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冒険の書  作者: siva5880


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19/54

ルーンストーン

「ルーンストーン……!」


 リンの声が、明らかに裏返った。


「お、おい。落ち着いて……!」


 思わずそう声を掛ける。


 いつもは冷静なリンが、ここまで慌てるのを見るのは初めてだった。


 リンは一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。


「……ご、ごめん。でも、ルーンストーンっていうのは、それくらい珍しいものなの」


「そんなに?」


 俺が聞き返すと、リンは真剣な顔で頷いた。


「ルーンストーンには、様々な効果があるとされているの」


「様々な効果?」


「うん。本当に……しょうもない効果から、国同士が奪い合うほどの代物まで。それはもう、様々」


「しょうもないって……例えば?」


「例えば……持っているとパンが少しだけ美味しく感じる、とか」


「……それは確かに、しょうもないな」


「でしょ?」


 リンは少しだけ苦笑した。


 だが、すぐにその表情が引き締まる。


「でも、中には笑えないものもある」


「……どんな?」


「魔力を増幅するもの。身体能力を強化するもの。傷の治癒を助けるもの。そして――」


 リンは、俺たちが手に入れたルーンストーンへ視線を向けた。


「国の魔法技術そのものを変えてしまうほどの力を持つものもある」


「……」


 その言葉に、俺は黙り込んだ。


 昨日まで、俺たちはただの石だと思っていた。


 けれど。


 もし本当にそんな力があるのなら――。


「だから、国同士が奪い合うこともあるの」


 リンの声は低かった。


「それほどまでに、ルーンストーンは価値があるものなの」


 俺は改めて、目の前に置かれた石を見つめた。


 薄暗い迷宮の中で拾った、ただの小さな石。


 それが、一体どれほどの価値を持つものなのか。


 今の俺には、まだ分からなかった。


ルーンストーンは、手のひらに軽く収まるほどの大きさだった。


 白い石。


 その中心には、見たことのない文字が一つだけ刻まれている。


 文字は、青とも紫ともつかない淡い光を放っていた。


「……これが、ルーンストーン」


 リンが慎重に手を伸ばす。


 指先が石に触れる。


 だが――。


「…………」


 何も起こらない。


「反応しない……」


 リンは不思議そうに石を見つめた。


 続いてヘルメスも触れてみる。


「俺も何も感じないな」


 ヘルメスが石を持ち上げ、角度を変えながら眺める。


 やはり、何も起こらない。


 ヘクトルも試してみたが、結果は同じだった。


「……変わった石だな」


 ヘクトルが呟く。


 俺は三人の様子を見ながら、石へ視線を落とした。


 そして――なんとなく、手を近づけてみる。


 まだ触れてはいない。


 ほんの少し、距離を縮めただけだった。


 その瞬間。


 石の中心に刻まれた文字が――


 淡く輝いた。


「……!」


 俺は思わず手を止める。


 気のせいか?


 そう思って、もう一度ゆっくりと手を近づける。


 青紫色の光が、再び明滅した。


「レオン?」


 リンの声が聞こえた。


 俺は答えず、石を見つめる。


 間違いない。


 この石は――俺に反応している。


 なぜなのか。


 その理由に、俺は心当たりがあった。


 魂に刻まれた、あのルーン。


 これまで何度も生まれ変わる中で、決して消えることのなかったもの。


 俺自身も、なぜそれが自分の魂に刻まれているのかは分からない。


 ただ――。


 この石から感じるものは、あのルーンとよく似ていた。


 だから、きっと。


 このルーンストーンは、俺の魂に刻まれたルーンに反応している。


 そんな気がした。


「……レオン、どうしたの?」


「いや……」


 俺は小さく首を振る。


「なんでもない」


 まだ、話すわけにはいかない。


 転生を繰り返していることも。


 魂にルーンが刻まれていることも。


 それを知っているのは――俺だけだ。


 石の中心で、青紫色の文字が静かに輝いていた。


「ヘクトル」


 リンが、いつになく真剣な表情で声を掛けた。


「このルーンストーンは、持ち帰ろう」


「……ああ。俺もそう思う」


 ヘクトルが頷く。


「ここで詳しく調べるより、一度王都へ戻った方がいい。こんなものを迷宮の中で扱うのは危険だ」


「私も賛成」


 リンが答える。


 ヘルメスも頷いた。


「これ以上、ここに留まる理由もないしな」


 俺も異論はなかった。


 こうして俺たちは、ルーンストーンを慎重にしまい、迷宮から帰還することにした。


 来た道を戻る。


 ゴブリンの集落を抜け、昨日ネクロマンサーと戦った部屋へ。


 そこを通り過ぎ、さらに先へ進む。


 やがて、スケルトンたちと戦った部屋へ辿り着いた。


 ……そのはずだった。


「……あれ?」


 足を止めたのは俺だった。


 部屋の中を見渡す。


「ここは……どこだ?」


 見覚えがない。


 確かに、この場所を通ったはずなのに。


 俺たちがスケルトンと戦った部屋は、もっと広かった。


 だが、目の前にあるのは――


 まるで別の場所だった。


「……私たち、道を間違えた?」


 リンが周囲を見回す。


「いや」


 ヘルメスが首を横に振った。


「来た道は間違えてない。俺がずっと確認してた」


 ヘクトルも黙ったまま、部屋の奥を見つめている。


 誰も答えを出せない。


 俺たちは確かに、同じ道を戻ってきた。


 なのに――。


 そこにあるはずのない部屋が、目の前に存在している。


「……なんだ、ここ」


 静かな迷宮の中で、俺たちは立ち尽くしていた。


 そして。


 部屋の奥には、今まで見たことのない扉が一つだけあった。


俺は、目の前の光景を見て言葉を失った。


 上層へ続く階段があるはずだった。


 なのに――。


 そこにあったのは、明らかに普通の扉ではない。


 巨大な両開きの大扉。


 古びた石造りの壁に埋め込まれ、扉そのものにも複雑な紋様が刻まれている。


 まるで――ボス部屋の入口。


「……いや」


 嫌な予感がした。


「待て。引き返そう」


 俺がそう言うと、ヘクトルも頷いた。


「そうだな。ここまで来て無理に進む必要はない」


 俺たちは大扉には近づかず、来た道を引き返した。


 来た道を戻る。


 角を曲がり、通路を進む。


 そして――。


「……なんだ?」


 ヘルメスが足を止めた。


 俺も、その先を見た。


「…………」


 全員が黙り込む。


 そこにあったのは――


 さっきと同じ大扉だった。


「……どういうことだ?」


 ヘクトルが低い声で呟く。


 俺たちは確かに、今来た道を戻っている。


 なのに。


 また同じ場所に戻ってきた。


 巨大な両開きの扉。


 壁に刻まれた、見覚えのない紋様。


 そして、その奥から漂ってくる――妙な圧迫感。


「……まさか」


 リンが青ざめた顔で呟いた。


 俺たちは顔を見合わせた。


 誰も口にはしなかった。


 けれど、全員が同じことを考えている。


 ――この迷宮は、俺たちを逃がすつもりがない。


 俺はゆっくりと後ろを振り返った。


 さっきまで歩いてきたはずの通路が、暗闇の中へ静かに伸びている。


 それなのに。


 どこへ戻ろうとしても、行き着く先は――


この大扉だった。


「一体、どうなってるんだ……」


 ヘルメスが困惑したように呟いた。


 俺たちは、目の前にある大扉を見つめたまま動けずにいた。


 来た道を戻っても、同じ場所に辿り着く。


 迷宮そのものが、俺たちを閉じ込めているようだった。


「…………」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 そんな重苦しい空気の中――。


「よーし!」


 突然、ヘクトルが声を上げた。


「とりあえず、飯にしよう!」


「…………」


 一瞬、全員が固まった。


「……は?」


 ヘルメスが呆れた声を漏らす。


 俺も思わずヘクトルの顔を見た。


「いや、腹減っただろ?」


 ヘクトルは何でもないことのように言う。


 その一言で――。


 張り詰めていた空気が、一瞬にして緩んだ。


「……ふっ」


 俺は思わず笑ってしまった。


「ヘクトル……あんたねえ……」


 リンも呆れながら、笑っている。


「こんな状況で、よく飯のことなんて考えられるわね」


「こんな状況だからこそだろ」


 ヘクトルは胸を張った。


「腹が減ってちゃ、まともに考えられん」


「それは……まあ、そうだけど」


 リンが苦笑する。


 ヘルメスも肩をすくめた。


「確かに、考え続けても答えは出そうにないしな」


「だろ?」


 ヘクトルが満足そうに頷く。


 俺たちは顔を見合わせる。


 さっきまでの緊張が嘘のようだった。


 迷宮の中で、帰る道すら分からなくなったというのに。


 それでも――。


 こうして仲間と笑えることが、少しだけ心強かった。


俺たちは持っている食料と水を改めて確認した。


 全員分を合わせて計算してみる。


 多少贅沢に食べたとしても――。


「……一週間は持つな」


 ヘルメスが食料を確認しながら呟いた。


「一週間?」


 リンが驚いたようにヘクトルを見る。


「ヘクトル、あんた……持ってきすぎ」


「いいだろ!」


 ヘクトルが豪快に笑う。


「助かっただろ!」


「まあ……確かに」


 リンも笑いながら頷いた。


 迷宮に閉じ込められているかもしれないという状況なのに、食料に関してだけは妙な安心感があった。


 そして――昼飯の時間。


 やっぱり、ヘクトルの用意した食事は豪華だった。


 鉄板の上で、しっかり味を付けた肉を焼く。


 香ばしい匂いが辺りに広がった。


 焼き上がった肉を新鮮な野菜で包む。


 そして、もう一品。


 パンの間にたっぷりのチーズを挟み、火で温める。


 熱で溶けたチーズが、ゆっくりと伸びていく。


「……うまそう」


 思わず声が漏れた。


「だろ?」


 ヘクトルが満足そうに笑う。


 焼いた肉を野菜で包み、一口。


 肉の旨味と香ばしさ。


 野菜のシャキッとした食感。


 そしてパンを噛めば、とろけたチーズが口いっぱいに広がる。


「……美味い」


 思わずそう呟いた。


 こんな迷宮の中だというのに――。


 まるで宿屋の食堂で食事をしているような気分だった。


 俺たちはしばらく、迷宮のことを忘れて食事を楽しんだ。


食事をしながら、俺たちはこれからどうするかを話し合っていた。


 いくつかの意見が出た。


 来た道を何度も戻ってみる。


 大扉を開けてみる。


 しばらくここで様子を見る。


 どれも決め手に欠ける。


 そんな中、ヘルメスがぽつりと言った。


「……だったら、ルーンストーンを元の宝箱に戻してみるのはどうだ?」


「……」


 俺たちは顔を見合わせた。


「それが一番ありそうだな」


 ヘクトルも頷く。


 確かに、ルーンストーンを手に入れてから迷宮の様子がおかしくなった。


 ならば、それを元の場所に戻せば何かが変わる可能性はある。


「そうだな。試してみる価値はある」


 俺も賛成した。


「駄目!」


 突然、リンが声を上げた。


「絶対に駄目!」


「……リン?」


 いつもの冷静なリンとは明らかに違った。


 リンはルーンストーンを両手で抱えるようにして、俺たちを見る。


「これを戻すなんて絶対に駄目だから!」


「いや、でもな……」


「駄目ったら駄目!」


 まるで子供が大事なおもちゃを取られまいとしているようだった。


「だって、ルーンストーンよ!?」


 リンの声が次第に大きくなる。


「こんなもの、普通は一生に一度だって見られるか分からないの! それを元の場所に戻すなんて……!」


「でも、帰れなくなってるぞ?」


「それは……そうだけど!」


 リンが言葉に詰まる。


 そして、必死に説明を始めた。


「ルーンストーンには、本当に色々な効果があるの! 魔力を増幅するものもあるし、特殊な魔法を使えるようになるものもある。中には国の宝物庫に厳重に保管されているものだってあるのよ!」


「……そんなにか」


「そんなによ!」


 リンは目を潤ませながら、ルーンストーンをぎゅっと抱えた。


「こんなものを見つけたのに……返すなんて……」


「リン……」


「絶対嫌だから……!」


 とうとう、声まで震え始めた。


 その姿を見て、俺たちは何とも言えない顔でリンを見つめる。


 ……本当に、よほどルーンストーンを手放したくないようだ。


 さっきまで迷宮に閉じ込められていることを心配していたのに。


 今のリンの頭の中には、もうルーンストーンのことしかないようだった。


「……覚悟を決めよう」


 そう言ったのは、ヘクトルだった。


「まだ、この大扉の向こうがどうなっているかも分からねえ!」


 ヘクトルは立ち上がり、大扉を見つめる。


「ここでいくら考えたって答えは出ない。だったら――少し休憩したら、挑戦してみよう」


「……そうね」


 リンも、渋々ながら頷いた。


「私も、それしかないと思う」


 ヘルメスも立ち上がる。


「じゃあ、準備するか」


 俺たちは食事を終えると、それぞれ装備の確認を始めた。


 剣を抜き、刃の状態を確かめる。


 盾の留め具を確認し、鎧の傷みを調べる。


 ヘルメスは弓の弦を張り直し、矢筒の中身を一本ずつ確認している。


 リンも魔法に使う道具やポーションを並べ、残量を確認していた。


 俺も剣と盾、そしてショートスピアを確認する。


 食料や水も、もう一度数え直した。


 これから何が待っているのかは分からない。


 この先に、本当にボスがいるのか。


 それとも、別の何かが待っているのか。


 ただ一つ分かっているのは――。


 俺たちは、この迷宮から出るために進むしかないということだった。


 俺は最後に、腰の装備を確かめる。


「……よし」


 準備はできた。


 あとは、あの大扉を開くだけだ。


その時が来た。


 古代の迷宮――。


 この大扉を開く時が。


「行くぞ、レオン」


「ああ」


 ヘクトルと俺は扉の前に立った。


 互いに頷き、両手を扉へ押し当てる。


「せーのっ!」


「っ……!」


 力いっぱい押し込む。


 ギギギギギ――。


 古びた扉が、長い年月を拒むような音を立てる。


「くっ……重い!」


「まだだ!」


 ヘクトルがさらに力を込める。


 俺も全身の力を使って押し続けた。


 そして――。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……!


 巨大な音を響かせながら、大扉がゆっくりと開いていく。


 開いた隙間から、奥の景色が見え始めた。


「……!」


 俺たちは思わず息を呑んだ。


 その先には――。


 巨大な部屋が広がっていた。


 天井は高く、壁には古代の紋様が刻まれている。


 だが――。


「…………」


 何もない。


 魔物もいない。


 宝箱もない。


 祭壇のようなものすら見当たらない。


「……なんだ、ここ?」


 ヘルメスが呟く。


 俺たちは慎重に部屋の中へ足を踏み入れた。


 静かだった。


 あまりにも静かすぎる。


 俺は剣の柄に手を添えたまま、広い部屋の奥へ視線を向ける。


 何かがいる気配はない。


「え……?」


 リンが部屋の奥を見つめた。


「行き止まり……?」


「そのようだ」


 ヘルメスも周囲を見渡す。


「敵も見受けられない」


 ヘクトルも続けて部屋の奥へ進み、壁や床を確認する。


「……何もないな」


 俺たちは広い部屋を隅々まで見渡した。


 これだけ広い部屋なのに、何もない。


 まるで、何かを置くためだけに作られた空間のようだった。


「ちょっと待って」


 リンが杖を構えた。


 目を閉じ、意識を集中させる。


「――サーチ」


 淡い魔力がリンを中心に広がっていく。


 床。


 壁。


 天井。


 部屋全体を魔力が包み込んでいく。


 俺たちは黙って、その様子を見守った。


 やがて、リンがゆっくりと目を開く。


「……何もない」


「隠し通路も?」


 ヘルメスが尋ねる。


「ない。少なくとも、私のサーチには何も引っかからない」


 リンは首を傾げた。


「魔物も、宝箱も、魔力を帯びた物も……何も」


 静寂が戻ってくる。


 俺は部屋の奥にある壁を見つめた。


「なんて書いてあるんだ……?」


「……え?」


 リンが不思議そうな顔をする。


 俺は壁を指差した。


「ほら、あそこに――」


 言葉が止まる。


 壁には何もない。


 ……いや。


 俺には見えている。


 壁の一部に、淡い青紫色の光を帯びた文字が浮かんでいた。


 古代文字なのか、それとも別の何かなのか。


 見たことのない文字のはずなのに――。


 なぜか俺には、その意味が理解できる。


「……なんて書いてあるんだ?」


 もう一度呟く。


 だが、誰も答えない。


「レオン?」


 リンが俺の顔を覗き込む。


「何の話をしているの?」


「え?」


「何が見えるの?」


 リンの声に、俺は改めて壁を見た。


 そこには確かに――文字がある。


 けれど、リンたちには見えていない。


 どうやら、この文字が見えているのは――俺だけらしい。


俺は壁に浮かぶ文字を、じっと見つめていた。


 なぜ俺にだけ見えるのか。


 なぜ、その意味まで理解できるのか。


 分からない。


 ただ――確かめてみたかった。


 俺はゆっくりと壁へ近づく。


「レオン?」


 リンの声が背後から聞こえる。


 俺は答えず、壁に浮かぶ文字へ指を伸ばした。


 そして――。


 指先で、その文字をなぞった。


 その瞬間だった。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


「なっ……!」


 地面が大きく揺れた。


「何!?」


 リンが叫ぶ。


 俺たちが立っていた床の中心から、重い音が響き始める。


 ゴゴン……!


 ゴゴゴゴゴ……!


 床の石がゆっくりと沈み込んでいく。


「離れろ!」


 ヘクトルが叫んだ。


 俺たちは慌てて後ろへ飛び退く。


 すると――。


 ズズズズズ……!


 部屋の中心が大きく開いていく。


 その奥から、石で造られた階段が姿を現した。


「……階段?」


 ヘルメスが呆然と呟く。


 さっきまで、何もなかった場所。


 それなのに今は――。


 地下へと続く階段が、確かにそこに存在している。


「そんな……」


 リンが言葉を失う。


 俺も、目の前に現れた階段を見つめていた。


 やっぱり、この場所には何かがある。


 そして――。


 俺だけに見えた、あの文字。


 それが、この階段を出現させたのだ。


俺は、目の前に現れた階段を見つめていた。


 頭の中に、これまで聞いてきた話が浮かんでくる。


 この古代の迷宮には、これまで数多くの冒険者たちが挑んできた。


 そして――攻略に成功したパーティーも、決して少なくない。


 それなのに。


 誰も、この階段の存在を知らなかった。


 皆、同じことを言っていた。


 ――大部屋の先には何もなかった。


 ――ただの行き止まりだった。


 それが、この迷宮を攻略した冒険者たちの共通した証言だった。


「…………」


 俺は、ゆっくりと自分の手を見る。


 さっき触れた壁。


 俺にしか見えなかった文字。


 そして――その文字に触れたことで現れた、この階段。


「……まさか」


 胸の奥がざわついた。


 これまで誰にも見つけられなかったものが、なぜ俺には見えた?


 なぜ、俺が文字に触れた瞬間に道が現れた?


 そして、なぜ――。


 ルーンストーンも、俺にだけ反応した?


 偶然とは思えなかった。


 俺の魂に刻まれている、あのルーン。


 何度生まれ変わっても消えることのなかった、謎のルーン。


 もしかすると――。


 この迷宮は、俺の魂に刻まれたルーンによって、俺をここへ導いたのではないか。


 そんな考えが頭をよぎる。


「……いや」


 俺は小さく首を振った。


 まだ分からない。


 そんな都合のいい話が本当にあるのか。


 それに、俺自身だって――。


 このルーンが何なのか、完全には理解していない。


 ただ一つだけ、確かなことがある。


 俺たちが今立っているこの場所は――。


 これまで誰も辿り着けなかった場所だ。


 そして、その扉を開いたのは――俺だった。


俺たちは慎重に階段を降りていった。


 一段、また一段。


 階段の先に何が待っているのか分からない。


 誰も余計な言葉を口にせず、足元と周囲を警戒しながら進んでいく。


 やがて階段を下りきる。


 その先にあったのは――一本の通路だった。


「……一本道か」


 ヘルメスが前方を確認する。


 通路はそれほど長くない。


 壁や床にも、今のところ怪しい仕掛けは見当たらなかった。


「罠は……なさそうね」


 リンも杖を構えながら周囲を確認する。


 そして、さらに奥へ視線を向けた。


「ちょっと待って」


 リンが目を閉じる。


「サーチ」


 魔力が静かに広がっていく。


 俺たちはその場で足を止め、リンの魔法が終わるのを待った。


 しばらくして――。


 リンがゆっくりと目を開く。


「……この先に部屋がある」


「何かいるか?」


 ヘクトルが尋ねる。


「いる」


 リンの表情が変わった。


「人型の魔物が一体だけ」


「一体?」


 ヘルメスが眉をひそめる。


 リンは頷いた。


「でも……おかしい」


「何がだ?」


「一体しかいないのに……」


 リンは、もう一度サーチに意識を集中させる。


 そして、少しだけ顔を強張らせた。


「……とても強い魔力を感じる」


 その声は小さかった。


「普通の魔物じゃない。部屋の中にいるのは一体だけなのに……明らかに、強力な力を持ってる」


 ヘクトルが黙って大剣の柄に手を掛ける。


 ヘルメスも弓を構えた。


 俺も剣と盾を確認する。


 この先にいるのは――。


 これまでの迷宮で戦ってきた魔物とは、明らかに違う。


 俺たちは互いに顔を見合わせた。


 そして、ゆっくりとその通路の先へ進み始めた。


俺たちは、通路の先にある部屋へ足を踏み入れた。


 広い部屋だった。


 その中央に――一体の人影が立っている。


「…………」


 そいつは、俺たちの方を向いていた。


 だが、頭を下げたまま動かない。


 手には一本のショートスピア。


 腕には――大型の円形盾。


 兜を被り、全身を鎧で覆っている。


 まるで、戦場からそのまま抜け出してきた古代の兵士のようだった。


 だが――。


「……アンデッド」


 リンが小さく呟いた。


 鎧の隙間から覗く肌は、生者のものではない。


 乾いた皮膚。


 朽ちた肉。


 長い年月を経てもなお、鎧を身に着けたまま立ち続けている。


 アンデッドだ。


 それなのに、奇妙だった。


 こちらに気づいているはずなのに、動かない。


 敵意を向けてくるわけでもない。


 ただ頭を下げ、俺たちの前に立っている。


「……動かないな」


 ヘルメスが弓を構えたまま呟く。


「でも、油断するな」


 ヘクトルが低い声で言った。


 俺も盾を構える。


 そして――そのアンデッドを見つめた。


 ショートスピア。


 大型の円形盾。


 全身を覆う鎧。


 その姿を見ていると、胸の奥に妙な感覚が湧き上がってくる。


 まるで――。


 こいつを、俺は知っている。


 そんな錯覚さえ覚えた。


敵意は――感じられなかった。


「……動かないな」


 ヘルメスが弓を構えたまま、少しずつ近づいていく。


 アンデッドは動かない。


 リンも慎重に距離を詰める。


「……本当に、何もしないわね」


 それでも、アンデッドは頭を下げたままだった。


 ヘクトルも大剣に手を掛けたまま、一歩、また一歩と近づいていく。


「……反応なし、か」


 それでも動く様子はない。


 そして――俺も、少しだけ距離を縮めた。


 その瞬間だった。


「……!」


 胸の奥が、強く脈打った。


 魂に刻まれたルーン。


 まさか――こいつが反応しているのか……?


 そう思った瞬間。


 世界が――ゆっくりになった。


「……?」


 リンの動きが、異様なほどゆっくりに見える。


 ヘルメスの呼吸さえ、止まっているように感じる。


 時間が――。


 ゆっくりと流れている……?


 いや。


 違う。


 これは――。


「……死?」


 その言葉が頭をよぎった。


 そして次の瞬間――。


「――ッ!」


 目の前から、アンデッドが消えた。


 さっきまで部屋の中心にいたはずの姿がない。


「どこに――」


 左前方。


 そこにいた。


 アンデッドが宙を飛んでいる。


 大型の円形盾が、俺の視界を塞ぐように迫ってくる。


 死角を作る――。


 この動きは……!


「飛影閃突……?!」


 盾の死角から、ショートスピアが突き出された。


 狙いは――俺の首。


 考えている暇はなかった。


「――っ!」


 俺は反射的に盾を振り上げた。


 ガキィィンッ!!


 槍先が首へ届く寸前、俺の盾がそれを弾き飛ばした。


 衝撃が腕を突き抜ける。


 ――速い。


 あまりにも速い。


 俺が知っている飛影閃突とは、まるで違う。


 目で追うことすらできなかった。


 ただ――。


 身体だけが動いた。


 まるで、昔から知っていたかのように。


アンデッドは、俺の盾に弾かれた槍を引き戻した。


 だが――。


 その視線は、俺から一度も離れていない。


 ヘルメスが弓を構えている。


 リンも杖を握っている。


 ヘクトルもすぐ隣にいる。


 それなのに。


 アンデッドは、まるで三人など存在していないかのように動かない。


「……俺だけを狙っている?」


 いや。


 違う。


 俺自身を狙っているというより――。


 俺の中にある何かに反応している。


 魂に刻まれたルーン。


 このアンデッドは、あのルーンに反応しているんじゃないのか?


 そして――。


 俺の魂もまた、このアンデッドに反応していた。


「……なんだ、この感覚」


 胸の奥が熱い。


 身体の奥底から、何かが湧き上がってくる。


 怒り。


 理由も分からない。


 何に対して怒っているのかすら分からない。


 それでも――。


「……怒ってる」


 自分でも驚くほど、声が低くなった。


 全身に力が満ちていく。


 腕に。


 脚に。


 胸に。


 まるで、身体の奥底で眠っていた何かが目を覚ましたようだった。


 アンデッドが、再び槍を構える。


 その姿を見た瞬間――。


 怒りが、さらに強くなった。


 こいつは何者なんだ。


 なぜ俺に反応する。


 なぜ俺の魂が、こいつを知っているように感じる。


 分からない。


 ただ――。


 今まで感じたことのないほどの力が、全身を駆け巡っていた。


ヘクトルが大剣を構え、ヘルメスが矢を放つ。


 リンも杖を掲げた。


「――ウィンドカッター!」


 鋭い風の刃が、アンデッドへと飛んでいく。


 だが――。


 アンデッドは、俺から一度も視線を逸らさなかった。


 迫り来る矢を槍で軽く弾き、風の刃を盾で受け流す。


 ヘクトルの大剣すら、円形盾を僅かに傾けて受け流した。


「……なんだ、こいつ」


 ヘルメスが呟く。


 俺たち三人の攻撃を、まるで大したことではないように捌いている。


 それでも――。


 アンデッドは、ずっと俺を見ていた。


「…………」


 その瞬間だった。


 また、あの感覚。


「……!」


 背筋が凍りつく。


 周囲の時間が、ゆっくりと流れていく。


 身体の奥から、警告が響く。


 ――死。


 次の瞬間。


 アンデッドが槍を引いた。


 そして――突く。


 ただの突きではなかった。


 槍先から、一筋の空圧が放たれる。


 空気が螺旋を描きながら回転し、凄まじい勢いでこちらへ飛んでくる。


「――ッ!」


 考えるより先に、身体が動いた。


 ルーンの力によって強化された肉体が、紙一重で攻撃をかわす。


 頬を掠めた風圧だけで、皮膚が裂ける。


 そして――。


 ドォォォォンッ!!


 背後から、とてつもない轟音が響いた。


「……!」


 振り返る。


 俺たちが入ってきた大扉。


 その中央に――巨大な穴が開いていた。


「……嘘だろ」


 ヘルメスが呆然と呟く。


 俺は言葉を失った。


 もし、あの一撃をまともに受けていたら――。


 間違いなく、俺は死んでいた。


 それほどの威力だった。


 だが、アンデッドは何事もなかったかのように槍を構えている。


 そして――。


 また俺だけを見ていた。


俺は槍を構えた。


 このショートスピアには、迷宮へ入る前に聖水を塗ってある。


 アンデッドに対して、どれほど効果があるのかは分からない。


 だが――今は使うしかない。


「――っ!」


 地面を蹴った。


 ルーンによって強化された肉体が、一気に距離を詰める。


 バァルさんから教わった槍技。


 踏み込みと同時に、槍を突き出す。


 一撃。


 二撃。


 そして――三撃目。


 その瞬間だった。


 ヒュッ!


 背後から矢が飛んできた。


 ヘルメスだ。


 矢はアンデッドの右足へ突き刺さる。


「――!」


 アンデッドの身体が僅かに揺らいだ。


 その隙に、俺は最後の一撃を叩き込む。


 しかし――。


 掠めただけだった。


 致命傷には程遠い。


 それでも。


「――グッ……!」


 アンデッドが初めて苦しそうに呻いた。


「……効いてる?」


 リンが驚いたように呟く。


 俺は槍を見る。


 刃に塗られた聖水。


 どうやら――まだ効果が残っているらしい。


 ほんの僅かに掠めただけ。


 それでも、アンデッドの身体に聖水が触れた瞬間、明らかな苦痛を与えている。


「……なるほど」


 ヘクトルが大剣を構え直した。


「なら、その槍で削っていけばいい」


 俺は槍を握り直す。


 アンデッドは苦しそうに身体を揺らしながらも、再び俺を見据えた。


 その目には、変わらない敵意が宿っている。


 ――まだ終わっていない。


アンデッドの身体から、黒い灰が少しずつこぼれ落ちていた。


 聖水の効果が、確実に身体を蝕んでいる。


 それでも――止まらない。


 アンデッドは槍を構え直した。


「……来る!」


 次の瞬間だった。


 地面を蹴る。


 その動きに迷いはない。


 槍が閃いた。


 一撃。


 俺は盾で受ける。


 ――ガンッ!


 二撃目。


 盾を滑らせて受け流す。


 三撃目。


 槍を引いた直後、今度は腰の剣へと手が伸びる。


「……!」


 剣が抜かれる。


 四撃目。


 横薙ぎ。


 盾で受け止める。


 ――ズンッ!


 腕が痺れる。


 五撃目。


 逆方向からの斬撃。


 盾を合わせる。


 ――ガァンッ!


 衝撃で足が沈む。


 六撃目。


 今度は盾そのものが迫ってきた。


 円形盾による強烈な打撃。


「ぐっ……!」


 身体が大きく揺らぐ。


 そして――。


 七撃目。


 アンデッドが槍を構え直す。


 あの構え。


 見覚えがある。


 飛影閃突――。


「……っ!」


 槍が突き出された。


 俺は盾を正面に構える。


 ――ドォンッ!!


「ぐあああっ!」


 凄まじい衝撃だった。


 盾越しに全身を殴り飛ばされる。


 足が床から離れた。


 そのまま――。


 俺の身体は盾ごと吹き飛ばされた。


「レオン!」


 リンの叫び声が聞こえた。


 俺の身体は床を転がり、ようやく止まった。


「……俺の身体は、どうなってるんだ?」


 ゆっくりと身体を起こす。


 不思議だった。


 あれだけの衝撃を受けたはずなのに――。


「……痛くない?」


 まるで、痛みを感じない。


 これも、ルーンの力なのか……?


 そんなことを考えながら、俺はすぐに立ち上がった。


 だが――。


「……っ」


 左腕が上がらない。


 盾を持つ左手に、力が入らなかった。


 まずい。


 そう思った瞬間――。


 背筋が凍った。


「あぁ……」


 また、あの感覚。


 死。


 アンデッドが、すでに目の前まで迫っていた。


 槍が閃く。


 ――一撃。


 俺は剣で受けた。


 ガキィンッ!


 二撃目。


 受け流す。


 三撃目。


 剣を合わせる。


 ――ガンッ!


「ぐっ……!」


 重い。


 速い。


 そして――。


 まだ続く。


 四撃目。


 五撃目。


 六撃目。


 剣だけでは、もう受けきれない。


「……ダメだ」


 このままじゃ――。


 七撃目が来る。


 そう思った瞬間。


「やめろおおおおっ!!」


 轟音とともに、大剣が横から振り抜かれた。


 ――ザンッ!!


 アンデッドの右肩が、大剣によって深々と切り裂かれる。


 そのまま――。


 右腕ごと、切断された。


 ドサッ……。


 床に、ショートスピアを握った腕が落ちる。


「……ヘクトル!」


 俺が振り返る。


 そこには、息を切らしながら大剣を構えるヘクトルが立っていた。


「……仲間をやらせるかよ」


 ヘクトルが低く呟いた。


その瞬間――。


 胸の奥で、何かが大きく脈打った。


 魂に刻まれたルーンが――高鳴っている。


 まるで、俺に告げているようだった。


 ――倒せ。


 身体の奥から、力が溢れてくる。


「……分かった」


 俺は剣を握り直した。


 そして、全身の力を振り絞る。


 目の前では、右腕を失ったアンデッドがなおも立っていた。


 黒い灰が、身体から少しずつこぼれ落ちている。


 それでも、倒れない。


 俺は地面を蹴った。


「――うおおおおっ!」


 一気に距離を詰める。


 剣を振るう。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 アンデッドは残った左腕の盾で受ける。


 ――ガンッ!


 四撃目。


 五撃目。


 六撃目。


 凄まじい衝撃が、盾と剣の間で弾ける。


 それでもアンデッドは、一歩も退かない。


 俺は最後の一撃のために、剣を引いた。


 そして――。


 槍を構える。


「――これで終わりだ!」


 盾で守るアンデッドへ向かって、全身の力を一つにする。


 あの動き。


 さっき見た。


 いや――。


 もっと前から、俺の中にあった。


「飛影閃突――!」


 踏み込む。


 盾で死角を作る。


 そして、槍を突き出す。


 ――ズドンッ!!


 槍が盾を貫く。


 そのままアンデッドの身体を貫いた。


 アンデッドの身体が大きく揺らぐ。


 そして――。


 パラ……。


 黒い灰が、鎧の隙間からこぼれ落ちる。


 身体が崩れていく。


 鎧も。


 盾も。


 槍も。


 すべてが、黒い灰へと変わっていく。


 最後に残ったのは――。


 床に散らばった、僅かな灰だけだった。


「…………」


 俺は、その場に立ち尽くしていた。


 槍を握ったまま。


 胸の奥で高鳴っていたルーンも、少しずつ静かになっていく。


 なぜだ。


 なぜ俺は――。


 あいつを倒したことが、こんなにも苦しいんだ。


 まるで――。


 自分自身を殺したような感覚だった。

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