古代の迷宮(中編)
「奇襲された?!」
ヘルメスの声が響いた。
次の瞬間、俺は周囲を見渡した。
おそらく――サーチの魔法が、何かの妨害魔法に触れたんだ。
それによって俺たちの存在を敵に察知された。
「リン、伏せろ!」
ヘクトルが叫ぶ。
「えっ――」
リンが振り返った、その瞬間だった。
――ヒュンッ!
空気を切り裂く音。
暗闇の奥から、二つの光の玉が飛来した。
「リン!」
ヘクトルの叫び声。
光弾は一直線にリンへ向かっている。
まずい――!
考えるより先に、俺の身体が動いていた。
「リン!」
俺はリンを抱え込むようにして引き寄せ、その前へ身体を滑り込ませる。
同時に盾を構えた。
――ドンッ!
一発目が盾へ直撃する。
衝撃が腕を突き抜け、身体が大きく揺さぶられた。
「ぐっ……!」
続けざまに――
――ドンッ!
二発目。
俺は盾の角度を変え、光弾を受け流す。
二つの光は盾の表面を滑るように逸れ、俺たちの横を通り抜けていった。
地面へ着弾した光が、周囲を一瞬だけ白く照らす。
「レオン……!」
腕の中からリンの声が聞こえた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
俺はリンを離し、すぐに立ち上がる。
盾を構え直す。
暗闇の奥。
何かがいる。
姿はまだ見えない。
だが――確実に、俺たちを狙っている。
「……来るぞ」
俺は低く呟いた。
ヘクトルが大剣を構え、ヘルメスが弓を引き絞る。
リンも杖を握り直した。
さっきまでの探索とは違う。
ここからは――命を懸けた戦いだ。
ヘルメスが素早く弓を引き絞る。
「部屋へ入るぞ!」
叫ぶと同時に、部屋の奥へ向かって矢を放った。
一本、二本、三本――。
狙いを定めるというより、部屋の中を牽制するように無作為に矢を撃ち込んでいく。
暗闇の奥で、何かに矢が当たる音が響いた。
「今だ!」
ヘルメスが叫ぶ。
その直後、ヘクトルが両手に握っていた二本の手斧を振りかぶった。
「うおおおっ!」
――ブンッ!
二本の手斧が、ほぼ同時に放たれる。
唸りを上げながら回転する手斧は、部屋の中心へ向かって一直線に飛んでいった。
俺たちは一斉に駆け出す。
ヘルメスを先頭に、ヘクトル、俺、そしてリン。
暗闇の向こうから再び光が走る。
だが、今度は立ち止まらない。
「行くぞ!」
俺は盾を構えたまま、部屋へと踏み込んだ。
俺たちはそのまま、一気に部屋の中へ入った。
部屋へ踏み込んだ俺たちは、すぐに足を止めた。
「……なんだ、あれは」
ヘルメスが呟く。
部屋の中央。
そこに立っていたのは――人間ではなかった。
黒いローブに身を包み、フードの奥には肉の削げ落ちた顔。
眼窩の奥には、青白い光が灯っている。
その手には古びた杖。
そして、その周囲にはいくつもの魔法陣が浮かび上がっていた。
「アンデッド……?」
リンが息を呑む。
すると、魔物がゆっくりと杖を掲げた。
――ズズズズズ……。
地面から、白い骨の腕が伸びてくる。
一本。
二本。
それだけではない。
次々と地面が盛り上がり、無数の骨が姿を現していく。
「スケルトンだ!」
ヘルメスが叫んだ。
さらに部屋の奥から、腐敗した身体を引きずるアンデッドたちまで現れる。
「まさか……」
リンが杖を握り直す。
「ネクロマンサー……」
「知ってるのか?」
俺が尋ねると、リンは頷いた。
「アンデッド型の魔物の中でも、かなり厄介な種類よ。複数の魔法を使うだけじゃない……」
リンの声が僅かに震える。
「アンデッドやスケルトンを召喚して、自分の代わりに戦わせるの」
その言葉を証明するように、ネクロマンサーの周囲へ次々と魔物が集まっていく。
数が増えていく。
十体……いや、それ以上。
「……厄介どころじゃないな」
俺は盾を構え直した。
正面には大量のスケルトン。
そのさらに奥には――
俺たちを見つめるネクロマンサー。
こいつを倒さない限り、いくら敵を倒しても終わらない。
「ヘクトル」
「ああ」
ヘクトルが大剣を構える。
「まずは道を開くぞ」
「了解!」
ヘルメスが矢を番える。
リンも杖を構えた。
俺は盾を握り直す。
目の前に広がるアンデッドの群れ。
そして、その奥で不気味に佇むネクロマンサー。
――古代の迷宮。
そこで待ち受けていた最初の強敵との戦いが、始まった。
召喚されたスケルトンたちが、一斉にこちらへ向かってくる。
骨の身体を軋ませながら、剣や槍を手に迫ってきた。
「来るぞ!」
ヘクトルが大剣を構える。
「俺が前を開ける!」
俺も盾を構え、ヘクトルの横へ並んだ。
スケルトンが振り下ろした剣を盾で受け止める。
――ガンッ!
そのまま盾を押し出し、体勢を崩させる。
「ヘクトル!」
「ああ!」
俺が作った隙へ、ヘクトルの大剣が横薙ぎに振り抜かれた。
――ズガンッ!
スケルトンの身体が吹き飛び、後方の仲間まで巻き込んで倒れていく。
「行くぞ!」
俺たちは互いの動きを合わせながら、次々とスケルトンを蹴散らしていく。
俺が盾で攻撃を受け、敵の動きを止める。
その隙をヘクトルが大剣で叩き潰す。
逆にヘクトルが敵を引きつければ、俺が盾で押し込み道を開く。
少しずつだが、ネクロマンサーへの道ができていく。
「今だ!」
後方からヘルメスの声が響いた。
振り返ると、ヘルメスが弓を引き絞っている。
その隣ではリンが杖を掲げていた。
「ウィンドカッター!」
リンの杖から鋭い風の刃が放たれる。
同時にヘルメスの矢がネクロマンサーへ向かって飛んだ。
――ヒュンッ!
――シュッ!
しかし――
ネクロマンサーの前に、突然半透明の障壁が浮かび上がった。
風の刃が障壁へ触れた瞬間――
――バシュッ!
魔法が霧散する。
「なっ……!」
さらにヘルメスの矢が障壁へ突き刺さった。
だが――
矢は障壁に触れた瞬間、青白い炎に包まれた。
次の瞬間には、跡形もなく燃え尽きる。
「魔法だけじゃない……矢まで!」
ヘルメスが驚きの声を上げる。
ネクロマンサーは何事もなかったかのように立っている。
その周囲には、再び魔法陣が浮かび始めていた。
「……あの障壁、かなり厄介だぞ」
ヘクトルが低く呟く。
俺は盾を構え直し、ネクロマンサーを睨みつけた。
どうやら、簡単には近づかせてもらえないらしい。
俺は迫り来るスケルトンの剣を盾で受け流し、そのまま体当たりで吹き飛ばした。
倒れたスケルトンへ剣を振り下ろす。
――ガキンッ!
骨が砕け、白い欠片が床へ散らばった。
「ヘクトル!」
「なんだ!」
「ネクロマンサーに近づければ、もしかしたらなんとかできるかもしれない!」
俺はスケルトンを蹴り飛ばしながら叫ぶ。
ヘクトルは一瞬だけネクロマンサーへ視線を向けると、大剣を握り直した。
「……分かった!」
そして、口元を僅かに上げる。
「任せとけ!」
ヘクトルが一歩踏み込んだ。
「うおおおおっ!」
大剣が豪快に振り抜かれる。
――ズガンッ!
数体のスケルトンがまとめて吹き飛んだ。
さらにヘクトルは止まらない。
大剣を振り回しながら、次々とアンデッドを薙ぎ倒していく。
「今だ、レオン!」
道が開いた。
俺はすぐに腰の魔法のカバンへ手を伸ばした。
取り出したのは――以前、教会から貰った聖水。
蓋を開ける。
そして、手にしたショートスピアへ聖水を振りかけた。
槍の穂先を、聖水が伝っていく。
「……これでどうだ」
俺は槍を握り直す。
聖水を纏った穂先が、薄暗い部屋の中で僅かに光を帯びているように見えた。
ネクロマンサーとの距離は、まだある。
だが――
今なら行ける。
「行くぞ!」
俺は盾を構え、ネクロマンサーへ向かって駆け出した。
スケルトンが立ちはだかる。
盾で押し退ける。
横から振られた剣を躱し、槍で骨の身体を突き飛ばす。
そのまま止まらない。
ヘクトルが作ってくれた僅かな隙間を、一直線に駆け抜ける。
ネクロマンサーがこちらへ杖を向けた。
その前に、再び魔法の障壁が展開される。
――来る。
俺は盾を前へ突き出し、さらに一歩踏み込んだ。
聖水を纏った槍を握り締める。
狙うは――
ネクロマンサー本体。
ネクロマンサーは俺が迫ってくるのを見ると、先ほどと同じように杖を掲げた。
――シュンッ!
その身体を覆うように、半透明の魔法障壁が展開される。
普通なら、ここで止められる。
だが――
俺の槍には、聖水がある。
「……貫け!」
俺は盾を構えたまま、全身の力を槍へ乗せた。
――ガキィンッ!
槍の穂先が障壁へ衝突する。
しかし――
今までとは違った。
障壁が、槍を弾かない。
聖水によって清められた穂先が、まるで薄い膜を突き破るように障壁を貫いた。
「――なっ!?」
ネクロマンサーが初めて声を上げた。
そのまま槍は障壁の向こうへ到達する。
――ズブッ!
穂先がネクロマンサーの左手に突き刺さった。
「ギィィィィィッ!!」
耳をつんざくような悲鳴が部屋中に響き渡る。
槍が触れた場所から、黒い煙が噴き出した。
そして――
ネクロマンサーの左手が、指先から崩れ始めた。
ボロボロと肉が崩れ、灰へと変わっていく。
「効いてる!」
後方からリンの声が聞こえた。
ネクロマンサーは苦しみながら左手を振り払う。
その瞬間――
――パッ!
足元に魔法陣が展開された。
「しまった!」
俺が槍を引き抜こうとした、その瞬間。
ネクロマンサーの身体が魔法陣の光に包まれる。
次の瞬間には、俺から大きく距離を取った場所へ瞬時に移動していた。
残された左手は――
肘から先が完全に灰と化している。
「……逃げた?」
俺は槍を構えたまま、ネクロマンサーを睨みつける。
奴は残った右手で杖を握り締めていた。
聖水は、やはりアンデッド系の魔物には絶大な効果がある。
左手を失ったネクロマンサーは、明らかに弱っていた。
身体をふらつかせながら、それでも右手に握った杖を離さない。
「……何か、唱えてる?」
リンが呟いた。
ネクロマンサーの口から、聞き取れない言葉が漏れている。
それはまるで――呪文のようだった。
「何をするつもりだ……?」
俺が身構えた、その瞬間。
――フッ。
ネクロマンサーの姿が消えた。
「……なっ!?」
一瞬だった。
そこにいたはずのネクロマンサーが、まるで最初から存在していなかったかのように消えている。
「どこだ?!」
ヘルメスが叫んだ。
俺も周囲を見渡す。
だが、どこにもいない。
「レオン!」
ヘルメスの声が響く。
次の瞬間――
「えっ……?」
リンの背後に、黒い影が現れた。
「リン、後ろだ!」
俺が叫ぶ。
だが、遅かった。
ネクロマンサーがリンの背後に立っている。
杖を持つ右手とは反対の手を、リンの肩へ伸ばした。
「――っ!」
リンが振り向いた瞬間。
ネクロマンサーの手から黒い光が溢れ出した。
「いやっ……!」
リンの身体から、淡い光が吸い出されていく。
「何これ……!」
リンの魔力だ。
目に見えるほどの光となって、ネクロマンサーへ吸い込まれていく。
瀕死だったはずのネクロマンサーの身体に、少しずつ力が戻っていく。
「リンから離れろ!」
俺は叫び、盾を構えて駆け出した。
だが――
ネクロマンサーはリンを掴んだまま、こちらを見た。
青白く光る眼窩。
そこに宿っていたのは――
先ほどまでの苦しみではなかった。
明確な殺意だった。
俺は考えるより先に駆け出していた。
「リン!」
ネクロマンサーがリンの肩を掴んでいる。
その手から、いまだに黒い光がリンの身体から吸い上げられていた。
俺は槍を握り締める。
聖水で清められた穂先が、淡く光を帯びている。
「離れろ!」
そのままネクロマンサーへ向かって槍を突き出した。
――ヒュッ!
ネクロマンサーは咄嗟にリンから手を離した。
そして、身体を後方へ跳ばせる。
槍の穂先が、奴の身体を僅かに掠めた。
「チッ……!」
ネクロマンサーは再び距離を取った。
俺はすぐにリンの前へ立ち、盾を構える。
「リン、大丈夫か!」
「……うん……」
リンはその場に座り込んでいた。
肩で大きく息をしている。
顔色も明らかに悪い。
「魔力を……かなり持っていかれた……」
「動けるか?」
「少し休めば……たぶん……」
意識はある。
呼吸もできている。
どうやら命に別状はないようだ。
「よかった……」
俺は安堵しながらも、すぐに視線をネクロマンサーへ戻した。
奴は少し離れた場所で、こちらを睨みつけている。
左手は失われ、身体も瀕死の状態。
それでもまだ動ける。
そして――
俺の槍を警戒している。
「……聖水が効いてる」
俺は槍を構え直した。
ならば、やることは一つだ。
この槍で――
今度こそ、奴を仕留める。
――まずい。
これは明らかにまずい。
ネクロマンサーは瀕死のはずだった。
左手を失い、身体からは黒い煙が立ち上っている。
それでも――
奴の身体には、先ほどリンから吸い上げた魔力が渦巻いていた。
残された右手を掲げ、何かの呪文を唱えている。
「……させるか!」
ヘルメスが矢を放つ。
――ヒュンッ!
ヘクトルも大剣を振りかぶり、手斧を投げつける。
だが――
――キィンッ!
ネクロマンサーの前に展開された障壁が、すべてを阻んだ。
矢は弾かれ、手斧も障壁に阻まれて床へ落ちる。
「くそっ!」
ヘクトルが叫ぶ。
「まだ魔法を撃てるのかよ!」
リンはその場に座り込み、苦しそうに息をしている。
ヘルメスとヘクトルが必死に攻撃を続ける。
それでも――届かない。
ネクロマンサーの詠唱は止まらない。
魔法陣が、奴の足元に次々と浮かび上がっていく。
その規模は、今までの魔法とは明らかに違っていた。
「……レオン」
リンの弱々しい声が聞こえる。
俺は振り返った。
このままでは――
みんなが危険だ。
ヘクトルも。
ヘルメスも。
そして、リンも。
俺の手には聖水で清めた槍がある。
ネクロマンサーを倒せる可能性は、これしかない。
でも――
障壁を突破できなければ、意味がない。
目の前で仲間が危険に晒されている。
なのに、俺は動けない。
胸の奥が締め付けられる。
あの日と同じだ。
守りたいと思った。
守らなければと思った。
それなのに――
また、誰かを失うのか。
「……嫌だ」
無意識に声が漏れた。
盾を握る手に力が入る。
「俺は……」
目の前で詠唱を続けるネクロマンサーを睨みつける。
「また守れないのか……」
その瞬間。
「あぁ……」
不思議と、恐怖はなかった。
むしろ――
妙に静かだった。
「……この感覚」
目の前では、ネクロマンサーが最後の魔法を完成させようとしている。
ヘクトルも、ヘルメスも、リンもいる。
なのに――
周囲の音が遠ざかっていく。
時間そのものが、ゆっくりになったように感じる。
「死を前にしている……と言うことか」
俺は槍を握り直した。
次の瞬間。
――踏み込む。
地面を蹴った。
一歩。
二歩。
三歩。
ネクロマンサーとの距離が、一気に縮まっていく。
奴がこちらに気づいた。
杖を向けようとする。
だが――遅い。
俺はその勢いのまま、地面を蹴って宙へ飛び上がった。
ネクロマンサーの横を通り過ぎるように身体を捻る。
そして――
盾を前へ。
奴の視界から、俺の槍を隠す。
ほんの一瞬。
盾によって生まれた死角。
その隙間から、槍を突き出した。
――ズブッ!
聖水で清められた穂先が、ネクロマンサーの首元へ深々と突き刺さる。
「――――ッ!」
声にならない呻き。
槍を通して、確かな手応えが伝わってきた。
ネクロマンサーの身体が大きく震える。
首元から黒い煙が噴き出した。
俺は槍を握ったまま、着地する。
そして――
ネクロマンサーの身体から、急速に力が失われていくのを感じた。
あれほど渦巻いていた魔力が、嘘のように消えていく。
俺は静かに槍を引き抜いた。
――ドサッ。
ネクロマンサーの身体が、床へ崩れ落ちた。
その姿は、やがて黒い灰へと変わっていった。
魔法陣も消えていく。
そして――
止まっていたように感じていた時間が、再び動き始めた。
「た、助かった……?」
リンが細々と呟いた。
俺は槍を下ろし、リンを見る。
「ああ。もう大丈夫だ」
そう答えた直後――
「やるじゃねえか、レオン!!」
ヘクトルのでかい声が部屋中に響き渡った。
「お前、あの障壁をぶち抜きやがったな!」
「ヘクトル、声が大きいって……」
ヘルメスが苦笑する。
それでも、二人の表情には安堵が浮かんでいた。
すぐさま俺たちはリンの元へ集まった。
「リン、大丈夫?」
ヘルメスがしゃがみ込む。
「顔色が悪いぞ」
ヘクトルも心配そうにリンを覗き込む。
「うん……大丈夫。ちょっと……力が入らないだけ」
リンはそう言って、弱々しく笑った。
「魔力をかなり吸われたからな。しばらく休んだ方がいい」
俺が言うと、リンは小さく頷いた。
「ありがとう……レオン」
「礼なんていい。それより、本当に大丈夫か?」
「うん。大丈夫……」
そう答えるリンを見て、俺はようやく肩の力を抜いた。
周囲を見渡す。
床には砕けたスケルトンの骨。
そして――
ネクロマンサーがいた場所には、黒い灰だけが残されていた。
俺たちは勝った。
戦いが終わると、ヘクトルはすぐに野営の準備を始めた。
「ここならしばらくは大丈夫そうだな」
そう言いながら、手際よく荷物をまとめていく。
一方、ヘルメスは休むことなく周囲を警戒していた。
部屋へ続く通路を確認すると、いくつかの場所に簡単な罠を仕掛けていく。
「何か近づいてきたら分かるようにしておく」
そう言って、細い糸や小さな仕掛けを通路に設置していった。
俺はその間に火を焚いた。
魔法のカバンから、野菜や果物、それにパンなどを取り出していく。
ようやく少しだけ、張り詰めていた空気が和らいだ。
「料理は任せろ」
ヘクトルが突然そう言った。
「え……?」
俺は思わずヘクトルを見る。
「ヘクトル……お前、料理できるのか?」
すると、隣で座っていたリンがクスクスと笑い始めた。
「ふふっ……ヘクトル、元々コックだったのよ」
「……え?」
思わずヘクトルを見る。
あの大剣を振り回していた大男が――コック?
「なんだよ、その顔は」
ヘクトルが苦笑する。
「料理くらいできるぞ」
「いや……意外すぎて」
「失礼な奴だな!」
ヘクトルが笑いながら、取り出した食材を手に取る。
リンも楽しそうに笑っている。
「ヘクトルの料理、結構おいしいんだよ」
「そうなのか……」
俺は焚き火を眺めながら、少しだけ笑った。
さっきまで命を懸けて戦っていたとは思えない。
古代の迷宮の奥深く。
危険な魔物が潜むこの場所で――
俺たちはほんの束の間、冒険者ではなく、ただの仲間として火を囲んでいた。
焚き火の前に立つヘクトルを見て、俺は思わず目を疑った。
デカくて引き締まった身体。
大剣を振り回していた、あの屈強な男。
そんなヘクトルが――
ピンク色のエプロンを身につけていた。
「……」
どうしても、目を逸らしたくなるほど似合っていない。
いや、似合っていないというより――
面白すぎる。
隣ではリンも口元を押さえながら、クスクスと笑っている。
「ふふっ……」
「おい、二人とも。何笑ってんだよ」
「いや……だって……」
俺は笑いを堪えながら答える。
「その身体に、そのエプロンは反則だろ」
「うるせえ!」
ヘクトルが顔をしかめる。
だが、次の瞬間。
俺は目を見張った。
ヘクトルは、先ほど倒したダイアウルフの肉を手際よく捌き始めた。
ナイフを滑らせ、余分な部分を取り除いていく。
動きに無駄がない。
肉の切り分けも見事だった。
まるで戦闘のときと同じだ。
大雑把に見えて、実際は驚くほど繊細な手つき。
「……すげえ」
思わず声が漏れた。
ヘクトルは顔を上げる。
「だから言っただろ。料理は任せろって」
「……人は見た目によらないって、このことなんだな」
「どういう意味だよ!」
ヘクトルが怒鳴る。
リンはまたクスクスと笑った。
「ふふっ……ヘクトル、昔から料理だけは本当に上手なのよ」
「料理だけは余計だ!」
そんなやり取りをしながらも、ヘクトルの手は止まらない。
切り分けた肉を火にかけ、香ばしい匂いが少しずつ部屋に広がっていく。
さっきまで死と隣り合わせだった迷宮の中。
今だけは――
どこか穏やかな時間が流れていた。
まさか、迷宮の中でこんな本格的な食事ができるとは思っていなかった。
目の前に並んでいるのは、ダイアウルフの肉を使ったスープとステーキ。
湯気の立つスープからは、肉と野菜の香りが漂っている。
「いただきます」
俺は一口、ステーキを頬張った。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
肉は柔らかく、噛むほどに旨味が広がる。
スープも身体に染み渡るような味だった。
「だろ?」
ヘクトルが満足そうに笑う。
その隣では、リンもゆっくりと食事を口に運んでいた。
「リン、いっぱい食え」
ヘクトルがそう言って、リンの皿へ肉を追加する。
「えっ……そんなに食べられないよ」
「いいから食え。魔力をかなり持っていかれたんだ。腹に入るだけ入れとけ」
「……ありがとう」
リンが小さく笑う。
ヘクトルは何でもないことのように振る舞っている。
けれど――
きっと、これがヘクトルなりの優しさなんだ。
さっきまで命懸けで戦っていた。
リンが魔力を奪われ、俺たちも死を覚悟するほどの戦いだった。
それでも今は、こうして仲間のことを気に掛けている。
俺はそんなヘクトルを見ながら、もう一度ステーキを口に運んだ。
迷宮の奥深く。
いつ魔物が襲ってくるかも分からない場所。
それでも今だけは――
俺たちは火を囲み、温かい食事を楽しんでいた。
食事を終えると、俺たちは見張りの順番を決めた。
俺、ヘクトル、ヘルメスの三人で交代しながら見張ることになった。
リンはまだ魔力をかなり消耗している。
今は少しでも身体を休めてもらうべきだ。
それぞれが装備や備品を確認し、次の探索に備えていると――
「レオン、これ見てくれ」
ヘルメスが戻ってきた。
その手には、一本の古びた杖。
そして、もう一つ。
分厚い魔導書を抱えている。
「それは……?」
「ネクロマンサーがいた場所に落ちてた」
ヘルメスが俺たちの前に置く。
先ほどまでネクロマンサーが立っていた場所には、黒い灰だけが残っていた。
その灰の上に、この二つだけが残されていたらしい。
杖は古びているものの、ところどころに細かな装飾が施されている。
そして魔導書。
表紙には見たことのない文字と、奇妙な紋様が刻まれている。
「……これ、明らかに高そうだな」
俺が呟く。
「だろ?」
ヘルメスが頷いた。
「普通の魔導書には見えない。ギルドに持ち帰れば、かなりの価値になるかもしれないぞ」
ヘクトルも魔導書を覗き込む。
「俺にはさっぱり分からねえな」
「私なら……少し分かるかも」
横になっていたリンが身体を起こした。
まだ顔色は完全には戻っていない。
「無理するな」
「大丈夫。見るだけだから」
リンが魔導書へ視線を向ける。
その表情が、少しずつ真剣なものへ
変わっていった。
リンは魔導書を慎重に開き、ページを一枚ずつめくっていく。
「……これ」
あるページで、リンの手が止まった。
「ネクロマンサーが使っていた魔法障壁について書かれてる」
「魔法障壁?」
俺が聞き返す。
「うん。それだけじゃない……私たちのサーチを妨害していた、あの妨害障壁についても記述がある」
リンの声が少し震えていた。
「……これって、失われた魔法の一部かもしれない」
「失われた魔法?」
ヘクトルが眉をひそめる。
リンは魔導書から目を離さない。
「現在の魔法体系には、もう存在しない技術がいくつかあるの。昔は使われていたけど、長い年月の中で術式や知識そのものが失われた魔法……」
そう言いながら、リンはページに刻まれた文字を指でなぞる。
「この障壁は、今の魔法とは術式の構造が全然違う。しかも……かなり高度」
リンはしばらく黙り込んだ。
「でも……」
「どうした?」
「ほとんど、私には解読できない……」
リンは困ったように魔導書を見つめる。
「読める部分はほんの一部だけ。文字そのものが古いし、術式の意味も今とは違うみたい」
俺は魔導書を見る。
ネクロマンサーが使っていた、あの強力な障壁。
俺たちの攻撃をことごとく防ぎ、サーチの魔法まで妨害した力。
その秘密が、この一冊に記されている。
「……それだけでも、とんでもない発見じゃないか?」
ヘルメスが呟いた。
リンは小さく頷く。
「うん……」
それでも、その表情には驚きと戸惑いが入り混じっていた。
「この迷宮……一体、何なんだろう」
誰も答えられなかった。
ただ、俺たちの前には――
古代の迷宮に残された、失われた魔法の一部が静かに眠っていた。
俺は、ヘルメスが持ってきた杖へ目を向けた。
ネクロマンサーが使っていた杖。
魔法について詳しくない俺でも分かる。
これは――明らかなマジックアイテムだ。
「リン、この杖は?」
「ちょっと触ってみるね」
リンが慎重に杖へ手を伸ばす。
指先が杖に触れた、その瞬間だった。
――フワッ。
リンの身体を淡い魔力のオーラが包み込んだ。
「……!」
リンが目を見開く。
杖から流れ込んだ魔力が、リンの周囲で渦を巻いている。
「すごい……」
リンは杖を握ったまま、自分の身体を見つめる。
「この杖……私の魔力を増幅してる」
「魔力を?」
俺が聞き返す。
「うん。今まで使っていた杖とは全然違う。魔法の威力だけじゃない……私の魔力そのものを効率よく引き出してくれてる」
リンの声には驚きが滲んでいた。
ヘクトルも杖を覗き込む。
「つまり、すげえ杖ってことか?」
「うん……凄い」
リンは杖を握り直した。
その周囲には、まだ淡い魔力の光が漂っている。
「こんな杖……見たことない」
古代の迷宮で倒したネクロマンサー。
その手にあった杖と魔導書。
どうやら俺たちは、魔物を倒しただけではないらしい。
この迷宮に眠る、古代の遺物まで手に入れてしまったようだ。
リンはしばらく杖を見つめていた。
「……これなら、もしかしたら」
「何か分かったのか?」
俺が尋ねると、リンは首を傾げながら杖を握り直した。
「分からない。でも……試してみる」
リンが目を閉じる。
そして――
聞いたことのない言葉を口にし始めた。
「……エル・ナーヴァ……セレクト……」
それは、今までリンが使っていた魔法の詠唱とは明らかに違っていた。
意味すら分からない。
だが、杖の先端に魔力が集まっていく。
「何だ……?」
ヘクトルが身構える。
次の瞬間――
――フッ。
リンの姿が消えた。
「なっ!?」
「リン!?」
俺とヘクトル、ヘルメスの三人が同時に声を上げる。
だが――
部屋の反対側。
そこにリンが立っていた。
「……成功した」
リン自身も驚いたように、自分の手を見つめている。
「今の……」
俺は言葉を失った。
間違いない。
先ほどネクロマンサーが使った、瞬時に移動する魔法。
「まさか……」
ヘルメスが呟く。
「今の魔法、ネクロマンサーが使ってたやつだよな?」
「うん……」
リンが頷く。
「私も驚いてる」
リンは杖を見つめた。
「この杖を握った瞬間……頭の中に、呪文が流れてきたの」
「呪文が……頭に?」
「そう。言葉の意味は分からないのに、どうやって唱えればいいのかだけは分かった」
リンは少し戸惑ったように杖を握り直す。
「まるで……この杖が、私に魔法を教えてくれたみたい」
俺たちは誰も言葉を返せなかった。
古代の迷宮。
失われた魔法が記された魔導書。
そして――
触れただけで、古代の魔法を伝えてくる謎の杖。
この杖には、一体どれだけの魔法が眠っているのだろう。
俺たちは、ネクロマンサーから手に入れた杖をどうするか話し合った。
結論は、すぐに決まった。
「やっぱり、この杖はリンが持ってるべきだな」
ヘクトルが言う。
「私もそう思う」
ヘルメスも頷いた。
この中で魔法を使えるのはリンだけだ。
それに、さっきのように瞬時に移動する魔法が使えるなら、緊急時には大きな助けになる。
「テレポートが使えるなら、危険な状況から逃げることもできるしな」
俺が言うと、リンも杖を見つめながら頷いた。
「分かった。私が預かる」
ただし――
「でも、まだ未鑑定だ」
ヘルメスが杖を見る。
「どんな効果があるのか、全部分かっているわけじゃない。もしかしたら、他にも何か隠された能力があるかもしれない」
「だから、普段は今まで使っていた杖を使おう」
俺がそう提案すると、リンも同意した。
「うん。この杖は本当に危険な時だけ使うことにする」
リンは新しい杖を大切そうに布で包んだ。
そして、いつもの杖を手に取る。
「正式な鑑定ができる場所に着いたら、詳しく調べてもらおう」
「ああ。それまでは慎重に扱おう」
こうして、ネクロマンサーの杖はリンが持つことになった。
古代の迷宮で手に入れた、正体の分からないマジックアイテム。
こうして――
俺たちは、迷宮での一日目を終えようとしていた。
焚き火を囲みながら、俺たちは交代で見張りを務めた。
ヘクトル、ヘルメス、俺。
順番に見張りをしながら、短い眠りにつく。
迷宮の中は静かだった。
時折、遠くから何かが動く音が聞こえる。
それでも、ヘルメスが仕掛けた罠のおかげで、俺たちはある程度安心して休むことができた。
俺は焚き火の前に座り、揺れる炎をぼんやりと眺めていた。
眠れない。
ふと――
二人の顔が頭に浮かんだ。
グリフ。
そして、アン。
「……元気にしてるかな」
あの二人と別れてから、どれくらい経っただろう。
俺たちは、それぞれ別の道を進むことになった。
あの時の俺には、まだ力がなかった。
だから――
別々の道を選んだ。
それが間違いだったとは思っていない。
それでも。
今、この静かな迷宮の中で一人になったような時間を過ごしていると、不思議と二人のことを思い出してしまう。
グリフの軽口。
アンの笑顔。
くだらないことで笑った時間。
命懸けの戦いを一緒に乗り越えたこと。
いろんな記憶が、次々と蘇ってくる。
「……会いたいな」
自然と口から言葉が漏れた。
今まで、そんなことを考える余裕なんてなかった。
ただ前へ進むことだけを考えていた。
でも今は――
無性に、二人に会いたかった。
焚き火の炎が静かに揺れる。
俺はその炎を見つめながら、胸の奥で思った。
いつかまた――
三人で、くだらない話をしながら笑える日が来ればいい。
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
古代の迷宮。
その一日目が、静かに終わろうとしていた。




