討伐、討伐、討伐
港町カイゼルの正門前には、門番を含めた数人の衛兵が待機していた。
俺たちの姿を確認すると、衛兵たちは一斉に身構える。
どうやら、街の中でも俺たちの帰還が騒ぎになっているらしい。
その時だった。
「待ちな!」
人混みの向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
「武器を下ろすんだ! 敵じゃないよ!」
その声を聞いた衛兵たちは、すぐさま構えていた武器を下ろした。
そして――。
「全く……驚いたよ」
衛兵たちの間を抜け、一人の女性がこちらへ歩み寄ってくる。
カイゼル冒険者ギルドのギルドマスター――マチルダだった。
以前会った時と比べれば、歳を重ねたことははっきりと分かる。
それでも、その気丈な立ち姿と豪快な雰囲気は、昔と何一つ変わっていなかった。
「レオン……それに、アリス様……」
マチルダは俺たちの顔を交互に見つめる。
そして、しばらく言葉を失った。
「まさか……本当にあんたたちだったとはね」
「久しぶりだな、マチルダ」
俺がそう声をかけると――。
「……ああ。本当に久しぶりだよ」
マチルダの顔に、満面の笑みが浮かんだ。
数十年ぶりの再会。
それでも、かつて共に過ごした時間は、決して消えてはいなかった。
「よく帰ってきたね、レオン。それにアリス様も……」
そう言って、マチルダは嬉しそうに俺たちを迎えてくれた。
しかし――。
マチルダの視線が、俺たちの後ろへと移る。
そこにいるのは、巨大な一頭のワイルドベア。
しかも、その背中にはカレンがちょこんと腰を下ろしている。
「……それにしても、まさか討伐対象だったワイルドベアを連れて歩いてくるとはね」
マチルダは目を丸くしながら、ワイルドベアを見上げた。
「しかも……手懐けているのかい?」
その言葉に、ワイルドベアの背中からカレンがひょこっと顔を出す。
「お友達だよ!」
カレンは満面の笑みで答えた。
「私の大切なお友達なの!」
「……お、お友達……?」
マチルダが呆気に取られる。
周囲にいた門番や衛兵たちも、言葉を失っていた。
巨大なワイルドベアが、少女を背中に乗せて大人しくしている。
それだけでも信じられない光景だ。
ましてや、ワイルドベアはこの辺りでは珍しく危険な魔物に指定されているからね・・・。
「……こりゃ驚いたね」
マチルダはしばらくワイルドベアとカレンを見つめた後、俺たちへ視線を戻した。
「どうやら……訳ありのようだね」
「ああ。少し事情があってな」
俺がそう答えると、マチルダは小さくため息をついた。
「まあ、あんたたちが連れているなら大丈夫だろうさ」
そして、ワイルドベアを指差しながら言う。
「ただし、街で暴れたり、人を襲ったりしないこと。それだけは約束しておくれ」
「もちろんだ」
「なら、入場を許可するよ」
マチルダはそう言って、衛兵たちに目配せした。
「門を開けな!」
「はっ!」
衛兵たちが慌てて門を開け始める。
その横で、カレンは嬉しそうにワイルドベアの頭を撫でていた。
「よかったね、クマさん!」
その声に応えるように――。
ワイルドベアは、小さく「グルル……」と喉を鳴らした。
こうして俺たちは、ワイルドベアを連れたまま、港町カイゼルへと足を踏み入れた。
俺たちは、港町カイゼルの冒険者ギルドを訪れた。
ギルドの扉を開けた瞬間――。
中にいた冒険者たちの視線が、一斉にこちらへ向けられた。
そして、その視線は俺たちの後ろにいるワイルドベアへと集まっていく。
「……ワイルドベア?」
「なんでこんなところに……」
「おい、あれ……討伐対象の魔物だろ?」
ざわざわとギルド内が騒がしくなる。
中には武器に手を伸ばしかける者までいた。
それほどまでに、ワイルドベアという魔物は冒険者たちにとって恐ろしい存在なのだろう。
そんな周囲の様子など気にも留めず、カレンはワイルドベアの背中から降りる。
「クマさん、ちょっと待っててね!」
そう言うと、カレンは小さな手をワイルドベアへと向けた。
「……?」
次の瞬間――。
ワイルドベアの身体が淡い光に包まれた。
光は徐々に小さくなっていき、やがて一枚の魔法カードへと変わる。
カレンはそれを嬉しそうに拾い上げた。
「これで大丈夫だよ!」
「…………」
ギルド内が静まり返った。
誰も言葉を発することができない。
先ほどまで目の前にいた巨大なワイルドベアが、たった一枚のカードになってしまったのだから。
「……今のは……」
マチルダも驚いた様子でカードを見つめている。
そして、カレンの前にしゃがみ込むと――。
「凄い魔法使いが現れたねえ」
優しく微笑みながら、カレンの頭をそっと撫でた。
「えへへ……」
カレンは嬉しそうに笑う。
その光景を見ていた冒険者たちは、未だに何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
――ワイルドベアを恐れる者たち。
――そのワイルドベアを、まるで大切な友達のように扱う少女。
港町カイゼルの冒険者ギルドに、この日、新たな驚きが生まれた。
俺たちはマチルダに案内され、冒険者ギルドの奥にあるギルドマスターの部屋へと通された。
部屋へ入ると、俺たちはこれまでの経緯をマチルダに話した。
古代の迷宮で起きた出来事。
アリスとの再会。
そして、ドワーフ王ヴァン・ガウェインが残した古き技術や、沈没船ガウェイン号で見つかった貴重な品々のこと。
マチルダは話を聞き終えると、腕を組んだまま少し考え込んだ。
「……なるほどねえ」
やがて、マチルダは小さく息を吐く。
「まあ、街に被害を出さないっていうなら、あたしは歓迎するよ」
そう言って、先ほどカレンがカードにしたワイルドベアへと視線を向ける。
「それに、あの子がちゃんと面倒を見てるみたいだしね」
「クマさんはお友達だよ!」
カレンが嬉しそうに答える。
「そうかい、そうかい」
マチルダは微笑ましそうに頷いた。
そして俺たちは、この先の目的について話す。
「俺たちはこれから、ドワーフの古城へ向かうつもりだ」
「ドワーフの古城……?」
「ああ」
その言葉を聞いた瞬間――。
「ちょっと待った!」
マチルダが突然、身を乗り出した。
「……?」
「せっかくだ。カイゼルで少しゆっくりしていきな」
「ゆっくり?」
「ああ」
マチルダは机の上に置かれていた依頼書の束を手に取る。
「実は今、カイゼルの冒険者ギルドには、いくつか高難易度の依頼が出ていてね」
そう言いながら、依頼書を一枚ずつ確認していく。
「その中には――ワイルドベアの討伐依頼もあったんだよ」
俺は思わずカレンを見る。
カレンは何も知らない様子で、にこにこと笑っている。
「……それなら、もう解決済みだな」
「ああ。まさか依頼対象のワイルドベア本人を連れて、あんたたちがやって来るとは思わなかったけどね」
マチルダは苦笑する。
「報酬はちゃんと支払うよ。依頼の条件は満たしているからね」
そして、残った依頼書を俺たちの前へ並べた。
「だから、その分……他の高難易度依頼をいくつか受けてくれないかい?」
「他の依頼を?」
「ああ。カイゼルには腕の立つ冒険者が足りなくてね」
マチルダは真剣な表情になる。
「どれも簡単な依頼じゃない。だからこそ、あんたたちに頼みたいんだよ」
俺は並べられた依頼書へ視線を落とした。
どうやら――。
ドワーフの古城へ向かう前に、もう一つ冒険が待っているらしい。
しかし――マチルダは、まだ諦めてはいなかった。
「それとね、カイゼルに滞在している間の宿代や食事代も、ギルドで持つよ」
「……そこまで?」
「ああ。もちろん、依頼を受けてもらった報酬も別に支払う」
どうやらマチルダは、何としてでも俺たちに高難易度の依頼を受けてもらいたいらしい。
俺が困ったようにマチルダを見ていると、彼女は突然、カレンのそばへ歩み寄った。
「カレンちゃん」
「なあに?」
マチルダはカレンの頭を優しく撫でる。
「カイゼルは港町だからねぇ。美味しいお魚料理がいっぱいあるんだよ」
「……お魚?」
カレンの目が、途端に輝いた。
「ああ。焼き魚もあるし、煮魚もある。新鮮なお魚を使った料理もたくさんあるよ」
「お魚食べる!」
カレンは満面の笑みで答えた。
「そうかい、そうかい。いっぱい食べるといいよ」
マチルダも嬉しそうに笑う。
……なるほど。
俺はようやく気づいた。
マチルダは――カレンを味方につけたのだ。
「レオン……」
隣にいたアリスが、口元に小さな笑みを浮かべている。
「これは、もう断れないわね」
「……ああ」
俺がため息をつくと、後ろからグリフの声が聞こえた。
「やれやれ……」
アンも苦笑しながら肩をすくめる。
「はっはっは! 何十年もギルドマスターをやってるんだ。これくらいの交渉はお手の物さ!」
マチルダは豪快に笑った。
カレンはというと――。
「お父さん、お魚いっぱい食べよう!」
すっかりその気になっている。
「……分かったよ」
俺にはもう、断る理由など残されていなかった。
こうして俺たちは、ドワーフの古城へ向かう前に、しばらく港町カイゼルへ滞在することになった。
どうやら今回の交渉では――俺たちの完敗だったようだ。
マチルダは机の上に三枚の依頼書を並べた。
「今回、あんたたちに頼みたいのはこの三つだよ」
俺たちは依頼書へ目を向ける。
一枚目。
『大型シーサーペント討伐』
推奨ランク――B。
「シーサーペントか……」
「ああ。最近、カイゼル沖に大型の個体が現れてね。漁船を襲ったり、港へ近づいてきたりしている。放っておけば、もっと大きな被害が出るかもしれない」
マチルダは次の依頼書を手に取った。
二枚目。
『新たに発見されたダンジョンの偵察・攻略』
推定ランク――B。
「これは数日前に、カイゼルから少し離れた場所で突然発見されたダンジョンだよ」
「突然?」
「ああ。これまで何もなかった場所に、地面が崩れて地下への入り口が現れたらしい。内部の構造も魔物の種類も、まだほとんど分かっていない」
そして最後の一枚。
マチルダの表情が少しだけ険しくなった。
三枚目の依頼書には――。
『森林地帯に形成されたオーク集落の討伐』
と記されている。
「これは……」
「ああ。少し厄介な案件だ」
マチルダは腕を組む。
「数年前から、カイゼルから少し離れた森林にオークの群れが集まり始めたんだ」
「オークの集落?」
「ああ。最初は小さな群れだった。だから何度か冒険者を送り込んだんだけどね……」
マチルダは苦々しい表情を浮かべた。
「そのたびに返り討ちに遭った」
「……」
「それで、いつか討伐できるだけの実力を持ったパーティーが現れるのを待っていたんだが――」
マチルダは一度、言葉を止める。
「その間に、オークの集落はさらに大きくなったらしい」
俺は依頼書をじっと見つめた。
数年前は、ただの小さな群れだった。
それが今では――集落と呼ばれるほどの規模になっている。
「オークが、そこまで増えるものなのか?」
「普通なら、ここまで短期間で大きな集落になるのは珍しいね」
マチルダはそう答えた。
「だからこそ、あたしも気になっているんだよ」
シーサーペント。
突然現れたダンジョン。
そして、年々規模を増しているオークの集落。
どれも簡単な依頼ではない。
「どうだい?」
マチルダが俺たちを見る。
「全部とは言わない。けど、できればいくつか引き受けてもらいたいんだ」
俺は三枚の依頼書を見比べた。
「……分かった」
俺たちはまず、シーサーペントの討伐から向かった。
「レオン! そっちへ行ったぞ!」
中型の漁船の上から、グリフの声が響く。
俺は盾を構え、海面を睨みつけた。
大きく波打つ海面。
その下を――巨大な影が高速で移動している。
「そこだ!」
グリフが弓を引き絞る。
ヒュンッ!
放たれた矢が海面へ突き刺さる。
続けざまに二本、三本、四本。
グリフは次々と矢を放ち、海中を逃げ回るシーサーペントを俺の方へと追い込んでいく。
「レオン! もう一度そっちへ追い込む!」
「分かった!」
シーサーペントが方向を変えた。
その瞬間――。
ドォォォンッ!!
海中で凄まじい衝撃が起こった。
アンが絶妙なタイミングで、水中へ放り込んでいたカラの実を破裂させたのだ。
海面が大きく盛り上がる。
水中では、一体どれほど凄まじい音が轟いているのだろう。
海面から伝わってくる衝撃だけでも、身体が震えるほどだった。
「今よ!」
アンの声が響く。
直後――。
バシャァァァン!!
瀕死のシーサーペントが、海面から勢いよく飛び出してきた。
「――来た!」
俺は盾を構える。
狙うは――頭。
「うおおおおっ!」
全身の力を込め、盾を突き出す。
ドゴォンッ!!
シールドバッシュがシーサーペントの脳天を真正面から捉えた。
巨大な身体が宙で大きく揺れる。
そして――。
ドォン……。
海面へ落下したシーサーペントは、二度と動くことはなかった。
「……やったか」
俺は荒い息を吐きながら、海面を見つめる。
すると――。
「おー!」
船上から、カレンの歓声が響いた。
「凄い! お父さん、グリフお兄ちゃん、アン姉ちゃん、凄い!」
カレンは両手を上げて大喜びしている。
その隣では、アリスも珍しく目を輝かせていた。
「おー……! 見事な連携だったわね」
グリフが弓を下ろしながら笑う。
「ははっ、久しぶりに三人で組んだが、まだまだ息は合ってるみたいだな」
「ええ」
アンも微笑む。
「昔と変わらないわね」
俺たちは顔を見合わせる。
何十年という時を越えて――。
かつての仲間たちとの連携が、今も変わらず繋がっている。
それを見ていたカレンは、嬉しそうに笑っていた。
その夜――。
港町カイゼルは、まるで祭りのような賑わいに包まれていた。
シーサーペントが討伐され、危険だった海路が再び安全になったのだ。
港には漁師たちの喜ぶ声が響き、街のあちこちでは酒や料理が振る舞われている。
「これで安心して漁に出られるぞ!」
「船を出すのが怖くて仕方なかったんだ!」
そんな声が聞こえてくる。
俺たちもマチルダに誘われ、カイゼル自慢の魚料理を囲んでいた。
焼き魚に煮魚、香草で味付けされた魚料理に、新鮮な魚介をふんだんに使った料理。
テーブルの上には、次から次へと料理が運ばれてくる。
「わあ……!」
カレンの目が輝いた。
「お魚いっぱい!」
「カレンちゃん、好きなだけ食べな!」
マチルダが豪快に笑う。
「いただきます!」
カレンは嬉しそうに料理へ手を伸ばした。
「美味しい!」
その様子を見て、俺たちも思わず笑顔になる。
「ふふ……カレン、本当に魚が好きなのね」
アリスも嬉しそうにカレンを見つめている。
「ええ。せっかく港町に来たんだもの。今日は思い切り楽しみましょう」
グリフとアンも料理を口に運びながら、楽しそうに笑っていた。
こうして俺たちは――。
カイゼルの人々とともに、シーサーペント討伐を祝う夜を楽しく過ごした。
海の幸に舌鼓を打ちながら、久しぶりに仲間たちと笑い合う。
そんな穏やかな夜だった。
翌日――。
俺たちが向かったのは、カイゼルから少し離れた森林地帯。
そこに長年放置されていた、オークの集落だった。
「……想像していたより、ずっと大きいな」
木々の隙間から集落を見下ろし、俺は息を潜める。
粗末な木造の建物や柵がいくつも並び、その周囲をオークたちが歩き回っている。
ただの群れではない。
まるで一つの村のようだった。
「数えてみたが……少なくとも五十近くいる」
偵察を終えたグリフが、静かに告げる。
「五十……」
アンが眉をひそめる。
「それだけじゃない」
グリフはさらに続けた。
「弓を持ったオークが何体かいる。それに魔法を使う奴も確認した」
「魔法使いまで……?」
「ああ。そして――」
グリフが集落の奥へ視線を向ける。
「オークキングと思われる上位種もいる」
その言葉に、俺たちの間に緊張が走った。
オークキング。
通常のオークとは比較にならないほど強力な上位種だ。
「正面からぶつかるのは避けたほうがいいわね」
アリスが静かに言う。
「五十近いオークに加えて、弓と魔法。さらにオークキングまでいる……一度に相手をするのは危険すぎるわ」
「ああ」
俺も頷く。
「少しずつ削っていこう」
俺たちは集落全体を見渡した。
まずは外周にいるオークから。
こちらの存在を悟られないよう、一体ずつ確実に仕留める。
特に注意すべきなのは、弓を持つオークと魔法を使うオークだ。
遠距離攻撃を得意とする敵に気づかれれば、一気にこちらが不利になる。
「グリフ」
「ああ、任せろ」
グリフが弓を構える。
「俺が先に遠距離型の位置を確認する。できるだけ気づかれないように処理していく」
「アンは?」
「私はグリフの援護をするわ」
アンも静かに頷いた。
俺は盾を握り直す。
「俺は二人が仕留め損ねた奴を処理する」
全員が頷いた。
正面突破はしない。
一体ずつ。
確実に。
そして最後に――オークキングを討つ。
「……行くぞ」
俺たちは気配を殺し、森の中へと身を潜めた。
こうして――オークの集落への討伐戦が始まった。
アンは、グリフが手にする矢を一本ずつ丁寧に確認していた。
矢尻には――強力な麻痺毒。
「これなら、当たった瞬間に動きを止められるはずよ」
「ああ。助かる」
グリフは静かに頷き、弓を構えた。
俺たちは森の中から、外周を偵察しているオーク三体を見つめる。
三体は周囲を警戒しながら、ゆっくりと歩いている。
まだ、こちらには気づいていない。
グリフが息を止める。
弓を引き絞り――。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
三本の矢が、ほぼ同時に放たれた。
矢はそれぞれ別のオークへ吸い込まれるように突き刺さる。
「……!」
三体のオークが、一瞬だけ身体を震わせた。
そして――。
ドサッ。
ドサッ。
ドサッ。
声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
「……見事ね」
アンが小さく呟く。
「グリフ、今のは完璧だったわ」
「まあな」
グリフは再び矢を手に取る。
だが、まだ終わりではない。
俺たちはさらに森の奥へ進み、集落を見渡せる高台を見つけた。
そこには一体のオークが立っている。
弓を手にし、周囲を警戒していた。
かなりの距離がある。
「……あそこにも弓持ちがいる」
グリフが目を細める。
「任せる」
俺がそう言うと、グリフは弓を引き絞った。
ヒュンッ!
一矢が風を切り裂く。
遠く離れた高台に立つオークの身体へ、正確に矢が突き刺さった。
オークはその勢いで体勢を崩す。
「――!」
そして、そのまま高台から落下した。
この高さでは、地面に落ちれば大きな音が響く。
俺たちは息を呑んだ。
しかし――。
「アリス!」
「ええ!」
アリスがすぐさま手を伸ばした。
フワッ――。
風がオークの身体を包み込む。
落下速度が一気に緩まり、その身体はまるで見えない手に支えられているかのように、静かに地面へ降ろされた。
ドサッという音すらしない。
アリスはそのまま、オークの身体を横たえる。
まるで最初から地面に寝ていたかのようだった。
「……これで大丈夫」
アリスが小さく頷く。
グリフが感心したように笑った。
「相変わらず、魔法の使い方が上手いな」
「ありがとう」
俺は集落を見渡す。
まだ誰もこちらに気づいていない。
「よし……このまま少しずつ数を減らしていくぞ」
俺たちは再び森の中へ身を潜めた。
オークたちは、仲間が一体、また一体と消えていることすら――まだ知らない。
それからしばらく――。
俺たちは、オークたちに気づかれないよう慎重に数を減らしていった。
一体。
また一体。
そして――二十体近く。
これまで一度も大きな音を立てることなく、確実に仕留めてきた。
だが――。
「……そろそろ、気づき始めたみたいだな」
グリフが集落の様子を見ながら呟いた。
これまで規則正しく動いていたオークたちが、明らかに落ち着きを失っている。
仲間の姿が次々と消えていることに、ようやく異変を感じ始めたのだ。
「そろそろキツいか……」
グリフが弓を握り直す。
「ああ」
俺も盾を構え直した。
「ここからは、隠密だけじゃ難しいだろうな。本格的な戦いに備えるべきだ」
そう言うと――。
「カレンの出番!?」
隣にいたカレンが、目を輝かせた。
どうやら自分の出番を今か今かと待っていたらしい。
「うん! カレンも戦う!」
小さな拳を握りしめる。
その姿を見たアリスが、優しく微笑んだ。
「ふふ……そうね」
アリスはカレンの頭をそっと撫でる。
「でも、カレン」
「なあに?」
「できれば、オークさんたちとも……またお友達になれるといいね」
「……!」
カレンは少し考えるように首を傾げる。
そして――。
「うん!」
元気よく頷いた。
「オークさんとも、お友達になる!」
その言葉を聞きながら、俺は苦笑する。
……相変わらず、カレンらしい。
だが――。
俺は再び集落へ視線を戻した。
オークたちは、こちらを探し始めている。
もう隠れているだけでは済まない。
「行くぞ」
盾を構える。
「ここからが本番だ」
グリフが弓を構え、アンも魔法の準備に入る。
アリスはカレンの手を握りながら、静かに前を見据えた。
――オークの集落との、本格的な戦いが始まろうとしていた。
「カレン」
アリスが、カレンの肩にそっと手を置いた。
「弓を持っているオークさんか、魔法を使うオークさんとお友達になってもらうのはどう?」
「お友達?」
カレンの目が輝く。
「うん!」
カレンは嬉しそうに頷いた。
「分かった!」
そして――。
弓を構え、こちらを探していた一体のオークへ手を伸ばす。
「お友達になろう!」
カレンの身体から、淡い光が溢れ出した。
首元に刻まれたルーンが輝く。
次の瞬間――。
オークの身体が光に包まれた。
「……!」
ほんの一瞬だった。
オークは構えていた弓を下ろし、カレンの方へゆっくりと振り返る。
その瞳から敵意が消えていた。
「できた!」
カレンが嬉しそうに笑う。
だが、それだけでは終わらなかった。
「このオークさんも!」
カレンはすぐ隣にいた、もう一体の弓を持ったオークへ手を向ける。
再び――ルーンが輝く。
光がオークを包み込む。
そして、こちらのオークもまた、カレンの使役下へと入った。
「す、凄いな……」
グリフは驚きながらも、迫ってきた別のオークへ矢を放つ。
ヒュッ!
矢がオークの肩を捉える。
「カレンのルーンの力に……限界はないのか?」
弓を引き絞りながら、グリフがアリスへ尋ねる。
アリスはカレンの様子を見つめながら答えた。
「今のところは――」
少し考えるように目を細める。
「カレンの魔力が続く限り、使役できる……という認識かしら」
「つまり、魔力が尽きない限り……」
「ええ」
アリスは頷いた。
「どれだけの数を使役できるのか――まだ分からないわ」
グリフは一瞬、カレンへ視線を向けた。
そこではカレンが、使役した二体のオークを嬉しそうに見つめている。
「お友達、いっぱいだね!」
「……とんでもない子だな」
グリフは苦笑しながら、再び弓を構えた。
俺も盾を構え直す。
敵だったはずのオークが、今やこちらの味方として立っている。
戦況は――大きく変わり始めていた。
カレンに使役された二体の弓オークは、すぐさま弓を構えた。
「オークさん、あっちだよ!」
カレンが指差す。
二体の弓オークは迷うことなく弦を引き絞った。
ヒュッ、ヒュッ――!
二本の矢が飛び、集落内を走り回っていたオークへ突き刺さる。
「グギャッ!?」
仲間から突然矢を射られ、オークたちは大混乱に陥った。
集落は一気に騒然となった。
これまで姿の見えない敵に少しずつ仲間を減らされ、ようやく警戒を強めた矢先だった。
今度は――仲間だったオークまでもが自分たちを攻撃している。
オークたちは完全に混乱していた。
その隙に、俺たちはさらに攻勢を強める。
魔法を使っていたオークは、すでにアリスと俺が仕留めていた。
「そこ!」
アリスが手をかざす。
鋭い風の刃がオークを捉え、その身体を大きく吹き飛ばす。
俺も距離を詰めるオークへ投げ槍を放った。
ドスッ!
槍は正確に身体を貫き、オークはその場に倒れた。
「これで……魔法を使える奴はいないな」
「ええ。あとは残ったオークだけね」
アンが静かに答える。
その手には、数本の投げナイフが握られていた。
ナイフの刃には、あらかじめ毒が塗られている。
アンは一切焦ることなく、逃げ惑うオークの動きを見極め――。
「……そこ」
ヒュッ!
一本。
さらに――。
ヒュッ、ヒュッ!
三本のナイフが次々と飛ぶ。
それぞれが狙ったオークへ正確に突き刺さった。
「グ……グガ……」
毒が回り、オークたちは次々と膝をつく。
グリフも冷静に弓を引く。
「逃がすなよ」
ヒュンッ!
矢が飛び、逃げようとしたオークを仕留める。
「分かってるわ」
アンは淡々と次のナイフを構えた。
俺たち三人にとっては、もはや戦況を見極めながら残党を処理するだけの戦いになっていた。
そしてその中心では――。
「お友達、がんばって!」
カレンが嬉しそうに声援を送っている。
二体の弓オークは、カレンの声に応えるように次々と矢を放っていく。
さっきまでオークたちが暮らしていた集落は、完全な混乱状態に陥っていた。
残る敵は――あと僅か。
そして俺たちの視線は、集落の最奥へと向けられる。
そこには――。
ひときわ大きな身体を持つ、一体のオークが立っていた。
オークキング。
この集落を束ねている、最後の強敵だった。
――オークキングだ。
集落の最奥に立つその姿は、これまでのオークとは明らかに違っていた。
巨大な身体。
手には二本の手投げ斧。
そして、その顔には――凄まじい怒りが浮かんでいる。
「グオオオオオオッ!!」
雄叫びを上げたオークキングは、こちらへ向かって手投げ斧を構えた。
その視線の先にいるのは――カレンに使役された二体の弓オーク。
「クマ……じゃない。オークさん!」
カレンが叫ぶ。
だが――。
ブンッ!
オークキングが投げた一本目の斧が、凄まじい速度で飛んだ。
ズドンッ!!
一体の弓オークが吹き飛ばされる。
「――!」
間髪入れず、二本目。
ブォンッ!!
もう一体の弓オークも、まともに斧を受けて地面へ叩きつけられた。
――一瞬だった。
二体とも、動かない。
「…………」
カレンの顔から、笑顔が消えた。
そして――。
「あーーー!!!」
小さな身体を震わせる。
「ぷーーー!!!」
頬を大きく膨らませ、オークキングを睨みつける。
「お友達、いじめちゃダメーーー!!!」
その瞬間だった。
カレンの身体から――今まで見たこともないほどの魔力が溢れ出した。
「……っ!?」
俺は思わず息を呑む。
「カレン……?」
アリスの表情も変わった。
カレンを包み込む魔力。
それは、ただの魔力の奔流ではなかった。
まるで意思を持った生き物のように――。
うねり。
蠢き。
カレンの身体の周囲を這うように渦巻いている。
「何……あれ……」
アンが呆然と呟く。
グリフも弓を下ろし、目を見開いていた。
「こんな魔力……見たことがないぞ」
アリスは何も答えない。
ただ、カレンを見つめている。
そして――。
カレンが、オークキングを見据えた。
その瞬間。
オークキングの頭上が――一瞬だけ光った。
「……?」
次の瞬間――。
――ドォォォォォンッ!!!
真っ赤な稲妻が、空から轟音とともに落ちた。
視界が真紅に染まる。
大地が震え、凄まじい衝撃が周囲を駆け抜ける。
「……っ!」
俺は思わず腕で顔を覆った。
やがて光が消え――。
そこには、黒く焦げた地面。
そして――。
オークキングが倒れていた。
ピクリとも動かない。
すでに――息絶えている。
「…………」
誰も言葉を発しなかった。
先ほどまで怒り狂っていたオークキングを――。
カレンは、たった一撃で葬り去ったのだ。
カレン自身も、自分に何が起きたのか分からないように、呆然とその場に立っていた。
その周囲では――。
先ほどまで蠢いていた不思議な魔力だけが、ゆっくりと消えていった。
オークキングが倒れた後――。
カレンは、その場に立ったまま動かなかった。
先ほどまで怒りに満ちていた瞳には、今や大粒の涙が浮かんでいる。
「……うっ……」
唇が小さく震える。
自分でも何が起きたのか分からない。
ただ、怖かった。
今にも泣き出してしまいそうなカレンを見て、アリスがすぐに駆け寄った。
「カレン……」
優しく抱き寄せる。
「大丈夫よ。怖くないわ」
「……アリス……」
カレンの瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちた。
「うぇ……」
アリスはカレンをしっかりと抱きしめながら、頭を優しく撫でる。
「よしよし……いい子、いい子」
そして背中をゆっくりと摩った。
「……まだ、感情の制御が上手くできないのね」
責めるような声ではない。
むしろ、カレンを安心させるような優しい声だった。
「怒った気持ちが、そのまま魔力になってしまったのかもしれないわ」
「……こわかった……」
カレンがアリスの胸元に顔を埋める。
「うん……怖かったわね」
アリスは何度もカレンの背中を優しく摩る。
「でも大丈夫。私たちがいるから」
その言葉を聞いて、カレンは小さく頷いた。
俺はそんな二人を、黙って見つめていた。
――さっきの赤い稲妻。
あれほどの力を持っているのに、今こうして泣いているカレンは、まだ幼い少女なのだ。
俺はそっとカレンの頭へ手を伸ばした。
「大丈夫だ、カレン」
「……お父さん……」
「よく頑張ったな」
カレンは涙を拭いながら、俺の方へ手を伸ばした。
俺もその小さな身体を抱き寄せる。
アリスと俺に挟まれるようにして、カレンはようやく少しだけ笑った。




