王城での謁見
大書庫での一騒動が終わったあと――。
俺は、あれこれと大書庫の職員たちから質問攻めにされていた。
「この書物は、どこで見つけたんですか?」
「沈没船の中に、他にも同じような書物は?」
「古代文字の解読は、どなたが?」
「それより、この記述について詳しく教えていただけませんか!」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
質問に答えるたび、次の質問が飛んでくる。
最初のうちは丁寧に答えていた俺も、次第に頭が回らなくなってきた。
アリスも最初こそ職員たちに説明していたが、途中からは完全に呆れた様子で俺を見ていた。
「……レオン。まだ終わらないの?」
「俺にも分からない……」
結局、俺たちが解放された頃には――。
王都の街は、すっかり夜に包まれていた。
「……もう真夜中じゃないか」
夜空を見上げる。
昼間の喧騒が嘘のように、王都は静まり返っていた。
さすがに疲れた。
今日は歩き回っただけじゃない。
沈没船での探索。
古代の書物の発見。
そして大書庫での騒動。
体もそうだが、何より頭が疲れている。
「今日はもう休もうか」
そう言うと、アリスが少し考えるようにしてから口を開いた。
「……その前に、食事にしない?」
「今から?」
「ええ」
アリスは珍しく、ほんの少しだけ楽しそうだった。
「せっかく王都にいるんだもの。今日は豪勢に食べてもいいでしょう?」
「……それもそうだな」
俺は笑った。
こんな日くらい、贅沢しても罰は当たらないだろう。
俺たちは宿へ戻る前に、王都でも名の知れた高級レストランへ向かうことにした。
夜遅くだというのに、店内にはまだいくつかの明かりが灯っている。
扉を開けると、落ち着いた音楽とともに、焼いた肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「いらっしゃいませ」
上品な店員が頭を下げる。
俺たちは案内された席へ腰を下ろした。
メニューを開く。
「……高いな」
思わず呟いてしまう。
普段の食事なら、何日分になるのか分からないような値段が並んでいた。
アリスはそんな俺を見て、少しだけ笑う。
「今日はいいでしょう?」
「……ああ。今日は特別だ」
俺はメニューを閉じた。
「好きなものを食べよう」
こうして俺たちは、長い一日の最後に――。
王都で少しだけ贅沢な夜を過ごすことになった。
料理が運ばれてくる。
最初に出てきたのは、香草で味付けされた分厚いステーキだった。
ナイフを入れた瞬間、肉汁がじゅわりと溢れ出す。
「……これは」
一口食べる。
「……美味い」
思わず声が漏れた。
外側は香ばしく焼かれているのに、中は柔らかい。
噛むたびに肉の旨味が口いっぱいに広がっていく。
続いて運ばれてきたのは、ローストされた野鳥の肉に、香辛料の効いたソースをかけた料理。
さらに、王都近郊で育てられた牛の煮込み料理。
どれも普段食べている料理とは、明らかに違っていた。
「……王都って、こんなに美味しいものがあるんだな」
俺が感心していると、向かいに座るアリスも黙々と料理を口に運んでいる。
いつもの無表情。
けれど――。
「……美味しい」
小さく呟いた。
「だろ?」
「ええ」
アリスはもう一口、肉を切り分ける。
そして料理と一緒に運ばれてきたワインへ手を伸ばした。
「……飲むのか?」
「もちろん」
そう言って、アリスはグラスを傾ける。
俺も自分のグラスを手に取った。
軽くグラスを合わせる。
「乾杯」
「乾杯」
小さな音が、静かな店内に響いた。
ワインを口に含む。
深い香りと、ほどよい酸味。
「……美味いな」
「ええ」
アリスはもう一口飲んだ。
そういえば――。
アリスが酒を飲むようになったのは、あの沈没船での一件からだった。
それまでは、酒なんてほとんど口にしなかったはずだ。
あの日。
長い年月を海の底で眠っていた酒を見つけて、試しに口にした。
そして――。
「……アリス」
「何?」
「お前、いつからそんなに酒が好きになったんだ?」
アリスの手が止まる。
「……別に」
「いや、好きだろ」
「……少しだけよ」
そう言いながら、アリスはまたワインを口にした。
その表情は相変わらず淡々としている。
だが、どこか機嫌が良さそうに見えた。
「沈没船で飲んだ酒がきっかけか?」
「……あれは長い年月を経ても、あれほど美味しいものだったから」
「それで酒が好きになった?」
「そういうこと」
アリスは静かに答える。
「……人生、何がきっかけになるか分からないものね」
「まさかアリスが酒好きになるとは思わなかったよ」
「私も思わなかったわ」
そう言って、アリスはほんの少しだけ笑った。
俺もつられて笑う。
昼間は歴史を揺るがすような発見をして、大書庫では質問攻めにされた。
けれど今は――。
ただ、美味しい料理を食べて、酒を飲みながら、アリスとこうして話している。
そんな時間が、妙に心地よかった。
高級レストランを出る頃には、俺もすっかりほろ酔い気分になっていた。
夜風が頬を撫でる。
「……気持ちいいな」
「そうね……」
隣を歩くアリスが、ふらりと身体を揺らした。
「大丈夫か?」
「大丈夫よ」
そう答えた直後、アリスは俺の腕に身体を寄せてきた。
「……アリス?」
「何?」
「いや……近くないか?」
「そう?」
本人は何も気にしていないらしい。
むしろ、俺の腕に両手を絡めると、そのまま離れようとしない。
「……歩きやすいから」
「そういうことにしておくよ」
俺は苦笑しながら、アリスの歩く速度に合わせる。
普段のアリスなら、こんなことは絶対にしない。
それどころか、人前で誰かに身体を預けることすら珍しい。
けれど――。
今のアリスは、明らかに違っていた。
「レオン」
「ん?」
「……もう少しゆっくり歩いて」
「分かった」
歩く速度を落とす。
するとアリスは満足そうに俺の腕へ頬を寄せた。
「……あったかい」
「今日は結構飲んだからな」
「そうね……」
しばらく歩いていると、アリスがぽつりと言った。
「……レオン」
「どうした?」
「今日……楽しかった」
「俺も楽しかったよ」
「……うん」
アリスは小さく笑った。
そして、また俺の腕にぎゅっと抱きつく。
「……もう少し、このままがいい」
「……」
思わず言葉に詰まる。
これは酒のせいなのか。
それとも――。
俺は隣を歩くアリスを見る。
頬はほんのり赤くなっていて、いつもの冷静な表情はどこかへ消えている。
そして何より――。
妙に甘えん坊だ。
「……どうやら、アリスは酔うと甘えん坊になるらしい」
「……何か言った?」
「いや、何でもない」
「ならいい」
そう言って、アリスはまた俺の肩へ頭を預けた。
……可愛い。
思わず、そう思ってしまった。
やがて俺たちは、いつもの宿へと戻ってきた。
宿の扉を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
受付でハルゥが元気よく挨拶をした
「ただいまハルゥ、そしておやすみ」と伝え、俺たちは階段を上る。
すると――。
「レオン」
「ん?」
「……部屋まで一緒に来て」
「もちろん」
アリスは俺の腕を掴んだまま、離そうとしない。
俺は苦笑する。
……今日は、いつもと違うアリスを知った一日だった。
そして俺は、この酔ったアリスの姿を――。
少しだけ、もっと見ていたいと思ってしまった。
――翌朝。
「レオンさーん! レオンさーん!」
元気の良い声が、部屋の外から聞こえてきた。
「……ん……」
俺はゆっくりと目を開ける。
まだ頭が少し重い。
昨日、少し飲みすぎたかもしれない。
「レオンさん! 起きてください!」
今度は、はっきりと聞こえた。
ハルゥの声だ。
何かあったのだろうか。
俺は身体を起こそうとして――ふと隣を見る。
「……」
アリスが眠っていた。
昨日の夜と同じように、俺のすぐ隣で静かに寝息を立てている。
長い銀髪が枕の上に広がり、普段の凛とした表情とは違う、穏やかな寝顔を見せていた。
……まだ起きていないようだ。
「アリス」
小さな声で呼びかけてみる。
「……ん……」
だが、アリスは少し身じろぎしただけで、目を開ける気配はない。
昨日の酒がかなり効いているらしい。
「レオンさん!」
扉の向こうから、またハルゥの声が響く。
「お城から使いの方が来てますよ!」
「……お城?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
俺は慌ててベッドから降りる。
「今行く!」
急いで身支度を整える。
しかし、ふとアリスを見る。
「……起こしたほうがいいよな」
そう思って肩を軽く揺する。
「アリス。起きてくれ」
「……ん……」
「アリス」
「……もう少し……」
珍しく甘えるような声。
昨日の夜を思い出す。
……酒が抜けていないのかもしれない。
「悪い。でも、お城から使いが来てる」
「……お城?」
その言葉に、アリスがゆっくりと目を開けた。
まだ眠そうな瞳で俺を見る。
「……何かあったの?」
「それが分からないんだ」
俺は扉へ視線を向ける。
「とにかく、話を聞いてみよう」
「……分かった」
アリスもゆっくりと身体を起こした。
俺たちは急いで部屋を出る。
階段を下りると――。
そこには、明らかに慌てた様子のハルゥが立っていた。
「レオンさん! 大変です!」
「どうした?」
「王城から使いの方が来てます!」
ハルゥの後ろを見る。
そこには、王家の紋章が入った衣装を身にまとった男が、静かに立っていた。
男は俺たちの姿を確認すると、一歩前へ出る。
「レオン様、アリス様」
そして、深々と頭を下げた。
「王より、お二人を王城へお招きするよう申し付かっております」
「……王様が?」
昨日、大書庫で発見した古代の記録。
そのことが、頭をよぎった。
どうやら――。
俺たちの長い一日は、まだ終わっていなかったらしい。
俺たちは急いで部屋へ戻り、身支度を整えた。
突然の王城への呼び出しだ。
あまり時間をかけている余裕はない。
「アリス、準備はできたか?」
「ええ」
振り返ると、アリスはいつもの落ち着いた表情で立っていた。
……いや。
ついさっきまで寝ていたとは思えない。
俺の髪はまだ少し乱れているし、服も急いで着たせいで整っていない。
「……アリス、どうやったんだ?」
「何が?」
「いや……寝癖とか」
アリスは自分の髪に触れる。
「これ?」
「ああ」
「魔法よ」
そう言って、アリスが指先を軽く振った。
ふわり――。
淡い魔力の流れが、アリスの身体を包み込む。
次の瞬間。
乱れていた長い髪が、まるで最初から整っていたかのように綺麗にまとまり、衣服の皺まで消えていった。
「……」
俺は思わず固まった。
「便利すぎないか?」
「身だしなみを整えるだけの簡単な魔法よ」
「そんな魔法があるのか……」
「私が作ったの」
「……」
やっぱり大賢者は凄い。
俺が髪を手で整えている横で、アリスは何事もなかったかのように歩き出す。
「レオン。行きましょう」
「ちょっと待ってくれ。俺にもその魔法を……」
「あなたには必要ないでしょう」
「いや、必要だろ」
そんなやり取りをしながら宿を出る。
外には、すでに王城から迎えの馬車が用意されていた。
「こちらへ」
使者に促され、俺たちは馬車へ乗り込む。
扉が閉じられる。
馬車がゆっくりと動き始めた。
窓の外を眺める。
朝の王都。
昨日までなら、ただの見慣れた街並みだった。
だが今日は違う。
この先にあるのは――王がいる王城だ。
「……いったい、何を聞かれるんだろうな」
「昨日の大書庫のことじゃない?」
「やっぱりそうだよな……」
俺は小さくため息をついた。
昨日、散々質問されたばかりだ。
まさか今日も同じことになるんじゃないだろうな。
隣を見る。
アリスは窓の外を眺めていた。
その横顔はいつも通り落ち着いている。
「アリスは緊張しないのか?」
「王に会うこと?」
「ああ」
「別に」
「……さすがだな」
俺は苦笑する。
やがて馬車は、王都の中心へと進んでいく。
その先には――。
巨大な王城が、朝日に照らされながら姿を現していた。
やがて馬車がゆっくりと速度を落とした。
窓の外を見る。
いつの間にか、俺たちは王城の正門前まで来ていた。
馬車が止まる。
扉が開かれると――。
「……!」
そこには、数多くの騎士たちが整列していた。
銀色の鎧を身にまとい、皆一様に姿勢を正している。
俺たちが馬車から降りると、騎士たちは一斉に頭を下げた。
「ようこそ、王城へ」
その光景に、思わず背筋が伸びる。
……すごい。
これまで何度も王都を歩いてきたが、ここだけは別世界のようだった。
「こちらへどうぞ」
使者に案内され、俺たちは王城の中へ入っていく。
扉を抜けた瞬間――。
「……広いな」
思わず声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、どこまでも続いているような広い廊下だった。
天井もかなり高い。
巨大な柱が等間隔に並び、その間から朝の光が差し込んでいる。
壁には、色鮮やかな絵画が飾られていた。
古い戦争を描いたもの。
歴代の王を描いたもの。
そして――。
今では失われたと言われている街や、大昔の英雄たちを描いた絵まである。
「……これ、全部歴史的な絵なのか?」
「はい。王家が代々保管しているものです」
使者が答える。
俺は思わず足を止めそうになった。
昨日、大書庫で見た古代の記録。
そして今、目の前にある歴史そのもの。
この王城には、まだ俺の知らない過去がいくつも眠っているのだろう。
そんなことを考えていると――。
「レオン」
「ん?」
隣からアリスの声がした。
「どうしたの?」
「いや……」
俺は小さく息を吐いた。
「なんか、緊張してきた」
王城という場所。
そして、これから会う相手はこの国の王だ。
さすがに平然としてはいられない。
心臓の鼓動が少し速くなる。
そんな俺とは対照的に――。
「そう?」
アリスは、いつもと変わらない表情で廊下を歩いている。
「緊張しないのか?」
「なぜ?」
「いや、王様に会うんだぞ?」
「ええ」
「……」
「だから?」
アリスは本当に何とも思っていないらしい。
俺は思わず苦笑した。
「……大賢者って、そういうものなのか?」
「知らないわ」
アリスは淡々と答える。
そして何事もなかったかのように、再び前を向いた。
……頼もしいというか。
何というか。
俺だけが妙に緊張しているのが、少し馬鹿らしく思えてきた。
やがて廊下の先に、ひときわ大きな扉が見えてきた。
その扉の前で、使者が足を止める。
「こちらが――謁見の間です」
俺は思わず息を呑んだ。
いよいよだ。
この先に、この国の王がいる。
俺は一度だけ深く息を吸った。
隣を見る。
アリスは――。
やはり、平然としていた。
謁見の間へ続く大扉の前で、俺たちはしばらく待っていた。
扉の向こうから、かすかに人の気配がする。
俺は無意識に背筋を伸ばした。
心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえる。
そして――。
扉の脇に立っていた騎士が、一歩前へ出た。
「ハルディオ王国公認冒険者――」
よく通る声が、廊下に響き渡る。
「レオン様!」
俺の肩が、ぴくりと動いた。
続いて――。
「大賢者、アリス様!」
その瞬間、俺は目を見開いた。
「……え?」
そして、騎士が声を張り上げる。
「ご入場ー!」
大扉がゆっくりと開いていく。
「…………」
俺はその場で固まった。
今、なんて言った?
「ハルディオ王国……公認冒険者……?」
思わず小さく呟く。
俺、そんな肩書きを持っていたのか?
確かに騎士団からは王都を拠点に活動するよう言われていた。
そして王都でいくつかの依頼も受けてきた。
だが――。
公認冒険者なんて聞いていない。
「レオン」
隣から声がする。
「……何だ?」
「行くわよ」
アリスがこちらを見る。
その口元には――。
「……ふふっ」
小さな笑みが浮かんでいた。
「笑ってるだろ」
「だって……」
アリスは肩を揺らしながら、クスクスと笑っている。
「レオンがそんなに驚くとは思わなかったから」
「俺だって知らなかったんだぞ……!」
「そうね」
アリスは楽しそうに笑いながら、先に謁見の間へと歩き出す。
「ほら、行きましょう。公認冒険者様」
「……その呼び方やめてくれ」
俺は小さくため息をつきながら、アリスの後を追う。
謁見の間へ足を踏み入れた瞬間――。
空気が変わった。
広大な空間。
左右には数多くの騎士たちが並び、その奥には王座がある。
そして、その王座には――。
一人の男が静かに座っていた。
この国を治める王。
俺は緊張で喉が鳴るのを感じた。
ゆっくりと歩を進める。
隣を見る。
アリスは――。
相変わらず、平然としている。
いや。
今度は少しだけ楽しそうに笑っていた。
……どうやら俺だけが、完全に緊張しているらしい。
俺は深く息を吸い、王の前へと進んでいった。
王座の前まで進むと、俺たちは足を止めた。
その玉座に座っているのが――この国の王。
騎士が声を張り上げる。
「ハルディオ王国、第十七代国王――」
一瞬の静寂。
「ノアール・ジ・ハルディオ陛下!」
その名が謁見の間に響き渡った。
「……」
俺は思わず息を呑む。
目の前にいるのが、ハルディオ王国を治める第十七代国王、ノアール・ジ・ハルディオ。
王としての威厳を感じさせながらも、その瞳には鋭さだけではない、どこか穏やかな光が宿っていた。
俺は隣にいるアリスへ目を向ける。
アリスも静かに頷いた。
俺たちは王の前へ進み出ると、ゆっくりと膝をついた。
俺は深く頭を下げる。
「お初にお目にかかります、陛下」
アリスも続く。
「お目にかかれて光栄です、ノアール陛下」
謁見の間は静まり返っている。
俺は緊張で手に少し力が入るのを感じていた。
これまで冒険者として様々な場所を旅してきた。
魔物とも戦った。
命を懸けるような場面も何度もあった。
それでも――。
今、目の前にいる一人の男に対する緊張は、それらとはまったく違っていた。
この国の頂点に立つ人物。
その人と、今こうして直接向かい合っている。
俺は顔を上げることなく、次の言葉を待った。
すると――。
「面を上げよ」
静かだが、よく通る声が謁見の間に響いた。
俺とアリスはゆっくりと顔を上げる。
そして――。
ハルディオ王国第十七代国王、ノアール・ジ・ハルディオと、正式に対面した。
「面を上げよ」
王の言葉に従い、俺とアリスはゆっくりと顔を上げた。
そして――。
「……」
「……」
なぜか、王様の表情が硬い。
いや。
よく見ると――。
王様、ものすごく緊張している。
「……?」
俺は思わず首を傾げた。
王様といえば、もっと堂々としているものだと思っていた。
しかし、ノアール陛下は明らかに緊張している。
その理由は――。
すぐ隣にいるアリスを見れば、なんとなく分かった。
何千年もの間、大陸全土に春風とともに訪れ、豊かな実りを大地にもたらしてきた大賢者。
それが、アリスだ。
王であるノアール陛下からすれば――。
下手な対応など、できるはずがない。
もしも機嫌を損ねてしまって、
『今年から、もう実りはありません』
なんて言われたら――。
「……」
俺は王様を見る。
そして、もう一度アリスを見る。
……なるほど。
俺はようやく、王様の気持ちを理解した。
そりゃ緊張するよな。
相手はただの大賢者じゃない。
この大陸の人々にとって、何千年もの間、春と豊穣をもたらしてきた存在なのだから。
しかも――。
昨日まで俺の隣で一緒に酒を飲んでいた本人は、そんなことなど気にする様子もなく、いつも通り平然としている。
俺は思わず心の中で呟いた。
……アリス、お前って本当にすごい存在だったんだな。
そして同時に――。
少しだけ、王様に同情した。
しばしの沈黙が謁見の間を包んだ。
王様は、じっとアリスを見ている。
いや……。
正確には、アリスの隣にいる俺のことまで含めて、どう接すればいいのか分からないように見える。
すると、王の隣に控えていた大臣が、意を決したように一歩前へ出た。
「そ、それでは……私が……」
声が少し震えている。
大臣まで緊張しているのか。
俺は思わず王様を見る。
すると――。
「……うむ!」
王様は力強く頷いた。
……それだけだった。
大臣が一瞬、固まる。
「……」
そして小さく息を吸い、話し始めた。
「こ、この度のお二人による歴史的な発見……!」
大臣は緊張しながらも、なんとか言葉を続ける。
「古代に失われた貴重な記録を発見されたことは、我がハルディオ王国にとって、いや……この大陸全土にとって、非常に大きな意味を持つものであります!」
大臣の声が謁見の間に響く。
「さらに、失われたドワーフ族の技術や、古代に存在した魔法の数々についても、その存在を裏付ける貴重な記録が発見されました」
大臣は一度言葉を切った。
そして俺とアリスを見つめる。
「この功績を王国は大いに讃え――」
再び王様へ視線を向ける。
「お二人に、王国より褒賞を授けることといたします!」
「……」
俺は思わず目を見開いた。
褒賞……。
そこまで大きな話になっていたのか。
俺が隣を見ると、アリスは相変わらず落ち着いている。
そして――。
「陛下より、改めてお言葉を……」
大臣が王様へ促す。
王様はゆっくりと俺たちを見る。
そして――。
「……うむ!」
また、それだけだった。
「…………」
「…………」
謁見の間に、微妙な沈黙が流れる。
大臣は固まっている。
俺も何と言えばいいのか分からない。
そして隣のアリスは――。
「ふふっ……」
小さく笑っていた。
……やっぱり。
王様、かなり緊張している。
俺はなんとなく、その気持ちが分かってしまった。
王との話を終えると、国王は玉座の隣に控えていた大臣へ視線を向けた。
「では、今回の功績に対する報奨を」
「承知いたしました」
大臣が一歩前へ進み出る。
そして、従者が運んできた箱を開く。
中には、ずっしりとした袋がいくつも並べられていた。
「今回、皆様が発見された古代遺跡及び貴重な歴史資料について、その功績を王家として正式に認めます」
大臣はそう告げると、俺たちの前に報奨金を差し出した。
「こちらが王家よりの報奨金となります」
「ありがとうございます」
俺は代表して頭を下げた。
大臣から袋を受け取る。
思っていた以上の重さだった。
「これほど……」
思わず呟く。
今回見つかったものが、それだけ王国にとって価値のあるものだったということなのだろう。
「どうか、今後の冒険者としての活動にお役立てください」
「はい。大切に使わせていただきます」
俺たちは改めて王へ礼をした。
これで謁見は終わり――そう思った瞬間だった。
「お待ちください!」
オヴェリア姫の声が、謁見の間に響いた。
俺とアリスが振り返る。
オヴェリア姫は少し慌てた様子で、こちらへ歩み寄ってきた。
「アリス様……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい。何でしょう?」
「この間見つかった魔導書の障壁魔法についてです」
オヴェリア姫の瞳が輝いている。
「現在では完全に失われたとされている、あの魔法……」
「ええ」
「アリス様は、その魔法をご存じなのですよね?」
「知っています」
アリスが静かに答える。
その瞬間、オヴェリア姫の表情がさらに明るくなった。
「でしたら……どうか、私に教えていただけませんか?」
「……」
アリスは少し考えるようにオヴェリア姫を見つめる。
「構いません」
「本当ですか!」
オヴェリア姫が嬉しそうな声を上げる。
だが、アリスは続けた。
「ただ、一つお願いがあります」
「お願い……ですか?」
「はい」
アリスは少しだけ周囲を見渡した。
そして、オヴェリア姫へ視線を戻す。
「この王城を案内していただけませんか?」
「王城を……?」
「ええ。私はこの城に来るのが初めてですから」
アリスは淡々と話す。
「少し、見て回りたいと思っています」
オヴェリア姫は一瞬驚いたような顔をした。
しかし――。
「もちろんです!」
すぐに満面の笑みを浮かべた。
「私がご案内します!」
「ありがとうございます」
「では、すぐに……!」
「姫様」
近くにいた侍従が、やんわりと声を掛ける。
「まずはお二人に客間でお休みいただいてはいかがでしょうか。長旅の疲れもおありでしょう」
「……そうですね」
オヴェリア姫は少し考え、頷いた。
「では、客間で少しお休みください」
「分かりました」
こうして俺とアリスは、再び王城の使用人に案内され、客間へ向かうことになった。
そして――。
しばらくして。
コンコン。
客間の扉が叩かれた。
「どうぞ」
俺が返事をすると、扉が開く。
「お待たせしました!」
そこには、先ほどのオヴェリア姫が立っていた。
その顔には、先ほどまでの王女らしい厳かな表情ではなく、どこか楽しそうな笑顔が浮かんでいる。
「アリス様。準備はよろしいですか?」
「はい」
アリスが立ち上がる。
俺も続いて立ち上がった。
「レオン様も、もちろんご一緒に」
「俺もいいんですか?」
「もちろんです!」
オヴェリア姫は嬉しそうに頷いた。
「それでは参りましょう。王城をご案内します」
姫は扉の外へ歩き出す。
俺とアリスも、その後に続いた。
こうして――。
失われた障壁魔法を巡る小さな約束から、俺たちの王城巡りが始まった。
俺たちはオヴェリア姫の後に続き、王城の廊下を歩いていた。
長い廊下を抜け、いくつかの角を曲がる。
やがて――。
「こちらです」
オヴェリア姫が一つの扉の前で立ち止まった。
扉が開かれる。
「……」
その先に広がっていた光景に、俺は思わず足を止めた。
「これは……」
そこには、見事な中庭が広がっていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、綺麗に整えられた草木が庭園を彩っている。
中央には小さな噴水があり、透明な水が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
ただ美しいだけではない。
見たことのない花。
見たことのない葉を持つ植物。
遠い地域でしか育たないと聞いたことのある草木まで、そこには当たり前のように植えられていた。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
オヴェリア姫は嬉しそうに笑った。
「お気に召しましたか?」
「はい。こんな庭園は初めて見ました」
「この庭園には、大陸各地から集められた植物が植えられているのです」
「大陸各地から?」
「ええ。王家の者が訪れた土地から持ち帰ったものや、各国から贈られたものもあります」
オヴェリア姫は誇らしげに庭園を見渡す。
「北の寒い地域でしか育たない花もあれば、南の暑い土地でしか咲かない花もあります。中には、何十年もかけてようやく花を咲かせるものもあるんですよ」
「そんなに……」
俺は改めて庭園を見渡した。
まるで、この大陸そのものを一つの庭に集めたようだった。
「アリスはどうだ?」
隣にいるアリスへ声を掛ける。
「……」
返事がない。
見ると、アリスは庭園をじっと見つめていた。
「アリス?」
「……驚きました」
小さく呟く。
その表情は、普段とほとんど変わらない。
それでも、僅かに目を見開いているのが分かった。
「これほど多くの種類を、一つの場所に集めているなんて……」
アリスはゆっくりと庭園へ歩み寄る。
花の一つに目を向ける。
「これは……南方の森にしか咲かないはずです」
「ご存じなのですか?」
オヴェリア姫が驚く。
「ええ」
アリスは別の植物へ視線を移す。
「こちらは北東の山岳地帯に自生するものですね」
「さすがアリス様です!」
ルージュ姫の目が輝いた。
「では、あちらの花は?」
「……」
アリスはしばらく花を見つめた。
「これは……珍しいですね」
「珍しい?」
「ええ。私も実物を見るのは久しぶりです」
その言葉に、オヴェリア姫は嬉しそうに微笑んだ。
「この庭園を一番最初に案内して正解でした」
「どうしてですか?」
「アリス様に見ていただきたかったんです」
オヴェリア姫はそう言って、庭園を見渡した。
「この庭園は、私も大好きな場所ですから」
風が吹き抜ける。
色とりどりの花々が揺れ、甘い香りが辺りに広がった。
俺はその光景を眺めながら思った。
王城には、俺の知らないものがまだまだたくさんある。
そして――。
隣にいるアリスでさえ、少し驚くほどのものが、この城には眠っているのだ。
中庭を後にした俺たちは、再び王城の廊下を歩いていた。
「次はどちらへ?」
俺が尋ねると、オヴェリア姫は少し嬉しそうに振り返った。
「次は食堂です!」
「食堂?」
「はい。ちょうどお昼時ですから」
そう言われてみれば、確かに腹が減っている。
俺はアリスを見る。
アリスも同じように、少しだけお腹を空かせているようだった。
やがて、大きな扉の前へ辿り着く。
オヴェリア姫が扉を開ける。
「こちらです」
「……」
中へ入った瞬間、俺は足を止めた。
そこには大きな食堂が広がっていた。
長いテーブルがいくつも並び、その周りには王城で働く者たちや騎士たちが座っている。
ちょうど昼時ということもあり、食堂はかなり賑わっていた。
料理の香りが一気に鼻をくすぐる。
焼いた肉の香ばしい匂い。
焼きたてのパン。
温かなスープ。
「……うまそうだ」
思わず呟いてしまう。
しかし――。
「……え?」
食堂の空気が、突然止まった。
こちらに気づいた一人の騎士が、目を見開く。
「ひ、姫様……?」
その声をきっかけに、次々とこちらへ視線が集まってくる。
「オヴェリア姫だ……!」
「なぜ食堂に……?」
「それより隣にいるのは……」
「まさか……大賢者アリス様!?」
一瞬にして食堂が騒然となった。
立ち上がろうとする者。
慌てて姿勢を正す者。
どうしていいのか分からず固まっている者。
まるで突然、王族と伝説の大賢者が同時に現れたかのような騒ぎだった。
「皆さん、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
ルージュ姫は、そんな周囲の様子など全く気にしていない。
「今日はお二人に王城を案内しているだけですから」
そう言って、いつものように笑っている。
「それに――」
姫は食堂を見渡した。
「ここのお食事は、それはもう大変おいしいんですよ!」
「そうなんですか?」
俺が聞くと、ルージュ姫は嬉しそうに頷いた。
「はい! 特に今日のお昼は私のお気に入りの料理が出ているはずです」
そう言われて、俺は改めて並べられた料理を見る。
どれも見るからに美味しそうだ。
そして――。
ぐぅ……。
「……」
「……」
静かな音が響いた。
俺は思わず腹を押さえる。
「……すみません」
アリスを見る。
すると――。
アリスも少し気まずそうに目を逸らしていた。
どうやら同じらしい。
それを見たオヴェリア姫は、ぱっと笑顔になった。
「まあ!」
そして、俺たちを交互に見る。
「お二人とも、お腹が空いているのですね!」
「……はい」
「それなら――」
オヴェリア姫は嬉しそうに手を合わせた。
「一緒にお昼ご飯を食べましょう!」
「え?」
俺が驚いていると、オヴェリア姫は当然のことのように続けた。
「せっかく王城にいらしたのですから、ここのお食事を味わっていただきたいです!」
アリスも少し驚いた様子でオヴェリア姫を見る。
「よろしいのですか?」
「もちろんです!」
オヴェリア姫は満面の笑みを浮かべた。
「さあ、こちらへ!」
そう言って、俺たちを食堂の奥へと案内していく。
周囲からは、まだ驚きの声が聞こえている。
けれど――。
オヴェリア姫はそんなことなど気にも留めていなかった。
そして俺たちは、思いがけず王城の食堂で――。
オヴェリア姫と一緒に昼食を取ることになった。
俺たちはオヴェリア姫に案内され、食堂の一角へ腰を下ろした。
すると、すぐに料理が運ばれてきた。
「……これが?」
俺は思わず料理を見つめた。
正直、王城の食堂ということで、もっと豪華な料理が出てくるものだと思っていた。
だが、目の前に並べられたのは、焼いた肉に野菜の煮込み、温かなスープ、そして焼きたてのパン。
確かに美味しそうではある。
けれど、見た目は思っていたよりもずっと素朴だった。
「驚きましたか?」
オヴェリア姫が笑う。
「はい。もっと豪華な料理が出てくるのかと思っていました」
「ふふっ。王城で働く者たちが毎日食べる食事ですから」
姫は目の前の料理を見ながら続ける。
「豪華さよりも、しっかり働けることが大切なのです」
確かにそうなのだろう。
長時間働く騎士や使用人たちにとって必要なのは、見栄えのする料理ではない。
身体を動かすための栄養。
そして、毎日食べても飽きない味だ。
「それでは、いただきましょう!」
オヴェリア姫が手を合わせる。
「いただきます」
俺も手を合わせた。
アリスも静かに続く。
「いただきます」
まずは焼いた肉を一口。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
肉は柔らかく、程よく塩が効いている。
野菜の煮込みも、しっかりと味が染み込んでいた。
スープには野菜や豆がたっぷり入っていて、身体の芯から温まる。
そして焼きたてのパンをスープにつけて食べる。
「……これは美味しいな」
思わず箸が進む。
アリスも黙々と食べていた。
普段より少しだけ食べる速度が速い。
「アリス、美味しいか?」
「……ええ」
短い返事。
だが、その手は止まらない。
それを見たルージュ姫が、嬉しそうに笑った。
「気に入っていただけたようですね!」
「はい。とても美味しいです」
アリスが素直に答える。
豪華な食材をふんだんに使った料理ではない。
けれど――。
王城で働く者たちが一日をしっかり働くために作られた食事。
栄養があり、温かく、腹も満たしてくれる。
まさに、働く者のための食事だった。
俺は料理を食べながら思った。
王城という場所は、俺が想像していたよりもずっと普通の場所なのかもしれない。
そこでは王族も、騎士も、使用人も――。
それぞれの場所で、この国を支えるために働いている。
「おかわりもありますよ」
オヴェリア姫が笑顔で言った。
「……ぜひ」
俺が答えると、アリスも小さく頷いた。
「私も」
その言葉に、オヴェリア姫は嬉しそうに笑った。
「では、たくさん召し上がってください!」
こうして俺たちは、王城で働く者たちと同じ食事を囲みながら、束の間の昼食を楽しんだ。
食事を終えた俺たちは、再びオヴェリア姫の案内で王城の奥へと進んでいた。
「次は、どこへ?」
「宮廷魔導士達が魔法を研究している塔です!」
そう言ってオヴェリア姫に案内された。
そして――。
宮廷魔導士たちの研究する塔へ足を踏み入れた瞬間。
「ひ、姫様!?」
「そ、それに……大賢者アリス様!?」
「だ、誰か! 研究室を片付けろ!」
「今さら遅い!」
塔の中は、一瞬にして大騒ぎになった。
「……大変なことになったな」
俺が呟くと、アリスはいつもの無表情で魔導士たちを眺めている。
「……私は何もしていませんよ」
「それは分かってる」
そんな俺たちを見て、オヴェリア姫は楽しそうに笑っていた。
こうして始まった王城巡り。
そして次に待っていたのは――。
宮廷魔導士たちが長年研究してきた、魔法付与の実験。
まさかアリス自身が、その実験に参加することになるとは――この時の俺は、まだ知らなかった。




