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冒険の書  作者: siva5880


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3/58

出会いと別れ

初めてのギルド依頼を達成してから、数週間が経った。


 あれから俺たちは、いくつもの依頼をこなしてきた。


 薬草の採取。


 魔物の素材集め。


 街道の見回り。


 そして――魔物退治。


 最初の頃は一匹のウルフを相手にするだけでも緊張していた。


 今では、ウルフ程度なら三人で連携して倒せるようになった。


 グリフが先に敵を見つける。


 俺が盾で攻撃を受け止め、隙を作る。


 アンが調合した薬や毒で、戦いを有利にする。


 少しずつだが、俺たちは強くなっている。


 それでも――


「次の依頼、これにしよう」


 ギルドの掲示板の前で、グリフが一枚の依頼書を手に取った。


 俺も横から覗き込む。


 複数の魔物退治。


 これまで受けてきた依頼より、明らかに危険度が高い。


 依頼書には、複数の魔物が同じ地域に出没していると書かれていた。


「……ちょっと危険じゃない?」


 アンが依頼書を見ながら呟く。


「ああ」


 俺も頷いた。


 今までなら、三人でなんとかできた。


 だが――


 俺たちはまだFランク冒険者だ。


 戦闘経験も少ない。


 俺が前衛。


 グリフが斥候。


 アンが調合師。


 三人で役割は分担できている。


 でも、敵の数が増えれば話は変わる。


 俺が複数の魔物を抑えている間に、グリフが狙われるかもしれない。


 アンを守りながら戦えば、俺の動きも制限される。


 グリフ一人では、すべての敵を倒すことはできない。


「……三人だけじゃ、そろそろ厳しくなるかもな」


 俺が呟く。


 グリフも黙って依頼書を見る。


「仲間が必要か」


 その言葉を聞いて、俺は少し考えた。


 これまで三人でやってきた。


 この三人だからこそ、ここまで生き残ってこられた。


 でも――


 冒険者として先へ進むなら、いつか限界は来る。


 俺たちには、もっと多くの力が必要になる。


 新しい仲間。


 新しい出会い。


 そして――


 もしかすると、別れも。


 その時の俺たちは、まだ知らなかった。


 この依頼がきっかけで、俺たちの冒険が大きく変わることを。


 そして、この先で出会う人間が――


 俺たち三人の運命を大きく変えることを。


「そうだ」


 依頼書を見つめていたグリフが、ふと思い出したように口を開いた。


「声をかけてみたい奴らがいる」


「誰だ?」


「ニックとベン」


 俺は少し考える。


「あの双子か?」


「ああ」


 訓練所で一緒だった双子の兄弟。


 ニックとベン。


 見た目がよく似ていて、初めて会った時は俺もどちらが兄でどちらが弟なのか分からなかった。


 二人とも訓練所ではそれなりに腕が立った。


 ただ、卒業後はすぐに別の道へ進んでいた。


「卒業してから、国境の警備をしてるって言ってなかったか?」


「そう。父親が国境警備の仕事をしていてな。二人も卒業したら、その手伝いをするって話してた」


「じゃあ、今は?」


「数日前に戻ってきたらしい」


 グリフはそう言って、少し笑った。


「だから、まだこの街にいるはずだ」


「なるほど……」


 俺はもう一度、依頼書を見る。


 複数の魔物退治。


 三人で挑むには、少し荷が重い。


 でも、ニックとベンが加われば話は変わる。


 何より、訓練所で一緒に訓練した仲間だ。


 お互いの実力もある程度分かっている。


「声をかけてみよう」


 俺が言うと、グリフが頷いた。


「そうしよう」


 アンも依頼書を覗き込みながら言った。


「双子なら、息もぴったりなのかな?」


「さあな」


 グリフが笑う。


「でも、あの二人なら頼りになると思う」


 こうして俺たちは、ニックとベンを探すことになった。



ニックとベンは、意外にも簡単に見つかった。


 街の中心にある大きな井戸。


 その近くに、人だかりができている。


「……あれじゃないか?」


 グリフが指を差す。


 そこには、よく似た顔をした二人の男がいた。


 髪型も似ている。


 体格もほとんど同じ。


 そして――声までそっくりだ。


「だから俺は言っただろ!」


「いや、お前が間違ってるんだ!」


「お前こそ間違ってる!」


「間違ってない!」


「間違ってる!」


 どうやら、何かで揉めているらしい。


「……相変わらずだな」


 グリフが苦笑する。


 俺とアンを連れて、二人のところへ近づいていく。


「よお!」


 グリフが気さくに声をかけた。


「元気にしてたか? ベン、ニック」


 すると――


 二人が同時にこちらを振り向いた。


 そして、ほぼ同時に口を開く。


「よう、生きてたか、グリフ」


「よう、生きてたか、グリフ」


「……」


 俺は思わず二人の顔を見比べた。


 声まで同じだ。


 どっちがどっちなのか、まったく分からない。


 グリフは慣れているらしく、笑っている。


「お前ら、相変わらずだな」


「何がだ?」


「何がだ?」


 また同時。


 アンが小声で俺に言った。


「……本当に双子なんだね」


「ああ……」


 俺は思わず苦笑した。


 訓練所にいた頃から変わらない。


 懐かしい顔だった。



ニックとベンは、親父さん譲りの槍使いだ。


 二人とも長槍を扱う剣士系の冒険者。


 訓練所にいた頃から槍の扱いは上手かったが、国境警備に出てからはさらに腕を上げたらしい。


「それで、今日は何してたんだ?」


 グリフが尋ねる。


「街に戻ってきたばかりだからな。久しぶりにゆっくりしてた」


 ベンが答える。


「……まあ、こいつと喧嘩してたけどな」


 ニックが隣を見る。


「お前が悪いんだろ」


「お前だって――」


「はいはい」


 グリフが二人の間に割って入る。


「ところで、お前ら。ちょうどいい依頼があるんだけど、一緒に行かないか?」


 グリフが依頼書を見せた。


 複数の魔物退治。


 二人は依頼書を覗き込む。


「魔物退治か」


「いいじゃないか」


 二人の表情が変わった。


 訓練所を卒業してから、二人は父親の手伝いとして国境警備に就いていた。


 そこでは当然、魔物との戦いもある。


 実際に何度も魔物を討伐してきたらしい。


「国境じゃ、結構やったぞ」


 ベンが槍を軽く持ち上げる。


「ウルフやゴブリン程度なら、もう慣れた」


 ニックも頷く。


「親父からも、少しは一人前になったって言われた」


 その顔には自信があった。


 訓練所を卒業したばかりの頃とは違う。


 実際に魔物と戦い、生き残ってきた。


 その経験が二人を成長させたのだろう。


「じゃあ、決まりだな」


 グリフが笑う。


「レオン、アン。いいよな?」


「ああ」


「もちろん」


 こうして――


 俺たち三人のパーティーに、ニックとベンが加わることになった。


 前衛の俺。


 斥候のグリフ。


 調合師のアン。


 そして、槍を使う双子のニックとベン。


 三人だった俺たちは、五人になった。


 戦力は大きく上がった。


 今までなら避けていたような依頼にも、挑戦できるかもしれない。


 俺は五人になった仲間たちを見渡した。


今回の複数の魔物討伐は、Fランク依頼の中では難しい部類に入る。


 依頼書に書かれている内容だけを見れば、そこまで大した仕事には見えない。


 だが、俺たちはもう知っている。


 魔物は油断すれば、人間を簡単に殺す。


 だから――準備を怠るつもりはなかった。


「剣の手入れは終わったか?」


「ああ。刃こぼれもない」


 俺は剣を確認する。


 盾も傷や亀裂がないか調べる。


 グリフは弓の弦を張り替え、矢の本数を確認していた。


 アンは調合道具を一つずつ確認している。


 毒薬。


 傷薬。


 そして魔物ごとに使える薬品。


 ニックとベンは槍を念入りに手入れしていた。


「こいつは親父から貰ったものだからな」


 ニックが槍を眺める。


「壊すわけにはいかない」


 ベンも自分の槍を確認している。


 準備が終わると、今度は全員で連携について話し合った。


「基本は俺とニック、ベンが前衛」


 俺が地図を広げる。


「グリフは周囲の警戒。敵を見つけたら、まず知らせてくれ」


「ああ」


「アンは俺たちの後ろ。必要な時に薬を使ってくれ」


「分かった」


 五人。


 以前の三人とは違う。


 人数が増えた分、戦い方も変えなければならない。


 誰か一人が勝手に動けば、味方の邪魔になることもある。


 だからこそ、事前に役割を決める。


「無理はするな」


 グリフが最後に言った。


「危なくなったら逃げる。それも冒険者の仕事だ」


 全員が頷いた。


 そして――討伐の日を迎えた。


 朝。


 街の門を出る。


 装備の重みを感じながら、俺は前を向いた。


 五人での初めての依頼。


 Fランク冒険者としては、少し背伸びをした依頼だ。


 でも、俺たちは準備をした。


 装備も整えた。


 連携も確認した。


 これなら大丈夫。


俺たちは、いつも探索している森へと入った。


 何度も通った場所だ。


 薬草を採り、木の実を集め、ウルフやスライムと戦ったこともある。


 だが――今日は、いつもより先へ進む。


 森の奥。


 そこへ入った瞬間、空気が変わった。


 薄暗い。


 湿っている。


 足元の土も、いつもの森より柔らかくジメジメしていた。


 頭上を覆う木々は太く、大きい。


 枝や葉が幾重にも重なり、昼間だというのに太陽の光がほとんど届かない。


「……こんな場所まで来たことあったか?」


 俺が呟く。


「ないな」


 グリフが周囲を見渡す。


「俺たちが普段探索してるのは、もっと手前だ」


 ここから先は、俺たちにとって未知の場所。


 グリフは弓を構えたまま、慎重に歩いている。


 ニックとベンも槍を構え、左右を警戒している。


 アンは俺たちの中央。


 何かあれば、すぐに薬を使える位置だ。


 今回の目的は明確だった。


 この周辺に住み着いている複数の魔物を討伐する。


 討伐数に上限はない。


 多く倒せば、それだけ報酬も増える。


 だが――


「数を稼ぐ必要はない」


 俺は全員に言った。


「無理をせず、確実に倒そう」


「賛成だ」


 グリフが頷く。


「欲を出して深追いしたら、こっちが死ぬ」


 ニックとベンも頷いた。


「国境でも同じだった」


 ベンが言う。


「倒せる魔物だけを確実に倒す。それが一番だ」


 アンも静かに周囲を見る。


「ここ、魔物が多そうだね」


「ああ」


 俺は剣の柄に手を置く。


 静かすぎる。


 鳥の鳴き声も少ない。


 風が木々を揺らす音だけが聞こえる。


 俺たちは五人で、ゆっくりと森の奥へ進んでいった。


 討伐数を稼ぐ。


 報酬を増やす。


 それも大切だ。


 だが――


 一番大切なのは、五人全員で生きて帰ることだ。


 俺たちは、まだ新人冒険者なのだから。


先頭を進んでいたグリフが、突然足を止めた。


「……いる」


 小さな声だった。


 俺たちもすぐに立ち止まる。


「魔物か?」


「ああ。ゴブリンだ」


 グリフが木々の隙間を覗き込む。


「三体」


 俺も視線を向ける。


 薄暗い森の奥。


 確かにゴブリンが三体いる。


 こちらにはまだ気づいていない。


 グリフがゆっくりと弓を構える。


 矢をつがえ、狙いを定める。


 いつものように奇襲。


 俺たちはそう考えていた。


 ――その瞬間だった。


 ヒュッ!


「――ッ!」


 別の方向から、一本の矢が飛んできた。


 狙われていたのは――


 グリフ。


「グリフ!」


 俺が叫ぶ。


 矢はグリフのすぐ横を通り過ぎ、背後の木に突き刺さった。


 ドスッ!


 グリフが咄嗟に身を伏せる。


「敵はどこだ!?」


 ニックとベンが槍を構える。


 俺も盾を前に出した。


 アンが慌てて周囲を見渡す。


 ゴブリン三体だけではない。


 ――誰かがいる。


 しかも、俺たちがゴブリンを見つけるより先に、こちらを狙っていた。


「グリフ!」


「無事だ!」


 グリフはすぐに立ち上がり、矢が飛んできた方向へ弓を向ける。


 俺たちも同じ方向を見る。


 薄暗い木々。


 深い森。


 何も見えない。


 だが――


 確かに、そこには何者かがいる。


 俺は盾を構え直した。


 さっきまで俺たちは、魔物を討伐することだけを考えていた。


 でも今は違う。


 この森には――


 俺たち以外にも、弓を使う何者かがいる。


「来るぞ!」


 グリフが叫んだ。


 俺たちの声に気づいた三体のゴブリンが、一斉にこちらへ向かってくる。


 手には棍棒や短剣。


 その姿を見た瞬間、俺は盾を構えた。


「俺が受ける!」


 先頭のゴブリンが棍棒を振り上げる。


 ――ガンッ!


 盾で受け止める。


 腕に重い衝撃が走った。


「くっ……!」


 訓練所で戦ったゴブリンよりも、明らかに動きが速い。


 俺が盾で押し返すと、ゴブリンの体勢が崩れた。


「今だ!」


 俺の横からニックの槍が伸びる。


 ゴブリンが慌てて後ろへ下がった。


 その隙をベンが突く。


「そこだ!」


 槍の穂先がゴブリンの肩をかすめる。


 一方、グリフは後方から別のゴブリンを狙っている。


 矢を放つ。


 だが、ゴブリンは木の陰へ飛び込んだ。


「ちっ!」


 グリフが舌打ちする。


 俺たちは三体のゴブリンを相手に戦い始めた。


 だが――


 頭の片隅から、さっきの矢が消えない。


 誰が放った?


 どこから狙っていた?


 そして、なぜグリフを狙った?


 森は静まり返っている。


 弓使いの姿はどこにもない。


 気配すら感じない。


 まるで最初から、この森に存在していなかったかのようだ。


「レオン!」


 グリフの声で我に返る。


 目の前のゴブリンが、再び棍棒を振り上げていた。


「今はこいつらだ!」


「ああ!」


 俺は盾を構え直す。


 まずは目の前の敵を倒す。


 弓使いのことを考えるのは、それからだ。


ベンの槍が、ゴブリンの身体をかすめた。


 深い傷ではない。


 それでも――


「……グッ、ギャッ……!」


 ゴブリンの動きが明らかにおかしくなった。


 足元がふらつき、棍棒を持つ腕にも力が入っていない。


「毒だ」


 アンが言った。


 ベンの槍には、あらかじめアンが作った毒が塗られていた。


「今ならいける!」


 俺は一気に距離を詰める。


 盾でゴブリンを押し倒し、剣を振り抜いた。


 ゴブリンは動かなくなった。


 残り二体。


 そのうち一体が、仲間が倒されたことに気づいた。


「ギャアアッ!」


 怒り狂ったように叫び、こちらへ飛びかかってくる。


 俺が盾を構えようとした――その時。


 俺の横を、二本の槍が同時に突き出された。


「――ッ!」


 ドスッ!


 ニックとベンの槍が、ほとんど同時にゴブリンへ突き刺さった。


 飛びかかってきた勢いのまま、ゴブリンの身体が止まる。


 そして――地面へ崩れ落ちた。


「……」


 俺は思わず二人を見る。


 速い。


 迷いがない。


 槍を引き抜く動作まで、ほとんど同時だった。


「強いな……」


 思わず口に出していた。


 訓練所にいた頃とは違う。


 国境警備で実際に魔物と戦ってきた経験が、二人の動きを変えている。


 最後の一体も、グリフの矢が肩に突き刺さった。


「逃がすな!」


 グリフが叫ぶ。


 ゴブリンが逃げようとしたところへ、俺が回り込む。


 盾で進路を塞ぐ。


 そして――


 剣を振り下ろした。


 森の中が静かになる。


 戦いは終わった。


 俺は荒い息を吐きながら、三体のゴブリンを見た。


 思っていたより、あっけなかった。


 五人になっただけで、これほど違うのか。


 俺一人では止められなかった攻撃を、ニックとベンが受け止める。


 グリフが遠距離から援護する。


 アンの毒が敵の動きを奪う。


 そして俺が盾で敵を抑える。


 五人で戦う。


 それが、これまで三人で戦ってきた俺たちとの大きな違いだった。


 だが――


 俺はふと、先ほど矢が飛んできた方向へ目を向けた。


 ……まだいる。


 そんな気がする。


 俺たちがゴブリンと戦っている間も、何者かの視線を感じていた。


 姿は見えない。


 気配もない。


 ただ――


 森のどこかから、こちらを見ている。


 俺は剣を握り直した。


ゴブリンとの戦いが終わった。


 だが、俺はまだ警戒を解いていなかった。


 先ほど矢が飛んできた方向。


 そこにいるはずの弓使いは、未だに姿を見せない。


 グリフも同じ場所を睨んでいる。


「……見つからない」


「気配もないな」


 ニックが槍を構えたまま呟く。


 その時だった。


 アンが鞄の中から、何かを取り出した。


 見た目は――木の実のようだった。


「アン、それは?」


「ちょっと試してみる」


 アンは矢が飛んできた方向へ向かって、その実を投げた。


 そして――


「みんな、耳を塞いで!」


「え?」


 俺たちが慌てて耳を塞いだ直後。


 木の実が大きな木にぶつかった。


 ――――ドォンッ!!


「うわっ!」


 一瞬だった。


 森全体に響き渡るような、とてつもない音。


 鳥たちが一斉に飛び立ち、木々の葉が揺れる。


 俺は思わず耳を押さえたまま、その場にしゃがみ込んだ。


「な、なんだ今の!?」


「これ、『カラの実』」


 アンは何事もなかったかのように答える。


「割れると、すごい音が出るの」


「……すごい音どころじゃないだろ」


 俺は耳をさする。


「どういう原理なのかは私も詳しく知らないけど、衝撃を与えると中身が弾けて大きな音が出るんだって」


 なるほど。


 魔法なのか。


 植物そのものの性質なのか。


 俺にはさっぱり分からない。


 ただ――


 効果だけは分かった。


 森中に響くほどの音が出る。


カラの実が鳴り響いてから、ほんの数秒後だった。


 ガサッ!


 茂みが大きく揺れた。


「いた!」


 グリフが叫ぶ。


 木々の間から、一体のゴブリンが飛び出してきた。


 その手には――弓。


 先ほどグリフを狙った、あの弓だ。


「ゴブリンだったのか!」


 ニックが槍を構える。


 ベンも続く。


「逃がすな!」


 二人が一気に走り出した。


 弓を持ったゴブリンは、明らかに慌てている。


 こちらを振り返りながら、森の奥へ逃げていく。


「待て!」


 ニックとベンが追いかける。


 だが――


「待て!」


 グリフの鋭い声が響いた。


 二人が足を止める。


「危険だ!」


 グリフは弓を構えたまま、森の奥を睨んでいる。


「深追いするな!」


「でも、あいつは――」


「森の奥で何が待ってるか分からない!」


 グリフの言葉に、二人は渋々足を止めた。


 俺も森の奥を見る。


 さっきまでゴブリンが走っていた場所。


 そこから先は、さらに暗い。


 木々が密集し、視界がほとんど利かない。


 もしあのゴブリンが、俺たちを奥へ誘い込んでいるのだとしたら?


 もし仲間が待ち伏せしていたら?


 考えればきりがない。


「……そうだな」


 ニックが槍を下ろす。


「深追いは危険だ」


 ベンも頷いた。


「一体逃がしたくらいで、依頼が失敗するわけじゃない」


 俺たちはその場に戻った。


 今回の目的は、魔物を一匹残らず殺すことじゃない。


 生きて帰ること。


 それを忘れてはいけない。


 俺は逃げていったゴブリンの姿を思い返す。


 あいつは弓を使っていた。


 俺たちは逃げていったゴブリンを追わず、その場で警戒を続けた。


 グリフが静かに口を開く。


「ゴブリンだからって、全部が同じとは限らない」


「どういうこと?」


 アンが尋ねる。


「ゴブリンには、多少の知性がある」


 グリフは先ほど逃げていった方向を見る。


「棍棒を振り回すだけの奴もいる。でも、中には人間の武器を使う個体もいる」


 弓。


 短剣。


 盾。


 場合によっては、剣や槍を使う個体だっている。


 実際、俺たちは訓練所でそう教えられていた。


 冒険者から奪った武器を使うこともある。


 だが――


「魔法を使うゴブリンもいる」


 グリフの言葉に、俺は思わず振り返った。


「魔法まで?」


「ああ」


 すべてのゴブリンが使えるわけじゃない。


 ごく一部だ。


 それでも、存在する。


 もし魔法を使えるゴブリンが集団の中にいたら――


 話は大きく変わる。


「つまり、ゴブリンだからって油断するなってことか」


「そういうこと」


 グリフは弓を下ろさない。


「魔物にも個体差がある。強い奴もいれば、弱い奴もいる。知恵のある奴だっている」


 俺は先ほどのゴブリンを思い出した。


 弓を持っていた。


 俺たちがゴブリンを発見するより先に、グリフを狙った。


 そして、戦闘が始まると距離を取っていた。


 ただ突っ込んでくるだけの魔物ではなかった。


「……油断できないな」


 俺は盾を握り直す。


 この世界では、人間だけが武器を使うわけじゃない。


 魔物だって学習する。


 武器を奪い、使い方を覚える。


 そして、ごく一部には――


 魔法すら使う個体が存在する。


 俺たちは改めて、この森の危険さを思い知らされていた。


俺たちは警戒を続けながら、さらに森の奥へ進んだ。


 さっきの弓を持ったゴブリンのことが頭から離れない。


 それでも、立ち止まっているわけにはいかない。


 今回の依頼は、この周辺に住み着いている魔物の討伐だ。


 五人で周囲を警戒しながら、ゆっくりと歩を進める。


 すると――


 グリフが手を上げた。


「……待て」


 全員が足を止める。


「何かいる」


 俺は前方を見る。


 木々の間。


 地面近くに、何かが動いた。


「敵か?」


「ああ」


 グリフが目を細める。


「蜘蛛だ」


 茂みの奥から姿を現したのは、巨大な蜘蛛だった。


 緑色の身体。


 八本の脚。


 そして、人間の拳ほどもある大きな牙。


「グリーンスパイダー」


 アンが呟いた。


「知ってるのか?」


「うん。森にいる蜘蛛型の魔物」


 アンは慎重に距離を取る。


「牙に毒があるから、絶対に噛まれないで」


 俺は盾を構えた。


 蜘蛛の牙から滴る液体が、地面に落ちる。


 ジュッ……。


 土がわずかに変色した。


「……毒、強そうだな」


「かなり危険だよ」


 アンが答える。


 グリーンスパイダーは、こちらをじっと見つめている。


 まだ動かない。


 だが――


 いつ飛びかかってきてもおかしくない。


「俺とニック、ベンで前を抑える」


 俺が言う。


「グリフは援護を頼む」


「ああ」


「アンはいつでも毒を使えるようにしておいて」


「分かった」


 五人が戦闘態勢に入る。


 グリーンスパイダーが八本の脚を動かした。


 そして――


 一気にこちらへ向かって走り出した。


グリーンスパイダーが、突然こちらへ飛びかかってきた。


「来る!」


 俺は盾を前へ突き出す。


 ドンッ!


 盾に蜘蛛の身体がぶつかり、その勢いを利用して横へ払い退けた。


「今だ!」


 俺はすぐさま剣を突き立てようと踏み込む。


 だが――


「速い!」


 グリーンスパイダーは、地面を滑るようにして横へ逃れた。


 剣先が空を切る。


 俺は追撃しようとするが、蜘蛛はすぐに距離を取った。


 そして八本の脚を大きく広げ――


 前方の二本の脚を、ゆっくりと持ち上げる。


「……?」


 その異様な姿に、俺は一瞬動きを止めた。


「レオン! 下がって!」


 アンの叫び声が響く。


「毒を出す!」


「なに!?」


 俺は反射的に盾を構え直す。


 グリーンスパイダーの牙が大きく開いた。


 次の瞬間――


 口元から、何かが飛び出した。


「来るぞ!」


 グリフが叫ぶ。


 俺たちは一斉に身をかわした。


 地面に落ちた液体が、ジュウッ……と音を立てる。


 草が瞬く間に枯れ、地面が変色していく。


「……あれが毒か」


 俺は息を呑んだ。


 まともに浴びれば、ただでは済まない。


 グリーンスパイダーは再び身体を低くした。


 まだ終わっていない。


 俺は盾を握り直す。


 この蜘蛛――


 思っていた以上に厄介だ。


 まずい。


 俺たちは――たった一匹のグリーンスパイダーに苦戦していた。


 動きが速い。


 攻撃を仕掛けても、すぐに距離を取られる。


 毒を警戒しなければならないせいで、こちらから大胆に踏み込むこともできない。


「くそっ……!」


 俺が盾を構え直した、その時だった。


 グリフが突然、上を見た。


「……レオン」


「どうした?」


「上だ」


 俺も顔を上げる。


 太い木の枝。


 その暗がりの中に――


 何かがいる。


「……嘘だろ」


 八本の脚。


 緑色の身体。


 大きな牙。


 一匹。


 二匹。


 三匹……。


 木の上から、次々とグリーンスパイダーが姿を現した。


 そして――


 ボトッ。


 ボトッ。


 ボトッ。


 俺たちの周囲へ、次々と降りてくる。


「まだいるぞ!」


 ニックが叫ぶ。


「囲まれる!」


 ベンも槍を構える。


 最初に戦っていた一匹だけではなかった。


 この森の奥。


 ここは――


 グリーンスパイダーの巣だった。


 アンが顔を青ざめさせる。


「……数、多すぎるよ」


 俺は盾を構えた。


 背中には仲間。


 前には蜘蛛。


 そして木の上にも、まだ何匹いるか分からない。


「全員、固まれ!」


 俺が叫ぶ。


 グリフが弓を構え、ニックとベンが槍を前に出す。


 俺は盾を構えながら、必死に考える。


 ――どうする?


 一匹なら戦える。


 だが、この数は違う。


 まともに戦えば――


 誰かが死ぬ。


 その時、森の奥からさらに何かが動く音が聞こえた。


 俺は思わず息を呑んだ。


 まだ――


 何かいる。


 どうやら俺たちは、気づかないうちに蜘蛛の巣に入り込んでいたようだ。


 辺りを見回す。


 木々の間。


 枝と枝の隙間。


 地面近く。


 よく見れば、細い糸が至るところに張り巡らされている。


「……巣だ」


 グリフが呟いた。


 俺たちは警戒していた。


 油断もしていなかった。


 グリフは常に周囲を見ていた。


 俺も盾を構え、ニックとベンも槍を手にしていた。


 アンだって、魔物の知識を使って警戒していた。


 それでも――


 気づけなかった。


「いつから……」


 ベンが呟く。


「分からない」


 グリフが答える。


 蜘蛛の糸は木々や草に紛れ、薄暗い森の中ではほとんど見えない。


 しかも俺たちは、目の前の一匹に集中していた。


 その間に――


 俺たちは、巣の中心まで入り込んでいた。


「……まずい」


 アンが小さく呟く。


 木の上から、また一匹が降りてくる。


 そのさらに奥にも、蜘蛛の影。


 数え切れない。


 俺は盾を握る手に力を込めた。


 これは油断した結果じゃない。


 警戒していた。


 慎重に進んでいた。


 それでも――


 知らない場所では、知らない危険が襲ってくる。


 冒険者になってまだ数週間。


 俺たちは少しずつ戦えるようになった。


 魔物も倒せるようになった。


 自分たちは強くなったと思っていた。


 だが、この森はそんな俺たちの自信を――


 簡単に打ち砕こうとしていた。


だが――


 運は、まだ俺たちを見捨ててはいなかった。


 突然だった。


 俺たちの足元にいたグリーンスパイダーが、ぴたりと動きを止めた。


 ――パキッ。


 小さな音が聞こえる。


 蜘蛛の脚が、白く染まっていく。


 足元から徐々に凍りついている。


「……え?」


 次々と氷が広がっていく。


 グリーンスパイダーの身体。


 脚。


 そして地面まで。


 あっという間に、何匹もの蜘蛛が氷に包まれていった。


「みんな、大丈夫!?」


 聞き覚えのある声が、森の奥から響いた。


「この声……」


 俺は思わず顔を上げた。


 木々の隙間から、数人の冒険者がこちらへ近づいてくる。


 その先頭にいたのは――


「ユナ……?」


 間違いない。


 訓練所で一緒だった、あの女魔法使い。


 氷の魔法を得意としていたユナだった。


「レオン!」


 ユナも俺たちに気づいたようだ。


 その隣には、見覚えのない女冒険者が立っている。


「へえ、なかなかいい男ね」


 落ち着いた声。


 ユナが信頼しているパーティーのリーダー――アイーダ。


 その後ろにも、数人の冒険者がいる。


 全員、俺たちより明らかに場慣れしていた。


「ユナ……今、すごい魔法を……」


 アンが驚いている。


「うん。ここは私たちが引き受ける!」


 ユナが杖を構える。


 再び冷気が森を走った。


 残っていたグリーンスパイダーが次々と凍りついていく。


「グリーンスパイダーの討伐依頼を受けて、この森に来ていたの」


 アイーダが俺たちに説明する。


「でも、あなたたちがここにいるとは思わなかったわ」


 俺は周囲を見回した。


 改めて見ると、さっきまでいた森とは明らかに違う。


 木々はさらに太く、暗い。


 蜘蛛の巣も異常なほど多い。


「……俺たち、いつの間にこんなところまで……」


 グリフが呟く。


 どうやら俺たちは、気づかないうちに――


 森のさらに奥へ入り込んでいたらしい。


 普段探索している場所など、とっくに通り過ぎていた。


 俺たちが「いつもの森」だと思っていた場所の先には、こんなにも危険な場所が広がっていた。


「危なかったね」


 ユナが俺たちを見る。


 その表情には、以前の訓練所で見た少女らしさが残っている。


 けれど――


 今のユナは、俺たちが知っているユナとは少し違って見えた。


 熟練冒険者たちと肩を並べ、魔物と戦っている。


 数週間前まで同じ訓練を受けていた仲間。


 今ではもう――


 俺たちとは別の場所を歩いている。


 危機を脱した。


 そう実感した瞬間、全身から力が抜けた。


 俺はその場に座り込み、盾を地面に置く。


「……疲れた」


 グリフも木に背を預け、大きく息を吐いている。


 ニックとベンも槍を地面に立てたまま、肩で息をしていた。


 アンに至っては、その場にしゃがみ込んでいる。


 さっきまで死ぬかもしれないと思っていた。


 あれだけの数のグリーンスパイダーに囲まれれば、五人だけではどうなっていたか分からない。


「みんな、怪我はない?」


 ユナが俺たちを見回す。


「ああ……なんとか」


 俺が答える。


 その時、アイーダが口を開いた。


「それならさ、一緒に野営ってのはどうだい?」


「え?」


「ここまで来たんだ。もう日も傾いてる。今から森を戻るのは危険だろ」


 俺は空を見上げた。


 木々に覆われているせいで分かりにくいが、確かに周囲は少しずつ暗くなっている。


「それに、あんたたちはさっきの戦いでかなり消耗してる」


 アイーダは俺たちを見ながら続けた。


「無理して戻るより、今日はここで休んだほうがいい」


「……ありがたい」


 グリフが答えた。


 俺も頷く。


「ぜひ、お願いしたい」


 アイーダは笑った。


「決まりだね」


 ユナも嬉しそうに頷く。


「久しぶりにみんなでご飯食べられるね」


 その言葉に、俺は少し笑った。


 訓練所を卒業してから、ユナとは会っていなかった。


 まさかこんな危険な森の奥で再会するとは思わなかった。


 でも――


 今はそれがありがたい。


 俺たちはアイーダたちと共に、野営の準備を始めた。


 薪を集める者。


 周囲を警戒する者。


 食事の準備をする者。


 自然と、それぞれが動き始める。


 さっきまでの緊張が少しずつ解けていく。


 俺は焚き火を見つめながら思った。


 今日は、本当に危なかった。


 そして――


 ユナと再会できたことが、今は何より嬉しかった。


アイーダたちは、女性だけで結成された五人組のパーティーだった。


 リーダーはアイーダ。


 そしてユナを含め、魔法使いが二人。


 斥候が一人。


 戦士が一人。


 そして大盾を扱うアイーダ。


 五人それぞれに役割があり、バランスの取れたパーティーらしい。


 アイーダは大きな盾を背負っている。


 俺が使っている盾とは比べ物にならない。


 あれを片手で扱うのだから、相当な腕力が必要だろう。


 性格も――とにかく真っ直ぐ。


 男勝りという言葉がよく似合う。


 話し方も豪快で、細かいことはあまり気にしない。


「どうだい? 私と一緒にやってみるか?」


 何かを提案するときは、決まってそう言う。


 ユナが苦笑する。


「アイーダは何でも『どうだい?』って言うんだよ」


「いいじゃないか。分かりやすいだろ?」


「そうだけど……」


 アイーダは豪快に笑った。


 俺はそんな二人を見ながら、訓練所にいた頃のユナを思い出していた。


 あの頃のユナは、魔法の才能こそあったものの、まだ新人冒険者だった。


 それが今では、熟練者たちと一緒に森の奥まで入り、あれほど強力な氷魔法を使っている。


「すごいな……ユナ」


 俺が呟く。


「え?」


「いや。随分強くなったなと思って」


 ユナは少し照れたように笑った。


「私だけじゃないよ。みんなに鍛えてもらったから」


 アイーダが胸を張る。


「もちろん私の指導もあるけどね。どうだい?」


「はいはい」


 ユナが笑う。


 俺たちは久しぶりに顔を合わせた。


 数週間前までは、同じ訓練所で汗を流していた。


 それぞれ別の道へ進んだ俺たちが、こんな森の奥で再び集まっている。


 焚き火の明かりが、俺たちの顔を照らしていた。


 その夜は――


 久しぶりに、訓練所時代の話で盛り上がった。

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