフには扱うのが難しいって書いてあるよ」
「なるほど……」
アリスは興味深そうに魔導書を見つめる。
「では、この術は具体的にどんなことができるの?」
「ここには――闇を形にしたり、身体を強くしたり……敵の魔力を弱くしたりできるって書いてある」
「……魔力そのものへ干渉する術なのね」
アリスは思わず身を乗り出した。
「他には?」
「えっと……この魔法は魔物だけが使えるって書いてあるよ」
「魔物だけ……」
アリスは顎に手を当て、考え込む。
これまで数多くの魔法を研究してきたアリスにとっても、興味深い内容だった。
「カレン。この部分は何て書いてあるの?」
「ここ?」
「ええ。その下の文字」
カレンが指で文字をなぞる。
「『闇は魔物の中に宿り――』……えっと……」
カレンは一文字ずつ読み進めていく。
アリスはそれを聞き逃さないよう、真剣に耳を傾けていた。
「……『命ある限り、その力は受け継がれる』だって」
「…………」
アリスの表情が変わった。
「受け継がれる……?」
アリスはカレンの首元へ視線を向ける。
そこに刻まれた、謎のルーン。
昨日見せた、あまりにも強大な魔力。
そして――魔物の言葉を理解する力。
「カレン」
「なあに?」
「この本に書かれていることを、他にも読める?」
「うん!」
「では、この術はどうやって発動するの?」
「えっとね……」
カレンは魔導書を覗き込みながら、一生懸命に読み進めていく。
アリスは一つ一つ質問を重ねていった。
「その言葉はどういう意味?」
「この魔法はどんな時に使うの?」
「オーク以外の魔物にも使えるの?」
「この術式は誰が考えたの?」
「分かんない……」
「そう……では、この部分は?」
「それは――」
質問は次々と続いていく。
カレンは楽しそうに答えている。
そしてアリスもまた――。
まるで新しい未知の魔法を発見した時のように、目を輝かせていた。
「……これは、もっと調べる必要がありそうね」
アリスは小さく呟く。
カレンのルーン。
魔物の言葉を理解する力。
そして、魔物だけが使えるとされる闇属性魔法。
それらは果たして――偶然なのだろうか。
アリスの中で、新たな疑問が静かに膨らみ始めていた。
オーク族の魔導書を読み進める中で――。
アリスがひときわ興味を示した術があった。
「……闇隠れの術?」
カレンが読み上げたその言葉に、アリスの目が輝く。
「ええ。これは面白いわね」
「どんな魔法なの?」
「自分や対象にこの術をかけることで――周囲の者から姿を認識できなくなるみたい」
「見えなくなるの?」
「そういうことね」
アリスは魔導書を覗き込みながら、興味深そうにページを読み進める。
「透明になる魔法とは少し違うみたいね。姿そのものを消すのではなく、相手の認識から外す……」
「うん。そう書いてあるよ」
「これはぜひ使ってみたいわ」
アリスは早速、カレンに発動までの流れを教えてもらうことにした。
「まずは、この言葉を唱えて……」
「うん」
「次に魔力をこう流すのね?」
「そうだよ」
アリスは目を閉じ、魔力を集中させる。
「――闇隠れ」
しかし――。
何も起こらない。
「…………」
アリスはもう一度試してみる。
「闇隠れ……」
やはり何も起こらない。
「うーん……」
アリスは首を傾げた。
「術式そのものは理解できているはずなのだけれど……」
「お母さん、魔力をこっちに流すんだよ」
カレンがアリスの手を取る。
「ここから、こうして……」
「こう?」
「うん!」
アリスは再び魔力を流す。
しかし――。
「……駄目ね」
アリスは小さく息を吐いた。
「やっぱり上手くいかないわ」
「じゃあ、カレンがやってみる!」
「ええ。お願い」
カレンは立ち上がる。
そして――。
首元のルーンが淡く輝いた。
「闇隠れ!」
その瞬間だった。
カレンの身体が――ふっと消えた。
「……え?」
アリスが目を見開く。
確かに、ほんの一瞬前まで目の前にカレンがいた。
しかし――。
今は、どこにもいない。
「カレン?」
「お母さん!」
声だけが聞こえる。
「カレンの姿、見える?」
「…………」
アリスは周囲を見回した。
右。
左。
後ろ。
どこにもカレンの姿はない。
「……見えないわ」
「ここだよ!」
「どこ?」
「お母さんの前!」
声はすぐ近くから聞こえている。
それでも、アリスにはカレンの姿がまったく見えない。
「……本当に、何も見えない」
アリスは手を伸ばす。
「カレン、手を握れる?」
「うん!」
小さな手が、アリスの手を握った。
「……!」
触れる。
確かにそこにいる。
けれど――姿だけが完全に認識できない。
「すごい……」
アリスの瞳が輝く。
「これは透明化ではない……本当に、認識そのものから外れているのね」
「お母さん、すごい?」
「ええ……」
アリスは見えないカレンの頭を優しく撫でる。
「カレンは、本当に凄いわ」
「えへへ!」
嬉しそうな声だけが返ってくる。
アリスは再び魔導書へ視線を落とした。
自分で何度試しても発動できなかった術を――。
カレンは、まるで簡単な遊びでもするかのように使ってみせた。
「……どうして、カレンには使えるのかしら」
アリスの視線が、魔導書からカレンの首元へ向けられる。
そこには――。
姿が見えなくなっている今も、確かに存在しているはずのルーン。
「この力は……やっぱり普通の魔法とは違う」
アリスは静かに呟いた。
その様子を少し離れた場所から見ていたグリフは――。
しばらく言葉を失っていた。
「……凄すぎるだろ」
目の前には、姿を完全に認識できなくなったカレン。
声は聞こえる。
触れることもできる。
それなのに――目には見えない。
グリフは思わず自分の弓へ視線を落とした。
「これが使えたら……」
レンジャーにとって、これほど魅力的な魔法はない。
敵に姿を見せず、気配だけでなく視覚による認識すら逃れながら行動できる。
偵察。
狙撃。
奇襲。
その全てにおいて、圧倒的な優位を得られる。
「アリス」
「なに?」
「その術――魔法付与で俺の装備に付けたりできないか?」
アリスは少し考え込む。
「……理論上は可能だと思うわ」
「本当か!?」
グリフの顔が明るくなる。
「ただし、簡単ではないでしょうね」
「やっぱりか」
「闇隠れの術は、普通の透明化とは違うもの。装備そのものに術式を定着させるには、それに耐えられる素材が必要になると思う」
「どんな素材ならいい?」
グリフが身を乗り出す。
「そうね……」
アリスは少し考えた後、答えた。
「オークキングのような、オーク族の上位種から採れる素材なら……もしかしたら可能かもしれないわ」
「オークキングの素材……」
その言葉を聞いた瞬間。
「だったら――」
グリフが集落の外れへ視線を向けた。
そこでは――。
「ふふ……これは良い素材ね」
アンが楽しそうに作業をしていた。
今まさに、討伐したオークキングの解体を始めようとしているところだった。
「アン!」
「ん?」
グリフが駆け寄る。
「そのオークキングの素材なんだが――」
グリフは先ほどの話をアンへ説明した。
闇隠れの術を装備へ付与するため、オークキングの素材が使えるかもしれないこと。
そして、アリスがその可能性を考えていること。
「なるほどね」
アンはオークキングの身体を見下ろす。
「それなら、付与に使えそうな部分は残しておいたほうが良さそうね」
「ああ。頼めるか?」
「もちろん」
アンはにっこりと笑った。
「こういう珍しい素材を無駄にするなんてもったいないもの」
「助かる!」
グリフは嬉しそうに頷く。
こうして――。
オークキングの素材の一部は、グリフの装備へ闇隠れの術を付与するために残されることになった。
まだ本当に成功するかは分からない。
それでも――。
「もし成功したら……」
グリフは自分の弓を見つめる。
「レンジャーとして、これ以上嬉しい装備はないな」
その隣では、姿の見えないカレンが楽しそうに声を上げていた。
「グリフお兄ちゃん、見えないでしょ!」
「ああ。全然見えない」
「すごい?」
「……ああ。最高に凄いよ」
グリフは笑った。
俺は、オークキングが使っていたと思われる部屋を調べていた。
集落の奥にあるその部屋は、他の場所とは明らかに雰囲気が違っていた。
「……豪華な装飾だな」
壁には色鮮やかな布が掛けられ、床には毛皮が敷かれている。
どうやら――ここがオークキングの部屋だったらしい。
部屋の中を調べてみると、様々な物が見つかった。
オークキングが使っていたと思われる武器や防具。
見たことのない道具や装飾品。
そして――。
「銀貨に……金貨まであるのか」
袋の中には、かなりの量の金貨と銀貨が詰め込まれていた。
オークキングがこれまで襲ってきた旅人や冒険者から奪ったものなのだろう。
俺はそれらを一つずつ確認していく。
すると――。
「……ん?」
部屋の隅に、一冊の本が置かれているのが目に入った。
先ほど集落で見つけたオークの魔導書とは違う。
装丁からして明らかに豪華だ。
黒を基調とした表紙には細かな装飾が施され、中央には見たことのない魔法文字が刻まれている。
「これ……魔導書か?」
手に取ってみる。
ずっしりとした重み。
表紙だけでも、ただの魔導書ではないことが分かる。
「よし」
俺はその魔導書を大切に抱えた。
――これをアリスに持っていったら、きっと喜ぶだろう。
さっきの魔導書を見ていた時の、あの嬉しそうな顔。
魔法のことになると、アリスは本当に楽しそうだ。
「……早く見せてやろう」
俺は魔導書を持って部屋を出る。
オークの集落の探索は、残った冒険者たちとカイゼルから来た男たちに任せることにした。
俺一人がここに残っていても、やることはもうほとんどない。
「それじゃあ、頼んだぞ」
「ああ、任せてくれ!」
そう声をかけ、俺は一足先に集落を後にする。
森を抜ける。
遠くに見える港町カイゼル。
その街へ向かいながら、俺は腕の中の魔導書をもう一度見つめた。
どんな魔法が記されているのだろう。
アリスは、どんな顔をするだろうか。
そんなことを考えながら――。
俺は足早にカイゼルの街へと戻っていった。
カイゼルの街へ戻ってきた頃には、魔物の解体作業もほとんど終わっていた。
街の一角には、討伐した魔物から取り出された素材が山のように積まれている。
「……凄い量だな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
シーサーペントにオーク。
その他にも、集落から見つかった様々な魔物の素材。
これだけの量を短時間で解体したアンや街の男たちには、改めて感心させられる。
俺はそのまま、アリスたちのいる場所へ向かった。
そこには――。
アリスが椅子に腰掛け、その膝の上にはカレンがちょこんと座っていた。
カレンは先ほど見つかったオークの魔導書を開き、アリスと一緒にページを覗き込んでいる。
「アリス、カレン」
「あら、レオン。おかえりなさい」
「お父さん、おかえり!」
二人がこちらを振り向く。
俺は腕に抱えていた一冊の本を持ち上げた。
「オークキングの部屋を調べてきたんだが――こんなものを見つけた」
「……?」
アリスが首を傾げる。
「オークキングの部屋に置かれていた。さっき見つけた魔導書とは明らかに違っていてな」
俺は豪華な装丁が施された魔導書を見せる。
その瞬間――。
「……!」
アリスの目が輝いた。
「魔導書!?」
そして、膝の上にいたカレンも身を乗り出す。
「魔導書!?」
二人の声が、見事に重なった。
「見せてー!」
「ええ、見せてちょうだい!」
「……ははっ」
俺は思わず笑ってしまった。
さっきまでオークの魔導書を読んでいたというのに――。
新しい魔導書を見つけた途端、親子そろって目を輝かせている。
「分かった、分かった」
俺は魔導書を二人の前へ差し出した。
「ほら」
「ありがとう、レオン!」
「お父さん、早く開けて!」
アリスとカレンが、まるで宝物を見つけた子供のように魔導書へ顔を近づける。
俺はそんな二人を見ながら――。
この魔導書には、一体どんな魔法が記されているのだろう。
そして――。
これを見つけた時よりも、今の二人の嬉しそうな顔を見られたことのほうが、なんだか嬉しい気がした。
俺が魔導書を開くと、カレンがアリスの膝の上から身を乗り出した。
「カレン、読める?」
「うん!」
カレンは豪華な装丁の魔導書を覗き込み、書かれている文字を一つずつ追っていく。
「えっと……これは……」
小さな指で文字をなぞりながら、ゆっくりと読み上げていく。
「テレポーテーション……?」
「テレポーテーション?」
俺が聞き返す。
「うん。えっとね……一度行ったことがある場所に、すぐに移動できる魔法みたい」
「…………」
俺は思わず固まった。
「すぐに……って?」
「一瞬で!」
カレンが嬉しそうに答える。
「ここから、前に行った場所にもすぐ行けるんだって!」
「……それは……」
俺はアリスを見る。
すると――。
「……そんな魔法が?」
アリスも目を大きく見開いていた。
「本当に……?」
「ああ。カレンはそう読んでいる」
「レオン、それは凄いわ」
アリスは魔導書をじっと見つめる。
「もし本当にそんな魔法が使えるのなら……移動という概念そのものが変わってしまうわ」
「そんな事、本当にできるのか!?」
俺は思わずアリスへ尋ねた。
アリスはしばらく考え込んだ後――。
「……可能性はあると思う」
「可能性?」
「ええ」
アリスは魔導書のページを指でなぞる。
「闇属性の魔法は、私たちが普段使っている魔法とは根本的に性質が違うの」
「闇属性……」
「以前も話したでしょう? 闇属性の魔法は、基本的に魔物しか使えない」
俺は頷いた。
「そして――」
アリスは少しだけ声を落とす。
「不死系の魔物の中には、瞬時に別の場所へ移動するような能力を持つものが確かに存在するわ」
「……!」
「姿を消したと思った次の瞬間には、遠く離れた場所に現れる。そういう魔物は昔から確認されているの」
アリスは魔導書を見つめる。
「だから、瞬間的な位置移動そのものが不可能だとは言い切れない」
「じゃあ……この魔法は本物なのか?」
「分からないわ」
アリスは首を横に振る。
「でも、この魔導書が本当に闇属性の魔法を記したものなら――」
アリスの瞳が、再び輝いた。
「このテレポーテーションも、決してただの伝説ではないのかもしれない」
カレンは二人の会話を聞きながら、楽しそうに魔導書のページをめくっている。
「まだいっぱい魔法が書いてあるよ!」
「……まだあるのか」
「うん!」
俺は思わず苦笑した。
どうやら――。
オークキングの部屋から見つけたこの一冊は、とんでもない代物らしい。
もしこの魔法を本当に使えるようになれば――。
俺たちの冒険そのものが、大きく変わることになる。
アリスは魔導書を見つめたまま、小さく呟いた。
「……これは、もっと詳しく調べる必要があるわね」
アリスの膝の上に座っていたカレンが――突然、ぴょんと立ち上がった。
「カレン?」
俺が声をかける。
するとカレンは、魔導書を閉じることなく、その場で小さく目を閉じた。
そして――。
「……?」
聞き慣れない言葉を、いくつか口にする。
それは、人族の言葉ではなかった。
オークの魔導書に記されていた――魔物の言葉。
カレンが短い詠唱を終える。
その瞬間――。
首元のルーンが、強い光を放った。
「……っ!」
アリスが息を呑む。
「カレン、何を――」
次の瞬間。
――フッ。
目の前にいたカレンの姿が、一瞬で消えた。
「…………え?」
俺は言葉を失った。
「カレン!?」
アリスも立ち上がり、周囲を見回す。
しかし――。
「お母さん!」
声が聞こえた。
俺たちは声のした方向へ振り向く。
「……なっ!?」
少し離れた場所にある家。
その屋根の上に――。
「ここだよー!」
カレンが立っていた。
小さな身体で、こちらへ向かって大きく手を振っている。
「…………」
俺もアリスも、完全に固まってしまった。
「カレン……?」
アリスが呆然と呟く。
「どうやって……そこに……」
俺も言葉が出てこない。
さっきまで、確かに目の前にいた。
歩いて移動したわけでもない。
ましてや、あの距離を飛び越えたわけでもない。
ただ――消えた。
そして、離れた場所にある屋根の上へ現れた。
「お父さん! お母さん!」
屋根の上からカレンが嬉しそうに叫ぶ。
「テレポーテーションできたよ!」
「…………」
俺は思わず額に手を当てた。
「……本当にできるのかよ」
アリスも驚きを隠せないまま、カレンを見つめている。
「……まさか」
アリスは震えるような声で呟いた。
「魔物だけが使えると言われていた闇属性の魔法を……」
そして――。
「カレンは、完全に使いこなしている……」
屋根の上では、そんなことなど気にもせず。
「お父さん、お母さん! すごいでしょー!」
カレンが満面の笑みで手を振っている。
俺とアリスは、ただ呆然とその姿を見つめるしかなかった。
次の瞬間――。
屋根の上にいたカレンの姿が、ふっと消えた。
「……!」
俺とアリスが息を呑む。
そして――。
「お母さん!」
声とともに、俺たちの目の前にカレンが現れた。
「ただいま!」
「カレン!」
アリスはすぐさまカレンを抱き抱えた。
「凄いわ、カレン!」
そのまま何度もカレンの頭を撫でる。
「本当に凄い魔法ね!」
「えへへ!」
カレンは嬉しそうに笑いながら、アリスの首に腕を回した。
「お母さんにもできる?」
「……それは、これから頑張ってみるわ」
アリスは苦笑しながらも、どこか嬉しそうだった。
俺も二人を見ながら笑う。
「まさか、あの魔法を本当に使えるとはな……」
「私も驚いているわ」
アリスはカレンを抱いたまま、改めてその力を考えているようだった。
「この子のルーンは……いったいどこまでの力を持っているのかしら」
そんな話をしていると――。
「おーい!」
遠くから声が聞こえてきた。
振り返ると、グリフ、アンたちがこちらへ戻ってくる。
「ようやく終わったぜ」
グリフが疲れたように肩を回す。
「解体、全部終わったわよ」
アンもそう言いながら歩いてくる。
「お疲れ様」
アリスが声をかける。
「それで……何かあったの?」
アンが尋ねる。
俺は先ほどの出来事を簡単に説明した。
「カレンがテレポーテーションを使ったんだ」
「……は?」
グリフが固まる。
「今なんて?」
「カレンが、テレポーテーションを使った」
「…………」
グリフはしばらくカレンを見る。
「……俺はもう何も言わないぞ」
「ふふっ」
アンも驚きながら笑った。
「本当に、とんでもない子ね」
カレンはそんな二人に向かって胸を張る。
「カレン、すごい?」
「ああ。凄すぎるよ」
グリフが苦笑する。
そして――。
この日、俺たちが討伐を終えたこと。
シーサーペントを倒し、オークの集落を壊滅させたこと。
そして大量の魔物素材が手に入ったことも重なり――。
港町カイゼルは、再び大きな賑わいに包まれた。
「今日は飲むぞ!」
「魚をもっと持ってこい!」
「シーサーペントの肉もあるぞ!」
街のあちこちから歓声が上がる。
料理が並び、笑い声が響く。
昨日に続き――。
今日もまた、カイゼルはお祭り騒ぎだった。
「お魚、お魚!」
カレンも嬉しそうに料理へ駆け寄る。
アリスはそんな娘の姿を微笑みながら見つめていた。
グリフとアンも料理を囲み、楽しそうに笑っている。
俺もその輪の中へ加わった。
――討伐。
――新たな魔法。
慌ただしくも、どこか温かい時間が流れていく。
港町カイゼルの夜は――。
この日もまた、いつまでも賑やかな笑い声に包まれていた。
翌朝――。
俺たちは、グリフの装備へ「闇隠れの術」を付与するための準備を始めていた。
「まずは、このローブに付与できるか試してみましょう」
アリスがグリフのローブを手に取る。
「頼む。これが使えるようになれば、レンジャーとしてかなり助かる」
グリフも期待した様子で頷いた。
しかし――。
「問題が一つあるわ」
アリスがローブを見つめながら言った。
「カイゼルには、魔法付与を行える設備がないの」
「そうなのか?」
「ええ。簡単な付与ならともかく、今回のような特殊な闇属性魔法を付与するとなると、専用の設備と、それなりの技術が必要になるわ」
グリフが肩を落とす。
「そう簡単にはいかないか……」
「王都の宮廷魔導士の塔なら、必要な設備が揃っているはずよ」
アリスはそう言って――。
ふと、カレンを見る。
「……カレン」
「なあに?」
「ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「うん!」
アリスはカレンの前にしゃがみ込んだ。
「みんなを一斉に、王都の宮廷魔導士の塔まで飛ばすことはできる?」
「……?」
カレンは少しだけ首を傾げた。
そして――。
「できるよ!」
あっさりと答えた。
「…………」
俺たちは一斉に固まった。
「本当に?」
「うん!」
カレンは元気よく頷く。
「みんなで行けばいいの?」
「あ、ああ……」
俺は思わず苦笑する。
「じゃあ、お願いしてみようか」
「分かった!」
カレンが両手を広げる。
「みんな、カレンの近くに来て!」
俺たちはカレンを中心に集まった。
グリフ。
アン。
アリス。
そして俺。
カレンは全員が近くにいることを確認すると、目を閉じた。
「……」
首元のルーンが、ゆっくりと輝き始める。
淡い光がカレンの身体から溢れ出した。
その光は次第に大きくなり、俺たち全員を包み込んでいく。
「……これがテレポーテーションか」
グリフが呟く。
次の瞬間――。
――フッ。
視界が一瞬だけ歪んだ。
身体が浮いたような、不思議な感覚。
そして――。
「…………え?」
俺が目を開ける。
そこには――。
見慣れた王都ハルディオの街並みが広がっていた。
「……嘘だろ」
グリフが呆然と呟く。
俺たちは全員――。
カイゼルから一瞬にして、王都ハルディオへ移動していた。
そして目の前には――。
宮廷魔導士の塔。
「着いたよ!」
カレンが嬉しそうに笑う。
「…………」
誰も言葉を発しない。
あまりにも突然の出来事だった。
「カレン……」
アリスが娘を見つめる。
「本当に、みんなを一緒に飛ばしたのね……」
「うん!」
カレンは得意げに胸を張る。
その時だった。
「……え?」
塔の入口から、一人の女性がこちらへ歩いてきた。
「アリス様……?」
宮廷魔導士――リリスだった。
リリスは俺たちを見つめ――。
そして、背後の街並みへ視線を向ける。
「…………」
「リリス?」
「…………カイゼルに、いらっしゃいましたよね?」
「ああ」
「…………」
リリスの顔が、みるみる青ざめていく。
「な、なんで……」
そして――。
「なんで一瞬でここにいるんですかぁぁぁぁ!?」
リリスはその場で腰を抜かした。
「えっ!?」
俺たちは一斉に驚く。
カレンだけが、不思議そうに首を傾げていた。
「だって、テレポーテーションしたんだよ?」
「テ、テレポーテーション……!?」
リリスは地面に座り込んだまま、カレンを見つめる。
「そんな……複数人を同時に……しかも王都まで……」
アリスはそんなリリスを見ながら、思わず苦笑した。
「リリス。大丈夫?」
「だ、大丈夫なわけないでしょう!」
リリスは震える声で叫ぶ。
「今まで何十年も魔法を研究してきましたが……こんなもの、見たことありませんよ!」
俺は思わずカレンを見る。
本人はというと――。
「カレン、上手にできた?」
「ああ……上手すぎるくらいだ」
俺は苦笑するしかなかった。
どうやら俺たちは――。
歩いて王都へ戻るという選択肢すら、必要なくなってしまったらしい。




