カレンのルーンの正体
次の瞬間だった。
ルーンが刻まれたオークが、ゆっくりと動き出した。
「……!」
俺は反射的に身構える。
だが――。
オークが向かった先は、俺たちではなかった。
その目の前にいたのは、二体のゴブリン。
「グギャッ!」
「ギャッ……!」
オークは何の迷いもなく、手にしていた棍棒を大きく振り上げた。
――ブンッ!
そして――。
――ドガッ!!
凄まじい勢いで振り抜かれた棍棒が、二体のゴブリンをまとめて薙ぎ払った。
「ギャアアッ!」
二体のゴブリンは地面を転がり、そのまま動かなくなった。
「…………」
俺たちは、誰一人として言葉を発することができなかった。
目の前で起きたことが、あまりにも突然だったからだ。
「……今の、何?」
アンが呟く。
「オークが……ゴブリンを……?」
グリフも信じられないものを見るように目を見開いている。
アリスは何も言わず、カレンの首元に浮かぶルーンと、オークの額に刻まれた同じルーンを交互に見つめていた。
「…………」
俺も、ようやく一つの可能性に辿り着く。
このオークは――。
カレンの意思に従っている?
だが、カレン本人はというと――。
「……?」
何が起きたのか分からない様子で、首を傾げている。
「カレン……」
「なぁに?」
「今、オークに何か命令したか?」
「してないよ?」
カレンは不思議そうに答えた。
「私、何も言ってないよ」
「…………」
俺は再びオークを見る。
その額には、カレンと同じルーンが淡く輝いている。
偶然とは思えない。
カレンが口にした、あの聞いたことのない言葉。
そして――。
カレンのルーンと共鳴するように現れた、オークのルーン。
俺は確信し始めていた。
これは――。
カレンの力だ。
しかも、本人がまだ自覚していない。
「……魔物を、操っているのか?」
俺の呟きに、アリスが静かに答えた。
「……その可能性が高いわ」
誰も、その言葉を否定することはできなかった。
俺はカレンを見つめる。
まだ何も知らない、幼い娘。
その小さな身体に宿った未知のルーンが――。
魔物の意思すらも変えてしまうほどの力を秘めている。
その事実に、俺は驚きと同時に、言いようのない不安を覚えていた。
やがて――。
俺たちに敵意を向ける魔物の姿は、もうどこにもなくなった。
その瞬間だった。
オークの額に浮かんでいたルーンが――。
淡い光から、ゆっくりと赤色へ変化していく。
「……何だ?」
俺は警戒しながらオークを見つめた。
赤く輝くルーン。
その光が、オークの身体全体へと広がっていく。
「待って……!」
アリスも驚いたように声を上げる。
次の瞬間――。
オークの身体が、赤い光に包まれた。
そして――。
シュンッ――。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように、オークの姿が消えた。
「…………!」
俺たちは言葉を失った。
その場には、一枚のカードが残されていた。
赤黒い光を帯びた、不思議なカード。
それはまるで意思を持っているかのように、ゆっくりと宙へ浮かび上がった。
「……カード?」
アンが呟く。
カードはふわりと宙を漂う。
そして――。
まるで何かに導かれるように、カレンのもとへ飛んでいった。
「わぁ……!」
カレンが目を輝かせる。
カードはカレンの目の前で、ふわふわと浮かんでいる。
「これ……オーク?」
カレンが手を伸ばす。
指先がカードに触れた瞬間――。
カードは抵抗することなく、カレンの小さな手の中へ収まった。
「取れた!」
カレンは嬉しそうに笑った。
まるで、新しい宝物を見つけた子供のようにカードを眺めている。
「お父さん、見て!」
「あ、ああ……」
俺は返事をしながらも、目の前の光景から目を離せなかった。
アリスも同じだった。
カレンの手に握られた一枚のカード。
そこには――。
先ほどまで俺たちの前にいたオークの姿が、はっきりと描かれていた。
「……魔法のカード……?」
アリスが呟く。
「魔物が……カードになったのか?」
グリフも信じられないといった様子でカードを覗き込む。
「こんなの……聞いたことないわ」
アンも驚きを隠せない。
俺はカレンの首元を見る。
そこには、先ほどと同じ未知のルーンが――。
まだ淡く輝いていた。
魔物を従わせる。
そして――。
従わせた魔物を、カードへと変える。
これが、カレンに宿ったルーンの力なのか。
俺たちはまだ、その能力の全貌を知らない。
けれど――。
「お父さん!」
「ん?」
「このカード、どうするの?」
カレンは嬉しそうにカードを掲げた。
俺は少し考え――。
「……大切に持っておけ」
「うん!」
カレンは満面の笑みで頷いた。
こうして――。
カレンは初めて、自分だけの魔物のカードを手に入れた。
それが、この先の旅で彼女自身を大きく変えていくことになるとは――。
この時の俺たちは、まだ知る由もなかった。
俺たちは再び、東へ向かって歩き始めた。
目指すのは――港町カイゼル。
そして、そのさらに先にあるドワーフの古城だ。
けれど、先ほど起きた出来事が、俺の頭から離れない。
カレンに宿った未知のルーン。
魔物に同じルーンを刻み、意思を従わせる力。
そして、最後には魔物そのものを一枚のカードへと変えてしまった。
「…………」
俺は隣を歩くカレンへ視線を向ける。
カレンは何も気にしていないようだった。
「アン姉ちゃん、見て!」
「どれどれ?」
カレンは手にしたオークのカードを、アンへ嬉しそうに見せている。
「ほら! ここにオークがいるよ!」
「本当ね。凄いわ、カレン」
「でしょ?」
二人は楽しそうにカードを眺めながら笑っている。
その様子を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
「……レオン」
隣からアリスの声が聞こえた。
「どうした?」
「……あなたも、考えていることは同じでしょう?」
「ああ……」
俺は頷いた。
カレンの力が何なのか。
これから先、どんな影響を及ぼすのか。
もし、あの力が制御できなくなったら――。
考えれば考えるほど、不安は大きくなっていく。
アリスも同じなのだろう。
母親として、カレンの未来を心配している。
しばらく俺たちは無言で歩いていた。
けれど――。
「お父さん!」
突然、カレンがこちらを振り返った。
「ん?」
「このカード、すごいよ!」
カレンは嬉しそうにオークのカードを掲げる。
「アン姉ちゃんと一緒に見てたの!」
「そうか」
「次はどんな魔物のカードが手に入るかな?」
「……さあな」
俺はそう答えながら、思わず笑ってしまった。
その隣で、アリスも小さく微笑んでいる。
「……ふふ」
不思議だった。
先ほどまで胸を覆っていた不安が、少しずつ薄れていく。
答えはまだ何も分からない。
カレンのルーンが何なのかも。
この力がどこから来たのかも。
これから何が起きるのかも。
それでも――。
楽しそうに笑うカレン。
そんなカレンと一緒になって笑うアン。
その姿を見ていると、今はまだ必要以上に恐れることはないのではないかと思えてくる。
アリスも同じことを感じているのだろう。
俺と目が合うと、彼女は優しく微笑んだ。
「……きっと大丈夫よ」
「ああ」
俺も頷く。
分からないことは、これからの旅で少しずつ調べていけばいい。
カレンの力も――。
俺たち親子で向き合っていけばいい。
「ほら、二人とも! 置いていくぞ!」
前を歩いていたグリフが声を上げる。
「今行く!」
俺たちは足を速めた。
東へ続く街道を、五人で歩いていく。
その先に何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。
けれど――。
今はただ、仲間たちと笑いながら歩いていけばいい。
そう思いながら、俺たちは再び旅の道を進んでいった。
王都ハルディオを出てから数日。
港町カイゼルへ向かう道中、俺たちは何度か魔物との戦闘を迎えていた。
そのたびに、カレンの力について少しずつ分かってきたことがある。
カレンが魔法のカードに魔力を込める。
すると――。
カードから赤い光が溢れ出し、額にルーンを宿したオークが姿を現すのだ。
「出てきた!」
カレンは嬉しそうに声を上げる。
現れたオークは、カレンの言葉に従う。
俺たちに敵意を向ける魔物がいる時は、カレンの命令に従って戦う。
そして――。
敵意を向ける魔物がいなくなると、オークの額に浮かんでいたルーンが赤く輝き始める。
やがて身体は光へと変わり――。
再び、一枚の魔法カードへと戻ってしまう。
どうやら、それがこの魔法カードの基本的な仕組みらしい。
「なるほどな……」
俺は何度目かの実験を終え、カレンの持つカードを見る。
魔物を呼び出す。
そして、役目を終えるとカードへ戻る。
最初は偶然だと思っていたが、何度か繰り返すうちに、その仕組みはかなり明確になってきた。
だが――。
カレンは、さらに一つのことを覚えた。
「オークさん、戻らないで!」
カレンがそう命じると――。
オークはカードへ戻らず、その場に立ち続ける。
「……なるほど」
俺は思わず感心した。
カレンがうまく力を制御すれば、敵意を向ける相手がいなくなっても、オークをその場に留めておくことができるらしい。
それを知ってからというもの――。
「オークさん! これ持って!」
カレンは、すっかりオークを旅の仲間のように扱い始めていた。
重たい荷物を背負わせたり――。
「こっちもお願い!」
さらに別の荷物まで渡していく。
オークは何も言わず、黙々と荷物を運んでいる。
「カレン、あまり無理をさせちゃ駄目よ」
アリスが苦笑する。
「大丈夫! オークさん、力持ちだから!」
「……そうね」
アリスは少し困ったように笑った。
そして――。
「ねぇ、オークさん!」
カレンがオークの前へ走っていく。
次の瞬間。
「肩車して!」
オークがしゃがみ込む。
カレンは嬉しそうにその背中へよじ登った。
「わぁー!」
オークが立ち上がると、カレンの身体は一気に高くなる。
「高い! お父さん、見て!」
「おお……」
俺は思わず苦笑する。
「カレン、落ちないようにしっかり掴まってね」
「うん!」
カレンはオークの頭に手を置きながら、楽しそうに笑っている。
「アン姉ちゃん! 見て見て!」
「ふふっ。凄いわね、カレン」
「グリフお兄ちゃんより高いよ!」
「おいおい、俺と比べるなよ!」
グリフが苦笑すると、アンが楽しそうに笑った。
「カレン、そんなこと言ったらグリフが拗ねるわよ」
「えー? グリフお兄ちゃん、拗ねるの?」
「拗ねてねぇよ!」
皆の笑い声が、街道に響く。
俺はその光景を見ながら、ふとアリスへ視線を向けた。
アリスも、笑顔でカレンを見つめている。
少し前まで――。
俺たちは、この未知の力を恐れていた。
カレンに宿ったルーンが何なのか。
この力が、いつかカレン自身を傷つけることにならないか。
そんな不安は、今も完全に消えたわけではない。
それでも――。
「……楽しそうね」
アリスが小さく呟いた。
「ああ」
俺も頷く。
カレンは今、ただ純粋に自分の力を楽しんでいる。
そして俺たちも――。
そんなカレンの姿を見ているうちに、少しずつ肩の力が抜けていった。
「お父さん!」
「ん?」
「次はどこまで行けるかな?」
オークの肩の上から、カレンが笑顔で尋ねる。
「そうだな……」
俺は前方へ目を向けた。
街道の先には、遠くに海の匂いを運ぶ風が吹いている。
港町カイゼルは、もう近い。
そして、その先には――。
俺たちが目指す、ドワーフの古城が待っている。
「もう少しだ。頑張って歩こう」
「うん!」
カレンの元気な返事が、街道に響いた。
俺たちは笑いながら、東へ続く道を進んでいった。
港町カイゼルまで、あと少し――。
俺たちは街道を東へ進んでいた。
その時だった。
――ガサッ……。
街道脇の森林から、何かが動く音が聞こえた。
「……止まって」
アリスが小さく呟く。
俺たちは足を止め、森へ視線を向けた。
木々の間から――。
巨大な影が姿を現した。
「……熊?」
アンが息を呑む。
だが、普通の熊ではない。
立ち上がれば人間の二倍近い大きさ。
太い腕には鋭い爪が生え、その身体は分厚い毛皮に覆われている。
「ワイルドベア……!」
グリフが声を上げた。
「Cランクの魔物だ!」
その名前を聞いた瞬間、俺たちは一斉に身構えた。
カイゼル周辺では、かなり危険な部類に入る魔物だ。
ワイルドベアは俺たちを睨みつけると――。
「グオオオオオッ!!」
大地を震わせるような咆哮を上げた。
「カレン、下がっていろ!」
俺が叫ぶ。
だが――。
「大丈夫!」
カレンは魔法カードを取り出した。
「オークさん、お願い!」
カードが赤く輝く。
次の瞬間――。
赤い光の中から、オークさんが姿を現した。
「グオッ!」
オークさんは棍棒を握りしめ、ワイルドベアへ向かって走り出す。
「オークさん、頑張って!」
カレンが応援する。
オークさんは大きく棍棒を振り上げた。
しかし――。
ワイルドベアは、その攻撃を正面から受け止めた。
「グルァッ!」
そして――。
――ドゴンッ!!
「……っ!」
ワイルドベアの巨大な腕が振り抜かれた。
オークさんの身体が宙へ弾き飛ばされ、そのまま地面へ叩きつけられる。
「オークさん!」
カレンが叫ぶ。
だが――。
オークさんは立ち上がることができなかった。
その身体が赤い光に包まれていく。
「……え?」
俺たちが見守る中、オークさんは一枚の魔法カードへと戻った。
――だが。
いつものように、カレンのもとへ飛んでいくことはなかった。
宙に浮かんだ魔法カードに、亀裂が走る。
「……何?」
――ピシッ。
さらに大きな亀裂が入る。
「待って……!」
カレンが手を伸ばす。
しかし――。
パリンッ!!
魔法カードは、粉々に砕け散った。
「…………!」
砕けたカードの欠片は、赤い光となって消えていく。
何も残らない。
「……オークさん……?」
カレンの手が、空中で止まった。
そして――。
「あーっ!!」
カレンの目に、みるみる涙が浮かぶ。
「オークさんが……!」
小さな拳を握りしめ、ワイルドベアを睨みつける。
「もう! クマさんのばかぁ!」
「カレン……」
「オークさんをいじめたぁ!」
涙を浮かべながら、カレンはワイルドベアへ向かって怒る。
その姿を見て、俺たちは思わず顔を見合わせた。
カレンにとって、オークさんはただの魔物ではなかった。
一緒に旅をして。
荷物を運んでもらって。
肩車までしてもらった。
いつの間にか――。
大切な仲間になっていたのだ。
「……レオン」
アリスが静かに俺を見る。
「ああ……」
俺は剣を抜いた。
目の前のワイルドベアは、まだこちらへ敵意を向けている。
カレンの涙を見た瞬間――。
俺の中にも、怒りが込み上げてきた。
「カレン」
「……なに?」
「ここからは俺たちがやる」
俺はワイルドベアを見据えた。
「オークさんの仇を取ろう」
「……うん!」
カレンは涙を拭った。
その小さな瞳には――。
先ほどまでとは違う、強い決意が宿っていた。
俺たちは、それぞれ武器を構える。
そして――。
Cランク魔物、ワイルドベアとの戦いが始まった。
カレンは、しばらく泣き続けていた。
「……オークさん……」
小さな手で涙を拭いながら、カレンはワイルドベアを睨みつけている。
その瞳から、先ほどまでの無邪気さが消えていた。
「……許さない」
カレンが小さく呟く。
次の瞬間――。
カレンの身体から、凄まじい魔力が溢れ出した。
「……っ!」
俺は思わず目を見開く。
淡い光となった魔力が、カレンの全身を包み込んでいく。
同時に――。
首元に刻まれたルーンが、これまでとは比べものにならないほど激しく輝き始めた。
「カレン……!」
アリスが驚いた声を上げる。
俺には分かった。
カレンは今――。
「……ワイルドベアを使役する気か」
カレンの視線は、目の前のワイルドベアから一瞬たりとも離れていない。
魔力がさらに膨れ上がる。
そして――。
ワイルドベアの額に、赤い光が浮かび上がった。
「……!」
カレンと同じルーン。
確かに、ワイルドベアの額へ刻まれた。
「成功した……?」
アンが呟いた。
だが――。
次の瞬間。
――パァンッ!
ワイルドベアの額に浮かんだルーンが、一瞬で弾けるように消えた。
「……え?」
カレンが目を見開く。
俺も驚きを隠せなかった。
なぜだ?
オークには、あれほど簡単にルーンが刻まれた。
それなのに――。
ワイルドベアには、ほんの一瞬しか宿らなかった。
「グオオオオオッ!!」
ワイルドベアが咆哮を上げる。
その目には、未だ強烈な敵意が宿っている。
俺は剣を構え直しながら、必死に考えた。
――もしかして。
魔物の敵意が強すぎる場合、カレンのルーンによる使役が難しくなるのか?
オークは、カレンの力を受け入れた。
だが、このワイルドベアは違う。
カレンの力が入り込もうとしても、強烈な敵意によって弾き返したのではないか。
「……なるほどな」
俺はワイルドベアの攻撃をかわしながら考える。
「魔物なら、何でも簡単に従わせられるわけじゃない……」
ワイルドベアの爪が、目の前を横切る。
――ブンッ!
「危ない!」
アンの声。
俺は身体を捻って攻撃をかわし、そのまま距離を取った。
カレンのルーンは、確かに強力だ。
けれど――。
その力にも、条件や限界がある。
それを理解できたことは、この先カレンが自分の力を扱う上で、とても重要なことになるだろう。
「カレン!」
俺は叫んだ。
「今は無理に使役しようとするな!」
「……うん!」
カレンは涙を拭いながら頷く。
だが、その表情にはまだ怒りが残っていた。
「オークさんの仇……!」
カレンの首元のルーンが、再び淡く輝く。
俺は剣を握り直した。
このワイルドベアは――。
俺たち自身の手で倒すしかないようだ・・・。
ワイルドベアが、再び俺たちへ向かって突進してくる。
「俺が止める!」
俺は身体の奥に宿る、二つ目のルーンへ意識を集中させた。
瞬間――。
全身を凄まじい力が駆け巡る。
踏み込んだ大地が、わずかに沈む。
「――はあっ!」
俺はワイルドベアへ向かって駆け出した。
巨大な腕が振り下ろされる。
その一撃を紙一重でかわし、俺は盾を構えた。
「これで――どうだっ!」
全身の力を盾へ乗せる。
そして――。
――ドゴォンッ!!
渾身のシールドバッシュを、ワイルドベアの巨体へ叩き込んだ。
「グオオオッ!?」
凄まじい衝撃が響き渡る。
ワイルドベアの巨体が宙へ浮き――。
そのまま大きく吹き飛ばされた。
「今!」
アリスの声が響く。
「――土よ!」
地面が大きく隆起した。
倒れ込んだワイルドベアの足元から、無数の蔦が勢いよく伸びていく。
「グルァッ!?」
蔦はワイルドベアの脚へ絡みつき、さらに胴体へと巻き付いていく。
ワイルドベアが必死にもがく。
だが、アリスの魔法によって強固に拘束され、身動きが取れない。
「カレン!」
アリスが振り返る。
「あなたの雷魔法の出番よ!」
「……はっ!」
カレンが、我に返った。
涙の跡が残る頬を拭い、ワイルドベアを見つめる。
「……うん!」
小さな身体に、再び魔力が集まっていく。
バチッ――。
バチバチッ――。
カレンの周囲に、青白い雷光が走り始めた。
そして――。
首元のルーンが、眩いほどの光を放つ。
「いくよ……!」
カレンが両手を前へ突き出した。
「――雷よ!!」
次の瞬間。
――バァァァンッ!!
空から巨大な稲妻が轟音とともに落ちた。
眩い閃光が周囲を包み込み、凄まじい雷鳴が森と街道を震わせる。
「グオオオオオオッ!!」
雷撃が、身動きの取れないワイルドベアへ直撃する。
大地が震える。
木々が激しく揺れ、周囲の空気までもが震えているようだった。
「……す、凄い……」
アンが呆然と呟く。
グリフも言葉を失い、ただ雷撃の中心を見つめていた。
俺も驚きを隠せなかった。
カレンの雷魔法。
以前から強力だとは思っていた。
だが――。
これほどまでとは。
やがて雷光が消えていく。
焦げた地面から、白い煙がゆっくりと立ち上っていた。
そして――。
そこには、力なく横たわるワイルドベアの姿があった。
俺は盾を下ろし、カレンを見る。
カレンは荒い息をしながら、それでも真っ直ぐワイルドベアを見つめていた。
その表情には――。
先ほどまでの悲しみと怒りではなく、初めて自分の力を戦いに使い切った者の、強い意志が浮かんでいた。
やがて、雷光が完全に消えていった。
街道には、まだ焦げた匂いが漂っている。
ワイルドベアは――。
瀕死の状態で地面に横たわっていた。
その巨体は、もう動かない。
俺は警戒しながら、ゆっくりと近づいていく。
「……もう、敵意はないな」
先ほどまで俺たちへ向けられていた殺気は、完全に消えていた。
そして、その瞬間――。
「……待てよ」
俺は、ふとカレンを見る。
先ほど、ワイルドベアを使役しようとした時。
額にルーンは現れた。
だが、強烈な敵意を持つワイルドベアによって、すぐに弾かれてしまった。
しかし今は――。
「カレン」
「なぁに?」
「今なら……ワイルドベアを使役できるんじゃないか?」
「……!」
カレンが、ハッとした表情を浮かべる。
そして、すぐにワイルドベアへ駆け寄った。
「そうだ……!」
カレンは両手を胸の前で握りしめる。
首元に刻まれたルーンへ、ゆっくりと魔力を送り込んでいく。
――淡い光が、カレンの身体を包み込む。
「ワイルドベアさん……」
カレンが優しく呟く。
その声に呼応するように――。
瀕死のワイルドベアの額に、再びルーンが浮かび上がった。
「……!」
今度は――消えない。
赤い光を帯びたルーンが、ワイルドベアの額に静かに刻まれていく。
ワイルドベアは抵抗しなかった。
やがて、その巨体が淡い光に包まれる。
「……大丈夫なのか?」
俺が呟いた、その瞬間。
ワイルドベアの身体が光となって消えていった。
そして――。
一枚の魔法カードが、その場に残った。
カードは風に舞うように宙へ浮かび――。
ゆっくりとカレンのもとへ近づいていく。
ふわふわと揺れながら、まるでカレンを呼んでいるかのようだった。
「……来た!」
カレンの顔がぱっと明るくなる。
小さな両手を伸ばし――。
魔法カードをそっと掴んだ。
「ワイルドベアさん!」
カレンは嬉しそうにカードを胸へ抱きしめる。
「仲間になってくれた!」
「よかったな、カレン」
「うん!」
満面の笑みを浮かべるカレン。
その姿を見ながら、俺は先ほどの戦いを思い返していた。
強い敵意を持っている魔物には、カレンのルーンは通じにくい。
だが――。
敵意が失われれば、使役することができる。
つまり、この力は単純に魔物を支配する力ではない。
相手の敵意を乗り越え、ルーンを受け入れさせる必要があるのかもしれない。
「……カレン」
「なぁに?」
「その力……これから少しずつ、仕組みを調べていこうな」
「うん!」
カレンは元気よく頷いた。
そして――。
大切そうに魔法カードを握りしめる。
「ワイルドベアさんも、これから一緒だよ!」
その言葉に、俺たちは思わず笑みを浮かべた。
ついさっきまで涙を流していたカレン。
それが今では、新しい仲間を得たことを心から喜んでいる。
俺はそんなカレンを見つめながら思った。
――この子の力は、まだ始まったばかりなのかもしれない。
カレンは、手の中にあるワイルドベアの魔法カードをじっと見つめていた。
「……ワイルドベアさん」
そして――。
「戻ってきて!」
カレンがカードへ魔力を込める。
すると、魔法カードから眩い光が溢れ出した。
光は徐々に大きくなり――。
やがて、一頭の巨大なワイルドベアが姿を現した。
「グルル……」
ワイルドベアは、ゆっくりと周囲を見渡す。
俺たちは一瞬、身構えた。
だが――。
ワイルドベアは俺たちへ襲いかかることなく、その場に静かに立っていた。
「……大丈夫みたいだな」
俺は剣から手を離す。
どうやら完全にカレンの使役下にあるらしい。
「クマさん!」
カレンが嬉しそうに駆け寄る。
しかし――。
「……あれ?」
俺はワイルドベアの身体を見て、目を疑った。
「傷が……ない?」
先ほどまで、あれほどの雷撃を受けていた。
瀕死の状態で地面に横たわっていたはずだ。
それなのに――。
身体には傷一つ残っていない。
焼け焦げていた毛皮すら、まるで何事もなかったかのように元へ戻っている。
「そんな……」
アンも驚いた様子でワイルドベアを見つめている。
「さっきまで、確かに瀕死だったよな?」
グリフも信じられないといった表情を浮かべている。
俺も何度もワイルドベアの身体を確認した。
間違いない。
完全に回復している。
「……カレン」
アリスが、ワイルドベアをじっと観察していた。
「え?」
「あなたが使役した時……かなりの魔力を使ったでしょう?」
「うん。でも、クマさんが仲間になってくれたから……」
カレンは首を傾げる。
アリスは少し考え込んだ後、静かに口を開いた。
「もしかすると――」
アリスの視線が、ワイルドベアへ向けられる。
「使役する際に、カレンから大量の魔力がワイルドベアへ流れ込んだのかもしれないわ」
「魔力が……?」
俺が聞き返す。
「ええ」
アリスは頷いた。
「その魔力は、単純に魔物を使役するためだけに使われたのではないのかもしれない」
「じゃあ……」
「使役が成立した後、その魔力の一部が――」
アリスはワイルドベアの身体を見つめる。
「傷を癒すためにも使われているのかもしれないわ」
「…………!」
俺たちは一斉にワイルドベアを見る。
確かに、それなら説明がつく。
瀕死だった身体が、今では完全に回復している。
「つまり……」
俺はカレンを見る。
「カレンのルーンは、魔物を使役するだけじゃない」
「……仲間になった魔物を、元気にする力もあるってこと?」
アンが言う。
「まだ断定はできないわ」
アリスは慎重に答えた。
「でも、可能性は高いと思う」
カレンは自分の首元に手を当てた。
そこには、淡く輝くルーンが刻まれている。
「……じゃあ」
カレンはワイルドベアを見上げた。
「クマさん、痛くないの?」
「グルル……」
ワイルドベアは静かに喉を鳴らした。
そして――。
大きな頭をカレンへ寄せる。
「ふふっ」
カレンは嬉しそうに、その毛皮へ小さな手を置いた。
「よかった……!」
その笑顔を見つめながら、俺は思った。
カレンの力は、まだ俺たちの知らないことばかりだ。
魔物を従わせる。
魔法カードへ変える。
そして――。
仲間となった魔物の傷まで癒す。
いったい、この小さな身体に宿ったルーンには、どれほどの力が眠っているのだろう。
「お父さん!」
「ん?」
「クマさん、元気になったよ!」
「ああ」
俺は笑って頷いた。
「よかったな、カレン」
「うん!」
カレンはワイルドベアの大きな身体に抱きつく。
その姿を見ながら――。
俺たちは再び、東へ向かって歩き始めた。
それからしばらくして――。
俺たちは再び、東へ向かって歩き始めた。
その後ろには――。
巨大なワイルドベアが、ゆっくりと俺たちについてきている。
ワイルドベアの背中には、旅の荷物がいくつも積まれていた。
「クマさん、重くない?」
「グルル……」
カレンが心配そうに尋ねると、ワイルドベアは小さく唸って答える。
「大丈夫だって!」
カレンは嬉しそうに笑った。
そして次の瞬間――。
「えいっ!」
カレンはワイルドベアの背中へよじ登った。
「カレン、落ちないように気をつけろよ」
「うん!」
ワイルドベアは嫌がる様子もなく、そのままゆっくりと歩き始める。
大きな背中に乗ったカレンは、まるで遊園地の乗り物にでも乗っているかのように楽しそうだった。
「高ーい!」
カレンの笑い声が街道に響く。
その様子を見ていたアンが、思わず笑った。
「すっかり仲良しね」
「カレン、あれだけ懐いてたら、もうワイルドベアも家族みたいなもんだな」
グリフも笑いながら言う。
「うん!」
カレンは元気よく答えた。
「クマさんはカレンの仲間だよ!」
俺はその言葉を聞きながら、思わず笑みを浮かべた。
ついさっきまで、俺たちを襲っていたCランクの魔物。
それが今では――。
カレンを背中に乗せ、荷物まで運んでくれている。
「……不思議な旅になったな」
俺が呟くと、隣を歩くアリスも小さく微笑んだ。
「ええ。本当にね」
やがて――。
遠くに大きな城壁が見えてきた。
「あれが……」
グリフが目を細める。
「カイゼルだ」
港町カイゼル。
以前にも訪れたことのある、海と交易の街。
俺たちはそのまま街道を進み、カイゼルの入り口へ向かった。
だが――。
門へ近づいた、その瞬間だった。
「……っ!?」
門番の一人が、俺たちの後ろにいるワイルドベアを見つけた。
「ま、魔物だぁっ!!」
門番たちが一斉に武器を構える。
「待ってくれ!」
俺は慌てて手を上げた。
「そいつは敵じゃない!」
「な、何を言っている! ワイルドベアだぞ!?」
門番の顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。
無理もない。
目の前にいるのは、この辺りではかなり危険なCランク魔物なのだから。
「このワイルドベアは、俺たちの仲間だ」
「仲間……?」
「娘のカレンが使役している」
俺はワイルドベアの背中に乗っているカレンを指差した。
「ワイルドベアさんはカレンの仲間だよ!」
「…………」
門番たちは呆然とカレンとワイルドベアを見比べている。
しばらくして――。
「……し、信じられん」
門番の一人が呟いた。
「Cランクのワイルドベアを……使役……?」
俺は簡単に事情を説明した。
街道で遭遇したこと。
戦闘になったこと。
そして、カレンの力によってワイルドベアが仲間になったこと。
話を聞き終えた門番たちは、互いに顔を見合わせる。
「……これは、俺たちだけでは判断できない」
一人の門番がそう言うと――。
「ギルドマスターに知らせてくる!」
別の門番が慌てて走り出した。
「お、おい! 走るな!」
俺が呼び止める間もなく、その門番はカイゼルの街中へ駆けていく。
「……そんなに驚くことか?」
俺が呟くと、グリフが肩をすくめた。
「いや、レオン。普通は驚くだろ」
「そう?」
「Cランクの魔物を連れて街へ入ろうとしてるんだからな」
「……確かに」
俺はワイルドベアを見る。
ワイルドベアは何事もなかったかのように、カレンを背中へ乗せたまま立っている。
「クマさんお利口さんなのにね!」
「グルル……」
カレンは楽しそうにワイルドベアの頭を撫でている。
その光景を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
どうやら――。
カイゼルに到着して早々、ひと騒動起きそうだった。




