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冒険の書  作者: siva5880


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15/54

過去の自分

騎士団での訓練から、数日が経った。


 あの日以来、俺は王都ハルディオンでいくつかの依頼をこなしながら過ごしていた。


 そして今日。


 いよいよ、迷宮へ向かうことになった。


 今回の探索では、ヘクトル、リン、ヘルメスと行動を共にする。


 ヘクトルは大剣を扱う巨漢。


 リンは魔法を使い、ヘルメスは弓を得意としている。


 騎士団の訓練場で一度顔を合わせただけだったが、今回の迷宮探索を機に、一緒に行動することになった。


 ただし――


 その迷宮へ入るには、通常の迷宮とは違う手続きが必要だった。


 王都の地下深くに存在する、特殊な迷宮。


 内部の構造が一定ではなく、入るたびに道が変化する。


 出現する魔物さえも変わるという。


 その特殊性から、騎士団によって管理されており、冒険者だけの判断で入ることは許されていない。


 入場には、騎士団の許可が必要だった。


 そのため俺は今朝、騎士団本部を訪れていた。


「迷宮への入場許可証を受け取りたい」


 受付でそう伝える。


 すると、対応した騎士が俺の冒険者手帳を確認した。


「レオン……?」


「はい」


 騎士はしばらく手帳を眺めたあと、顔を上げた。


「少し待っていてくれ」


「分かりました」


 そう言って奥へ向かった騎士を見送り、俺はその場で待つ。


 しばらくすると――


「レオン」


 背後から声がした。


 振り返る。


 そこにいたのは、一人の騎士だった。


「騎士団長がお呼びだ」


「……俺を?」


「ああ。団長室まで来てくれ」


 なぜだ?


 俺は少し首を傾げた。


 迷宮の入場許可証を受け取りに来ただけのはずだ。


 まさか、何か問題でもあったのだろうか。


 考えても分からない。


 俺は騎士の後をついて、騎士団本部の奥へと進んでいった。


 やがて、一際大きな扉の前に辿り着く。


 騎士が扉を二度叩いた。


「入れ」


 中から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。


 扉が開く。


「失礼します」


 部屋へ入った俺は、すぐに足を止めた。


 机の向こうには、騎士団長ゼクス。


 そして――


 その隣に、もう一人。


 全身をローブで包み、フードを深く被った人物が立っていた。


「来たか、レオン」


「はい……」


 俺はその人物を見た。


 顔は見えない。


 だが、なぜか妙な違和感があった。


 初めて見るはずなのに――


 どこかで、この気配を知っているような気がする。


「ダンジョンの入場許可証について来たのだろう?」


「はい」


「その件について話す前に、お前に会わせたい人物がいる」


「俺に?」


 ゼクスが隣の人物を見る。


「数日前、お前が訓練場で使った技についてだ」


「……飛影閃突」


 その名前を口にした瞬間。


 フードの人物が、わずかに反応した。


 ゼクスが続ける。


「お前が飛影閃突を使ったという話を聞き、この人物は王都まで駆けつけてきた」


「……俺が使ったから?」


「ああ」


 俺はフードの人物を見る。


 すると――


「久しいな」


 その声を聞いた瞬間。


 胸の奥が、わずかに揺れた。


 知っている。


 この声を――


 そう思った。


 だが、思い出せない。


 フードの人物がゆっくりと手を上げる。


 そして――


 深く被っていたフードを脱いだ。


 長い髪が肩へ流れ落ちる。


 その横から覗いたのは――


 人間にはない、細く長く尖った耳だった。


「…………」


 俺は言葉を失った。


 目の前に立っていたのは、美しい女性。


 そして、その特徴的な耳。


「……エルフ?」


 俺が呟く。


 女性は静かに微笑んだ。


「そうだ」


 数日前。


 騎士団の訓練場で、俺は初めて知った。


 飛影閃突という技の存在を。


 そして今――


 その技を知るエルフが、俺の目の前に現れた。


女性は、静かにこちらを見つめていた。


「私はアリス」


 そう名乗った。


「王都より西にある大森林。そこを知っているか?」


「……名前だけなら」


 王都から西へ進んだ先に広がる、巨大な森林。


 人間の暮らす土地とは隔絶された、エルフたちの住む場所だと聞いたことがある。


「私はそこで暮らしている」


 アリスはそう言って、僅かに視線を窓の外へ向けた。


「魔術師だ」


「魔術師……」


「ああ」


 その言葉には、不思議な重みがあった。


 ゼクスが腕を組みながら口を開く。


「アリスは、俺たち人間とは時間の流れが違う」


「……どういう意味ですか?」


「エルフは長命種だ」


 アリスが答えた。


「人間の寿命など、私たちにとっては短いものだ」


 淡々とした言葉だった。


 だが、その事実を改めて聞くと、俺は目の前の女性を見つめてしまう。


 見た目だけなら、俺とそれほど歳が離れているようには見えない。


 それなのに――


 この女性は、俺たち人間には想像もできないほど長い時間を生きている。


「私は長い年月を生きてきた」


 アリスはそう言った。


「その間に、いくつもの国が生まれ、そして消えていった。騎士団の歴史も、魔術の歴史も見てきた」


 静かな声だった。


 まるで、自分の遠い過去を語るように。


「だからこそ……」


 アリスの視線が、再び俺へ向けられる。


「お前が使った技を見たと聞いて、確かめずにはいられなかった」


「飛影閃突……」


 俺がその名を口にすると、アリスはゆっくりと頷いた。


「ああ」


 その表情から、先ほどまでの穏やかな笑みが消える。


「まさか、この時代にもう一度見ることになるとは思わなかった」


 部屋の空気が、わずかに変わった気がした。


 俺は黙ってアリスを見つめる。


 彼女は一体、どれほど長い時間を生きてきたのだろう。


 そして――


 なぜ俺のことを知っている?


 なぜ、飛影閃突を知っている?


 疑問ばかりが頭に浮かんでくる。


 そんな俺を見て、アリスは小さく笑った。


「まあ、今はそんなに警戒するな」


「……警戒もしますよ」


「そうか」


 アリスは楽しそうに笑った。


「……やっぱり、俺たちは以前に会ったことがあるんですね?」


 アリスは答えなかった。


 ただ、どこか懐かしそうな目で俺を見つめていた。


 俺が尋ねると、アリスはしばらく黙っていた。


 そして――


「正確には違う」


「……え?」


「私は、お前の過去を知っている」


 アリスは静かに俺を見つめた。


「だが、それは今のお前の過去ではない」


 意味が分からなかった。


「何を……言っているんですか?」


 アリスはゆっくりと息を吐いた。


「レオン。お前は自分が何者なのか、本当に分かっているか?」


「……冒険者です」


「そういう意味ではない」


 アリスの目が、真っ直ぐ俺を捉える。


「お前は、一度きりの人生を生きているわけではない」


「…………」


「生まれ、そして死ぬ」


 その言葉に、背筋が冷たくなった。


「そしてまた生まれる」


 アリスは淡々と続ける。


「また死ぬ。そして、また生まれる」


「……何を……」


 冗談には聞こえなかった。


「お前は長い年月をかけて、それを繰り返している」


 俺は言葉を失った。


「そんな……」


「信じられないか?」


「当たり前です」


 俺は思わず声を強めた。


「俺はレオンです。俺が生まれたのは――」


 そこで言葉が止まる。


 自分がいつ、どこで生まれたのか。


 両親は誰だったのか。


 幼い頃、何をしていたのか。


 考えようとした瞬間――


 頭の奥に、奇妙な空白があることに気づいた。


「…………」


 アリスは何も言わない。


 ただ、俺を見ている。


「お前は、これまで何度も生まれ変わってきた」


 その声が、妙に遠く聞こえた。


「ある時は人間だった」


「…………」


「ある時は人間ではなかった」


 俺は息を呑む。


「名前も違った。姿も違った。そして――種族さえ違った」


「……俺が?」


「ああ」


 アリスは頷いた。


「お前は何度も生まれ、何度も死んだ」


「そのたびに……」


 アリスの表情が、ほんの僅かに曇った。


「何かを失っていった」


「何かを……?」


「記憶とは限らない」


 アリスは静かに言った。


「力を失ったこともある。知識を失ったこともある。人との繋がりを失ったこともある」


 そして――


「時には、自分自身の一部を失ったこともある」


 俺は何も言えなかった。


 そんな話を聞かされても、記憶の中には何も浮かんでこない。


 ただ、胸の奥に説明できない不安だけが残る。


「そして今回のお前は……」


 アリスが俺の顔を見つめる。


「記録を失っているのかもしれないな」


「……記録?」


「自分が何者だったのか。それを残すものだ」


 アリスは少しだけ目を細めた。


「過去のお前には、必ず何かが残っていた」


「俺に……?」


「ああ」


 俺は自分の胸元へ手を当てた。


 そこにあるのは冒険者手帳。


 今の俺を証明するもの。


 けれど――


 それ以前の自分を証明するものなど、何一つ持っていない。


「今回は、それすら失っているのかもしれない」


 アリスの言葉が、胸に突き刺さった。


「……じゃあ、俺は」


 声が震えた。


「俺は一体……何なんですか?」


 アリスはすぐには答えなかった。


「……一つ、話しておこう」


 アリスの声が、先ほどよりも低くなった。


 俺は黙って彼女を見る。


「お前がなぜ、何度も生まれ変わっているのか」


 その言葉に、胸がざわついた。


「それには理由がある」


 アリスは自分の胸元に手を当てるような仕草をした。


「ずっと昔のことだ」


 その目は、俺ではなく、遥か遠くを見ているようだった。


「この大陸に、一体の魔神が現れた」


「……魔神?」


「ああ」


 ゼクスが僅かに表情を変えた。


 どうやら、彼もその話を知っているらしい。


「その魔神は、大陸そのものの存亡を左右するほどの存在だった」


 アリスは静かに続ける。


「多くの国が滅び、多くの命が失われた。人間だけではない。エルフも、ドワーフも、獣人も……あらゆる種族がその脅威に晒された」


 俺は息を呑む。


「そして、その魔神を倒したのが――」


 アリスの視線が俺に向いた。


「過去のお前だ」


「…………」


 言葉が出なかった。


「お前は魔神を倒した」


 アリスは淡々と語る。


「だが、最後に一つだけ残されたものがあった」


「……何ですか?」


「呪いだ」


 その言葉と同時に、部屋の空気が重くなった気がした。


「魔神は死の間際、お前の魂に一つのルーンを刻んだ」


「ルーン……」


 俺は思わず胸元を見る。


「それは魔法陣でも、装飾でもない」


 アリスの声が低くなる。


「魂そのものに刻まれた呪いだ」


 背筋に寒気が走った。


「そのルーンは普段、眠っている」


「…………」


「だが――」


 アリスは俺を見据えた。


「死が近づいた時」


 一拍。


「あるいは、お前が極限まで追い詰められた時」


 さらに一拍。


「そのルーンは目を覚ます」


 俺の脳裏に、昨日の光景が蘇った。


 レイラとの模擬戦。


 盾で視界を遮った瞬間。


 周囲の時間が止まったように感じた。


「周囲の動きが、異常なほど遅く感じる」


「……!」


「身体能力も跳ね上がる。反応速度、判断力、そして――生き残るための力」


 アリスはそう言った。


「それがお前のルーンの力だ」


 俺は拳を握った。


 あの感覚。


 飛影閃突を使った瞬間に感じた、あの異様な世界。


 偶然ではなかった。


「では……飛影閃突も?」


「それとは別だ」


 アリスは首を横に振った。


「だが、お前のルーンが発動したことで、その技を無意識に引き出した可能性はある」


 俺は黙り込んだ。


 そしてアリスは、さらに恐ろしいことを口にした。


「だが、本当の呪いはそこではない」


「……?」


「お前が死を迎えた時だ」


 部屋が静まり返る。


「そのルーンは最後に、一度だけ完全に発動する」


 アリスの表情から、笑みが消えた。


「肉体が死んでも――魂だけは死なない」


「…………」


「ルーンが魂を肉体から切り離す」


 俺は言葉を失った。


「そして、その魂は別の肉体へと移る」


「……転生」


「そうだ」


 アリスが頷く。


「お前は死ぬたびに、別の肉体へと転生する」


 名前も違う。


 顔も違う。


 種族さえ違う。


 それでも――


「魂だけは、お前のままだ」


 俺は自分の胸に手を当てた。


 ここにいるのは、今の俺だ。


 レオンという人間。


 それなのに。


 その魂が、これまで何度も別の人生を歩んできたという。


「魔神を倒した代償……それが、この呪いですか」


「そうだ」


 アリスは静かに答えた。


「お前は魔神を倒した」


「…………」


「だが、魔神は最後までお前を逃がさなかった」


 アリスの言葉が、重く響く。


「死ねば終わるはずだった」


「なのに……」


「終われなくなった」


 その一言に、背筋が凍った。


「お前は死ぬたびに転生する」


「…………」


「そして新しい人生を始める」


 アリスは少しだけ目を伏せた。


「だが、転生するたびに何かを失っていった」


「記憶……」


「それだけではない」


 アリスは首を横に振る。


「だからこそ、今のお前がどこまで失っているのか……私にも分からない」


 俺は何も言えなかった。


 自分が知らなかっただけで。


 この身体も。


 この名前も。


 この人生さえも。


 長い長い時間の中では、ただ一つの人生に過ぎない。


 そして俺の魂には――


 かつて大陸を滅ぼしかけた魔神の呪いが、今も刻まれている。


 その事実を知った瞬間。


 昨日感じた、あの異様な感覚が蘇った。


 世界が止まったように見えた、あの瞬間。


 あれは――


 俺の力ではなかった。


 俺の魂に刻まれた、魔神の呪いだった。


アリスは、しばらく黙っていた。


 そして、静かに口を開く。


「……過去のお前は、この呪いを解く方法をずっと探していた」


「過去の俺が……?」


「ああ」


 アリスは頷いた。


「何度生まれ変わっても、何度死んでも……お前はそれを探し続けた」


 俺は言葉を失った。


「魔術を学んだこともあった。古い遺跡を巡ったこともあった。失われた文献を探したこともある」


 アリスの声は静かだった。


 だが、その言葉の一つ一つには、途方もない時間の重みがあった。


「それでも、見つからなかった」


「…………」


「そして、お前は次第に……生きることそのものに疲れていった」


 胸が締め付けられるようだった。


「本当の死を迎えることを望んでいた」


「……死を?」


 俺が聞き返す。


 アリスは頷いた。


「そうだ」


 その表情には、悲しみが浮かんでいた。


「生命あるものにとって、永遠というものほど辛いものはないからな」


 その言葉が、静かな部屋に落ちた。


「人間は長くても百年ほどしか生きられない」


 アリスは窓の外へ目を向ける。


「だから、人は人生の終わりを受け入れることができる。限られた時間だからこそ、誰かを愛し、何かを残し、死を迎える」


 少し間を置いて。


「だが、お前にはそれがない」


「…………」


「誰かと出会っても、いつか別れる」


「…………」


「大切な人が死んでも、お前だけは残る」


 その言葉が、胸に刺さった。


「国が滅びても残る。時代が変わっても残る」


 アリスは俺を見る。


「そして、お前自身が死んでも……終わらない」


 俺は俯いた。


 そんな人生を、俺は知らない。


 今の俺には、そんな記憶は一つもない。


 けれど――


 アリスが嘘をついているようには思えなかった。


「だから過去のお前は、ずっと探していた」


「呪いを……解く方法を」


「ああ」


 アリスは小さく頷いた。


「自分自身を終わらせる方法を」


 部屋が静まり返る。


「……でも、見つからなかった」


「少なくとも、私が知る限りではな」


 アリスはそう言って、俺の目を見る。


「そして今のお前は、その記憶さえ失っている」


「…………」


「皮肉なものだな」


 アリスは少し寂しそうに笑った。


「死を望んでいたお前が、今は何も知らずに生きることを楽しんでいる」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 冒険者になった。


 仲間と出会った。


 魔物と戦った。


 新しい街を見た。


 剣を振り、盾を構え、槍を覚えた。


 そして――


 これから迷宮へ行こうとしている。


 俺にとっては、どれも初めてのことだった。


 けれど、それすらも。


 遥か昔の俺から見れば、何度目か分からない人生なのかもしれない。


「……アリス」


「なんだ?」


「俺は……これからも死なないんですか?」


 アリスは少しだけ目を伏せた。


「死ぬことはできる」


 その答えに、俺は顔を上げた。


「だが――」


 アリスは静かに続ける。


「それは終わりではない」


 その言葉を聞いた瞬間。


 俺は、自分の胸元に手を当てた。


 そこにあるはずのない何かが――


 魂の奥深くで、静かに息づいているような気がした。



「……どうして分かったんですか?」


 俺はアリスに尋ねた。


「何がだ?」


「俺が……過去の俺だと」


 アリスは少し黙った。


 そして、俺の胸の辺りへ視線を落とした。


「魂だ」


「……魂?」


「ああ」


 アリスは静かに頷いた。


「私はお前の顔を見て、レオンだと分かったわけではない」


「…………」


「名前でもない」


 アリスの視線が、俺の目へ戻る。


「お前の魂を見れば分かる」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。


「お前の魂には、あのルーンが刻まれている」


「魔神の……呪い」


「そうだ」


 アリスは頷いた。


「それは肉体が変わっても消えない」


 俺は黙って聞いていた。


「人間として生まれた時もあった。エルフだった時もある。別の種族だったこともある」


 アリスは遠い記憶を辿るように語る。


「男だったことも、女だったこともある。髪の色も、瞳の色も、身長も……何もかも違った」


「…………」


「だが、魂だけは変わらない」


 アリスは自分の胸に手を当てる。


「そして、その魂には必ず同じものが刻まれている」


「ルーン……」


「ああ」


 アリスは小さく頷いた。


「だから私は、お前がどんな姿で生まれ変わろうとも分かる」


「俺だと……」


「そうだ」


 その言葉には迷いがなかった。


「お前がレオンだから分かるのではない」


 アリスは俺をまっすぐ見つめた。


「その魂が、お前だから分かる」


 胸の奥が、奇妙にざわついた。


 俺自身には、過去の記憶などない。


 それでも目の前のエルフは、俺の知らない俺を知っている。


 何度も生まれ変わり。


 何度も死に。


 それでも変わらなかったもの。


 それが――俺の魂。


「……じゃあ」


 俺は恐る恐る尋ねた。


「俺が死んだら……次の俺も、アリスには分かるんですか?」


 アリスは少しだけ悲しそうに笑った。


「分かるだろうな」


「どんな姿でも?」


「どんな姿でも」


「どんな種族でも?」


「どんな種族でも」


 即答だった。


「魂に刻まれたルーンは、そう簡単には消えない」


 アリスはそう言って、俺を見つめる。


「だから私は、ずっとお前を見つけることができた」


 その言葉を聞いて、俺は何も言えなくなった。


 俺が忘れていても。


 名前が変わっても。


 姿が変わっても。


 種族さえ変わっても。


 この魂だけは――


 俺自身だった。


「……これから先、俺はどうすればいい?」


 気づけば、俺はアリスにそう尋ねていた。


 自分が何者なのか。


 何度生まれ変わってきたのか。


 そして、なぜ死んでも終われないのか。


 何も分からない。


 今の俺には、答えを探すことすら難しかった。


 アリスはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、静かに口を開く。


「探せ」


「……何を?」


「ルーンを」


「ルーン……?」


「ああ」


 アリスの目が鋭くなる。


「お前の魂に刻まれたものとは別のルーンだ」


 俺は黙って聞いていた。


「過去に失われたルーンがある」


「失われた……?」


「魔神が現れた時、この大陸の至る所に突然現れたものだ」


 アリスはそう言って、机の上に置かれていた紙へ視線を落とした。


「それは石に刻まれていたり、遺跡の壁に刻まれていたりした」


「それが……ルーンストーン?」


「そう呼ばれている」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にポポの顔が浮かんだ。


 旅の途中で出会った商人、ポポ。


 あの時、確かに聞いた。


 迷宮では、古い石に特殊な文字が刻まれたものが見つかる。


 それを――ルーンストーンと呼ぶのだと。


「ルーンストーンには、様々な力があると言われている」


 アリスは続けた。


「力を増幅するもの。魔力を蓄えるもの。失われた魔術を記録したもの……その用途は様々だ」


「……そんなものが、どうして魔神と?」


「魔神が出現した時、それまで存在しなかったルーンが大陸の各地に現れた」


 アリスは静かに言った。


「まるで、魔神の出現に呼応するようにな」


「…………」


「その多くは、魔神との戦いによって失われた」


「じゃあ……今残っているものは?」


「ほんの一部だ」


 アリスは答えた。


「だが――」


 そこで言葉を止める。


「その中に、魔神が残した呪いを解くための方法が記されている可能性がある」


 俺は目を見開いた。


「……俺の呪いを?」


「そうだ」


 アリスは頷く。


「お前が長い年月をかけて探し続けたものだ」


「…………」


「過去のお前は、何度もルーンを探した」


 アリスの声が少しだけ寂しげになる。


「だが、見つからなかった」


「どうして?」


「分からない」


 意外な答えだった。


 アリスほど長く生きているなら、何でも知っているのだと思っていた。


「だからこそ、探す価値がある」


 アリスは俺を見る。


「失われたルーンの中に、お前の呪いを解く方法が残っているかもしれない」


「…………」


「もし見つけることができれば――」


 アリスはそこで一度言葉を切った。


「お前は、初めて本当の死を迎えられるかもしれない」


 その言葉に、胸の奥がざわめいた。


 本当の死。


 それは俺にとって、恐ろしい言葉のはずだった。


 なのに――


 なぜか、どこか遠い場所から呼ばれているような気がした。


「だから、レオン」


 アリスが立ち上がる。


「まずは探せ」


「ルーンストーンを……」


「ああ」


 アリスは頷いた。


「お前がこれから向かう場所にも、あるかもしれない」


 俺は思わず目を向ける。


 これから向かう場所。


 王都の地下深くに存在する、特殊な迷宮。


 入るたびに構造が変わり、出現する魔物さえ変化するという場所。


「……迷宮に?」


「可能性はある」


 アリスは微笑んだ。


「だから行ってみろ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 俺は初めて、今回の迷宮探索に別の意味を感じた。


 ただ魔物を倒すためでもない。


 宝を探すためでもない。


 自分が何者なのかを知るために。


 そして――


 いつか、本当の終わりを迎えるために。


 ゼクスが再び口を開いた。


 「では、なぜ……」


「なぜレオンは、記録を失っているにもかかわらず、飛影閃突だけを無意識に使えた?」


 アリスはしばらく俺を見つめていた。


 そして、静かに答えた。


「飛影閃突は、お前にとって特別な技だからだ」


「特別……?」


「ああ」


 アリスの目が細くなる。


「その技は、過去のお前が魔神にとどめを刺した技だ」


「…………」


 俺は息を呑んだ。


「魔神を倒した最後の一撃」


 アリスは続ける。


「それが、飛影閃突だった」


 部屋の空気が重くなる。


「つまり……」


 ゼクスが呟く。


「魔神のルーンにとっては、自分の主人を殺した技ということか」


「そういうことだ」


 アリスが頷く。


「お前の魂に刻まれたルーンは、魔神の呪いそのものだ」


「…………」


「そのルーンには、魔神が死んだ時の記憶も刻まれているのかもしれない」


 俺は胸元に手を当てた。


「そして、その最後にあったものが――飛影閃突」


「おそらくな」


 アリスは答えた。


「だから、極限状態になった時にルーンが発動すると……その技が呼び起こされる」


「俺が覚えていなくても?」


「ああ」


「俺が使おうと思わなくても?」


「そうだ」


 アリスは静かに頷いた。


「むしろ、意識していないからこそ使えるのかもしれない」


 その言葉に、俺は黙り込んだ。


 昨日の訓練を思い出す。


 レイラとの距離が一瞬で消えた。


 盾で視界を奪った。


 そして、身体が勝手に動いた。


 あの感覚。


 まるで、俺ではない誰かが身体を動かしているようだった。


「飛影閃突は、お前の魂にとって最も強く刻まれた記録なのだろう」


 アリスはそう言った。


「魔神にとどめを刺した最後の一撃だからな」


「…………」


「だから、ルーンが目を覚ますたびに、その技を引き出すのかもしれない」


 アリスは少しだけ苦笑した。


「皮肉なものだ」


「……何がです?」


「お前を何度も死から逃れさせている呪いが――」


 アリスの視線が、俺の胸元へ落ちる。


「自分自身を殺した技を、お前に与えている」


 俺は言葉を失った。


 魔神を倒した。


 その代償として、魔神の呪いを受けた。


 そしてその呪いが、俺の魂に残った。


 その呪いが発動するたびに、俺を生き延びさせる。


 けれど、その力が最も強く引き出す技は――


 かつて、その魔神自身に最後の一撃を与えた技。


「……飛影閃突」


 俺が呟く。


 アリスは静かに頷いた。


「ああ」


 その瞬間。


 俺の胸の奥で――


 何かが、ほんの僅かに脈打った気がした。


「ではな、レオン」


 アリスはそう言うと、踵を返した。


「お前がいつか――本当の死を迎えられることを祈っているぞ」


 その言葉に、俺は思わず声を上げた。


「アリス、待ってくれ!」


 アリスが足を止める。


 俺は何かを尋ねようとした。


 だが、言葉が出てこない。


 聞きたいことは山ほどある。


 過去の俺。


 魔神。


 呪い。


 転生。


 そして――アリス自身。


「お前と……」


 一度、言葉を飲み込む。


「お前と俺は……過去に……」


 アリスは振り返った。


 その表情には、先ほどまでのどこか寂しげな雰囲気はなかった。


 代わりに、穏やかな笑みが浮かんでいる。


「そうだよ」


 そして――


「私たちは、昔、魔神を共に倒した仲間だ」


「…………」


 言葉が出なかった。


 アリスは小さく笑う。


「もう随分と昔の話だがな」


「俺と……アリスが?」


「ああ」


 アリスは頷いた。


「私だけじゃない」


 その目が、どこか遠い過去を見つめる。


「他にも仲間がいた」


「…………」


「皆で旅をして、戦って、そして最後に魔神と戦った」


 俺は何も言えなかった。


 そんな光景を、俺は知らない。


 仲間の顔も。


 旅をした場所も。


 魔神と戦った日のことも。


 何一つ覚えていない。


 それなのに――


 アリスだけは覚えている。


「いつか思い出す日が来るかもしれない」


 アリスはそう言った。


「だが、無理に思い出す必要はない」


「…………」


「今のお前には、今のお前の人生がある」


 その言葉に、胸が少しだけ軽くなった。


「それに――」


 アリスはいたずらっぽく笑った。


「お前は昔から、妙なところで頑固だったからな」


「……昔から?」


「ああ」


 アリスは笑った。


「そこだけは、何度生まれ変わっても変わらない」


「…………」


 俺は苦笑した。


 何も覚えていない。


 なのに、その言葉だけは不思議と嫌ではなかった。


「じゃあな、レオン」


 アリスは今度こそ歩き出した。


 扉の前で一度だけ振り返る。


「迷宮へ行くのだろう?」


「はい」


「ならば、気をつけろ」


 そして、最後に笑った。


「またいつか会おう。私の古い仲間よ」


 扉が閉まる。


 部屋に残された俺は、しばらくその場から動けなかった。


 古い仲間。


 その言葉だけが、頭の中に残っていた。


 俺には何も覚えていない。


 けれど――


 いつか。


 失われた記録を見つけた時。


 俺は、過去の自分ともう一度向き合うことになるのかもしれない。


 その先にあるのが――


 本当の死なのか。


 それとも、別の答えなのか。


 今の俺には、まだ分からなかった。


扉が閉まった。


 俺はしばらく、その場から動けなかった。


 過去の仲間。


 魔神を共に倒した仲間。


 そして、俺の知らない俺を知っているエルフ。


 あまりにも多くのことを聞かされ、頭の中は整理できていなかった。


「……レオン」


 ゼクスの声で、我に返る。


「はい」


「アリスの話は、今すぐ全てを理解する必要はない」


「……分かっています」


 ゼクスは頷いた。


「それより、お前に渡しておくものがある」


「渡すもの?」


「ああ」


 ゼクスが机の横へ置かれていた大きな鞄を手に取った。


 見た目は、騎士団員が遠征などで使う荷物袋に近い。


 かなり大きい。


「これは?」


「騎士団で使われている魔道具だ」


 ゼクスが俺に差し出す。


 受け取った瞬間――


「……軽い」


 思わず声が出た。


 これだけ大きな鞄なら、それなりの重量があると思っていた。


 だが、拍子抜けするほど軽い。


「内部に空間拡張の魔術が施されている」


「空間拡張……」


「見た目以上に物が入る」


 ゼクスは鞄を指で軽く叩いた。


「遠征用に作られたものだ。食料、水、予備の装備、薬などを入れても持ち運びに苦労しない」


 俺は鞄の口を開いて中を覗く。


 外から見た大きさからは想像できないほど、奥行きがある。


「こんなものを俺に?」


「ああ」


「どうして……」


 ゼクスは少しだけ間を置いた。


「お前には、すでに王都の冒険者として登録されている」


「……え?」


 思わず聞き返した。


「登録?」


「あの訓練以降、騎士団はお前を正式に王都所属の冒険者として登録している」


「俺が……?」


「王都周辺で活動する冒険者の中でも、騎士団が一定の信頼を置く者としてな」


 知らなかった。


 俺はただ、騎士団の訓練に参加しただけだと思っていた。


「これから先、お前には騎士団から依頼を出すこともある」


「依頼……」


「もちろん、冒険者として自由に活動することもできる」


 ゼクスはそう言って、俺の手にある鞄を見る。


「その鞄も、その一環だ」


「……随分と待遇がいいですね」


 思わずそう言うと、ゼクスは笑った。


「期待しているということだ」


 俺は鞄を持ち直した。


 軽い。


 それなのに、これだけの物資を運べる。


 これから始まる迷宮探索には、かなり役に立ちそうだ。


「ありがたく使わせてもらいます」


「ああ」


 ゼクスが頷く。


「そして、もう一つ」


「まだあるんですか?」


「迷宮の入場許可証だ」


 ゼクスが一枚の金属製の札を机から取り上げる。


 それを俺へ差し出した。


「これがなければ、今回の迷宮には入れない」


 俺はそれを受け取る。


 冷たい金属の感触が手に伝わった。


 表面には騎士団の紋章と、俺の名前が刻まれている。


「ヘクトルたちにも同じものが発行されている」


「じゃあ、これで……」


「ああ」


 ゼクスは頷いた。


「準備は整った」


 俺は許可証と鞄を見つめる。


 そして――


 これから向かう迷宮のことを思った。


 構造が変わる。


 魔物も変わる。


 そして、そこには――


 失われたルーンストーンが眠っているかもしれない。


 俺は鞄を背負った。


 驚くほど軽い。


「……行ってきます」


 ゼクスが静かに頷いた。


「無事に戻ってこい、レオン」

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