王女オヴェリアとの約束
カレンの首元に浮かび上がったルーン文字を見つめながら、アリスはしばらく黙り込んでいた。
――レオンの魂に刻まれたルーンとは違う。
そして、古代の迷宮でレオンが宿したものとも明らかに異なる。
「……遺伝子ルーンが……変化した……?」
アリスは小さく呟いた。
これまで長い年月を生き、多くの古代魔法や失われた術式を研究してきたアリスでさえ、こんなルーンは見たことがない。
遺伝子ルーンそのものが変質したのか。
それとも――。
「……いったい、何の力を秘めているの……?」
アリスの表情が、さらに険しくなる。
もし、このルーンが未知の力を与えるものなら――。
だが、もし逆に。
「……呪い……なの……?」
その言葉を口にした瞬間、アリスの胸に嫌な予感が走った。
まだ何も分からない。
このルーンが何なのか。
なぜカレンに刻まれたのか。
そして――何のために存在しているのか。
考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。
それでも――。
「わぁ……!」
少し離れた場所では、カレンが楽しそうな声を上げていた。
両手を前にかざす。
すると、淡い光が広がり、目の前に小さな障壁が現れた。
「できた!」
カレンは嬉しそうに笑う。
もう一度、魔力を込める。
障壁が現れるたび――。
その首元には、あの見たことのないルーン文字が淡く浮かび上がっていた。
本人は、それに気づいていない。
ただ魔法が使えることが嬉しくて、何度も何度も障壁を生み出している。
そんなカレンを見つめながら、アリスは一人、険しい表情を崩せずにいた。
――あのルーンは、一体何なのか。
そして。
カレン自身がまだ知らない、その力は――。
いったい、何をもたらすのだろうか。
今のところ――。
ルーンが発動しても、カレンの様子に異常は見受けられない。
苦しんでいる様子もなければ、意識を失うこともない。
むしろ――。
「もう一回やってみる!」
カレンは楽しそうに笑いながら、何度も障壁の魔法を生み出していた。
そのたびに、首元へ浮かび上がる未知のルーン。
アリスは、その光景をじっと見つめていた。
――異常なのは、ルーンだけではない。
「……それにしても、この魔力量……」
カレンが持つ魔力は、あまりにも莫大だった。
まだ幼いというのに、その総量は普通の魔導士とは到底比較にならない。
これほどの魔力を、いったいどこから得ているのか。
そして――あのルーンとは、どのような関係があるのか。
アリスは静かに目を伏せた。
「……もっと詳しく調べないと」
今の知識だけでは、何も分からない。
遺伝子ルーンとは何なのか。
なぜカレンに刻まれたのか。
なぜレオンのものとは異なるのか。
そして――この莫大な魔力量と、ルーンには何らかの関係があるのか。
答えを見つけるには、古代の文献だけでは足りない。
失われた遺跡。
古代の迷宮。
世界各地に残された、かつての魔法文明の痕跡。
そこへ行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
アリスは、カレンを見つめた。
「……この先、レオンたちと冒険をしながら探しましょう」
その瞳には、強い決意が宿っていた。
カレンに宿った、この未知のルーン。
その正体を――必ず突き止める。
それが、娘を守るために必要なことだと、アリスは感じていた。
「お母さん!」
「……?」
振り返ると、カレンが満面の笑みを浮かべていた。
「見て! 今度はもっと大きくできたよ!」
カレンの目の前には、先ほどよりも一回り大きな障壁が浮かんでいる。
その首元には――。
また、あの見知らぬルーンが淡く輝いていた。
アリスはそれを見つめながら、そっと微笑んだ。
「ええ。上手にできたわね、カレン」
今はまだ、この力が何なのか分からない。
けれど――。
いつか必ず、この謎を解き明かしてみせる。
娘を守るために。
そして、カレン自身がこの力と向き合えるようにするために。
アリスは、心の中で固く誓った。
今日の講義が終わる頃――。
宮廷魔導士たちが片付けを始める中、レオンがアリスとカレンを迎えにやって来た。
「アリス、カレン。講義は終わったか?」
「ええ。今日の分は無事に終わりました」
アリスはそう答えたものの、その表情にはいつもの余裕がなかった。
俺たちは王宮の一室へ移動し、カレンの首元に浮かび上がるルーンについて話し合った。
だが――。
「……やはり、何も分からないわね」
アリスが小さく息を吐く。
カレンに宿ったルーン。
それは俺のものとも、かつて見たルーンとも明らかに違っていた。
何故、カレンにルーンが刻まれたのか。
何のために存在しているのか。
いくら考えても、答えは見つからなかった。
そんな時だった。
オヴェリアが静かに口を開いた。
「アリス様、レオン様。一つ、お伝えしたいことがあります」
「何かしら?」
「ハルディオで預かり、現在研究を続けている〝ルーンストーン〟についてです」
その言葉を聞いた瞬間――。
アリスの表情が変わった。
「……ルーンストーン?」
「はい」
オヴェリアは頷いた。
「以前、ヘクトル様やレオン様たちによって、古代の迷宮から持ち帰られたものです。現在は王都の魔法協会、そして宮廷魔導士たちによって研究が進められています」
「…………」
アリスは何も答えなかった。
ただ、オヴェリアの言葉を聞き終えると、何かを確かめるようにじっとこちらを見つめた。
そして――。
「……そのルーンストーン。見せてもらえる?」
アリスの声は、いつになく真剣だった。
やがて運び込まれたルーンストーンを目にした瞬間――。
「……っ!」
アリスが目を見開いた。
その顔には、明らかな驚きが浮かんでいる。
「アリス……?」
俺が声をかけても、アリスは答えない。
ただ、目の前のルーンストーンを食い入るように見つめていた。
まるで――。
遥か昔から、その存在を知っていたかのように。
「……これが、ルーンストーン……」
アリスが小さく呟く。
俺はその様子を見ながら、ふと昔のことを思い出した。
「ああ……そういえば、そんなものもあったな」
「…………」
「古代の迷宮で見つけたんだったか。すっかり存在を忘れていた」
その瞬間。
背後から――。
ぞくり。
凍りつくような気配を感じた。
「…………レオン?」
「……ん?」
ゆっくり振り返る。
そこには――。
無言で俺を見つめるアリスがいた。
笑っている。
――笑っているのだが。
その瞳には、明らかな殺気が宿っていた。
「……忘れていたの?」
「……あ」
しまった。
そう思った時には、もう遅かった。
俺は、古代の迷宮で起きた出来事を、最初から丁寧にアリスへと話した。
ルーンストーンを見つけたこと。
その直後、迷宮の奥で恐ろしく強いアンデッドと遭遇したこと。
死を覚悟するほどの激しい戦いになり、俺自身も深い傷を負ったこと。
それでも――。
最後の力を振り絞り、何とかアンデッドを倒したこと。
そして、その戦いの中で――。
自分の過去に関する記憶の一部を思い出したこと。
アリスは、俺の話を一言も挟まずに聞いていた。
やがて俺は、当時のことを思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……それでな」
アリスが俺を見る。
「過去の記録を思い出したんだ」
「…………」
俺は少しだけ迷った。
けれど――。
今の俺にとって、それは何よりも大切な記憶だった。
「アリス……」
「……何?」
「俺にとって、お前がとても大切な人だっていうことを……思い出したんだ」
「…………っ」
アリスの瞳が、僅かに揺れた。
先ほどまで俺に向けられていた、殺気混じりの視線は――もう消えていた。
代わりに、頬がほんのりと赤く染まっていく。
「……そう」
アリスは小さく呟いた。
そして、ぷいっと顔を横へ向ける。
「……なら、許してあげる」
「……いいのか?」
「ええ」
そう言いながらも、アリスの耳は赤く染まっていた。
どうやら――。
まだ少し怒っているらしい。
けれど、その表情には先ほどまでの険しさはなかった。
「……ただし」
「ただし?」
アリスがこちらを見る。
「今度から、大切なものを忘れたなんて言わないこと」
「ああ。気をつけるよ」
「……絶対よ?」
「ああ、絶対だ」
俺がそう答えると、アリスは小さく微笑んだ。
その横で――。
オヴェリアは何とも言えない表情で俺たちを見つめていた。
そしてカレンだけが、何も知らない顔でルーンストーンを眺めている。
オヴェリアは、目の前のルーンストーンを見つめながら話を続けた。
「実は……このルーンストーンについては、これまで多くの研究者が調査を行ってきました」
「多くの研究者が?」
「はい。魔法協会の研究者だけではありません。宮廷魔導士たちも、様々な方法で実験を行いました」
オヴェリアは一度言葉を切る。
「ですが――」
その表情が、少し曇った。
「これまで、誰一人として……このルーンストーンを反応させることはできませんでした」
「…………」
俺は少し驚いた。
何故なら――。
俺が古代の迷宮でこの石を見つけた時は、触れようとしただけでルーンストーンが反応したからだ。
あの時の光景を思い出す。
俺の魂に刻まれたルーン。
それに呼応するように、目の前の石が輝いた。
「……おかしいな」
「何がですか?」
「いや……」
俺はルーンストーンへと視線を向ける。
「俺が触った時は、普通に反応したんだ」
「…………え?」
オヴェリアが目を見開いた。
アリスも驚いたように俺を見る。
「それは……本当なの?」
「ああ」
俺は頷いた。
「確か、こうだった」
ゆっくりと手を伸ばす。
そして――。
ルーンストーンへ指先を触れた。
その瞬間。
――ヴンッ。
「……っ!」
石の内部から、淡い光が生まれた。
まるで眠りから目覚めるように、ルーンストーン全体がゆっくりと輝き始める。
「…………」
誰も言葉を発しなかった。
俺自身も、目の前で起きていることに驚いていた。
そして――。
「……反応した……」
オヴェリアが呟いた。
その声には、明らかな驚愕が滲んでいた。
「そんな……」
アリスもルーンストーンを凝視している。
長い年月を生きてきた彼女でさえ、これほどまでに驚いた表情を見せることは珍しかった。
俺は手を離す。
すると――。
ルーンストーンの輝きが、ゆっくりと弱くなっていく。
俺は、淡い光を放つルーンストーンを見つめていた。
その輝きを見ているうちに――ふと、一つの答えが頭に浮かんだ。
「……そういうことか」
「レオン?」
アリスがこちらを見る。
俺は、自分の身体に宿る二つのルーンを思い浮かべた。
一つは、魂そのものに刻まれたルーン。
死が近づいた時、俺に驚異的な身体能力を与え――そして、俺が死を迎えた時には、新たな生へと転生させる。
そして、もう一つ。
それは古代の迷宮で、あの恐ろしいアンデッドを倒した時に俺へと宿ったルーンだった。
こちらは普段から俺の身体能力を底上げしている。
「このルーンストーンが反応した理由……分かった気がする」
「本当?」
アリスが少し身を乗り出す。
「ああ」
俺はルーンストーンへ視線を向けた。
「このルーンストーンは、俺に宿った二つ目のルーンに反応しているんだ」
「二つ目の……ルーン?」
「そうだ。古代の迷宮でアンデッドを倒した時に宿った、普段から俺の身体能力を強化しているルーンだ」
俺は自分の手を握り、ゆっくりと開いた。
「そして、このルーンストーンは――その力を増幅している」
「……!」
オヴェリアが息を呑む。
「ルーンの力を……増幅?」
「ああ」
俺は頷いた。
「この石そのものが力を持っているというより、別のルーンに反応して、そのルーンが持つ効果を増幅するんだと思う」
しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
やがてアリスが、ルーンストーンを見つめながら静かに呟く。
「……だから、誰が触れても反応しなかったのね」
「たぶんな」
「元々ルーンを宿していない人が触れても、反応するための対象が存在しない……」
アリスはそこで言葉を止める。
そして、俺へと視線を向けた。
「そういうことなのね……」
その声には、驚きが混じっていた。
オヴェリアもまた、目の前のルーンストーンを見つめている。
「では……これまでの研究で誰一人として反応させられなかったのは、ルーンを宿していなかったから……」
「ああ。俺の場合は、二つ目のルーンがあったから反応したんだ」
そう答えながら、俺はルーンストーンへ再び目を向けた。
古代の迷宮で出会った、あのアンデッド。
あれを倒した時、俺の身体に宿った新たなルーン。
そして――このルーンストーン。
今まで別々の出来事だと思っていたものが、少しずつ一つに繋がっていく。
だが。
俺の視線は、ふとカレンへと向いた。
その首元には――。
俺のものとは異なる、あの謎のルーンが刻まれている。
「…………」
もし、このルーンストーンが本当にルーンの力を増幅するものなら――。
カレンのルーンにも、反応するのだろうか。
そう考えた瞬間。
アリスもまた、同じことを考えていたのか。
ゆっくりとカレンへ視線を向けていた。
部屋の空気が、再び静かに張り詰めていく。
まだ、誰もその答えを口にすることはなかった。
アリスはしばらくルーンストーンを見つめていた。
そして――何かを決意したように、ゆっくりとそれを手に取る。
「……カレン」
「なぁに?」
「少しだけ、じっとしていてね」
「うん!」
アリスは慎重に歩み寄り、ルーンストーンをカレンの首元へ近づけていく。
俺も、オヴェリアも、その様子を固唾を呑んで見守っていた。
そして――。
ルーンストーンが、淡く輝いた。
「……っ!」
同時に、カレンの首元に刻まれたルーンも淡い光を帯びる。
まるで――。
二つの存在が互いを認識したかのように。
「やはり……!」
アリスの声が震えた。
ルーンストーンから放たれる光が、カレンのルーンと呼応するように揺らめいている。
「共鳴している……」
オヴェリアが息を呑む。
俺も目の前の光景から目を離せなかった。
俺のルーンに反応した時と同じだ。
いや――。
何かが違う。
俺の時よりも、ルーンストーンの光が微かに不安定だった。
アリスはしばらく様子を見ていたが、やがてカレンへ問いかけた。
「カレン。身体に何か変わったところはない?」
「んー?」
カレンは首を傾げる。
「変わったところ……?」
「ええ。身体が熱くなったり、力が湧いてきたり……何か感じない?」
「うーん……」
カレンはしばらく考え込んだ。
そして――。
「よく分からないよ」
無邪気にそう答えた。
「…………」
アリスは黙り込む。
俺も思わずカレンの首元を見つめた。
確かにルーンストーンは、カレンのルーンに反応している。
それなのに――本人には何の変化もない。
いったい、このルーンは何のために存在しているのか。
そして――。
ルーンストーンは、カレンの中にある何を増幅しようとしているのか。
その答えを知る者は、この場には誰一人としていなかった。
しばらくルーンストーンを見つめていたオヴェリアは、やがて静かに口を開いた。
「……どちらにせよ、このルーンストーンはレオン様がお持ちください」
「俺が?」
思わず聞き返す。
「はい」
オヴェリアは迷いのない表情で頷いた。
「このルーンストーンが、ルーンを宿している者にしか反応しないのであれば……持っているべきなのは、レオン様です」
「しかし、これは王都が研究していたものだろう?」
「ええ」
オヴェリアは一度ルーンストーンへ視線を落とす。
「ですが、研究しても誰一人として反応させることができなかった。それに――」
オヴェリアは、俺を見る。
「レオン様が触れた時には、明確に反応しました」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
「ですから、ぜひレオン様がお持ちください」
「……いいのか?」
「もちろんです」
オヴェリアは微笑んだ。
「ただし――一つだけ」
「一つだけ?」
「このルーンストーンについては、王都ハルディオがヘクトル様のパーティーの皆様から、それ相応の対価をお支払いして正式に購入させていただきます」
「え?」
思わず目を丸くする。
オヴェリアは、さらに続けた。
「そして、これは王都ハルディオが保有していたルーンストーンとして、正式にレオン様へお譲りします」
「…………」
その言葉に、部屋の周囲がざわついた。
「オヴェリア様……!」
「さ、さすがにそれは……!」
「王都で長年研究してきた貴重な遺物を、個人へ譲渡するなど――」
周囲にいた王都の職員たちが、慌てた様子で声を上げる。
当然だ。
何年もの間、多くの研究者が調査してきた貴重なルーンストーン。
それを、あっさりと俺に譲ると言っているのだから。
だが――。
「問題ありません」
オヴェリアは静かに言った。
その一言で、周囲の声がぴたりと止まった。
かつてのオヴェリアなら、ここまで強い言葉で職員たちを制することはなかっただろう。
けれど今の彼女は――。
王女となったオヴェリア・ジ・ハルディオ。
王都を背負う立場にいる。
誰も、それ以上口を挟むことができなかった。
「それに……」
オヴェリアは、もう一度ルーンストーンを見る。
「この石が何なのかを知るためには、レオン様が持っていることが一番良いと思います」
俺は、その言葉を聞いて静かに頷いた。
「分かった。大切に預かるよ」
「はい。よろしくお願いします」
こうして――。
古代の迷宮から持ち帰られ、長い間王都で研究されていたルーンストーンは。
再び俺の手元へと戻ることになった。
ルーンストーンを受け取った俺を見つめながら、オヴェリアはしばらく黙っていた。
そして――。
ゆっくりと俺の前へ歩み寄る。
「……レオン様」
「ん?」
オヴェリアは、静かに頭を下げた。
「どうか……」
突然のことに、俺は目を見開く。
「王都ハルディオが危機に瀕した時には……どうか、お力をお貸しください」
「オヴェリア……」
「王女としてではありません」
頭を下げたまま、オヴェリアは続ける。
「この国を守る者の一人として……あなたのお力を、お借りしたいのです」
俺は慌てて手を振った。
「もちろんだ!」
思わず声が大きくなる。
「そんなこと、頼まれるまでもない!」
オヴェリアが顔を上げる。
俺はまっすぐ彼女を見つめた。
「王都ハルディオが危機に瀕した時は、俺も全力で力を貸す。それを約束する」
「……本当に?」
「ああ」
俺は力強く頷いた。
「俺にできることなら、何だってする」
その言葉を聞いた瞬間――。
オヴェリアの表情が、ぱっと明るくなった。
「……ありがとうございます!」
先ほどまで王女として見せていた凛とした表情とは違う。
心から嬉しそうな笑顔だった。
「レオン様……ありがとうございます!」
「そんなに喜ぶことか?」
「はい!」
オヴェリアは嬉しそうに頷いた。
その姿を見て、俺も自然と笑みを浮かべる。
こうして俺は――。
王女オヴェリアとの、新たな約束を交わした。
俺とアリス、そしてカレンは王城を後にした。
王都ハルディオの街には、まだ生誕祭の余韻が残っていた。
通りには色とりどりの飾りが残され、夜になっても多くの人々が祭りの終わりを惜しむように歩いている。
そんな中――。
夜空に、一筋の光が走った。
――ドンッ!
「わぁ……!」
カレンが声を上げる。
見上げた夜空には、大きな花火が咲いていた。
赤、青、金色。
次々と打ち上がる花火が、王都の夜空を鮮やかに彩っていく。
「綺麗……!」
カレンは目を輝かせながら、夜空を見上げている。
「よく見えるか?」
「うん!」
俺は笑いながら、カレンを肩車した。
「もっと高く!」
「これ以上は無理だぞ」
「えー!」
カレンが楽しそうに笑う。
その隣を歩くアリスも、夜空を見上げていた。
花火の光が、アリスの横顔を照らしている。
「……生誕祭も、終わりね」
「ああ」
長かったようで、あっという間だった。
王都へ来てから、本当にいろいろなことがあった。
古代の歴史。
ヴァンが残した技術。
ルーンストーン。
そして――カレンに宿った謎のルーン。
これから先、何が待っているのかは分からない。
それでも今は――。
「お父さん!」
「ん?」
「もう一個、花火上がるよ!」
カレンの弾んだ声に、俺は空を見上げた。
――ドンッ!
夜空いっぱいに、大輪の花が咲く。
「……ああ。綺麗だな」
俺はカレンを肩に乗せたまま、アリスと並んで歩いた。
やがて花火が一つ、また一つと消えていく。
祭りの終わりを告げるように、夜空が少しずつ静けさを取り戻していった。
俺たちはそのまま宿屋へ向かう。
生誕祭の終わりとともに――。
俺たちの次なる旅も、もうすぐ始まろうとしていた。
宿屋へ戻ると、ハルゥのおばあちゃんが用意してくれた特製の手料理が待っていた。
「いただきます!」
カレンが嬉しそうに手を合わせる。
「今日はたくさん遊んだからね。しっかり食べなさい」
「うん!」
俺も料理を口に運ぶ。
「……うまい」
素朴な味付けなのに、どこか温かみがある。
祭りで一日中歩き回った身体には、その温かい料理が何よりも嬉しかった。
アリスもカレンと並んで食事を楽しみ、食卓には自然と笑い声が響いていた。
そして食事を終えた後――。
「カレン、こっちへいらっしゃい」
「はーい!」
アリスは桶に汲んだ水を使い、カレンの身体を拭いてやっていた。
「お母さん、くすぐったいよ」
「じっとしていなさい」
「あははっ!」
カレンは楽しそうに笑いながら、水で濡らした布をアリスから逃げるように避けている。
「ほら、動かないの」
「だってくすぐったいんだもん!」
そんな二人の姿を横目に見ながら――。
俺はベッドの脇に並べた荷物を、一つずつ確認していた。
武器。
防具。
食料。
水。
冒険に必要な道具。
明日から、再び旅が始まる。
「……よし」
一つずつ確認を終え、最後に装備を見渡す。
忘れ物はない。
これで準備は整った。
俺は窓の外へ目を向ける。
さっきまで花火が咲いていた夜空は、すっかり静かになっていた。
「明日から……また冒険か」
そう呟くと、背後から楽しそうな声が聞こえてくる。
「レオン、準備は終わった?」
「ああ。最終確認は終わったよ」
「じゃあ、もう休みましょう」
「うん!」
アリスとカレンの声を聞きながら、俺は小さく笑った。
生誕祭は終わった。
そして――。
明日から、俺たちの新しい冒険が始まる。
翌朝――。
まだ朝日が昇ったばかりの早い時間。
俺たちは約束の時間に合わせ、王都ハルディオの東門へ向かった。
東門へ到着すると、すでにグリフとアンが待っていた。
「おはよう、二人とも」
「おう。待ってたぞ」
グリフが笑いながら手を上げる。
「おはよう、レオン。アリス」
アンも笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」
アリスも二人に挨拶を返す。
その隣では――。
「……ふぁ……」
カレンが大きな欠伸をしていた。
眠たそうな顔をしながら、アリスとしっかり手を繋いでいる。
「カレン、まだ眠いのか?」
「……うん……」
小さく頷くカレン。
昨日は生誕祭の最後まで楽しみ、夜には花火まで見たのだ。
無理もない。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ああ!」
グリフが頷く。
俺たちは東門を抜け、王都ハルディオを後にした。
朝の街道には、まだ人の姿も少ない。
冷たい朝の風が頬を撫で、眠気の残るカレンの髪を揺らしている。
俺は隣を歩くアリスと、その手を握るカレンを見た。
そして――。
「今回の目的地は、港町カイゼルのさらに先だ」
「……ああ」
グリフが頷く。
その先にあるのは――。
かつてドワーフたちが暮らしていた場所。
今は人々から忘れ去られた、古きドワーフの城。
「ドワーフの古城……か」
アンが遠くを見つめる。
俺たちはそこで何を見つけるのだろう。
ヴァン・ガウェインが残したもの。
古代の歴史。
そして、まだ俺たちが知らないドワーフ族の秘密。
期待と僅かな不安を胸に抱きながら――。
俺たちは港町カイゼルを越え、そのさらに先にあるドワーフの古城を目指して歩き始めた。
新たな冒険へ向けて――。
俺たちは、王都ハルディオを後にした。
王都ハルディオを出て、数時間ほど経った頃だった。
街道を進んでいた俺たちの前に、魔物の群れが姿を現した。
「魔物だ!」
グリフが声を上げる。
前方にいたのは――。
ゴブリンが二体。
そして、その後ろには一体のオークがいる。
「数は三体か」
俺が剣へ手を伸ばそうとした、その時だった。
「待って、レオン」
アリスが俺を止めた。
「カレンに、少し早いけれど戦闘訓練をさせてみましょう」
「カレンに?」
俺が振り返る。
アリスはカレンの肩へ優しく手を置いた。
「ええ。あなたの雷魔法なら、あの程度の魔物を倒すことはできるはずよ」
「……私が?」
「そう。怖くなったら、無理をしなくてもいい。でも――やってみなさい」
カレンは目の前の魔物たちを見つめた。
そして――。
「分かった!」
いつもの明るい声。
けれど、その表情はいつもより少しだけ真剣だった。
カレンは小さく息を吸う。
身体の内側へ意識を集中させ――。
魔力を循環させ始める。
「…………」
俺は静かに見守った。
カレンの身体を巡る魔力が、徐々に強くなっていく。
そして――。
カレンの首元に刻まれたルーンが、淡い光を放ち始めた。
「……っ」
アリスの表情が変わる。
俺も息を呑んだ。
あのルーンだ。
だが、その直後――。
「…………え?」
カレンの口から、聞いたことのない言葉が零れた。
俺には意味が分からなかった。
アリスも――。
グリフも、アンも。
誰一人として聞いたことのない言葉だった。
「カレン……今、何て言ったの?」
アリスが問いかける。
しかし――。
カレン自身も、自分が何を言ったのか分かっていないようだった。
「……え?」
その瞬間。
――ズズズッ。
「……何だ?」
魔物たちの様子がおかしい。
俺たちがそう思った直後だった。
オークの額に――。
光が浮かび上がった。
「…………!」
それは――。
カレンの首元に刻まれているものと、まったく同じルーンだった。
「なっ……!」
グリフが息を呑む。
オークの身体が、ゆっくりと震え始める。
そして――。
その目が、カレンのルーンと同じ色に輝いた。
「…………」
カレンは、ただ呆然とオークを見つめている。
俺は反射的に剣へ手を伸ばした。
「カレン、下がれ!」
だが――。
カレンは動かなかった。
オークもまた、動かない。
ただ互いを見つめている。
まるで――。
何かを理解し合っているかのように。
先ほどカレンが口にした、聞いたことのない言葉。
そして、オークの額に現れた同じルーン。
一体、何が起きている?
俺たちは誰一人として、その答えを知らなかった。
ただ一つだけ。
この瞬間――。
カレンの中に眠っていた何かが、初めてその姿を現した。




