旅立ち
あれから数日が経った。
俺はラッカムに残り、ガフさんに頼んでいた新しい装備の完成を待っていた。
そんなある日の朝。
宿屋の部屋に、ルーシェがやってきた。
「レオン、ガフさんから連絡が来たよ」
「……まさか」
ルーシェは笑いながら頷いた。
「盾と鎧、完成したって」
「……!」
胸が高鳴った。
ヘイゼルの白。
あの禍々しい大剣に使われていた素材。
それを使って、ガフさんが俺のために作ってくれた装備。
「……見に行こう」
俺は立ち上がった。
「うん」
ルーシェとともに、ガフさんの鍛冶屋へ向かった。
扉を開ける。
いつものように、鉄を打つ音と熱気が俺たちを迎えた。
だが――
「…………」
俺は足を止めた。
店の奥。
そこには、以前とはまるで別物になった盾と鎧が置かれていた。
「これが……俺の?」
思わず声が漏れる。
まず目に入ったのは、巨大な円形の盾だった。
以前使っていたものよりも一回り、いや二回りは大きい。
緩やかに湾曲した分厚い盾面。
中央はわずかに盛り上がり、身体の大部分を隠せるほどの大きさがある。
表面は黒鉄のような暗い色。
そのところどころに、灰白色の模様が走っている。
まるで、長い年月を経て浮かび上がった錆のようだった。
禍々しい。
それなのに、不思議と目を離せない。
そして、その隣に立て掛けられている鎧。
こちらも以前のものとは比べ物にならないほど重厚だった。
胸当て、肩、腕、脚。
全身を覆う重量級の鎧。
盾と同じ黒鉄のような色合いに、灰白色の模様が浮かんでいる。
まるで――
あの大剣を思わせる色だった。
「……ヘイゼルの白」
俺が呟く。
すると、店の奥からガフさんが姿を現した。
「気付いたか」
「この色……」
「ああ。あの素材の影響だ」
ガフさんは鎧を軽く叩いた。
カン、と低い金属音が響く。
「こいつはもう、ただの鎧じゃねえ」
「……?」
「マジックアイテムだ」
「マジックアイテム……」
冒険者なら、一度は耳にしたことのある言葉だ。
けれど、それがどうやって生まれるのか。
俺には詳しいことは分からなかった。
「マジックアイテムってのは、魔法使いが魔力を込めれば作れるってもんじゃねえ」
ガフさんは鎧を撫でながら言った。
「武具そのものが、魔力を宿す性質を持っている必要がある」
「魔力を……宿す?」
「ああ」
ガフさんは頷いた。
「強い魔物の素材には、普通の素材じゃ考えられねえほどの魔力が残っていることがある。そういう素材を武具に使うと、その性質が武具に現れることがあるんだ」
俺は目の前の鎧を見る。
「じゃあ……ヘイゼルの白の大剣も?」
「そういうことだ」
ガフさんの表情が少し険しくなる。
「あの大剣に使われていた素材は、とんでもねえ魔力を秘めていた。だから、あんな異常な武器になったんだろう」
あの大剣を思い出す。
禍々しい刀身。
普通の武器とは明らかに違っていた。
「ただし、素材が強けりゃ必ずマジックアイテムになるってわけでもねえ」
ガフさんは続けた。
「素材の性質を見極めて、どう加工するか。それが職人の腕だ」
「……じゃあ、この盾と鎧にも?」
「ああ」
ガフさんが盾へ視線を向ける。
「ヘイゼルの白から採れた素材を使っている」
俺は盾に手を伸ばした。
ずしりとした見た目。
だが――
「……?」
持ち上げてみる。
「軽い……?」
「そう感じるだろうな」
ガフさんが笑う。
「こいつは見た目通り、かなり重い。だが魔力が装備者の身体に合わせて働く。持ち上げたときの負担を抑え、動きを邪魔しにくくしてある」
俺は盾を構えてみる。
大きい。
以前の盾とは比べ物にならない。
それなのに、腕にかかる負担は思ったほどではなかった。
「鎧も同じだ」
ガフさんが言う。
「重量級だが、着れば分かる。身体に合わせて馴染むように仕上げてある」
俺は鎧を見つめた。
黒鉄のような表面。
そこに浮かぶ灰白色の模様。
あの大剣と同じ素材から生まれた力。
「……すごい」
思わず呟いた。
「ガフさん、本当にありがとうございます」
俺は懐から代金を取り出し、差し出した。
ガフさんは受け取ると、中身を確認する。
「……ああ」
そして、俺を見る。
「大事に使えよ」
「はい」
俺は深く頭を下げた。
「何から何まで、本当にありがとうございました」
「よせよ。俺は鍛冶屋だ。頼まれたもんを作っただけさ」
ぶっきらぼうな言い方。
けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
俺は新しい盾に手を置く。
これから先、何度この盾に助けられるのだろう。
そんなことを考えていると、ガフさんがふと口を開いた。
「それで……いつ出るんだ?」
「今日です」
「今日?」
ガフさんが目を丸くする。
「装備も揃いましたし、ラッカムでやることも終わりましたから」
「そうか……」
短い言葉だった。
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
隣にいたルーシェも、黙って俺を見る。
「……本当に今日行くんだ」
「ああ」
「そっか」
ルーシェは少しだけ俯いた。
「またこの街に来たときは、顔を出します」
「うん」
ルーシェは笑った。
「待ってるから」
その笑顔を見ていると、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
「……元気でね、レオン」
「ああ。ルーシェも」
俺は新しい盾を背負う。
そして、ガフさんとルーシェに別れを告げた。
鍛冶屋を出る。
振り返ると、店の入口に二人が立っていた。
俺は小さく手を上げる。
二人も手を振ってくれた。
俺はそのまま歩き出した。
ラッカムを出る前に――
もう一つ、行かなければならない場所がある。
街の喧騒から少し離れた場所。
小さな墓地。
その一角に、レインさんの墓はあった。
「…………」
俺は墓の前で立ち止まった。
新しく身につけた鎧。
そして、背中にある大きな盾。
この姿を、レインさんに見てもらいたかった。
「レインさん……」
墓前に腰を下ろす。
「俺、少しは冒険者らしくなったかな」
返事はない。
当然だ。
それでも、なぜかレインさんなら笑っているような気がした。
ふと、訓練所で何度も言われた言葉を思い出す。
『盾は攻撃を防ぐためだけのものじゃない』
あの頃は、その言葉の意味を本当には理解していなかった。
ただ、敵の攻撃を防ぐ。
それだけだと思っていた。
けれど――
今なら少しだけ分かる。
盾は、自分だけを守るためのものじゃない。
誰かを守るためにも使える。
「……この盾、大事に使います」
俺は立ち上がった。
墓に向かって、深く頭を下げる。
「行ってきます」
そして俺は、ラッカムの街を出た。
一人で。
次の街へ。
次の冒険へ。
ラッカムを出てから数日。
俺は北へ向かう街道を歩いていた。
道の両側には草原が広がり、時折、遠くに森が見える。
目的地は――王都ハルディオ。
この大陸の中心にある巨大な街だ。
「王都……か」
まだ見たことのない街。
どれほど大きく、どんな人々が暮らしているのかも分からない。
ただ、一つ決めていることがあった。
新しい場所で、自分の力を試してみたい。
ラッカムでの経験も。
ヘイゼルの白との戦いも。
そこで得たものも。
全部、自分の力に変えていく。
「……行こう」
俺は北を向いた。
目指すのは――王都ハルディオ。
新しい街。
新しい冒険。
そして、まだ見ぬ未来。
俺は歩き始めた。
さらに数日後。
北へ向かう街道の先に、小さな集落が見えてきた。
「……村か」
木造の家々。
その向こうには畑が広がっている。
街道から少し離れた、静かな村だった。
村の入り口には、小さな木の看板が立っている。
そこには――
『リオ村』
と書かれていた。
「今日は、あそこで休むか」
俺は歩く速度を少し上げた。
久しぶりに人の暮らす場所が見えて、少しだけ気持ちが軽くなる。
村の中へ入る。
想像していたより、人の姿が多かった。
街道沿いにあるためか、旅人や商人の姿も見える。
そして――
「冒険者ギルドもあるのか」
村の中心から少し離れた場所に、小さな建物が建っていた。
入口には、見慣れた冒険者ギルドの紋章。
俺はその建物へ向かった。
冒険者ギルドの扉を開ける。
中へ入った瞬間――
「だから、俺たち三人で十分だって!」
若い冒険者の声が響いた。
「無理に決まってるでしょ。ホーンラビットがあんなにいるんだよ?」
弓を背負った少女が言い返している。
その隣には、もう一人の少女。
足元には、一匹のウルフ型の魔物がいた。
「えっと……リック、ノアちゃん……喧嘩しないで……」
「トトは黙っててくれ!」
「トトは黙っててって……」
二人から同時に言われ、トトは困ったように眉を下げた。
「……ごめんね」
そして、ウルフの頭を撫でる。
どうやら三人は、依頼について揉めているらしい。
「皆さん、落ち着いてください」
受付嬢が困ったように声を掛ける。
「今回が皆さんにとって初めての依頼なんですから、無理はしないでくださいね」
「でも、ホーンラビットくらいなら大丈夫だって!」
「確かに一匹一匹は、それほど強くありません」
受付嬢は依頼書を指差す。
「ですが、今回は群れの討伐です。それに皆さんは、まだ冒険者になったばかりでしょう?」
「…………」
三人が黙り込む。
俺はその様子を少し離れた場所から見ていた。
受付嬢が俺に気づく。
「あ……!」
目が合った瞬間、受付嬢は姿勢を正した。
「い、いらっしゃいませ!」
「どうも」
俺が軽く頭を下げる。
受付嬢は俺の冒険者証を確認した。
「Dランク冒険者、レオン様ですね」
「はい」
ついこの前まで、俺はFランクだった。
冒険者になったばかりで、何の実績もなかった。
けれど――
ラッカムでの冒険。
そして、ヘイゼルの白との戦い。
その経験を経て、俺はDランクへ昇格していた。
まだDランク。
それでも、冒険者になった頃と比べれば大きな変化だった。
「Dランク……」
先ほどの青年が呟く。
三人が俺を見る。
「レオンさんって、強いんですか?」
弓を背負った少女――ノアが尋ねた。
「強いかどうかは……まだ分からない」
俺は答えた。
「ただ、冒険者になった頃よりは成長したと思う」
その言葉を聞いた受付嬢が、少し考えるような顔をした。
「……レオン様」
「はい?」
「もし、このあとご予定がなければ……一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「お願い?」
受付嬢は三人を見る。
「実は、あの三人は今日が初めての依頼なんです」
「なるほど」
「ホーンラビットの討伐を受けたのですが……正直なところ、少し心配でして」
受付嬢は申し訳なさそうに続けた。
「もし可能でしたら、彼らに同行していただけないでしょうか」
俺は三人を見る。
剣を持つ青年。
弓を持つ少女。
そして、魔物を連れた少女。
まだ経験が浅いのは、見れば分かる。
「…………」
断ってもいい。
俺は王都へ向かう途中だ。
わざわざ新人の面倒を見る理由なんてない。
――なのに。
なぜか、放っておく気にはなれなかった。
レインさんのことを思い出した。
冒険者になったばかりの俺に、何度も戦い方を教えてくれた人。
危なっかしい俺を見て、きっと同じようなことを思っていたのだろう。
俺は小さく息を吐いた。
「……分かりました」
「本当ですか!」
受付嬢の顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「ただ、俺も人に教えるのは初めてです。あまり期待しないでください」
「それでも助かります」
俺は三人の前へ歩いていく。
「俺はレオン。今回の依頼、一緒に行くことになった」
「俺はリック。剣士だ!」
青年が名乗る。
「私はノア。弓を使います」
少女が続く。
「……トトです」
最後の少女がおっとりと頭を下げた。
「魔物使いで……この子はガル」
足元のウルフが、俺をじっと見つめる。
「よろしく」
俺が声を掛けると、ガルは小さく尻尾を振った。
俺は三人を見渡した。
それぞれ戦い方が違う。
剣で前に出るリック。
弓で援護するノア。
魔物を従えるトト。
上手く連携できれば、悪くない組み合わせだ。
「じゃあ、まず依頼の内容を確認しよう」
こうして俺は――
初めて、誰かに戦い方を教える側になった。
ホーンラビットが生息しているのは、村から少し離れた平原だった。
先頭を歩くのはリック。
その少し後ろをノア。
トトとガルが並んで歩き、俺は最後尾から三人を見ていた。
「まず、連携について話しておく」
三人が振り返る。
「ホーンラビットは、それほど強い魔物じゃない。だけど動きが速い。角を使った突進には注意しろ」
「分かった!」
リックが頷く。
「それと、一人で倒そうとするな」
「え?」
「三人で戦うんだ。それぞれに役割がある」
俺はリックを見る。
「リックは前衛。敵を見つけても、勝手に追いかけるな」
「……分かった」
「ノアは後ろから援護する。リックやガルが動きを止めたときに狙え」
「はい」
「トト」
「は、はい」
「ガルに無理をさせるな。魔物だからって、何でもできるわけじゃない」
トトはガルの頭を撫でた。
「ガルは私の大事な仲間だから……無理はさせないよ」
「それならいい」
俺は前方を見る。
「敵を見つけたら、まず状況を確認する。リックが前に出て、ガルが横から牽制。ノアは安全な場所から援護。トトはガルへの指示と、自分の鞭で敵の動きを止める」
「レオンさんは?」
ノアが尋ねる。
「俺は全体を見る。危なくなったら盾で止める」
背中の大型盾に手を添える。
「戦いは、一人で強くても勝てないことがある。仲間の力を合わせるんだ」
三人は真剣に頷いた。
「……分かった?」
「はい!」
リックが答える。
「よし」
俺たちは再び歩き始めた。
しばらくすると――
「……いた」
ノアが小さく呟いた。
草むらの向こうに、ホーンラビットが一匹いる。
ノアが弓を構えた。
矢を番え、ゆっくりと弦を引き絞る。
そして――
ヒュッ!
矢が放たれた。
だが、僅かに逸れる。
「外した……!」
驚いたホーンラビットが顔を上げた。
次の瞬間――
地面を蹴って、こちらへ突っ込んでくる。
「来るぞ!」
リックが剣を抜く。
だが――
「う、うわっ!」
リックの身体が後ろへ下がった。
ホーンラビットは一直線に迫る。
「リック!」
ノアが叫ぶ。
「ガル!」
トトの声が響いた。
ガルが地面を蹴った。
一気に距離を詰め、横からホーンラビットへ飛び掛かる。
「ギィッ!」
牙が食い込む。
ホーンラビットが地面を転がった。
「ガル、離れて」
トトの指示。
ガルはすぐに後ろへ下がった。
ホーンラビットは動かない。
「…………」
リックは呆然と立っていた。
俺は三人を見る。
トトとガルの連携は悪くない。
だが、リックはまだ魔物と向き合うことに慣れていない。
「リック」
「……はい」
「少し話そう」
少し離れた場所まで歩く。
リックは俯いていた。
「怖かったか?」
「……はい」
正直な答えだった。
「足が動かなくなりました」
「それでいい」
「……え?」
リックが顔を上げる。
「魔物が怖い。死ぬのが怖い。そう思うのは当たり前だ」
俺は静かに続ける。
「俺だって怖い」
「レオンさんも?」
「ああ」
俺は頷いた。
「怖くない人間なんて、たぶんいない。大事なのは、怖くなったときにどうするかだ」
リックは黙って聞いている。
「さっき後ろに下がったこと自体は悪くない。無理に戦って死ぬよりずっといい」
「…………」
「でも、次は周りを見ろ」
俺は三人を指差す。
「ノアがいる。トトもガルもいる。そして俺もいる」
「……」
「一人で戦う必要はない」
リックは拳を握った。
「……分かりました」
「怖くてもいい。その中で、自分にできることを考えろ」
「はい」
リックの表情が少し変わった。
俺たちは三人のもとへ戻った。
「……二人とも、ごめん」
リックが言う。
「さっき俺が怖くなって……」
「大丈夫だよ」
トトが笑う。
「誰だって怖いもん」
ノアも頷いた。
「私だって最初は手が震えてたんだから」
「……ありがとう」
リックの表情が少しだけ柔らかくなった。
俺はその様子を見ていた。
昔の自分も――
こんな感じだったのだろうか。
レインさんも、こんなふうに俺を見ていたのだろうか。
そんなことを考えながら、俺たちは再び歩き始めた。
しばらく進むと、水辺が見えてきた。
その周囲に――
「いた」
ホーンラビットの群れ。
一匹、二匹……。
さらに奥にもいる。
「今度はどうする?」
ノアが俺を見る。
「さっき話した通りだ」
俺は答える。
「まず落ち着いて、相手の動きを見る」
ノアが弓を構える。
今度は迷いがない。
ゆっくりと弦を引き絞る。
「…………」
そして――
ヒュッ!
矢が飛ぶ。
「キィッ!」
ホーンラビットの首元を正確に捉えた。
一匹が倒れる。
「やった……!」
だが、残った二匹がこちらに気づいた。
「来る!」
リックが剣を構える。
ホーンラビットが突っ込んでくる。
今度は――
リックは逃げなかった。
「おおおっ!」
一歩踏み込み、剣を振り下ろす。
刃がホーンラビットを捉えた。
「……やった!」
だが、もう一匹が横から迫る。
「リック、右!」
ノアの声。
「ガル!」
トトが叫ぶ。
鞭が伸びる。
脚に絡みつき、ホーンラビットの動きを止めた。
「今だよ!」
ガルが飛び掛かる。
ホーンラビットが地面へ倒れた。
「……すごい」
リックが呟く。
俺は頷いた。
「今のは良かった」
三人の顔が明るくなる。
それぞれが自分の役割を理解し始めている。
「俺、ちゃんと動けた……」
リックが自分の手を見る。
「最初は怖かったけど……今度は剣を振れた」
「それはリックが頑張ったからだよ」
ノアが笑う。
「……ありがとう」
そんな三人を見ていると、俺も自然と笑っていた。
「……懐かしいな」
初めて依頼をこなした日のことを思い出す。
何も分からなかった。
怖かった。
それでも仲間と一緒に魔物を倒した。
あのときの喜び。
今の三人を見ていると、その感覚が蘇ってくる。
討伐したホーンラビットを前に、トトがナイフを取り出した。
「えっと……これを……」
刃を入れる。
「…………あれ?」
上手くいかない。
「こっちかな?」
「トト、大丈夫?」
ノアが心配そうに声を掛ける。
「う、うん……」
明らかに慌てている。
「……解体、苦手なのか?」
「……ちょっとだけ」
トトが困ったように笑った。
「魔物を扱うのは得意なんだけど……解体はまだ練習中で……」
「そうか」
魔物使いだからといって、何もかも得意なわけではないらしい。
俺はトトの作業を見守った。
そのときだった。
「…………」
俺は周囲を見渡した。
何かがおかしい。
さっきまで聞こえていた鳥の声がない。
風に揺れる草の音だけが、妙に大きく聞こえる。
「……みんな、動くな」
「え?」
俺は周囲を見回した。
血の匂い。
ホーンラビットの血だ。
その匂いに誘われて――
何かが近づいている。
草むらの奥。
大きな影が動いた。
木々の間から姿を現したのは――
「ファングボア……」
巨大な牙を持つ猪型の魔物。
ホーンラビットとは明らかに違う。
リックが息を呑む。
「な、なんだよ……あれ」
トトがガルを呼び寄せる。
ファングボアが地面を前脚で掻いた。
「ファングボアはDランクの魔物だ」
俺が言う。
「Dランク……」
リックの顔が強張る。
「下がっていろ」
俺は三人の前に出た。
背中から新しい盾を外す。
巨大な円形盾。
身体の大部分を覆うほどの大きさ。
それを構える。
ずしりとした重量があるように見える。
だが――
「…………」
腕には、ほとんど負担を感じない。
ガフさんが言っていたことを思い出す。
装備者に合わせて、魔力が働く。
ファングボアが低く唸る。
そして――
ドンッ!
地面を蹴った。
凄まじい速度。
巨体が一直線に迫ってくる。
俺は盾を構えた。
来い。
次の瞬間――
ドンッ!!
ファングボアの巨体が盾に激突した。
「…………」
俺は一歩も動かなかった。
盾を持つ腕にも、大きな衝撃は伝わってこない。
「……これだけ?」
思わず呟いた。
自分でも驚いていた。
以前の盾なら、間違いなく身体ごと押し飛ばされていただろう。
だが、この盾は違う。
ファングボアの突進を――
真正面から受け止めている。
俺は盾でファングボアを押さえ込む。
「レオンさん……!」
後ろからノアの声。
「大丈夫だ」
右手で剣を抜く。
「こいつは俺が止める」
ファングボアが必死にもがく。
その瞬間。
俺は一歩踏み込んだ。
盾で巨体を押さえ込み、できた隙へ剣を突き込む。
「――ッ!」
ファングボアが身体を震わせる。
そして――
ゆっくりと地面へ崩れ落ちた。
「…………」
静寂が戻る。
俺は剣を引き抜いた。
自分の盾を見る。
「……すごいな」
初めて、この盾の力を実感した。
ガフさんが作った盾。
これは、ただ大きくて頑丈なだけじゃない。
俺の動きを支え、俺の身体を守ってくれる。
俺は盾を見つめた。
「……ありがとう、ガフさん」
解体を終える頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
「もうこんな時間か」
俺たちは荷物をまとめ、村へ戻った。
夕日が沈み始める頃、ようやくリオ村が見えてきた。
そのまま冒険者ギルドへ向かう。
扉を開けると、受付嬢がこちらに気づいた。
「お帰りなさい!」
「ただいま戻りました」
俺は討伐した魔物の素材を受付へ置いた。
「ホーンラビットの討伐と……ファングボアです」
「ファングボア!?」
受付嬢が驚く。
俺は平原で起きたことを説明した。
新人三人だけではなく、俺が同行していたこと。
ホーンラビットを討伐していたところへファングボアが現れたこと。
そして、俺がそれを倒したこと。
受付嬢は何度も頷きながら報告を確認していった。
「……確かに確認しました」
そして、報酬を用意する。
「こちらが今回の依頼の報酬です」
「ありがとうございます」
俺たちはそれぞれ報酬を受け取った。
「今日は本当にありがとうございました、レオンさん」
「いえ」
俺は三人を見る。
初めて会ったときとは違う。
三人の顔には、少しだけ自信が宿っていた。
「今日のこと、忘れるなよ」
「はい!」
リックが元気よく返事をする。
「また一緒に冒険したいです」
ノアが笑う。
「私も……」
トトも小さく頷いた。
「……そうだな」
俺は笑った。
「いつか、またどこかで会うかもしれないな」
そう言って、三人と別れた。
宿へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
部屋に戻り、ベッドへ腰を下ろす。
「…………」
今日は長い一日だった。
新人冒険者の初めての依頼。
そして――
俺にとっても、初めて誰かに戦い方を教える一日だった。
不思議と疲れは嫌ではなかった。
むしろ、どこか温かい気持ちが残っている。
きっとレインさんもこんな気持ちだったのだろう。




