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冒険の書  作者: siva5880


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2/61

これが現実である

 訓練所で一緒に過ごした俺たち新人八人も、これからは正式な冒険者だ。


 ただし――


 全員が同じ道を歩むわけではなかった。


 そのまま訓練生同士でパーティーを組んで登録する者もいる。


 知り合いの冒険者を頼る者もいる。


 そして、卒業する前から熟練冒険者に声をかけられ、そのパーティーへ入る者もいた。


 ユナも、その一人だった。


「私、今日から別のパーティーに入ることになったの」


 ユナが少し申し訳なさそうに言った。


「そっか……」


 俺はそう答えた。


 驚きはなかった。


 訓練中から、ユナの氷魔法は新人の中でも明らかに抜きん出ていた。


 魔法を使える。


 しかも氷属性を得意としている。


 熟練冒険者が放っておく理由なんてない。


「レオンたちも頑張ってね」


「ああ。ユナもな」


 俺たちは握手を交わした。


 そして、ライールも――


「俺も誘われた!」


 いつもの大声でそう言った。


「熟練パーティーに?」


「ああ! 今日、この街を出るんだ!」


 あまりにも早い。


 だが、ライールなら納得できた。


 あの怪力。


 訓練教官すら投げ飛ばした身体能力。


 実戦でゴブリンを一撃で仕留めた斧。


 欲しがるパーティーがいて当然だ。


「じゃあ、ライールともここでお別れか」


「またどこかで会うさ!」


 ライールは豪快に笑った。


「その時には、もっと強くなってるからな!」


 そう言って、ライールは大きな荷物を背負って街の外へ向かっていった。


 俺はその背中を見送った。


 ユナも。


 ライールも。


 訓練所では同じ新人だった。


 同じ訓練を受けて、同じ魔物と戦った。


 それなのに――


 卒業した瞬間、それぞれの道が分かれていく。


 これが冒険者というものなのだろう。


 才能がある者は、より強いパーティーへ。


 実力がある者は、より危険な場所へ。


 そして、そうでない者は――


「……俺たちはどうする?」


 グリフが隣で呟いた。


 俺はギルドの掲示板を見上げた。


 そこには、新人冒険者向けの依頼がいくつも貼られている。


 報酬は、どれも決して高くない。


 それでも俺たちは、そこから選ぶしかない。


 ユナやライールのように、俺たちには声をかけてくれる熟練パーティーはいなかった。


 だから、自分たちでやるしかない。


 レオン。


 グリフ。


 そして――


 アンジェラ。


 俺たちは新人冒険者三人で、パーティーを組むことになった。


 ここから先は、誰も俺たちを守ってくれない。


 訓練所の教官もいない。


 安全な訓練場もない。


 失敗すれば、命を失う。


 それでも――


 俺たちは冒険者として歩き始める。


これが現実である。



 アンジェラ。


 みんなからは「アン」と呼ばれている。


 彼女の職業は、調合師だ。


 別の国では、錬金術師やアイテム師などと呼ばれることもあるらしい。


 調合師は、冒険者の中でも珍しい職業だ。


 剣や斧を振り回して戦うわけではない。


 魔法使いのように強力な魔法を使うわけでもない。


 アン自身も、戦闘は得意としていない。


 その代わり――


 毒草や薬草、そして魔物から採取した素材。


 それらを組み合わせ、様々な薬や道具を作り出す。


 毒を作ることもある。


 敵の動きを鈍らせるものや、戦いを有利にするものを作ることもある。


 直接戦う力がなくても、調合したアイテムを使って戦う。


 それが、アンの戦い方だ。


 訓練所では、魔物の解体や素材の扱いについても学んでいた。


 その時にアンを指導していたのが、マールさんだ。


 もっとも――


 マールさん自身は調合師ではない。


 普段は冒険者ギルドで、魔物の解体を仕事にしている。


 魔物の身体から素材を傷つけずに取り出す技術。


 どの部分が素材として価値があるのか。


 どのように保存すればいいのか。


 そういった知識を持つ、いわば魔物素材の専門家だ。


 アンにとって、マールさんから学んだことは調合師として生きていく上でも大きな財産になるだろう。


 戦う者だけが冒険者ではない。


 剣を振るう者。


 弓を使う者。


 魔法を使う者。


 そして――


 魔物の素材を利用し、戦うための道具を作る者。


 アンは、そんな珍しい冒険者だった。


 俺たちの、初めてのギルド依頼。


 それは――薬草の収集だった。


 正直に言えば、地味だ。


 魔物を倒すわけでもない。


 危険なダンジョンへ潜るわけでもない。


 森や草原を歩き回って、指定された薬草を集めてくる。


 それだけだ。


 だが、俺たちはまだFランク冒険者。


 受けられる依頼にも制限がある。


 当然、高額な依頼なんて受けられない。


 薬草を集めて得られる報酬は――銅貨数枚。


「……これだけ?」


 グリフが依頼書を見ながら呟く。


「ああ」


 俺もため息をついた。


 銅貨数枚。


 食事をすれば、それだけでほとんど消えてしまう。


 冒険者として登録したばかりの俺たちには、装備を整える金も必要だ。


 宿代だって必要になる。


 これでは、とても生活なんてできない。


 だが――


「一つ、方法がある」


 アンが依頼書を何枚か持ってきた。


「薬草採取の依頼だけじゃなくて、こっちも受ければいいんじゃない?」


「……別の依頼?」


「うん」


 俺は依頼書を覗き込む。


 薬草採取。


 指定された木の実の収集。


 簡単な素材の採取。


 どれも報酬は安い。


 だが――


「掛け持ちか」


 グリフが気づいた。


 そう。


 一つ一つの報酬が安いなら、数をこなせばいい。


 Fランク冒険者でも受けられる低ランクの依頼を複数引き受ける。


 同じ場所で達成できる依頼なら、まとめてこなすこともできる。


 薬草を探しながら木の実を集める。


 その途中で別の依頼の素材を見つければ、それも回収する。


 一つの依頼で銅貨数枚。


 それなら、三つ、四つと掛け持ちすれば――


「少しはマシになるな」


 俺は依頼書をまとめて手に取った。


 これが新人冒険者の稼ぎ方。


 高額な依頼を受けられないなら、安い依頼を積み重ねる。


 地道で、効率がいいとは言えない。


 それでも――


 俺たちには、これしかない。


「よし」


 俺は剣と盾を確認する。


「初仕事だ」


 グリフが弓を背負う。


 アンも調合道具の入った袋を確認した。


 俺たち三人の新人冒険者は、ギルドを出た。


 銅貨数枚を稼ぐために。


 ――これが、俺たちの冒険者としての最初の仕事だった。


依頼を受けた俺たちは、出発前にギルドの受付へ向かった。


「行き先と、おおよその予定を教えてください」


 受付嬢に、今回の依頼内容と目的地を伝える。


 どの道を通るのか。


 どの辺りで採取するのか。


 そして、何日ほどで戻る予定なのか。


 簡単な予定ではあるが、ギルドには必ず報告しておく。


 冒険者がどこへ向かったのか分からなくなれば、万が一の時に捜索することもできない。


「予定では二日後の夕方までには戻ります」


「分かりました。お気をつけて」


 受付嬢に見送られ、俺たちは街を出た。


 いよいよ――冒険の始まりだ。


 先頭を歩くのはグリフ。


 斥候であるグリフは、俺たちより少し先を進みながら周囲を警戒している。


 その後ろを歩くアンは、道端の草や木々を注意深く観察していた。


「あ、これ……薬草だ」


 しゃがみ込んでは何かを採取する。


 依頼品だけじゃない。


 調合師であるアンにとって、野外に生えている植物は貴重な材料なのだろう。


 そして最後尾を歩くのが俺。


 後ろから魔物や人間が近づいてこないか警戒する。


 訓練所で何度も教えられた。


 パーティーでは、それぞれが役割を持つ。


 全員が前だけを見ていたら、後ろから襲われる。


 全員が同じ場所を見ていたら、別の場所が死角になる。


 だから俺たちは、互いに違う場所を警戒する。


 しばらく歩くと、森が見えてきた。


 グリフが足を止める。


「ここから先、気をつけろ」


 俺も周囲を見渡した。


 森の入口。


 ここまでは、街道沿いと大して変わらない。


 だが――


 森の奥へ進むにつれて、空気が変わっていく。


「この先から魔物の出現が増える」


 訓練所で教えられた場所だ。


 俺は剣の柄に手を添え、盾を構えやすい位置へ調整した。


 グリフも弓を手に取る。


 アンは採取した薬草を袋へしまい、調合道具を確認した。


 俺たちは、森の奥へ進んでいく。


 ここから先は――


 ただの採取では終わらないかもしれない。


 俺たち三人にとって、初めての本当の冒険が始まった。


今回、俺たちが受けたギルド依頼は採取だ。


 森へ入り、指定された採取ポイントを回る。


 そこで依頼に必要な薬草や木の実を集め、街へ持ち帰る。


 それだけの、簡単な依頼。


 少なくとも、依頼書にはそう書いてあった。


 だが――現実は甘くない。


 森へ入ってしばらくすると、先頭を進んでいたグリフが突然足を止めた。


 片手を上げる。


 俺とアンも、すぐに動きを止めた。


 グリフが振り返り、小声で告げる。


「……ウルフだ」


「何匹?」


「少なくとも三匹。もう少しいるかもしれない」


 俺は剣の柄に手を添えた。


 グリフは木の陰から、慎重に前方を覗いている。


 俺も視線を向ける。


 木々の向こう。


 そこに、数匹のウルフがいた。


 こちらと同じように、向こうも動きを止めている。


 鼻を動かし、周囲を警戒している。


「気づかれた?」


 アンが小声で尋ねる。


「たぶんな」


 グリフが答えた。


 人間の匂い。


 足音。


 あるいは、こちらの気配。


 ウルフは俺たちの存在を感じ取っている。


 このまま進めば、いずれ戦闘になるだろう。


 俺は訓練所で教えられたことを思い出した。


 ――敵に気づかれたなら、先手を取れ。


 グリフが俺を見る。


 俺も頷いた。


「……奇襲する」


 グリフが弓を構える。


 俺は盾を構え、剣を抜いた。


 アンも素早く袋から何かを取り出す。


 俺たちは採取に来た。


 魔物を倒しに来たわけじゃない。


 それでも――


 魔物のほうが、俺たちの予定に合わせてくれるわけではない。


 ウルフがこちらに気づく前に。


 こちらが狙われる前に。


 先に仕掛ける。


「グリフ」


「分かってる」


 弓が引き絞られる。


 森の中に、張り詰めた空気が流れる。


 俺は盾を構えた。


 そして――


 グリフの矢が放たれた。


放たれた矢は、一直線に飛んでいった。


 次の瞬間――


 ドスッ!


 ウルフの頭部に矢が突き刺さった。


「ギャウッ!」


 一匹のウルフがその場に崩れ落ちる。


 残ったウルフたちは、完全にこちらの存在に気づいた。


「来るぞ!」


 グリフの声。


 数匹のウルフが一斉にこちらへ走り出した。


 地面を蹴り、牙を剥き出しにして迫ってくる。


 俺は盾を構えた。


 ――焦るな。


 訓練所で何度も言われたことだ。


 ウルフが飛びかかってくる。


「ッ!」


 ガンッ!


 盾に衝撃が走った。


 ウルフの牙が盾に食い込む。


 俺はその勢いを利用して身体を捻り、ウルフを横へ弾き飛ばした。


 そして――


 剣を突き出す。


 ズッ!


 ウルフの身体に剣が突き刺さった。


 そのまま崩れ落ちる。


「……」


 俺は深く息を吐いた。


 恐怖はある。


 だが、もう最初の実戦の時ほど身体が硬くならない。


 俺もグリフも、冷静だった。


 グリフはすでに次の獲物へ狙いを定めている。


 残ったウルフが一匹、グリフへ飛びかかった。


 グリフは身体を横へ滑らせるようにかわし、腰から短剣を抜いた。


「そこだ!」


 短剣がウルフの腹部を切り裂く。


 致命傷ではない。


 ウルフはそのまま走り去ろうとする。


 だが――


 数歩進んだところで、突然足が止まった。


「……?」


 ウルフの身体がふらつく。


 そして、その場に倒れた。


 俺はグリフを見る。


「今の……」


「短剣だ」


 グリフが短剣を見せる。


 刃には、薄く何かが塗られていた。


「アンが作った毒だ」


「毒……?」


 俺はアンを見る。


 アンは少し得意そうに笑った。


「少量だけど、動きを鈍らせる毒。致命傷を与えなくても、戦えなくすることができるの」


 なるほど。


 アンは直接戦うのが得意じゃない。


 だが――


 自分が作ったものを仲間に使ってもらうことで、戦いに貢献できる。


 剣。


 盾。


 弓。


 短剣。


 そして――調合した毒。


 俺たちはまだ新人だ。


 それでも、訓練所で学んだことが少しずつ形になってきている。


 俺は倒れたウルフを見た。


 今回の依頼は、薬草と木の実の採取。


 ただそれだけだった。


 それなのに、俺たちはすでに魔物を三体倒している。


 冒険者として生きるということは――


 依頼書に書かれている内容だけでは、決して終わらない。


 これが現実だ。


戦いが終わった。


 ここからは――アンの得意分野だ。


 魔物の解体。


 アンにとっては、ここからが本領発揮というわけだ。


「レオン、グリフ。周囲をお願い」


「ああ」


「任せろ」


 俺とグリフは少し離れ、周囲を警戒する。


 森の中では、魔物を倒したからといって安心できない。


 むしろ――ここからが危険な場合もある。


 アンは倒れたウルフの前にしゃがみ込むと、手際よく解体を始めた。


 毛皮。


 牙。


 爪。


 そして――肉。


「ウルフの肉って食べられるのか?」


 俺が尋ねる。


「食べられるよ。ちゃんと処理すればね」


「じゃあ、食料にもなるのか」


「もちろん。捨てる理由なんてないでしょ」


 アンは当然のように答えた。


 冒険者にとって、魔物はただの敵ではない。


 倒した魔物から取れるものは、できる限り無駄にしない。


 毛皮は防具や衣類の材料になる。


 牙や爪も素材になる。


 肉は食料になる。


 そして――骨まで採取対象だ。


「骨も持っていくのか?」


「使い道はあるよ。調合素材になることもあるし、加工できる人に売ることもできる」


「徹底してるな……」


 俺は感心しながらも、周囲から目を離さない。


 その時、グリフが鼻をつまんだ。


「……血の匂い、かなりするな」


 解体したウルフから流れた血が、地面に広がっている。


 魔物の血。


 それは別の魔物を呼び寄せてしまう可能性がある。


「川でも近くにあればいいんだけどな」


 俺が周囲を見渡す。


 近くに川はない。


 湖もない。


 魔法で水を出せる人間がいれば話は別だが――俺たちにはいない。


「じゃあ、どうする?」


 グリフが尋ねる。


 アンは少し考えてから、地面の土を手に取った。


「これしかないね」


 そして、血がついた場所へ土をかぶせる。


 俺も真似をする。


 手で土を掴み、血の跡を覆っていく。


「……これで大丈夫なのか?」


「完全には消えないよ。でも、何もしないよりはいい」


 作業を終えたアンが立ち上がる。


 俺は自分の手を見る。


 血と土で汚れている。


「……汚れたな」


「冒険者なんだから、それくらい我慢して」


 アンが笑った。


 俺も苦笑する。


 これが現実だ。


 魔法があれば便利だろう。


 川が近ければ水で洗い流せる。


 でも、いつでも都合よく水があるわけじゃない。


 いつでも魔法使いがいるわけでもない。


 だから土で血の匂いを少しでも隠す。


 手が汚れるくらいなら、まだいい。


 問題なのは――


 この血の匂いを嗅ぎつけて、別の魔物がやって来ないことだ。


 俺は剣を握り直した。


 採取のために森へ来た。


 けれど、冒険者として森に入った以上――


 最後まで油断することはできない。


解体と採取を終える頃には、森の中も少しずつ暗くなり始めていた。


「そろそろ野営の準備をしよう」


 グリフの言葉に、俺たちは動き始める。


 夜の森を歩くのは危険だ。


 視界が悪くなるだけじゃない。


 夜行性の魔物が動き始める。


 だから、暗くなる前に安全な場所を確保しておく。


 グリフが周囲を確認している間に、俺は薪を集めた。


 アンは荷物から簡単な調理道具を取り出す。


 火を起こし、簡単な食事を準備する。


 そして、交代で見張りをしながら眠る。


 それが今日の予定だった。


「今日の夕食は……」


 俺は荷物からパンを取り出す。


 硬いパン。


 そして、豆の入った薄いスープ。


 訓練所で食べたものと大して変わらない。


「まあ、仕方ないか」


 そう思っていた。


 するとアンが、別の袋を取り出した。


「これもあるよ」


「それは?」


「さっきのウルフ」


 そう言って、解体した肉を見せる。


「食べるって言ったでしょ?」


 アンは肉を切り分け、火にかけた。


 ジュウッ――。


 焚き火の上で肉が焼ける。


 香ばしい匂いが辺りに広がった。


「……うまそう」


 グリフが呟く。


 しばらくすると、焼き上がった肉が俺たちの前に並べられた。


「いただきます」


 俺は一口食べる。


「……!」


 思わず言葉が止まった。


 うまい。


 驚くほど、うまい。


「これ……ウルフの肉だよな?」


「そうだよ」


 アンが笑う。


「ちゃんと下処理して、臭みを取ってあるから」


 グリフも一口食べる。


「……これ、店で出してもいいんじゃないか?」


「大げさだなぁ」


 アンは笑いながら自分も肉を口に運ぶ。


 硬いパン。


 薄い豆スープ。


 それだけだったはずの夕食が、ウルフの肉が加わっただけで、まるで別の食事になった。


 俺は焚き火を眺めながら思った。


 今日、俺たちは魔物と戦った。


 そして、その魔物の肉を今こうして食べている。


 不思議な感覚だった。


 でも――これも冒険者の生活なのだろう。


 自分たちで狩り。


 自分たちで解体。


 自分たちで調理する。


 そして、食べて生きる。


「アン」


「なに?」


「……ありがとう。美味いよ」


「ふふっ。どういたしまして」


 森の中に、焚き火の音だけが響いていた。


 明日はまた採取を続ける。


 そして、街へ戻る。


 今夜は交代で見張りをしながら眠る。


 俺は火の向こう側にいる仲間たちを見つめた。


 まだ俺たちは新人だ。


 けれど少しずつ――


 冒険者らしい生活を始めている。


何事もなく、夜が明けた。


 魔物に襲われることもなかった。


 それだけでも、運が良かったのだろう。


「……身体が痛い」


 俺はゆっくりと起き上がった。


 硬い地面。


 簡素な寝床。


 毛布一枚程度では、疲れを完全に取ることなんてできない。


 ベッドで眠るのとは大違いだ。


 寝たはずなのに、身体が重い。


「冒険者って、毎日こんな生活なのか?」


 俺が呟くと、グリフが苦笑した。


「もっと酷い場所で寝ることもあるぞ」


「……聞かなきゃよかった」


 アンも眠そうに目をこすっている。


 それでも荷物をまとめ、朝食を済ませる。


 今日も依頼を続ける。


 指定された薬草や木の実を採取しながら、周囲の探索も行う。


 森の中を歩き、地形を確認する。


 魔物の痕跡を探す。


 そして――


「止まれ」


 グリフがまた足を止めた。


 俺たちは警戒する。


 だが、今度現れたのはウルフではなかった。


「……スライム」


 地面をゆっくりと這う、半透明の魔物。


 森では珍しくない魔物だ。


 けれど、油断はできない。


「スライムなら簡単じゃない?」


 アンが言う。


「魔法が使える人ならね」


 俺はスライムを見つめる。


 スライムは一見すると、何の危険もなさそうに見える。


 だが――


「打撃や斬撃は効きにくい」


 グリフが説明する。


 身体そのものが液体に近いからだ。


 剣で斬っても、身体が分かれるだけ。


 殴っても、衝撃が分散する。


「じゃあ、どうやって倒す?」


「中心だ」


 スライムの内部。


 半透明な身体の中心に、小さな核――コアが見える。


「あれを壊せば倒せる」


 なるほど。


 弱点は分かりやすい。


 だが――


「問題は、その身体だ」


 アンが続ける。


「周りの液体、触らないほうがいいよ」


「酸なのか?」


「少し強めの酸。装備も傷むし、直接触れば火傷する」


 俺は剣を握ったまま、一歩後ろへ下がった。


 斬ればいい。


 ただし、直接触れるのは危険。


 コアを狙わなければならない。


 ウルフとはまるで違う。


 同じ魔物でも、戦い方は全く違う。


 俺は盾を構え直した。


「……さて」


 グリフが弓を構える。


 アンも調合道具へ手を伸ばした。


 俺たちの二日目の冒険は――


 スライムとの戦いから始まろうとしていた。


スライムを前にして、俺は剣を構えた。


 コアを狙えば倒せる。


 それは分かっている。


 だが、問題はどうやってあのコアを攻撃するかだ。


 下手に斬りつければ、酸で剣が傷む。


 俺が考えていると――


「ふふっ」


 アンが突然笑った。


「?」


「スライムなら、私の得意分野だよ」


 そう言ってアンは、自分の鞄を開いた。


「私が唯一、得意と言える魔物だから」


 鞄の中から取り出したのは、小さな何かを包んだ紙だった。


「それ、何だ?」


「まあ、見てて」


 アンは紙包みを手にすると、スライムへ向かって投げつけた。


 紙包みは放物線を描き――


 ベチャッ!


 スライムの身体に命中した。


 その瞬間だった。


 紙が、ジュッ……と音を立てて溶け始める。


 中から――


 灰色の粉がこぼれ落ちた。


「何だ……?」


 粉がスライムの身体に付着する。


 すると――


 シュウウウウッ……!


 スライムの身体から白い煙が上がった。


「え?」


 俺は思わず声を漏らした。


 スライムの身体が、みるみるうちに崩れていく。


 透明な液体が地面へ流れ出し、その中にあったコアも徐々に形を失っていく。


 ほんの数秒前まで、そこにいたスライムが――


 見る見るうちに溶けていく。


 やがてコアも完全に崩れ落ちた。


 動かない。


「……倒したのか?」


「うん」


 アンは何でもないことのように答えた。


「スライムには、これが一番効くから」


 俺は地面に残ったスライムの跡を見る。


 剣も使っていない。


 矢も使っていない。


 ましてや魔法でもない。


 アンが作った、正体不明の灰色の粉。


 それだけでスライムを倒してしまった。


「……アン」


「なに?」


「お前、本当に戦闘が苦手なのか?」


 アンは少し考えてから答えた。


「普通の魔物ならね」


 そう言って、アンは紙包みの残りを鞄へ戻した。


「でも、調合師だから」


 なるほど。


 力で敵を倒すのではない。


 相手の性質を知り、それに合わせたものを作る。


 それこそがアンの戦い方なのだ。


 俺は改めてアンを見た。


 普段は戦闘が得意ではない。


 だけど――


 魔物によっては、俺たちよりずっと頼りになる。


倒したスライムの身体は、地面に広がったまま動かなくなっていた。


 アンはそれを確認すると、いつものように素材の回収を始める。


「スライムから取れる素材って、何があるんだ?」


 俺が尋ねると、アンはスライムの中心に残っていたものを拾い上げた。


「基本的にはこれ」


 手のひらに乗っていたのは、砕けたコアの欠片だった。


 スライムを倒すと、コアはそのまま残ることもあるが、今回のように割れてしまうこともある。


「コアの欠片は調合に使えるから、捨てないよ」


「なるほど」


 アンは小さな袋にコアの欠片を入れる。


 スライムは身体のほとんどが液体だ。


 だから、ウルフのように毛皮や肉、牙などを大量に回収できるわけではない。


 採取できる素材は、どうしても少なくなる。


 ただし――


「それだけじゃないよ」


 アンが地面に目を向けた。


 スライムの身体が溶けて消えた跡。


 そこには、いくつかの小さな物が残っていた。


「魔石……?」


 小さな石のようなものだった。


「うん。スライムの酸でも溶けなかったものだね」


 魔石だけではない。


 小さな牙や爪のようなものまで混ざっている。


「どうしてこんなものが?」


「スライムが何かを取り込んでいたんじゃないかな」


 アンが拾い上げる。


 スライムは何でも溶かしてしまうように見える。


 けれど、すべてのものが酸で溶けるわけではない。


 魔石や、特殊な素材。


 時には魔物の牙や爪などが、そのままスライムの身体に残っていることがあるらしい。


「つまり……スライムを倒すと、何が出てくるか分からないってことか」


「そういうこと」


 アンは素材を一つずつ確認しながら袋へ入れていく。


 ウルフほど大量の素材は取れない。


 けれど、運が良ければ思わぬ素材が手に入る。


 冒険者にとっては、それもスライムを狩る理由の一つなのだろう。


 俺は周囲を見渡した。


 俺たちは採取依頼を受けて森へ来た。


 薬草や木の実を集めるだけのはずだった。


 それなのに、ウルフと戦い、スライムまで倒した。


 そして今、倒した魔物から素材を回収している。


 冒険者という仕事は、本当に何が起こるか分からない。


 俺は剣を鞘に戻した。


「よし。採取を続けよう」


 グリフが先へ進む。


 アンも素材の入った袋を大切そうにしまった。


 俺たちは再び森の奥へと歩き始めた。


こうして――


 俺たちの初めての冒険は、無事に終わった。


 森での採取を終え、街へ戻る。


 依頼されていた木の実。


 薬草。


 そして、特殊な花。


 すべて指定された数を集めることができた。


 それだけではない。


 途中で遭遇したウルフやスライムからも、いくつかの素材を手に入れた。


 冒険者ギルドへ戻った俺たちは、受付で依頼達成の報告をする。


「お疲れ様でした。依頼品はこちらで確認しますね」


 採取した薬草や木の実を提出する。


 特殊な花も確認してもらう。


 問題はないようだ。


 そして、不要な魔物の素材は買い取ってもらう。


 ウルフの毛皮や牙。


 スライムのコアの欠片。


 その他、俺たちにとって使い道のない素材。


 すべて売却する。


 そして――


「今回のお支払いは、こちらになります」


 受付嬢から渡されたのは、何枚もの銅貨だった。


「……結構あるな」


 グリフが目を丸くする。


 俺も数えてみる。


 銅貨68枚。


 初めての冒険。


 俺たちが自分たちの力で稼いだ金だ。


 だが――


 もちろん、全部がそのまま俺たちの懐に入るわけではない。


 訓練所の費用。


 卒業したとはいえ、まだ支払いは残っている。


 ギルドから受け取った金から、訓練所の借金が天引きされる。


 それでも――


 最終的に残ったのが、銅貨68枚だった。


「三人で割ると……」


 俺たちは相談した。


 銅貨20枚ずつ。


 そして残った8枚は――


「パーティーの予備費にしよう」


 グリフが提案した。


「賛成」


 アンも頷く。


 食料が必要になるかもしれない。


 薬が必要になるかもしれない。


 装備が壊れるかもしれない。


 冒険には予想外の出費がつきものだ。


 だから、少しでも金を残しておく。


 俺たち三人は、銅貨8枚をパーティーの資金として保管することにした。


 そして俺の手元には――


 銅貨20枚。


 初めて自分たちだけで稼いだ金。


 決して多くはない。


 でも、訓練所を卒業して初めて手に入れた報酬だ。


 俺は銅貨を握りしめた。


 たった20枚。


 それでも――


 俺たちは、自分たちの力で生きている。


 それが、少しだけ嬉しかった。


初めての依頼を終えた俺たちは、ギルドに併設された共有の水浴び場へ向かった。


 森の中を歩き回り、魔物と戦い、解体までした。


 身体には汗と土、それに魔物の血まで付いている。


「……さっぱりした」


 水で身体の汚れを落とすだけでも、随分と気分が違う。


 冒険者にとって、水浴びができる場所があるというだけでもありがたい。


 着替えを済ませた俺たちは、そのままギルドの酒場へ向かった。


「今日は食おう」


 グリフが言った。


「ああ」


 俺も財布から銅貨を取り出す。


 銅貨4枚。


 今日の食事代だ。


 普段なら、もっと節約する。


 硬いパンを買って、安いスープで済ませる。


 冒険者になったばかりの俺たちに、贅沢をする余裕なんてない。


 だが――


 今日は初めての依頼を終えた。


 魔物とも戦った。


 無事に帰ってきた。


 そして、自分たちで金を稼いだ。


「今日くらい、いいよな?」


 アンが笑う。


「もちろん」


 料理が運ばれてくる。


 温かい料理。


 焼いた肉。


 野菜の入ったスープ。


 そして、焼きたてのパン。


「いただきます!」


 三人で一斉に食べ始めた。


 うまい。


 森で食べたウルフの肉も美味かった。


 だが、やっぱり誰かが作ってくれた温かい料理は格別だ。


「うまいな……」


 俺は夢中で食べる。


 銅貨4枚。


 俺にとっては決して安い金じゃない。


 でも今日は――


 腹一杯、食う。


 明日からまた節約すればいい。


 今日は今日だ。


 俺たちは新人冒険者。


 まだまだ金はない。


 強くもない。


 それでも――


 こうして仲間と笑いながら飯を食える。


 それだけで、今日の冒険は十分だった。


俺たちが食事を続けていると、後ろから聞き覚えのある声がした。


「お前たち、ここにいたのか」


 振り返る。


「レインさん!」


 そこに立っていたのは、訓練所で俺たちを指導してくれたレインさんだった。


 その隣には――


「お、ちゃんと帰ってきたな」


 斥候の教官だったジェイさんもいる。


「初めての依頼だったんだろ?」


「はい」


 グリフが答える。


「薬草と木の実の採取です」


「そうかそうか」


 ジェイさんは嬉しそうに笑った。


「依頼を受けたって聞いて、ちょっと心配してたんだ」


「心配?」


「当たり前だろ」


 レインさんが口を挟む。


「お前たちはまだ新人だ。訓練所を卒業したからといって、急に一人前になるわけじゃない」


 俺は苦笑する。


 その通りだ。


 今回だって、採取だけの簡単な依頼のはずだった。


 それでも森ではウルフと遭遇し、スライムとも戦った。


 一歩間違えれば、怪我をしていたかもしれない。


「でも――」


 レインさんは俺たち三人を見渡した。


「無事に帰ってきた。それだけで十分だ」


 その言葉に、俺は少し驚いた。


「……ありがとうございます」


 ジェイさんもグリフの肩を軽く叩く。


「よくやったな。斥候としても、ちゃんと周囲を警戒できていたそうじゃないか」


「はい!」


 グリフが少し嬉しそうに答える。


 アンにもレインさんが声をかけた。


「アンもよくやったな。素材を無駄なく回収したそうじゃないか」


「マールさんに教えてもらったので」


「そうか」


 レインさんは頷いた。


 そして俺を見る。


「レオン」


「はい」


「盾の使い方、少しは分かってきたか?」


「……まだまだです」


 俺が答えると、レインさんは笑った。


「それでいい。自分がまだ未熟だと分かっている奴のほうが、生き残れる」


 その言葉が胸に残った。


 俺たちはまだ新人だ。


 強くない。


 経験もない。


 だからこそ、慎重にならなければならない。


「今日はゆっくり休め」


 レインさんがそう言った。


「明日からまた冒険者だ。生きて帰ってこい」


「はい!」


 三人で返事をする。


 レインさんとジェイさんは、そのまま別の席へ向かっていった。


 俺は二人の背中を見送った。


 訓練所を卒業してから、もう教官と生徒ではない。


 それでも――


 俺たちが無事に帰ってきたことを、本気で喜んでくれている。


 なんだか、それが嬉しかった。


 俺は残っていた料理を口に運ぶ。


 今日は腹一杯食べる。


 そして明日から――


 また、この世界を生きていく。


その後も俺たちは、くだらない話をしながら食事を続けた。


 初めての依頼で起きたこと。


 ウルフとの戦い。


 アンがスライムを一瞬で倒したこと。


 訓練所での失敗談。


 笑って、騒いで――そして少しだけ酒も飲んだ。


 今日くらいはいい。


 俺たちは無事に帰ってきたのだから。


 やがて店を出る。


「じゃあ、戻るか」


「ああ」


「明日も依頼探さないとね」


 三人で冒険者用の寮へ戻る。


 部屋に入り、装備を外す。


 今日一日歩き回った身体は、もう限界だった。


 俺はベッドに腰を下ろす。


 ――硬い。


 訓練所のベッドも大して変わらなかったが、やっぱり硬い。


 それでも、横になれば眠気が一気に襲ってくる。


「おやすみ、レオン」


「ああ。おやすみ」


 グリフとアンも、それぞれのベッドへ入る。


 俺も毛布をかぶった。


 今日一日のことを思い返す。


 初めて自分たちだけで受けた依頼。


 魔物との戦い。


 素材の回収。


 そして、初めて自分たちの力で稼いだ金。


 銅貨二十枚。


 そのうち――


 食事代で銅貨四枚。


「……四枚か」


 今日の食事は美味かった。


 腹一杯食べた。


 酒も飲んだ。


 後悔はしていない。


 ……していないが。


「辛いな……」


 新人冒険者にとって、銅貨四枚は決して安くない。


 食べなければ生きていけない。


 でも食べれば金が減る。


 金がなければ依頼を受けるための装備も買えない。


 装備がなければ、魔物と戦えない。


 魔物と戦えなければ、金を稼げない。


 冒険者っていうのは――


 思っていた以上に厳しい仕事らしい。


 俺はそんなことを考えながら、ゆっくりと目を閉じた。


 今日も生き残った。


 明日も生き残らなければならない。


 そして――


 これが現実である。

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